【四】覚醒
あれ、ここはどこ。
右も左も花、花、花。
もしかして天国。
ヒカリは身を起してあたりに目を向けた。
誰もいない。
『私、どうしちゃったんだっけ』
えっと、土偶が出てきて化け物に襲われて……。
あっ、そうだ。日向が助けてくれたんだ。
「日向」
ヒカリは呼んでみた。返事はない。ただ心地よい風が髪を揺らすだけ。
「心配しないで、あなたは守られている」
誰。誰かいるの。
「私たちと一緒に歌いましょう」
「歌う」
「そう、歌うの。仏様の力をいただくために」
気づくと周りの花が光りはじめていた。
すごい、なにこれ。全部光る花なの。驚くのはそこじゃない。話しかけてきたのは花たちだ。
うわっ、花が空に舞い上がっていく。
眩しい。
まともに太陽を見てしまった。
違う。あれは太陽じゃない。嘘でしょ。近づいて来る。
あれ、あっちに月もある。何だかおかしい。あれは本当に月なの。月のようで月じゃないみたい。どうなっているの。
ここはいったいどこ。
「ここはあなたの心の世界」
「あなたは仏の御心を抱いているの」
「私たちがその秘めた力を解放してあげる」
光る花がヒラヒラ舞い踊り、ユラユラ近づいては額に花が触れいく。まるで花にキスをされているみたいで
これは夢なのか。現実なのか。
こんなこと。ありえない。
キスをしていった光る花たちがお地蔵さんの姿に変わっていく。
あっちを見ても、こっちを見てもお地蔵さんだらけ。
光る花がまさかお地蔵さんだったなんて。ヒカリはポカンと口を半開きにして呆然と眺め続けた。
みんな笑顔で愛らしいお地蔵さんだ。子供たちが遊んでいるみたい。
何か聞こえる。歌だろうか。違う。呪文だ。
「あなたも一緒に」
一人のお地蔵さんがにこりと微笑んでいる。一緒にと言われてもなんて言っているのだろう。ヒカリは耳を傾けて言葉に集中した。
「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」
何度も聞いているうちに唱えている言葉がスッと入り込んできた。同じ言葉を繰り返している。
ヒカリはお地蔵さんに合せて「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」と口にする。
「そうです。繰り返しなさい。そして願うのです。苦しみのない世界になるように」
「苦しみのない世界」
「そう。あなたならできるはず。みんなの苦しみを癒してあげるのです」
ヒカリはお地蔵さんとともに一心に唱えた。なぜか心も身体も温かくなっていく。不思議だ。何かが自分の中に入ってくる。力が湧いてくる。
お地蔵さんたちが円を描き周りをクルクル回りはじめた。楽しそうに左右に揺れて同じ言葉を繰り返している。なんだか幼稚園児のお遊戯を見ているみたい。
自然と頬が緩んでしまう。
どれくらいそうしていただろうか。しばらくするとお地蔵さんたちが両脇に並び動きを止めた。
お遊戯は、終わりなのか。
「次は私の番だ」
眩しい。太陽が目の前に。
ヒカリは手を
「オン ロボジュタ ソワカ」
違う言葉がヒカリの耳に入り込む。次の瞬間、眩しい光が胸の内に吸い込まれていった。同時に目の前の人物がはっきりする。
この人は。
そう思っただけで頭の中に文字が浮かんできた。『
「ヒカリ、一緒に」
ヒカリは頷き「オン ロボジュタ ソワカ」と繰り返す。
「私がそなたに英知を授けよう」
なんだか頭がスッキリしていく。今だったらどんな難解な問題でも解けそうだ。教科書一冊分くらいだったら、あっという間に覚えられそう。
何を言っているんだろう。馬鹿みたい。
そう簡単に頭がよくなるはずはない。
それにしても身体がポカポカする。汗も掻いている。気分爽快。
「そろそろいいかな」
日光菩薩の隣に淡い光を纏った優しい笑みを湛える人が寄ってきた。
なぜかまたスッと頭に文字が浮かんできた。気づけば日光菩薩が上空に昇っていた。
「私からは慈しみの心を授けよう。では一緒に」
月光菩薩の柔らかな微笑みに頬が緩む。
「オン センダラ ハラバヤ ソワカ」
ああ気持ちいい。丁度いい湯加減の温泉にでも入っているみたい。あったかい。
「お母さん」
思わずそう呟いていた。
「繰り返して」
「はい」
身も心もとろけてしまいそうだ。これが母の愛なのかもしれない。夢心地になりながらも月光菩薩の唱える言葉を繰り返す。
このまま眠ってしまいそうだ。子守歌じゃないのに。
「ヒカリ、慈しみの心を忘れるでないぞ」
「はい」
あれ、月光菩薩がいない。
もしかして本当に寝てしまったのだろうか。
「寝ていたな」
えっ、誰。
ヒカリは声のしたほうへ目を向けて悲鳴を上げた。
「驚かせてしまったか。だが、私の力も授けねばな」
この怖い顔は知っている。
「ノーマク サンマンダー バーザラダン センダー マーカロシャーダー ソワタヤ ウンタラター カンマン」
長い。覚えられない。
「あの」
「大丈夫だ。私に続けてゆっくり真言を唱えればいい」
「はい」
顔は怖いけど優しいみたい。
「私が心の迷いや邪気を
不動明王の手にする剣が頭に触れた瞬間、身体がフッと軽くなった。浮いたようにも感じた。
「あらゆる苦難に耐えられるような強い心を持つのだ。そなたの障害となるべきものは私が燃やし尽くしてやろう。そして、正しき道を示してやろう」
不思議だ。言葉が心に響いてくる。あれ八人の童子が例の呪文を唱えて周りを回っている。あっ、これ真言っていうんだっけ。
この国を平和な世の中にしなくてはいけない。ヒカリはその思いがどんどん強くなっていった。
大丈夫、不動明王がついていてくれたらどんな困難にも打ち勝つことができる。
本当にこれは現実なのだろうか。心の世界だっけ。
本当にありえないことが起きている。
それにしても、なんでみんな自分に力を授けてくれるのだろう。
「それはヒカリ。そなたには生まれ持っての資質があるからだ。私たちはそなたならよりよき世界にしてくれると信じている。それだけのこと」
不動明王が去ったあと
心の輝きが増していく。夜も昼間と化してしまうくらい明るくさせるのではと、錯覚してしまう。
短いようで長い時が流れていった。
「私は女王。この国を治める者。だが今は……小娘、おまえが女王だ」
突然の声にドクンと心臓が跳ね上がった。日向の声だ。
「日向、いるの。ねぇ、返事をして」
今、確かに日向の気配を感じた。それなのにどこにも姿がない。おかしい。
ヒカリはもう一度「日向」と声を張り上げて呼んでみた。
空耳だったのだろうか。どこにもいない。
小さく息を吐き出し、空を見上げてハッとした。
空から『ツバサ』との名前を口にする声がした。
翼がいるの。
あたりに目を向けて見たが誰の姿もなかった。ただ光る花だけが風に揺れているだけ。お地蔵さんの姿に変わることもない。
あれは……。
黒アゲハチョウがヒラヒラと羽を動かし飛んで行く。
嘘でしょ。道だ。光る道が一直線に。
黒アゲハチョウが何か指示をしているのか光る花が両脇に整列して道を作っていった。
行かなきゃ。
ヒカリの意志に反応したのか光る花が作り出した道の先に扉が現れた。
扉が
目の前の景色に、目を見開いた。これは何かの冗談なの。
ヒカリの目に映ったのは地獄なのではないかと錯覚する景色だった。戦火に焼かれた荒れた大地が広がっている。
古の神々と仏様の戦う姿がある。
いったい何が起きているのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます