第一章

第1話 その日の彼女は、いつもと違う

「いってー。ひどいじゃないかよハニー」

「誰がハニーだ」


 最近のいつもどおり、俺が勝手に前原家にお邪魔して、いつもどおりサラを後ろから抱き締めようとしたら、これまたいつもどおりぐーで殴られた。


「涼平。何度も言うけどそーゆーのやめろよな。誤解されるじゃねーか」


 お、今日は珍しく少し顔を赤らめてって、あれ?


「え? 誰に?」

「んっ」


 サラが人差し指で指し示したのは、向かい側のソファに座っていた人物。

 同じクラスの、俺たちに全くと言っていいほど接点のない女子。

 長月姫その人が、何故か前原家にいた。


「あ、長月さん! 同じクラスの!」

「そう。何かよくわかんないけど、今日から一緒に住むことになってな」

「え」


 俺は長月を見る。

 長月は俺と目を合わせなかった。

 終始、下の方を向いて、少し震えているようだった。

 高校一年の春。春と言っても、もう夏近かったけど。

 長月の黒くて長い髪の毛と、サラの茶色くて長い髪の毛を見て、俺はサラってハーフなんだなと改めて思う。


「俺、サラの隣の家に住んでる菊地涼平! わかるかな。とりあえずよろしく」

「よ、よろしく」


 小さな声で、俺の言葉に答える長月。

 事情はわからないけれど、前原家に誰かが居候すること自体はそんなに珍しいことでもない。数年前に留学生を住まわせていたこともある。

 だから俺はすぐに状況を飲み込んだ。


 気まずくないように俺は話題を探す。

 学校での長月のことを思い出してみる。

 長月……長月と言えば……。


「長月さんかぁ。いっつも隅にいるよね。隅っこ好きなの?」


 俺は出来るだけ笑顔を作って尋ねた。

 


「あ、えと。割と好き」


 たどたどしく答えが帰ってきた。

 正直、こういう子は覚えていただけで奇跡だ。

 言っちゃ悪いが長月姫は影が薄い。目立たない子だ。

 入学式から結構立っているけど、生徒全員と名前なんて覚えているわけがない。

 なのに覚えていたのは、奇跡だ。いや、小さくてコロコロしてて可愛いって男子の中で一時期噂になってたせいか。


「んで、何で住むことになったの?」

「あたしに聞くな」


 俺はどさくさにまぎれてサラの隣に座った。

 長月の顔は悪くないと思う。前髪もぱっつんで、ロングだし。


「そ、それは……多分、私が中学の頃からあんまり学校行ってなくて……。怒ってて。高校入ってからもずっと行ってなくて」

「え?」


 サラとちょっとハモリそうになったので俺は首を傾げるだけにする。

 ここはサラに任せよう。


「でも 入学式から一カ月ちょいだけど、来てるよな?」

「それは、その」


 長月が言葉に困っているようだった。

 でも大体の予想は付いていた。俺も、多分サラも。


「わ、私一年……」


 多分彼女は、留年してるって言いたいんだと思う。

 登校拒否なんて今時そんなに珍しいことじゃない。中学の頃とかざらにいたし。

 留年しててもそんなに気にすることじゃない。本人は負い目を感じているのかもしれないけれど。そういうのは案外、周りは気にしていない。 


「私……」


 長月が震えているのが分かる。

 ここはフォローしてあげるべき何だと思う。サラが。


「長月さん。あたしはさぁ正直どうでもいいんだ。長月さんがここに来た理由とか、長月さんが何で隅っこが好きなのかとか、何で留年したのかとか。そんなんどうだっていいんだ」


 今さらっと言ったぞ。(サラだけにとかギャグじゃないぞ)


「だって長月さん、今ここにいるから」


 長月が驚いたのか少し顔を上げたのがわかった。


「それで充分だろ。それに親父さんに感謝しないといけないし。ホントはあたしさ、あんたとずっとこうやって話してみたかったんだ。だから念願叶ってすっげぇ嬉しい。長月さんは?」


 サラが聞く。

 長月も表情が嬉しそうだった。


「私も。すっげぇ嬉しい」

 サラの口調につられるように、長月さんが言った。


***


 前原家のキッチンから、いい匂いがした。

 テーブルには出来たてのオムライス。

 おばさんとおじさんと、長月と俺とサラと、何故かもうひとりの幼馴染である真崎琢磨がいた。彼の家も近所にあるため、よく家に遊びに来るのだ。

 長月の歓迎会。みたいなものだった。

 真崎はどうやら買物の途中で会ったらしい。だからって来るなよ。とは言えない。彼はどうして長月がこの家にいるのかという理由については興味がない様子で、一言も聞いてこなかったらしい。

 ふと隣の席を見ると、オムライスにケチャップを適当にかけている真崎。

 ホント、こういうときって性格現れるよなと思う。


「うっわ、お前グチャグチャにかけたん? もったいねー」

「うるせー。別にいいだろ」

「俺のなんか見ろよ。愛の告白」


 俺はLOVEサラとオムライスの上にケチャップで書いた文字を真崎に見せる。


「バカか」


 一言でばっさり。別にいいけどね。

 それにしても、不思議な空間だった。おじさん、おばさん、サラはまだしも、真崎と長月がいる空間。

 オムライスは美味しい。

 だけどちょっと気まずい。


「ん? どうしたの? 姫ちゃん」


 おばさんが、長月に話しかける。


「へ? あ、あの」


 突然のことに、長月が慌てている。


「おいしい?」


 おばさんが微笑みながら長月に聞く。


「はい! とっても」


 少し大きな声で、長月が答える。


「よかった。これからも毎日おいしい料理作ってあげるからネ」


 おばさんがさらに笑顔になって言った。


「ありがとうございます」

「何か困ったことがあったら、何でも言うんだぞ」

「あ、はい。ありがとうござます」


 おばさんもおじさんも優しい人だ。

 この二人からサラが生まれたなんて信じられないくらいに優しい人だ。(こんなこと言ってたらサラに殴られる)

 ご飯を食べ終わり、俺と真崎は自宅へ帰る。

 近いからと、窓から出て行こうとした俺は、サラに怒られた。


「真崎。送って行こうか?」

「いい」


 あっさり断られ、俺がしょんぼりしたフリをしていると、真崎が不意に言った。


「意外な組み合わせだよな」

「え?」


 俺が首を傾げると、真崎は続ける。


「長月と前原。対照的だと思う」

「まぁ、そうだな。でもそれ言ったら、俺たちもよっぽど対照的だと思う」

「そうだな」


 真崎は頷くと、ゆっくりと歩きだした。

 ていうか、あいつは一体何しに来たんだ。


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