三章 戦乱の世

【一】ナゴを救え


「まさか、わらわが小娘を助けることになるとはな」


 ヒカリは石の台座の上で眠りについている。目を覚ます気配は今のところないが死んでいるわけではない。

 胸に耳を当てれば力強い心音が『生きているよ』と意思表示している。


日向ひむか、よく我の言葉を聞き入れてくれたな。お主は反発すると思ったのだが」

「わらわはこの生意気な小娘に生きてほしかっただけだ。それに、ミサクチにはわらわを復活させてくれた恩義もあるしな。つまりミサクチの言葉に従ったわけではない」

「そうか。相変わらず素直ではないな」

「うるさい。そんなことより、この小娘は本当に目を覚ますのか。このまま黄泉の国に行ってしまうのではないのか」

「日向、大丈夫だ。今、この者は力を蓄えている。目覚めた瞬間覚醒するはずだ。だからこそ天魔にみつかるわけにはいかない。どうにか時間を稼がなくては」

「なるほど」


 時間を稼ぐか。正直難しい。

 日向はヒカリをチラリと見遣り、ミサクチに目を向けた。


「どうした」

「一つ提案なのだが、ヒカリの身体をわらわが貰い受けることはできぬのか。魂だけの存在とはどうにも好かぬ」

「無理な提案だな」

「ふん、そうか。そう言うと思った」


 日向は空を仰ぎ、雲の流れをじっと眺めた。あれは龍か。十二神獣のハイラではない。この地を治める神龍か。名もなき古の神龍だ。エメラルドグリーンの身体がキラキラと輝いている。


 ところどころ透けて見えている。あれは目の錯覚か。

 それだけではない。空なのに神龍の通ったあとに水飛沫が上がっている。葉も舞っている。神龍の身体は水でできているのか。それとも樹木なのか。不思議な存在だ。


 力を貸してもらえないだろうか。

 難しいだろうか。龍は頑固者だと聞く。


「あの者は今のところ味方でも敵でもなさそうだな」

「そうなのか。それならミサクチが口利きしてくれればいいのではないか」

「ふん、我の話でも納得しなければ無理だ」

「なるほど。ミサクチでも無理ならわらわの言葉など聞く耳もたぬな」

「そういうことだ」


 まあいい。神龍には神龍の考えがあるだろう。

 日向はハッとして身構えた。

 どこだ。禍々まがまがしい気を感じる。ゾワゾワと鳥肌が立ち寒気を感じた。


 この気はクシミか。


 一瞬迷って頭を振る。似ているが違う。クシミは厳しい存在だがこの気は殺気が強過ぎる。まさかたたり神にでも成り下がってしまったのか。


 日向は目を閉じて集中力を高めていく。

 思いっきり息を吸い込み一気に吐き出すと、空を見上げて舞い上がる。


 ここならすべてを見渡せる。

 流れ来る雲が視界を白く染め上げていく。高く飛び過ぎたか。


 いや、大丈夫だ。雲はすぐに通り過ぎて、地上の様子を窺えるようになった。

 こういうとき魂だけの存在だと役に立つ。一瞬のうちに移動できるとは快感だ。我ながら、恥ずかしい。さっき『好かぬ』と言ったばかりだ。


 そうだ、自分は神となったのだ。そう思っているだけかもしれないが、近い存在にあることは間違いない。


 それはそうと、どこだ。この気を発する悪しき者はどこだ。

 クシミに成りすますとは不届き者め。いったい誰を殺そうとしている。


 うおっ、なんだ。

 すぐそばを神龍が通り過ぎ、思わず仰け反ってしまった。チラッと横目で見てきたが我関せずといった感じで優雅に空を泳ぎ、雲の中へと消えていく。やはり神龍は争い事に関わるつもりはないようだ。


 あくまでも中立を保つということか。

 仕方がない。


 うおっ。

 眼前に再び神龍が現れて地上へと目を向けた。ピシャリと顔に水滴がかかり拭い落とす。予想通り神龍は水の塊のようだ。


 んっ、違う。雲の水分が飛び散っているのか。神龍が通ったところの雲が水へと変わっている。日向は神龍に触りたくなってしまいキラキラする身体に手を伸ばす。


 冷たい。ガサガサガサと神龍の鱗が震えている。なぜだか鱗が木の葉のように映った。鱗に雲の水がついたのか煌めいている。


 まずい。

 身体が神龍の中に引っぱられていく。慌てて日向は手を引っ込めた。


「我に触れるな。我の身体は森だ。我の森に呑み込まれるぞ。それより下だ。下を見よ」


 神龍の低音ボイスとほぼ同時にミサクチが叫ぶ。


「日向、あそこだ」


 いつの間にか隣にミサクチがいた。気配を感じさせずに近づくとは流石、ミサクチだ。感心している場合ではないか。


 指差す先に目を向けると、巨大白蛇に対峙するナゴの姿が目に映った。これはナゴの危機だ。形勢不利と見た。

 まずい、これはまずいぞ。

 日向は風を切り猛スピードでナゴのもとへ急ぐ。


「そこの不届き者め。ナゴなど食ったら腹を壊すぞ」


 日向はそう言い放ちナゴと白大蛇の間に飛び込んだ。

 勢いが良過ぎたのか地に着いた瞬間、手についていた神龍の森の雫が飛び散り、足にしびれを感じた。

 身体がないのになぜだ。禍々しい気の影響か。


「ぐぐぐぇーーーーー」


 んっ、どうした。何が起きた。

 なぜか白大蛇が苦しみもだえている。そうかと思ったら腹のあたりが光だして白大蛇が何かを吐き出した。


「な、なんだよ。臭いぞ、臭い。まったくおいらクシミ様の胃液まみれじゃないかよ」

「ナゴ、こいつはクシミじゃない」

「えっ、違うのか」

「ほら、よく見ろ。こっちが本物のクシミだ」


 偽のクシミから吐き出されたのは一回り小さめの白大蛇だった。


「そうか、どうも大きすぎると思ったよ。じゃ、あいつは。あれ、あれ、どこいった」


 気づくと偽の白大蛇の姿が消えていた。いったい誰だったのだろうか。それにしてもなぜあんなにも苦しみ悶えていたのだろう。


「神龍の雫のせいだ」

「えっ」

「ああ、ミサクチ様。会いたかったんですよ。おいら、おいら。ミサクチ様の知恵を借りたくて」

「うむ、すまない。ここにはいられなかったのでな」

「ナゴ、うるさい。ミサクチ、神龍の雫のせいってどういうことだ」

「日向こそ、もう少し静かにできぬのか」


 まったく、なんで怒られなきゃいけない。古の神がどれだけ偉いっていうんだ。まあ、助けてもらった手前そんなこと言えないか。


「あの、その。日向様。おいらしゃべっていいか」

「黙りなさい」

「は、はい」


 大きな身体のナゴが身体をすくめて小さくなっている姿がおかしくて、日向は思わず噴き出してしまった。

 隣のミサクチはというと苦笑いを浮かべている。


「それで、どういうことだ。ミサクチ、雫がなんだって」


 目が合うと咳払いをしてミサクチは話し出す。


「つまりだな。神龍の雫は聖水なのだ。魔の者にとって毒だ。日向についていた雫が飛び散り、偽の白大蛇の口に入ったのであろう。もしかすると、さっきの者は天魔であったのかもしれぬな」


 天魔。

 そうか、あいつが。天魔はいろんな姿に変化できると聞く。真の姿を見た者はいないとも言う。


 あいつが天魔だったのか。

 おや、この匂い……知っているような。日向は眉間に皺を寄せて黙考した。天魔はもしかして。いや、まさかそんなことはないだろう。


「ううっ、ここは。我はいったいどうしたというのだ」

「クシミ様。気がつかれましたか」

「んっ、おまえはナゴか。おや、日向まで。まさか、ここは黄泉の国か」

「ちょっと、ちょっと。おいらまだ死んでいないですよ。勝手に殺さないでくださいよ」

「おお、そうか。あっ、ミサクチ様」


 クシミは起き上がろうとして顔を歪めた。


「そのまま休んでおれ。ここには魔が入り込めぬよう強大な結界を張り直したから大丈夫だ」


 本当に大丈夫だろうか。日向は少し疑っていた。強大な結界を張ることができるのなら最初からそうしておけばよかったのではないのか。天魔には通じなかったから入り込まれたのではないのか。巨岩も粉々にされてしまってミサクチはどうするのだろう。まあ、それは大丈夫か。ミサクチならどこにでも宿ることができるはずだ。ただ民が祈る場所がなくなってしまっただけのこと。


 そうだ、ヒカリが一人っきりになっている。

 ヒカリの居場所は、天魔に気づかれていてはいないだろうか。それが気がかりだ。

 急ごう。

 日向は風となりヒカリの眠る地へ飛んだ。


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