【十一】当たり前が、当たり前ではない


 いったいなんなの。

 こんなものを着せられて、何をさせられるんだろう。これって巫女の衣装でしょ。


 儀式って何。

 何が何だかわからない。巫女って何をすればいいの。


 ヒカリは両腕を広げ衣装をみつめ、頬を緩ませた。意外と似合っているかも。

 翼がいたらどう思うだろう。

 あれ、なんで翼のことなんか思い出したのだろう。


日向ひむかは民の前にあまり出たがらない者であったが、ヒカリは違うのだな」

「えっ、そうなの。日向って恥ずかしがり屋だったとか」

「まさか、日向は気が強く厳しい者で恥ずかしがり屋ではなかった。女王は民と気軽に口を利くべきではないとかなんとか話していたな」


 そうなのか。女王はそんな感じでいなきゃダメなのか。そうだとしたらやっぱり自分には無理だ。今更できないなんて言えないか。

 自分なりの女王になればいい。親しみある女王もいていいはずだ。


「あっ、今、呼び捨てにしちゃった。日向様って言わなきゃダメだよね」

「ふっ、気にするな。大丈夫だ」

「そうなの」

「日向はもういない」

「そうだけど、なんか気にしちゃう」

「そうか。なら、好きにしろ」


 あれ、なんで。

 両脇に村人がひざまずき「お猫様」と手を合わせていた。ときどき、「ナゴ様」と口にする人もいた。そんなに偉いの、ナゴって。


 偉いんだろう、きっと。神獣だし。

 見上げた先にあるナゴの顔は満面の笑みだ。顔だけ見ていると、ホッとする。ブサイクだけど愛嬌がある顔で、ときどき怖くもある顔。

 自分よりも大きな猫がいるなんてなんだか変な感じ。


「なんだ、どうかしたか」

「ううん、別に」


 ヒカリはナゴから視線を外して何気なく村人が着ている服と自分の巫女の服を見比べてみた。


 全然違う。巫女の服の素材は良さそうなのに村人の着ているものは申し訳ないけど、なんだかみすぼらしく映る。やっぱり自分は特別なのだろう。


 特別か。正直、そんなこと望んでいない。皆にも同じような服を着てもらいたい。さり気なくナゴにそのことを伝えると「それは難しいな」と返ってきた。


「皆が来ているものは麻の貫頭衣かんとういだ。それが普通だ。ヒカリのその服は絹だ。そんないい服は着ることはできない。機織はたおりが女王のために作る一品だからな。量産できないってこともあるがな」


 なるほど。絹なのか、これ。


「ねぇ、どこで作っているの」

「おまえの住む寝殿から少し先にある場所だ。かいこも飼っているんだぞ」

「ふーん」


 それにしても肌触りがいいなこの巫女の服。


「ヒカリ、一応言っておくが麻はおまえが思っているような粗末なものではないぞ。大切なものだ。そのつもりでいろ」

「そうなの」

「ああ、そうだ。神々の儀式に必要なものだからな」


 そうなのか。


「ナゴ様と巫女様が来たぞ。来たぞ」


 子供たちが騒ぎながら走り回っている。なんだかみんな可愛い。

 あっ、叱られて座らされている。母親だろうか。「静かにしなさい」って小突かれちゃって。


 ヒカリは口元を緩ませ、そんな様子に目を向けていた。

 そうかと思うと右側からヒソヒソ話す声が聞こえてきた。


「あの巫女様が新しく女王となるお方なのかねぇ」

「きっと、そうだよ」

「また平和がやってくるのだろうか」

「やってくるさ。もう争い事はこりごりだよ」

「そこの者。無駄口を利くではない」


 ちょっと、なんで蹴飛ばしているの。


「ああ、す、すみません。どうかお許しください」

「無礼者は叩き斬っていやる」


 警護していた一人が突然、刀を振り上げた。


「ダメ」


 ヒカリは思わず叫び駆け寄っていた。

 警護の者はすぐに退きひざまずいた。

 えっ、何。


陽与ひよ。じゃなくてヒカリ」


 ナゴに手招きされて隣へと戻ると小声で耳打ちしてきた。


「おまえの言葉は絶対だ。この国の女王だからな。止めるのはかまわないが警護の者が罰せられることもある。そのことを忘れるな」


 そんなこと言われても困る。誰にも罰なんか与えたくない。それに自分は陽与じゃなくてヒカリなのに。間違わないでほしい。


「巫女様、ありがとうございます」


 さっき刀を向けられていた村人が頭を地面につけてお礼を口にしている。

 やめて。そんなに頭を下げないで。ヒカリはなぜか口に出して言えなかった。

 なんだか胸が痛む。もしも警護の人を止めていなかったら、この人たちは殺されていたのだろうか。ここはそういう場所ってことか。


 当たり前のことをしただけなのに、ここでは当たり前ではないのか。

 なんだか嫌な世界。

 女王だなんて、やっぱり無理かも。

 まだ十三歳なのに。


 なんでこんなことになってしまったのだろう。不安がどんどん膨らんでいく。

 ダメダメ、弱気はダメ。やるって決めたんだから。

 嫌な世界なら、いい世界に作り替えればいい。


 そうそう自分の言葉が絶対だというのなら、みんな平等にってこともできるはず。

 そうじゃないのだろうか。さっきの警護の者も誰かに指示されているはずだし、それが誰なのかもわからない。その人とも話さないといけない。さっきの警護の人が死罪にされるのは嫌だ。


「ねぇねぇ、ナゴ。さっきの警護の人、死罪になったりしないよね」

「さあ、どうだろう。まあ、ヒカリが無罪放免すると言えば大丈夫だろう」


 そうなのか。女王だものそうよね。それだけの権限があって当然か。

 あっ、どこからか視線を感じる。何、この感じ。嫌な感じがする。


 誰かが自分を睨みつけている。殺気。そんな気配がする。なんでそんなものを感じるんだろう。自分に、何かを感じ取れる力があるってことなのか。


 まさか。そんなのない。

 ああ、本当に嫌だ。感じる。うとましく思われているのかもしれない。自分なんかが女王になんてなっちゃいけない。もっと王にふさわしい人がいるはず。


 どうしよう。

 疎まれているとしたら、殺されるかも。やっぱり、元の世界に帰りたい。。


『おまえは選ばれし者。拒むことはできないからそのつもりで』


 ふと巨大狐の言葉を思い出して身震いした。あのときの巨大狐の目は怖かった。

 えっと、確かコセンと名乗っていた。巨大狸はムジン。隣の巨大猫がナゴか。


 チラッとナゴの顔を見遣りフッと頬を緩ませる。ちょっとブサイクだけどやっぱり可愛い。和むから『ナゴ』なのかな。そんなわけないか。嫌な世界だけどナゴのことは好きかも。抱きついてナデナデしてあげたくなる。


 神獣だった。そんな失礼なことできない。

 それにしても変な世界に迷い込んでしまった。またしてもコセンの言葉が蘇る。


『日向が逝去せいきょして以来この国は争いが絶えなくなってしまった。おまえがそれを正す。そういうことだ。いいな』


 そんなこと言われても、できるのだろうか。

 さっきは強気になれたけど、やっぱり難しく思えてきた。

 不安の上塗りがされちゃう。


 警護人が数人、目の端に映る。全員、頭を下げている。

 さっきの警護の人は自分の言葉に従った。ここにいるみんなも同じだろうか。本当に自分が女王だと認識しているのだろうか。命の危険はないって思っていいのだろうか。

 大丈夫。きっと、大丈夫。信じるしかない。でもな。


「あまり深く考える必要はない、ない。大丈夫、おいらたちが守ってやる。この国の外は危険がいっぱいだけどな。大丈夫だ」


 ナゴは口角を上げて柔らかな顔をしていた。ポンポンと頭を軽く叩いてきて、笑みを浮かべている。


 なぜか身体の力が抜けて『大丈夫だ』と思えてきた。不思議だ。これが神獣の力なのだろうか。『守ってやる』との言葉を信じよう。


「ありがとう。ナゴ」

「ふむ、まあなんだ。おいらは癒しの神獣とも呼ばれているからな。そうそう稲穂の精霊とも呼ばれているんだぞ。庶民に一番近い神獣かもな」

「そうなんだ」


 なんだかナゴったら照れているみたい。『ありがとう』って言葉が嬉しかったのかな。可愛い。


「おっと、そんなことよりきちんと儀式を済ませなきゃな。歌うぞ。ヒカリもおいらに合わせて歌え」


『歌え』って何を。急に言われても歌えない。まさか、昨日みたいなホホイノホイみたいな歌ってことはないだろうか。

 そんなの歌いたくない。今日は絶対に歌わない。

 そうもいかないのか。村人たちからの視線を感じる。

 歌うしかないのだろうか。戸惑っていたらナゴが歌い始めた。



「民やすかれと 二月きさらぎ祈年祭としごいまつり しるしあり

 千町ちまち小田おたに うちなび

 垂穂たりほの稲の うまし

 御饌みけに作りて たてまつる

 新嘗祭にいなめまつり 尊しや」


 あれ、昨日と違う。なんだか難しい歌だ。


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