【十六】守りを固めろ


 怒涛どとうの如く襲い来る狼の群れ。

 力で制圧しようとしているのだろうが数が多ければいいってものではない。あいつらの好きにさせてたまるか。


雑魚ざこどもが。おまえらなどまとめて吹き飛ばしてやる」


 ナゴは思いっきり息を吸い込み身体を膨らませていく。毛が逆立ち、倍以上の大きさになったところで顔を振りながら一気に息を吐き出した。

 噴き出した息が生き物ののように渦を巻きながら前へと進んでいく。


「よし、行け」


 渦は徐々に大きさを増して、空へと立ち昇りはじめた。

 ナゴは空を見上げて、口角を上げた。この竜巻から逃れられるかな。狼ども。


「ナゴちゃん、助けてあげる」

「おい、シナ。『ちゃん』づけはやめろと言っただろう。まったく」

「いいじゃない。あたいナゴちゃんにぞっこんなんだからさ」


 うっ、気色悪い。ブルッと身体を振るわせて目の前の光景に目を向けた。今は狼どもに集中しなければ。


 んっ、おお流石さすがシナだ。風の神だから当然と言えば当然なのだが、やっぱり凄い。竜巻を自在に操って狼どもを次々と柵の外へ飛ばしていく。


 ほほう、身のこなしが素早い奴もいるようだ。

 次はどうしようか。


 ヒカリの心からの叫びが脳裏に焼き付いていた。

 悪者でも殺しちゃダメか。


 敵は皆殺しにしようとしているというのに甘い考えだ。そんなことわかりきっている。わかってはいるがナゴ自身もヒカリと同じ考えだからそうしたい。

 狼どもはもともと仲間だ。殺したくはない。

 たとえ裏切り者だとしても。


 それなのにあいつらは気づいてくれない。なぜ話し合いを拒否するのか。全員ではないが古の神々はなぜわかってくれないのか。そこまで心が狭いとは思わなかった。


 本当に心が狭いのか。そんなはずはない。そうだとすればやはり諸悪の根源である天魔が操っているということになる。はたして古の神々が操られるだろうか。自らの意志で滅ぼそうとして来るのだろうか。


 わからない。


 あそこにいる風の神シナも古の神の一柱だ。自分たちの味方についてくれている古の神もいる。古の神々同士でも意見の食い違いがあるのだろう。その辺は正直よくわからないが味方についてくれるのは心強いことだ。


 ああ、こんないくさは早く終わってほしい。古の神同士で戦うなんてあってはいけない。それこそこの地が荒れて人も住めない地になりかねない。この戦は神々の戦いだけではない。渡来人とらいじんと、もともといた大和の民の戦いでもある。


 ちょっと違うか。


 ほら、あそこで戦っている民は大和の民だ。そのとなりには渡来人もいる。ここでは皆、わだかまりもなく暮らしている。仲良く、暮らしている。


 考えれば考えるほどわからなくなっていく。やはりすべての元凶が天魔なのではないかと思えてくる。


 天魔とは何者だ。そこまで強大な者だというのか。

 姿のはっきりしない魔物とでも言うべきか。木の面を被っている怪しき存在だということはわかっているが真の姿を見た者はいない。


 名前だってそうだ。『天魔』と呼んではいるがそれは勝手につけた名前だ。本当の名前もわからない。


 謎が多過ぎる。

 いったい何が目的なのか。

 ナゴはブルブルと頭を震わせた。


「ちょっと、ナゴ。何をしているの。ボケボケしちゃダメでしょ。狼どもが迫っているよ」


 おっと、そうだった。考え事をしている場合じゃない。今は狼たちを退かせることに集中だ。


「ほら、右。役立たずって言われたいの。違うでしょ。あたい、そんなの嫌だからね」

「うるさい、シナ。おまえこそボケっとするな」

「ふん、あたいは風よ。殴られようが切りさかれようが痛くも痒くもないんだから」


 まったくその通りだ。反論のしようがない。

 おっ、まずい。狼の爪が顔の目の前に。

 ササッとかわして狼どもの背後をとる。ふん、まだまだ甘い。


 殺すことなく退かせるにはやはり秘儀『おにぎり』を使うしかない。言っておくが『鬼切り』ではないぞ。


 これだ。

 ナゴはどこからともなく海苔の巻かれた特大のおにぎりを取り出した。艶のあるごはんに海苔のりの良い香りが鼻腔びこうくすぐる。


 堪らない。美味そうでよだれが出ちまう。

 ダメだ、ダメだ。


「狼ども、おまえらはこのおにぎりに釘付けになる。よーく見ろ。食べたくてしかたがなくなる。ほら、この美味そうな匂いに引き込まれていくぞ。遠慮なく食いやがれ」


 ナゴは柵の外へ思いっきりおにぎりを投げ飛ばした。

 狼どもは立ち止まり放り投げられたおにぎりを目で追いかけている。もと来た道を引き返していく。


 柵の外では狼どもの唸り声が響いた。おにぎりの奪い合いがはじまった。

 作戦成功だ。


「あたいもおにぎりたべたーーーい」


 あちゃー、シナまでおにぎりに食いついちまった。まあいいか。


「ナゴ、流石だな」


 ムジンが近寄って来てそうささやくと、暗示にかからなかった狼に向かって走っていく。

 まさか、ムジンの奴は狼どもを殺すんじゃ。


 ムジンは大きな網に変化をして狼を捕え始めた。狼どもは網の中で身動きできなくなっている。そうかと思ったらグルグル回り出して、捕らえた狼どもを柵の外へ放り投げた。

  杞憂きゆうであったか。


「ふん、ムジンもなかなかやるな」


 外を見遣るとフラフラとふらつく狼の姿が目に留まる。どうやら目が回っているようだ。


 それでも回避して攻撃してきた狼が一匹いた。かなり図体のでかい狼だ。あいつが狼の親玉だ。妖気が違う。名前は確かウオル。


 ナゴは間一髪のところでウオルの鉤爪かぎつめを受け止める。

 カキンとの金属音と同時に火花が散った。爪と爪がぶつかり合う。


 さすが親玉狼ウオルだ。他の狼の力とは桁が違う。だが負けぬ。

 ナゴは力を込めて爪で押しやるとスッと引っ込める。ウオルは体勢を崩して転がったかと思うとすぐに立ち上がり対峙する。ナゴは間髪入れずにウオルの腹に向かって体重をかけてタックルをしかけた。


 ウオルは呻き声をあげて吹っ飛び、木の柵にぶつかり血を吐き出した。しまったちょっとやり過ぎた。


「おまえは天魔に操られているだけだ。目を覚ませ」


 ウオルはギギギギと嫌な唸り声をあげて真っ赤な目で睨みつけてきた。吐き出した血がウオルの歯を染めている。まだやるつもりか。


 ムジンが隣に来て「あいつの負けだ」と呟いた。その通りだ。二対一だ。いや違う。村人たちもいる。皆から村を守るという力を感じる。それだけではない。味方の古の神々もやってきた。


 んっ、まずい。敵の増援部隊も近づいているようだ。天狗に烏天狗も見える。

 うぉっ、雷だ。山が揺れている。雷の神と山の神は敵方についたのか。


 どうやら集落の外でも古の神々同士で戦いが繰り広げられているようだ。争ってほしくない。このままでは平和な世が遠のいてしまう。


 とにかく全員に撤退してもらわねば。

 ウオルは再びギギギギと唸り、チラッとヒカリのいる屋敷に目を向けていた。


 ヒカリを狙っているのかと思い、ナゴは前に一歩踏み出した。その瞬間ウオルは何か呟き柵を飛び越えて消え去った。


 どうした。なぜ消えた。状況が不利だと判断したのか。

 なるほど、そういうことか。いつの間にか背後に十二神獣が陣取っていた。確かに状況は不利かもしれない。


 あっ、薬師様が民の怪我を治してくれている。ありがたい。

 これならもう大丈夫だろう。ここは安泰だ。


 おや、あれはクシミ様か。寝殿の裏手に消える白大蛇の姿がチラッとだけ目に映った。 

 十二神獣の蛇神様はそこにいるから間違いなくあれはクシミ様だろう。助けに来てくれていたのだろうか。


 んっ、どうした。

 あたりが白くなっていく。霧か。霧の神ノサが来たのか。木の神クノも来たようだ。守りを固めるように集落の周りに木々が空に向かって伸びはじめた。


 これで大丈夫だ。何重にも結界が張られていく。

 村人たちの歓声が上がり、頬を緩めた。


 そういえば、ウオルはさっきなんと呟いたのだろう。気のせいかもしれないがニヤッと笑った気もする。


 この地をどうにか守ることができたというのにスッキリしない。この場所も敵に知られてしまった。やぐらで監視をしていたはずなのにどうして後手に回ってしまったのだろう。


 集落の周りには深くて幅のある環濠かんごうがある。結界も張っていたはず。そう容易く侵入できるはずがない。謎だ。


 やはり天魔の力が増しているということなのか。敵となった古の神々の力のせいだろうか。それとも何か他に理由があるのだろうか。


 結界が破られるなんて。コセンの力が弱まっているとも思えないがどうなっているのだろう。


 空を見上げて、息を吐く。

 気づかないところで、何か良からぬことが起きているのかもしれない。

 まだまだ油断はできない。警戒を強めなくては。


「ナゴ、聞いたか。あいつ変なこと口にしてたぞ」

「変なこと」

「なんだ、ナゴには聞こえなかったのか」

「すまない。で、なんて言っていたんだ」

「任務完了って」


 えっ、どういうことだ。ウオルは撤退したのではないのか。ナゴは無性にヒカリが気になりはじめた。まさか、屋敷で何かが起きているのか。


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