【五】危機迫る


「ちょっと、ちょっと。ひとじい、どこ行くんだよ」

「翼、急げ。声が聞こえたんだ」


 声って。

 翼は何か聞こえないかと意識をしつつ、ひとじいを追いかけた。


 んっ、聞こえる。確かに聞こえる。

 助けを呼ぶ声だ。この声って。


 まさか……。

 胸が熱くなる。


 間違いない。翼は確信した。

 ヒカリだ。ヒカリの声だ。ヒカリは生きている。早く助けなきゃ。

 どこだ、どこにいる。

 翼はひとじいを追い抜き森の奥へとどんどん進んで行く。


「ヒカリーーー。どこだーーー」


 無我夢中で前進し、探し回る。

 いない。どこにいるんだ。ヒカリの声だった。聞き間違いじゃない。

 足を止めることなく探し回っていると、突然森が開けた。


 眩しい。

 翼は思わず顔を背けて目をつぶる。瞼の裏に赤や緑が万華鏡のような広がりをみせた。


「吊り橋だ」


 ひとじいの叫び声にハッとする。

 吊り橋って、まさか。

 そういえば水音も聞こえてくる。


 目を開けた瞬間、森の緑も空の青もどことなく違って見えた。ここが神獣の住まう地なのか。きっとそうだ。右奥に迫力ある滝が水飛沫を上げている。虹だ。

 すべてがきらめいている。清々しい気分だ。


 この光景はマキの話していたものと一致する。あの話は妄想ではなかった。それならばここにヒカリが。


 ひとじいが吊り橋へと足を向けていた。

 翼はひとじいを追いかけて急いで吊り橋まで駆け寄り覗き込む。


「うぉっ、高い」


 足がすくむ。

 身体が前へと傾いていく

 落ちる。落ちてしまう。


『ヒカリはこの下に』


 突然、風が吹き上げて来てハッとした瞬間、後ろから引っ張られた。翼は一歩退き尻餅をつく。


 危なかった。

 こんなところから落ちたら、完全にアウトだ。


「何をしている。死ぬ気か」

「ああ、いや。その。ひとじい、ごめん」


 ひとじいが引っ張ってくれたのか。

 ヒカリ。ヒカリはやっぱり、もう……。


 馬鹿なこと考えるな。

 生きている。生きているはずだ。

 さっき耳にしたじゃないか。あの声は、間違いなくヒカリの声だ。


「ヒカリーーー」


 翼は立ち上がり大声を張り上げてヒカリを呼んだ。しばらく待ってみたが返答はなかった。空耳だったのだろうか。そんなはずはない。ひとじいも聞いている。


「翼、この先へ行ってみよう」


 ひとじいは躊躇ちゅうちょなく吊り橋を渡っていく。大丈夫なのかこの吊り橋。ヒカリはここから落ちたはず。


 んっ、マキの話だと板が壊れて落ちたと。

 おかしい。吊り橋の板はどこも壊れていない。どういうことだろう。


「おーい、翼。何をしている。大丈夫だ、早く来い」


 ひとじいは向こうへ渡り切っていた。

 本当に大丈夫なのか。


 翼は一歩一歩慎重に渡りはじめた。

 ギシ、ギシギシと嫌な音は立てるものの意外と丈夫そうだ。心臓がバクバクいっている。気のせいかもしれないが心臓が痛いように感じた。ここから落ちなくても心臓病であの世に逝ってしまいそうだ。


 落ち着け。大丈夫だ。こんなところで死んでなるものか。

 あと少し、あと少しで向こう側へ着く。


 一歩、二歩、三歩。

 よし、着いた。

 翼はフゥーッと息を吐きそのまま座り込んだ。


「大丈夫か。翼は高所恐怖症か」

「いや、そうじゃないけど。この吊り橋が信用できなくてさ」

「まあ、そうだな。それはそうと声が聞こえなくなってしまったな。翼は聞こえるか」

「いや、聞こえない」

「そうか。とにかく前に進もう」


 あれ、なんだろう。何かが光ったような。翼は目を凝らしてみたが光るものは確認できなかった。気のせいだろうか。

 翼はひとじいとともに吊り橋の先に続く森へと足を踏み入れた。

 どれくらい進んだだろう。


「ほほう、これはすごい」


 ひとじいが目を光らせて感嘆していた。いったい何が凄いのだろう。巨岩があるだけだ。いや違う。注連縄しめなわが飾られている。もしかして御神体。社もなにもないけどそうなのだろう。なんとなく清々しさを感じる。


「見て見ろ、翼」


 ひとじいが差し出したものは光っていた。


「何それ、まさか宝石とか」

「違うな。何かの種だな」


 種なのか、これ。

 翼は顔を近づけて見遣ると確かに種みたいだった。なんで光っているのだろう。不思議だ。小首を傾げているとひとじいが「これはもしかしたら光る花の種かもしれないな」と口元を緩ませた。


 そうか、光る花の種か。なるほど。マキの話はすべて真実ってことか。

 隣でひとじいは二礼二拍手をして手を合わせていた。翼もひとじいにならい手を合わせた。その矢先、地響きが鳴り地面に影が差した。


 パッと上を見遣ると真っ白な大蛇が鎌首をもたげてチロチロ舌を出していた。神の化身なのか。違うのか。なんだか殺気を感じる。まさか……。

 白大蛇は突然シャーと威嚇をしてきた。


「翼、逃げろ」


 ひとじいに背中をドンと押されて、勢いのまま走り出す。

 背後からの悲痛な叫び声に鼓膜を震わせ立ち止まる。

 振り返った先には、白大蛇に呑み込まれようとしているひとじいの姿があった。


「翼、早く逃げろ」


 呻き声を上げながら叫ぶひとじいが何かを投げてきた。


「それを持ち帰れ。きっと何かの役に立つはずだ」


 足元に転がってきたものは、淡い光りを纏っていた。さっきの種だ。拾い上げて、ひとじいを見遣る。


「急げ。逃げろ。早くしろ」


 ひとじいが、ひとじいが、呑み込まれてしまう。

 白大蛇の喉元が大きく膨らんでいる。助けなきゃ。白大蛇を倒さなきゃ。


 倒すだと。馬鹿なことを考えるな。ダメだ。自分にはどうにもならない。どう考えても勝ち目はない。それなら一刻も早く逃げるしかない。翼は種をポケットに入れ吊り橋へと全速力で駆け出した。


『ごめん、ひとじい』


 目の前の景色が涙で滲む。

 背後からズリズリズリとの耳障りな音がしてきた。


 追いかけてきている。これはまずい。逃げ切れるのだろうか。泣いている場合じゃない。追いつかれたら自分も呑み込まれて終わりだ。そんなのダメだ。死にたくはない。


 あの白大蛇は神様じゃないのか。ただの化物なのか。とにかく駆けろ。追いつかれたら死ぬぞ。


 吊り橋はまだか。道を間違えたってことはないはずだ。もしも間違えていたとしても前に進むしかない。


 背丈の長い草を掻き分け木の枝を避け、出っ張った木の根っこを飛び越え走り抜く。こんなところ通っただろうか。やっぱり道を間違えたのかもしれない。これって最悪の状況なのではないか。背後からは耳障りな音がまだしている。間違いなく追いかけてきている。ここで止まるわけにはいかない。前進あるのみ。


「ツバサーーー」


 ヒカリか。

 翼は自分を呼ぶ声に思わず立ち止まってしまった。


 ズリズリズリ、シャー。

 しまった。追いつかれた。やられる。


 ギラリと光る深紅の眼。開け放たれた口からは突き出す鋭い牙。

 逃げなきゃ食われる。そう思った瞬間身体が反応して、横っ飛びをした。


 一センチあるかないかくらい横を白大蛇の口が通り過ぎていく。

 助かった。まだだ。早く逃げなくてはダメだ。


 すぐに立ち上がり駆け出そうとした瞬間、何かが身体に巻き付いてきた。

 蛇の尻尾だ。

 く、苦しい。絞め付けられる。骨が、骨が砕けちまう。ダメだ。万事休すだ。


『ヒカリ、ごめん。ひとじい、ごめん』


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