【十三】十二神獣


「こいつは何者だ。この国の者ではないぞ。どこからやってきた」

「我らと同じ渡来した者か」

「ううむ、海人族あまぞくなのか、こいつは」

「違うのではないか。変わった衣を着ているぞ。我らとは違う国から来たものではないのか」

「それならば我らの敵かもしれぬぞ」

「ふむ、どうだろう。神獣鏡の欠片を手にしているのが気にかかる」

「わからぬ。我らに仇なす者であれば即刻対処しなければならない。どうする。皆の者」

「この者はもしかすると異界の地の者ではないのか。ナゴたちが話す人の世の者ではないだろうか」

「なるほど」


 んっ、なんだ騒がしい。

 頭が割れそうだ。それにしても、何が起きた。

 翼は上体を起こして目の前の光景に動きを止めた。


 嘘だろう。なんだこいつらは。デカい、馬鹿デカい。巨大生物に囲まれている。

 これって異世界に飛んだってことか。そうなのか。とんでもない世界に来てしまった。こんなところさっさと帰りたい。


 最悪だ。最、最、最悪だ。


 ダメだ、帰るわけにはいかない。最悪だとしても、この世界にヒカリがいるかもしれない。


「おい、人の子。おまえはどこから来た」


 赤い目を光らせて巨大鼠の顔が近づいてくる。ヒクヒク動かす鼻に拳ぐらいの大きさの真っ白な前歯がすぐそこに。

 逃げたいのに身体が動かない。大きな白い前歯が見える度に冷や汗が出てくる。

 食べられるのか。このまま、こいつの胃袋に。

 巨大鼠は首を傾げてみつめるばかり。大丈夫なのか。食べるつもりはないのか。


「おい、口が利けないのか。事と次第によってはおまえの命を奪わねばならぬ。正直に答えるのだ。おまえはどうやってここへ来た。この国の者ではないだろう」


 大きな角をこっちに向けて睨み付ける巨大牛が巨大鼠を押し退けて迫って来た。


 うわっ、今度こそ食べられてしまう。殺されてしまう。

 命を奪うだなんて、そういうことだろう。あの角で一突きされたら即死だ。そんなの嫌だ。死にたくない。


 やめてくれ。巨大牛から逃れようと後退ると背中に何かがあたり肩に何かが乗った。手か。やけに毛深い手だ。肩に乗った手から鋭い爪が飛び出してくる。


 恐る恐る振り返るとぎらつく瞳と鋭い牙が目に留まる。

 巨大虎だ。これはまずい。本当に食べられてしまいそうだ。


 右に巨大兎、左に巨大鶏。巨大犬に巨大猪もいる。後ろからも気配を感じる。脇の下からじんわり汗が滴り服を濡らす。


「うわぁ、な、なんだ」


 突然馬鹿デカい顔が右から左上へと飛んで行く。巨大龍だ。高層ビルが飛んでいくような錯覚に陥った。いや、スカイツリーのほうがあっているだろうか。この龍は吊り橋で見た龍とは違う。


「ひゃ、つ、冷たい」


 長い舌をチョロチョロさせながら巨大蛇が不敵な笑みを浮かべている。首筋を撫でてきたのは巨大蛇の舌か。あのときの白大蛇かと思ったがどこか違う雰囲気があった。

 いったいどうなっている。この世界にはこんな巨大生物がうようよいるのか。


「なあ、面倒だからこいつ蹴り飛ばしていいか」


 背後からの声に振り返ると巨大馬が鼻息を荒くして睨みつけてきた。まずい、この状況はかなりまずい。その隣で巨大羊が今にも突進してきそうな雰囲気で巨大なひづめを地面に叩きつけている。


「キャッキャッ」


 突然の騒ぎ声に心臓が跳ね上がる。

 巨大猿だ。右へ左へと飛び跳ねて騒ぎ立てている。

 ダメだ。完全に逃げ道はない。

 肩に乗った巨大虎の手を頼むからどけてくれ。おしっこがちびりそうだ。


「おい、人の子よ。さっさと我の問いに答えよ。死にたくはないだろう。おまえはどこの誰だ」


『答えよ』と言われても、どう説明したらいいのかわからない。日本と言えばいいのか。それとも地球と言えばいいのか。ここがどこなのかわからない以上どう伝えればいいのか。おそらく、ここは自分が住んでいたところと次元が違う場所だろう。

 そうだ、光る花に導かれてきたと言えばいいのか。


「時間の無駄だ。この者を始末してしまおう。怪しき者だ。異存はなかろう」

「待て、そう判断するのはまだ早い」


 ああ、誰が話しているのかさっぱりわからない。どうすりゃいい。いつまでも黙っていたら本当に殺されるかもしれない。それならば正直にあったことを話せばいい。


「あの、すみません」

「んっ、やっと答える気になったか。早くおまえが何者なのか話せ」


 巨大牛の鼻息をまともに浴びて気持ち悪さが込み上げてくる。吐いてしまいそうだ。


「おや、どうした。ああ、そうか。ショウトラの息が臭かったのだな」

「な、なんだとマコラ。我の口が臭いというのか」

「臭い、臭い。これでは人の子も口が利けないぞ」

「むむむ、言わせておけば」

「待て、ふたりとも。いがみ合っている場合ではないぞ」


 巨大牛と巨大兎がそれぞれ顔を背けてその場に腰を下ろす。二人を止めたのは巨大龍だ。んっ、龍ってもともと巨大なものか。龍についてはあの大きさが普通なのだろう。そんなこと今はどうでもいい。


「うわっ」


 急に顔を近づけないでくれ。

 心臓が物凄い速さで揺れ動いている。

 すぐ目の前に家一軒分くらいありそうな顔が。なんて存在感だろう。


「驚かせてしまったか。我らは無闇に殺生をせぬ。安心せよ。我らは十二神獣だ。で、我はハイラ。おまえの名は」


 二本の長いひげを揺らめかせて、巨大龍がみつめてくる。


 十二神獣だって。そうか、それで……十二体いるのか。神獣だから十二柱というべきなのか。


「おい、まただんまりか。おいハイラ。こいつなんかたくらんでいるんじゃないのか。やっぱり始末するべきじゃないのか」

「待て、シンダラ。まずはこの者の話を聞いてからだ」


 鼻を鳴らして巨大虎が一歩退いた。なんだか納得いっていないって感じだ。早いところきちんと説明しなくては本当に殺されてしまう。


「あ、あの。俺、いや私は……久遠翼です」


 一瞬、自分の名前が出てこなかった。こんなことってあるのか。


「なるほど、ではツバサとやら。おまえはどうやってこの地に来たのだ」


 翼は大きく深呼吸をして話し出す。


「どうやって来たのかは自分でもよくわからないんです。ただ、光る花がここへ導いてくれたのではないかと」

「なるほど、光る花か」


 十二神獣が騒めき立っている。なんでだろう。


「もうひとつ訊くぞ。おまえは何かここに目的があって来たのか」

「目的ですか」


 ヒカリを探しているけど、ここにいるのかはわからない。そうだとしても目的と言われればそれだ。話すしかないだろう。


「実は……」

「あっ、いた、いた。こんなところで遊んじゃって。もう、まったくしかたがないお人だ。どんだけ方向音痴なんだか」


 んっ、誰だ。

 声の主を確認しようと振り返ると巨大猫がやってくるところだった。笑顔に見えるのは気のせいだろうか。巨大だけど愛らしく思えてしまう。こいつ夢に出て来た猫だ。間違いない。


「おい、ナゴ。何をしに来た」

「皆さん、勢揃いで。どうも、お邪魔しますよ。おいらはお客人を迎えに来ただけで」

「お客人だと。まさか、おまえか。この人の子を呼び寄せたのは」

「あはは、嫌ですよ。龍の旦那。まさかそんなはずないじゃないですか。おいらみたいな神獣の端くれが別世界から呼ぶなんて大それたことしませんよ。それに基本、御法度ごはっとじゃないですか。薬師如来様の許可なきゃ無理ってもんですよ」

「ふん、何が龍の旦那だ。我はハイラという名がある。まあいい。ならば、誰が呼び寄せた。薬師様から何も聞いていないぞ」

「あれ、そうですか。ハイラ様、それはすみません。ですが、おいら、なんも聞いちゃいないもんで。おいらはただコセンに迎えに行って来いと言われただけですから。では失礼」


 うおっ。

 突然、身体が宙に浮く。巨大猫に担ぎ上げられてしまった。

 いったいどこへ行く。

 まさか食べられるのか。今度こそ絶体絶命なのか。

 ヒカリには会えずにここで死ぬのか。


「なにをふざけたことを。おいらが人の子を食べるだなんてご冗談を。ご安心を。それにお望みの人には、たぶん会えるんじゃないかと。そうでないとおいらも困っちまう」

「えっ、おまえもしかしてヒカリを知っているのか」

「んっ、おいらはおまえなんて名前じゃない、ない。えっと、えっと……むむむ」


 巨大猫は頭を右に傾けたり左に傾けたり上を見上げたり頭をポンポンと叩いてみたりガシガシ掻いてみたりしていた。まさか、自分の名前を忘れてしまったのか。そんなことってあるのか。もしかして、こいつも十二神獣を恐れているのか。内心はドキドキなのか。それで名前が思い出せなくなったってことか。


 こいつの名前って。そういえばさっき呼ばれていた気がするけどなんだったろう。『ナ』がついたような。


「おっ、やっと出て来た。おいらの名前はナゴだった。そう呼んでくれ」


 こいつはふざけているのか。頭を叩いて名前が出てくるわけがない。まあいいか。

 翼は苦笑いを浮かべて「俺は、あっ、私は久遠翼です。よろしくナゴさん」と口にした。


「ふふん、言い直さなくてもいいのに。『俺は』でも『吾輩』でも『拙者』でも問題ない、ない。おいらは優しいのだ。じゃ行こう」


 誰が『吾輩』だの『拙者』だのなんて言うか。それに自分で優しいとか言うか。そういう奴こそ怖いんじゃないか。まあ、あの場から救ってくれたことには感謝しなきゃいけないか。そんなことよりも行くってどこへ行くのだろう。


 ナゴは肩の上に自分を乗せて「しっかり捕まって。落ちないように」と笑みを浮かべて歩みを進めた。


 身体はかなりデカいけど、なんだか可愛く思えてしまう。さっきの十二神獣とはなんとなく違った雰囲気があり親しみも感じる。こいつは本当に優しいのか。いやいや、まだわからない。


 あれ、そういえばヒカリのこと。もしかしてはぐらかされたのか。やっぱり気を許すのはまだ早いかもしれない。そうだ警戒していて損はないはずだ。さっき口にしていなかったことがこいつには伝わっていた。心が読めるのかもしれない。


「おいらそんな怖くないのになぁ」


 や、やっぱり心が読めるんだ。

 翼は思わず身体を震わせた。


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