【十】惑わす子守歌


 青い空が漆黒へと塗りつぶされていく。大口をあけた魔物がいるようだ。素晴らしい。


「ヒコ、すまない。そんなことになっているとは。わらわが憎いだろう。怨めしいだろう」

「今更、謝っても遅い。憎いさ、憎いに決まっているだろう。我の道を塞ぎ奈落の底へ突き落したおまえが、憎い。あの闇へ吸い込まれて消え去ってしまえ」


 闇の穴が広がっていくたびに風が強くなっていく。穴に引き込まれないようにヒコは結界を張った。

 全員、吸い込まれてしまえ。

 次から次へと、空の穴へと悲鳴をあげて吸い込まれていく。なんて心地いい叫び声だろう。木々も大地から引き抜かれて闇の中へと消えていく。


 そうだ、それでいい。全部消えてしまえ。古の神々も仏も何もかも消えてなくなれ。委奴国の民も狗奴国の民もいらぬ。消え去ったあとに海の向こうの大陸から自分を王だとあがめる民を連れてくればいい。


「なんとおろかで可哀想な奴だ。心が腐ってしまったか。おまえの思い通りにはさせない」


 なんだと。

 んっ、こいつ。

 なぜだ。なぜ、ヒカリが。


 目が潰れてしまう。眩しい。目を細めて光を追うと、天まで昇る金色こんじきの輝きがあった。光の柱だ。これはいったいなんだ。こいつの力は無限なのか。

 まずい、早いところ仕留めなければ。


 ヒカリは翼をかたわらに置き、吸い込まれないように結界を張っている。あの様子なら大丈夫か。焦ることはない。翼をかばっている今なら仕留めることは容易いだろう。

 愚か者はおまえのほうだ。死んでしまった翼のことなど放っておけばよいものを。

 口角を上げ隕鉄剣に呼びかける。


「我のもとへ来い。黒龍」


 大地に深く突き刺さっていた剣がヒコの手元へ飛んでくる。


『思い通りにはさせない』だと。それはこっちの台詞せりふだ。

 ヒコはヒカリのもとへとゆっくり進み、ニヤリとした。


「待て、おまえの相手はわらわだ」


 ヒカリとの間に割り込む日向をめつける。


「ふん、日向。おまえでは我には勝てぬ。以前の我ではない」

「それはどうだか。わらわも以前とは違うのだぞ。ヒカリとともに仏の力も手に入れたのだ」

「ほほう、そうか。ならば我をほうむるつもりなのか」

「葬る。まさか」


 日向はニヤリとしてなにやら唱えはじめた。いったい何をしようというのだ。まあ、何をしようが日向にはもう邪魔はさせない。


「消え去れ、日向」


 ヒコは、日向に向けて剣を振り下ろす。

 うぐっ。

 突然、腕に衝撃が走り顔を歪めた。

 何が起きた。日向の頭上で剣がピタリと止まり、動かない。いくら力を込めてもピクリとも動かない。なぜだ。


「ヒコ、思い出せ。辛い思い出だけではないはずだ。人を怨むことは己をも傷つけることになる。苦しんだのはヒコだけではない。それにヒコのことを気遣ってくれた者だっていたはずだ」


 思い出せだと。何を思い出せという。

 気遣ってくれた者などいない。うとましく思っていた者ばかりだ。虐げられたことはあっても優しくされたことなどない。


 んっ、なんだ。花が、花が。眩しい。こいつらまで光るのか。

 来るな。こっちへ来るな。何がどうなっている。囲まれた。あっちにもこっちにもいる。どこから湧いてくる。


 うわっ、剣が。

 どうなっている。誰だ。剣を弾き飛ばした者は誰だ。

 なんだ、なんだ。こいつらはなんだ。

 次から次へと花が人の姿に変わっていく。

 膝下くらいの小さな者たちが周りを回り出す。まさか、こいつらが剣を弾き飛ばしたのか。そんな力があるようには思えないが。


「くそっ、近づくんじゃない」


 手で払い除けようとしたが倒れても倒れても起き上がって、満面の笑みで右へ左へと弾んでいる。

 なぜそんな楽しそうな顔をする。鬱陶うっとうしい奴らだ。ヒコは小さき者たちを蹴散らして罵声を浴びせた。


 これでよし。弱い奴らだ。

 早いところヒカリを。

 何。ダメージ受けていないのか。

 小さき者たちはまたしてもすぐに起き上がり、ニコニコ笑い左右に揺れる。


 やめろ、やめろ。笑うんじゃない。

 ヒコは空に空いた闇の穴に目を向けた。

 おかしい。なぜこいつらは吸い込まれない。


 今度はなんだ。

 まだ夜ではないはず。なぜ月が近づいてくる。

 むむむ、この気はなんだ。胸の奥がモヤモヤしてくる。不快だ。父と母が目の前の景色にぼんやりとだが重なり映り込む。

 やめろ、父と母の顔など見たくもない。あの月のせいか。それなら月も消し去ってやる。


 吸い込まれてしまえ。


 月に向かってタックルをかまそうと足に力を入れる。

 ほら、来てみろ。月の神だか知らないが、おまえも闇に取り込まれてしまえ。


「ふふふ、そんな怖い顔をしてはいけません」

「うるさい。黙れ」


 来い、来い。もう少し近くへ来い。

 よし、今だ。

 何。消えた。どこだ。

 突然、頭の中に優しい音色が流れ込んできた。どうした。急に眠気が。

 子守歌か、これは。


「ヒコ。可愛い坊や」


 この声は、もしや。


「母上」


 子守歌を歌い、赤ん坊を優しく抱きしめている母がいた。あの赤ん坊は自分なのか。

 嘘だ、嘘だ。こんなこと。日向の仕業か。記憶を操作しているのか。


「ヒコ。誰がなんと言おうとおまえは大切な息子だ」

「父上、なのか」


 そんな馬鹿な。父の膝の上ではしゃいでいるのは自分なのか。父はあんな優しい笑みを浮かべない。

 望まれぬ子であったはず。常に疎まれていたはず。父も母も自分のことを嫌っていたはずだ。


「いい加減にしろ。や、やめてくれ……。我は、我は……」


 こんなことってあるか。ヒコは胸を押さえて頭を振る。

 嘘だ、嘘だ。全部嘘だ。やめろ、惑わすな。

 ううう、頭が割れそうだ。力が、力が入らない。

 ヒコは空を見上げた。目に映ったものは闇の穴が閉じていく光景だった。


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