【十五】善と悪とは


「おのれ、小癪こしゃくな真似を。わらわを拒むとはどういう了見だ」

「まあまあ、それくらいにしてだな」

「うるさい、コセン。小娘にわらわが負けるはずがない。日ノ御子ひのみこだぞ。神だ、神なのだぞ。どう見ても、力はわらわが上だ。なぜだ。なぜ思い通りにならぬのだ。乳臭い小娘の分際で生意気な」


 日向は床を叩き悔しそうに歯を食いしばって睨みつけてきた。ヒカリは日向の鬼のような形相にブルッと身体を震わせて、コセンの後ろに回り込む。


 何、あの顔は。あれじゃ鬼じゃない。怒らなきゃ可愛い顔なのに。あんな鬼みたいな人がこの国の女王だったの。それで本当に平和だったの。信じられない。


「諦めろ、日向。それに自ら日ノ御子と言うな」

「なんだと。日ノ御子が日ノ御子と言って、何が悪い。それに諦めろだと。わらわはこの倭の国を治める者なのだぞ。神の声も仏の声も鬼の声もすべて聞くことができるのだぞ。それなのにこんな小娘一人思い通りにできぬとはどういうことだ。小娘、お主は何者だ」


 何者と言われても自分でもよくわからない。

 日向の術を弾き飛ばす力があるなんて自分が一番信じられないっていうのに。


「日向。おそらくこれが神の意志なのだろう。この国にはこの者が必要だということだ」

「そんなはずはない。わらわがこの国の女王だ。狗奴国の奴らに出し抜かれるなんてこともありえない。死してもわらわはここに君臨するのだ。こんなちっぽけな委奴国だけで満足などできぬ。わらわの国はもっともっと大きな国でなければダメなのだ」


 日向は奇声をあげて再び身体に入ろうと飛び込んで来た。結果は同じで弾き飛ばされて転がり壁に頭をぶつけていた。


「だからもう諦めろ」

「うるさい、うるさい、うるさい。わらわの何がいけない。この倭の国を大きくしてきたのはわらわだ。皆が暮らせているものわらわのおかげだ。わらわがいなければ神の言葉も伝えることができぬだろう。わらわは必要だ。違うか」

「ヒカリがあとを継いだのだ。日向、もう黄泉の国で休め」

「嫌じゃ、嫌じゃ、嫌じゃ」


 コセンは溜め息を漏らして頭を振った。


「そうしていると本当に子どもみたいだな」


 確かに駄々っ子みたい。可愛いとさえ思えてきた。


「そこの小娘。その目はなんだ。わらわを馬鹿にしておるな」

「えっ、そんなことはないです」

「いや、ある。間違いなくおまえはわらわのこと馬鹿にした。こんな小娘ごときに。ううぅ、悔しい。わらわは神の力を手に入れたのではないのか。ただの低俗な幽霊なのか。そんなの嫌じゃ」

「しかたがないな。日向よ、それならヒカリに力を貸すというのはどうだ」

「この小娘にか。それも嫌じゃ。小娘がわらわのために動くのだ。それならいいぞ。民もわらわのために力を尽くしてくれるはず。こんな小娘の言うことなど聞かぬはず」

「それはどうだか」

「どうだかとはどういう意味だ」


 ビビンと響く声音とともにコセンに鋭い視線を送る日向。


「この者は皆に平等であってほしいと思っている。民の心もすでに掴んでいると思うぞ」

「平等だと。ふん、ならばわらわも民も同じだというのか」

「そうだな」

「ありえん。民はわらわに従うものだ。それこそが幸せなのだ」


 従うだなんて。なんだか日向って怖い。そうか、新嘗祭のときの警護の者の振舞いは日向のそういう考えからの行動なのか。


 んっ、そうとも言えないのか。日向の後についた男王がいけないのか。そうだとしても、目の前の日向の考えは受け入れられない。日向ってもっと平和的考えをしているのかと思っていた。それでも平和だったのだろうか。わからない。


 自分と日向の考え方は違う。自分なりのやり方で平和な世の中にしたい。皆と仲良く暮らしたい。身分の違いとか嫌だ。日向の考えはやっぱり受け入れられない。

 上の者に従えば幸せだなんて納得できない。


「あの、それって幸せなのかな」

「なんだ。反論するのか小娘。ならば、おまえは神も魔の者も平等に扱うというのか」

「そ、それは」


 そんな言い方ずるい。


「ふん、反論できぬであろう」

「私は人の話をしているの」

「そうか、ならばおきてを破るような者にも平等に扱えるのか」

「悪さをするような人はダメ」

「そうか。じゃ悪さとはいったいなんだ」

「日向様が今言ったじゃない。掟を破る人もだけど人をあやめるような人とか盗みをはたらくとか暴力するとか。悪さってそういうことでしょ」

「なるほど。それなら、誰かを助けたいという優しさからそうしなければいけなかったとしたらどうだ。それも悪いと言えるのか」


 ああ、もう。なんでこんなにも意地悪なことを口にするのだろう。

 確かにそういうこともあるのかもしれない。そのときはどうしたらいいのだろう。


「優しさからでも罪は罪。かわいそうだけど、その場合は罪を償ってもらうしかない」

「よくわかった。だがそれは矛盾していないか」


 矛盾。そうかもしれない。

 ヒカリは俯き、考えを巡らせた。

 それじゃ平等って何。どうすればいいの。


「私にはよくわからない。日向にはわかるの」

「さあ、どうだか。国の上に立つということはそういうことだ。難しいな」

「なによ、それ。とにかく私はみんなと仲良く暮らしたいの。身分の違いなんてあってほしくないの。そうよ、悪いことしたら誰でも罪を償うのも平等だと言えるはずでしょ。違うの」


 ヒカリは日向に詰め寄り答えを求めた。


鬱陶うっとうしいやつだ。ここでは人でない者もいるのだぞ。おまえが思う善が悪だと思う者もいる。わらわを殺した奴らのようにな。つまりだ、おまえの考える善が正しいとは限らないってことだ。おまえは皆におまえの善を押し付けようとしているだけだ。それは皆を従わせようとしていることと変わりないのではないか」


 確かに自分が正しいかなんてわからない。日向の言う通りなのかもしれない。力で押さえつけることと変わらないのかもしれない。それならどうすればいいのだろう。

 わからない、わからない、わからない。

 やっぱり女王なんて自分には務まらない。


「難しいであろう。ここは神も魔の者もいるところだ。おそらく神や魔の者の善はおまえのものとは違う。わらわの善もおまえのとはちょっと違う。ここにいる民も違う考えかもしれない。そういうことだ。理解したか」


 ここは自分が暮らしていた世界とは違う。自分の思っていることが正しいとは言えない。常識だと思っていることがここでは非常識だってこともある。だからって身分ある世界が正しいとは思えない。自分なりにどうしたらいい世の中になるか考えなくちゃ。

 なに、どういうこと。胸元が温かい。淡く光っている。


「ヒカリよ、そこに何を隠しておる」


 コセンがゆっくりと近づいて来た。何も隠していないと思うけど。

 あっ、お守りだ。母がくれた薬師如来のお守りだ。つけていたこと、すっかり忘れていた。

 コセンにお守りを見せると、「なるほど」と頷いていた。


「そうか薬師如来の力がわらわを阻んでいたのか。んっ、ということは……」

「ヒカリは薬師様に選ばれたってことだな。日向の時代は終わったということだ。残念だが」

「な、何を言う。わらわの時代はまだまだ続くぞ。ふん、だが今回ばかりは小娘に譲ってやろう。必要とあらばわらわの鬼道の力を発揮してやろう。いや、必ず必要となるはず。そうであろう」


 鬼道って何。鬼の力ってこと。それって変な呪術とかじゃないのだろうか。違うのだろうか。


「あの、鬼道って呪術的なことなのでしょうか」

「ふん、呪術だと。それはちょっと違うな。皆、そう思っているのかもしれぬがわらわの鬼道とは『神道』を含め宇宙観や世界観がある。星を読み占うこともある。陽が欠けたのも呪術ではないこともわかっている。自然とは驚異だと理解している。わらわの墓もいろいろと考えて作られているのだぞ」

「墓って」


 もしかして前方後円墳のことだろうか。


天円地方てんえんちほうだ。天は丸く、大地は四角であるとの捉え方だ。小娘、おまえはまだ挨拶に来ていないだろう。遊びのような新嘗祭はやったというのに」


 挨拶って。確か、あのとき。遠くからならしたけどあれじゃ挨拶にならないか。


「何、ナゴに任せたというのに即位宣言をしていないのか」

「あの、一応遠くからなら挨拶はしたけど。それじゃダメってこと」


 コセンは頭を抱えて溜め息を漏らした。


「ナゴに任せるんじゃなかった。五穀豊穣の儀式だけ済ませて終わったのであろう。ヒカリはこの国の女王となったのだ。天において神霊を受け継ぎ地において即位を宣言しなくてはならない」


 なんだかよくわからないけど、大事なことだってことはわかる。もしかしてきちんと即位宣言していなかったから日向がここに現れたってことなの。


「コセン、まあよい。わらわはこの小娘を認めてやろう。即位宣言は省略しよう。わらわは優しき神となったのだから。平等で身分のない世界とやらを見届けてやろうではないか」


 日向は高らかに笑いながら姿を消した。


『認めてやる』だなんて。確かに凄い人みたいだけど、人を見下すようなあの目は嫌い。それにあの笑いは絶対に馬鹿にした笑いだ。絶対にできないと思っている。


 もう嫌になる。

 日向の顔を思い浮かべて頭を振った。『おまえ』って何よ。『小娘』って何よ。ヒカリって名前があるんだから。


「ヒカリ、そんなに腹を立てるな。『おまえ』って呼び方がそんなに気にくわないのか。本来、『おまえ』とは敬意を表した呼び方のはずなのだがな」

「えっ、そうなの」

「ああ、そうだ。だが日向はヒカリに敬意を表してはいないようだがな」

「やっぱり、そうでしょ」

「そんなに気にするな。我もだがナゴもムジンも『おまえ』と呼んでしまうだろう。ここではそれが普通のことだ。そう思え」


 普通のことか。ヒカリはコセンの言葉を反芻はんすうした。


「それじゃ小娘って言い方はどうなの」

「まあ、それは……。気にするな」


 気にするなか。そうね、それしかないか。とにかくこの世界に早く馴染まなきゃいけない。

 日向になんて絶対に負けないんだから。見返してやる。


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