【十四】謎の少女


「コセン様、そちらにおいでですか」

「うむ、ここにおる。何か用か」

「ナゴ様とムジン様がお呼びです。コセン様も参戦してほしいとのこと」

「苦戦しておるのか」

「そのようです」

「して、お主は誰だ」


 コセンは眉間みけんしわを寄せて扉の向こう側を睨みつけている。

 どうしたのだろう。苦戦しているのなら早く行ったほうがいいと思うけど。


 ヒカリが声をかけようとコセンに近づこうとしたとき、コセンが何も言わずに手で制してきた。

 コセンの顔を見て震えがきた。なんでそんなに恐ろしい顔をしているの。気のせいだろうか気温が下がった気がする。


「サヨです。日向様のお世話していたクヒコの娘、サヨです」

「サヨか。まことに苦戦しておるのか」

「はい」


 コセンはどこからともなくおふだを取り出して、何かを念じると素早く木戸を開きサヨの額に張り付けた。


 サヨは目を見開き呻き声をあげて倒れしまった。

 な、どういうこと。

 サヨの口から何かが出てきた。虫みたい。


 コセンは間髪を入れずに虫を踏み潰す。

 何か黒い煙がふわりと立ち昇り、天井にぶつかり消えてしまった。

 いったい何が起きたの。サヨを殺してしまったの。そんなまさか。


 コセンってそんな惨忍だったの。嘘だ。神獣がそんな恐ろしい存在だなんて信じられない。


 でも。

 さっきの恐ろしい顔は神獣というよりも魔獣だった。

 ここにいていいのだろうか。実はすべてが幻で、自分は食べられてしまうとか。


 違う、違う。大丈夫。

 倒れたままぴくりとも動かないサヨに目を向けて、再びコセンへと視線を移す。

 信じていいんでしょ。


「やはり、狗奴国くなこくの奴の術にかかっていたか」


 術って。

 コセンは外の様子を窺い、倒れているサヨを部屋へと引き入れてすぐに木戸をピシャリと閉めた。


 サヨの胸は上下に動いていた。

 生きている。殺したわけじゃない。ヒカリは胸に手を当てて、ホッと息を吐く。


 コセンはさっき何をしたのだろう。術って言っていた。何かの呪いを解いたってことだろうか。そうかもしれない。


 コセンは穏やかな顔つきに戻っている。もう大丈夫ってことだろうか。

 外から騒がしい声がしてヒカリはハッとする。そうだナゴとムジンが苦戦しているってさっき話していた。


「あの、その、行かなくていいの」

「行く必要はない。狗奴国のやからが我とヒカリを引き離そうとしただけのこと。すべて偽りの言葉だ。ナゴとムジンが狼相手に苦戦などするか。それに、我はあの程度の術で騙されたりしない」

「えっ、何それ。もしかして、私を狙っていたってこと」

「まあ、そういうことだ」


 狙われている。どうして。狙われるような凄い力なんて持ち合わせていないのに。


「ねぇ、私、やっぱり帰りたい。女王なんて務まらない」

「ダメだ。委奴国にはヒカリが必要だ。我らが守ってやる。日向と同じような目にはあわせん。大丈夫だ」


 本当に大丈夫だろうか。必要だと言われるのは嬉しいけど。ああ、もう。なんかモヤモヤする。


「コセン」


 突然の怒声にヒカリは背筋をピンと伸ばしてしまった。


 誰。


 ここには自分とコセンとサヨだけのはず。サヨは目を覚ましていない。

 サヨではない。コセンの声でもない。

 身体にビリビリと響く声だった。


 コセンは自分の背後に釘付けとなっている。目を見開き、微動だせずにいる。

 いったい後ろに何がいるの。幽霊、魔物。もっと怖いもの。何、何がいるの。

 嫌だ、嫌だ。やめて、コセン。そんな顔しないで。本当に勘弁してほしい。


「わらわの国を奪われ、こんなところに逃げ隠れておったのか。情けない」

「なぜ、どうして」

「どうしてではない。わらわを差し置いてこんな小娘に任せようとしていたのが間違いだ。こんな乳臭い小娘を女王に立てて天魔に勝てると思っているのか。あの者は以前よりも力を増しているぞ。古の神々を取り込み、鬼神となりつつあるのだぞ」


 背後からの声がビンビンと背中に伝わってくる。

 なんなの。この凄い威圧感ある声は。ヒカリは恐る恐る振り返る。


 えっ、子供。

 こんな子に乳臭い小娘なんて言われたの。どっちが乳臭いのよ。それにしてもさっきの声音と容姿がまったく合わないじゃない。本当にあの子がさっきの声を発したというの。


 ヒカリが女の子をみつめていたら睨み返されて、一瞬心臓が止まりそうになった。なんて目力がある子だろう。

 いったい、何者。


「わかっている。みなまで言うな、日向ひむか


 えっ、今、日向って言ったの。あ、あの子が日向なの。

 ちょっと待って。確か日向は殺されたって。


 そう思った瞬間、日向がまたしても鋭い視線を送ってきた。ヒカリは強過ぎる目力に耐えきれず、視線を逸らす。


「馬鹿者。わらわをよく見ろ」


 よく見ろと言われても。

 チラッとだけ見遣り、ハッとする。

 向こう側の景色が薄っすら見えた。そうか、幽霊か。やっぱり殺されたのか。


「馬鹿者。幽霊などの低レベルの雑魚ざことは違う。神となったのだ」


 神様に。そんなことってあるのだろうか。あれ、ちょっと待って。もしかして心の声が日向には聞こえているの。


「ああ、やっぱりこんな小娘に任せられぬ。おまえの心の声はダダ洩れだ。コセン、わらわはこの小娘とともにもとの国を取り戻す。いいな」


 何、言っているの。訳がわからない。


「理解できぬのか。やはりおまえは女王の器ではない」


 もう、何よ。日向ってもっと優しい人かと思っていたのに。

 それに『おまえ』って言わないでほしい。凄く嫌だ。

 皆も『おまえ』って口にする。神獣だからしかたがないと思っていたけどもう我慢の限界。なんかかんに障る。それでもここは我慢しなきゃダメだ。日向をチラ見して、身体を震わせた。


「好きにしろ」

「ああ、好きにする」


 ちょっと待って。好きにするってどうなっちゃうわけ。


「それにしても子供の姿とはな」

「うるさい。わらわだって不本意だ。神となったはいいがまだ力不足でこの姿が精一杯なのだ。そのうち絶世の美女の姿となるはずだ。それにそこの小娘。おまえはおまえだ。他に呼びようがない。力もないくせに文句を言うな。もっと力をつけてから文句を言え」


 ああ、もう。やっぱり腹が立つ。こんなところにいたくない。日向がいるなら自分は必要ないんじゃない。帰ったって問題ないはず。


「あの……」

「黙れ。小娘、お主はわらわの器になるのだ。それがお主の宿命だ。そう思え」

「器。なにそれ」


 あれ、『おまえ』から『お主』に変わった。気にしてくれたのだろうか。いやいや、気遣いの『気』の字もないような人に見える。気にしてくれているはずがない。たまたまだ、きっと。その前に器って何。取り憑くってこと。そんなの嫌だ。絶対に嫌だ。


「私、帰りたい。コセン様、お願いだから元の世界に帰して」

「すまぬ、無理だ。ヒカリはここにいてもらわねばならぬ。日向のことは気にするな。それに急に様などつけるな」

「おい、コセン。気にするなとはなんだ。わらわの好きにはさせないということか。さっき、好きにしろと言ったばかりではないか。わらわは神だぞ。その口を利けぬようにしてやろうか」


 日向はコセンを鋭い目つきで睨みつけている。怖い、こんな人が女王だったの。本当に平和だったの。信じられない。


「日向。言っておくが、お主は神にはなっておらぬ。まだな」

「ふん、ほざけ。わらわの力を見て驚くな」


 日向は両手を組み合わせて目を閉じると、ゆっくりと息を吐き出した。どことなく淡い光をまとっているように映る。いったい何が起きるのだろうか。


 ヒカリは日向から目が離せなくなり、ゴクリと生唾を呑み込んだ。


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