第22話 大好きな幼馴染の家には…⑤

 「というわけで」


 話が終わったのか、ダイニングの方からリビングへ喜咲さんとおじさんが戻ってきた。喜咲さんは開口一番そう言ったが、何が「というわけで」なのかわからず、俺は首を傾げる。長月と真崎も同じだった。


「たった今、姫は夏休みの間も、前原さん家でお世話になることが決定いたしました!」

「え?」


 喜咲さんの言葉に、長月姫だけが目を丸くして驚いていた。

 俺と真崎は、顔を見合わせる。

 

「おじさんっ」


 俺はおじさんのほうを見て、笑顔をみせる。

 おじさんは俺と真崎に向かって右手の親指を軽く立てて、口角をあげた。


「前原さんとお話して、今の姫にはそのほうがいいんじゃないかって思ったの。お友達も彼氏もできたみたいだし、姫が楽しくいられるなら、私は姫の味方する。姫なりにいっぱい考えて、家に戻る決断をしたのもわかってる。でも、ね。無理しなくていいんだよ。淋しいなら、この家にいなくていい。お父さんとお母さんの事は、大人たちに任せなさい!」

 

 喜咲さんは、長月の隣に座って、彼女の目を見ながら話していた。喜咲さんの瞳はとても力強く、頼もしさを感じさせる。


「でもお父さんとお母さんを二人にしておくと、また仲が悪くなる。私がいないと……」


 泣きそうな声で、長月は言う。


「そっか。そのために、戻ろうと思ったんだね。二人のためだったんだね。姫は優しいね。ごめんね、私が結婚して家を出ちゃったから、ひとりの時間が増えて、淋しい思いさせたね。つらい思いさせたね。気づかなくてごめんね」


 喜咲さんの言葉に、長月は首を横に振った。


「ううん。お姉ちゃんは悪くない。私が淋しがり屋なのがいけないの。お姉ちゃんの幸せを、私のわがままで壊したくなかった」


 喜咲さんは無言で、長月の身体を自分に引き寄せる。

 長月も喜咲さんも、目に涙をためながら、本音を話していた。

 

「毎日、毎日。お母さんがすべてを否定するの。お友達の事も、おじさんのことも……。それを聞いてたら、みんなに申し訳ないなって思う」

「そんなことされてたの? 早く言ってよ。私がお母さんに怒るのに。もっと私に頼ってくれてよかったのに」

「迷惑かけたくなかった。お姉ちゃんの幸せの邪魔になりたくなかったの」


 長月の言葉に、喜咲さんは何も返せない様子だった。

 長月姫は確かに強くなった。自分の事ではなく、家族のためを思って家に戻ることを自分で決めた。ひとりでも大丈夫だと、自分は強くなれたのだからと、平気だと本気で思っていたのだろう。

 家に帰ると言ったあの時の彼女は、ひとつも嘘をついていなかった。だから家族や自分、すべてのことと向き合おうとして、結果ひとりで抱え込むことになった。すべてを否定されて、正常でいられる人間なんていないのだ。


「……ばか」


 喜咲さんはしばらくの間をおいてから、呟くようにそう言った。

 

「邪魔だなんて、そんなこと思うわけないでしょう。私はあんたのお姉ちゃんなんだから」

「ごめんなさい……」


 消え入りそうな声で、長月は喜咲さんに謝る。

 長月の瞳から流れていく涙は、彼女の感情を今度こそ浄化していくかのように感じられた。

 長月の中にあった根本の問題は、すれ違いにあったのかもしれない。思いの違い、考え違い。そのいくつもの間違った回答が、糸のように絡まってほどけなくなっていた。

 それを喜咲さんが、ゆっくりと緩めていく。

 こうほどけばよいと、方法を教えてくれている。


「ほら。早く荷物まとめてきなさい」

「今すぐ?」

「うん。お母さんたちが帰ってくる前に、家を出るのよ」

「怒られない?」

「大丈夫。心配しないで。」

「でも……」


 喜咲さんに急かされても、長月はまだ渋っている。

 あれだけはっきりと、自分の意思で長月の家に戻ると言って前原家を出て行った手前。戻るとは言いづらいのだろう。


「姫ちゃん。サラが淋しがってる」


 俺は長月に向かってそう言った。

 できることなら、戻ってきてほしい。俺もおじさんも、そして真崎も思っている。だからこれは、最大限の後押しだった。

 長月は当惑した表情で、俺の方を見た。どうすればよいのか、本当は彼女もわかっているはずだ。俺は水面みたいに揺れている長月の瞳を見て、力強く頷いた。


 ***

 

 自室に戻っていった長月を見送ったあと、喜咲さんは言った。


「あの子の事、よろしくお願いします」


 喜咲さんは、深く頭を下げた。


「頭をあげてください。私たちもあの子に大変なことを、頼んだようなもの。あの子が家にいてくれないと、私たちも困るんです」

「娘さん?」

「はい。待っているんです。もうひとり。あの子の友達が。彼女を必要としている子が」


 おじさんはそう言うと、優しく微笑んだ。

 

 ***


「だあー! もう! 無理!」


 長月を連れて前原家に帰ると、リビングからサラの叫ぶ声がした。

 何事かと思い、急いで扉を開けると、テーブルいっぱいに何枚もの紙が広げておいてあった。中にはぐちゃぐちゃに丸めて放り投げたように見えるものまである。

 一番に部屋に入った俺は驚いて、「なにしてんの」と思わず言った。

 サラは一瞬振り返って、俺の姿を確認すると、「何って。姫に手紙書いてんのよ。自室で煮詰まってたら母さんに、気分を変えるためにリビングで書いたらって言われて。降りてきたの」と言って息を吐く。

 それを聞いた俺は、開いた口が塞がらなくなった。


「じゃあ、俺の誘いを断っていたのは」

「ん? 手紙書くので忙しかったの」


 サラの返答に、俺は頭を抱えた。


「あー、もう。また間違えた」


 サラが頭をかく。

 間違えたのは俺だ。俺たちだ。どうやらサラが長月のことで落ち込んでいると思っていたのは、勘違いだったらしい。

 俺の背後で、長月が小さく笑った。

 それを珍しいと、思っている余裕はなかった。

  サラは手紙に夢中で、手紙を送ろうとしている人物が、すぐ傍まできていることを知らない。

 もういっそのことこのまま黙っててやろうかと、そんな意地悪を考えてしまうくらい、俺はサラの紛らわしい行動に呆れてしまっていた。

 だが、まあ……。


「サラ。ただいま」


 大好きな幼馴染の驚いた顔が見れることだし、よしとしよう。

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