第30話『猫。それは可愛さだけの獣だ』

『ガ、グルルルルルルゥ……グルぁ、ガァ!!』


 檻の中。猛獣は雄々しい声で唸る。

 それに加えて蘭々と輝く上の日差しは強く、熱さが相まってクラクラした。混んでいるというのもあるのだろう。


 オレは創作部の皆と『ドキドキランド動物園』の南エリアにあるサバンナゾーンに訪れていた。

 目の前の檻には、ライオンが収容されている。


「流石に生だと凄い迫力だな」

「……私は猫が見たいのだけれど」

「まぁまぁ、オレは動物園に慣れてないんだ。最初は動物園に行ったら見る名物とかを見させてくれよ」


 隣にいる逢瀬は先程からずっと同じ事を呟いていて耳がゲシュタルト崩壊しそうだ。そこまで猫に執着する理由が分からない。猫なんて、ただもさもさしているだけの生き物だろう?


 違うのだろうか。

 自分には犬との違いがあまり理解出来ないのだが。


「それにしても、今日は凄い混んでるねっ」

「そうだねぇ。緋色坂ちゃんは人混みとか大丈夫なの?」

「私は人混みに紛れるのは得意なんで! 全然問題ありませぬっっつ!!! 先輩はどうなんですか?」

「私はちょっと苦手かなぁ……人が多いと酔いそうだよ」


 そして更にその隣では緋色坂や先輩が会話している姿が目に入った。人混みを苦手とする人間が一定数いるのは知っているけれど、まさか先輩もその一人だとは思わなかったな。

 先輩はどっちかというと、ヨウキャ側であるし。


 やはり人を容姿で判断してはいけないのだろう。

 俺が前に逢瀬を諭した時のように。


「それにしても、三野先生は……?」

「ああ、三野先生ならば貴方のお姉さんと一緒に北エリアにある『カフェ』で休んでくるって言ってたわよ」

「おい、うちの女教師も姉貴も何してるんだよ。まだ入園してからニ十分も経ってないんだが」

「まぁ彼女たちは大人なのだし、別に放置していても問題ないでしょ」


 そういうモンなのだろうか。

 彼女はあまり興味を示していない、というか逢瀬コイツは多分猫を見るという事にしか興味を示していないっぽい。


「じゃあ逢瀬、オレはもう満足したし。お前の希通り猫のいるエリアにでも行くか」

「……ついてくるの?」

「悪いか?」

「…………ふん。っ勝手にしなさい」


 それにしても逢瀬雫。という人間は冷たい。

 世間ではこういうのをツンデレと言いたいのだろうが、コイツの場合は例外だ。……彼女はツンしかない。ただのツンツンツンなのだ。


 くそう。

 おかしい。


 俺の求めている青春はこんなんじゃない!!!


 ◇◇◇


「猫、ネコ、ねこ……可愛い」

「────」


 俺と逢瀬は先輩や緋色坂を置いて、東エリアにある『猫ねこ触れ合い部屋』という所に訪れていた。逢瀬は目の前に迫ってきた動物に対し、にゃーと言いながらしゃがんで顔を近づかせている。


 ココでは小さな二重の扉を超えた先にある部屋に猫が監禁されているのだ。


 それにしても『にゃー』って……怖いな。

 お前、もしかして猫だったのか?


 そう言ってやりたい。

 でも今話しかけると割とマジで怒られそうだからな、流石にそんな愚かな事はしない。いくら普通の高校生と自称する自分でも、それぐらいの空気は読めるぞ。

 なにせ普通の男子高校生だから。


 小さく溜息をしつつ、ひたすら猫をめでている彼女を待っていた。


「そんなにも猫を見ていて楽しいのか、逢瀬は」

「まぁ貴方みたいな醜い生物にはこの可愛さが理解出来ないんでしょうね。猫というモノはあまりにも可愛いわ。貴方の対義みたいな存在ね」

「ちょ、それは言い過ぎじゃ」

「言い過ぎじゃないわ」


 ……逢瀬はずっと猫を見つめている。

 それに対して猫は首を傾げて、クエスチョンマークを頭上に浮かばせていた。はっ、所詮猫とはその程度の生物というワケだ。


 ちょっと可愛いからって、人間様舐めるんじゃねぇぞ!


 するとコチラにも別の猫が寄ってくる。

 茶色のすらっとした体型。まるでサバンナに住む獣王。又はチーターか。そんな動物を想起させる悪魔がコチラに一歩、踏み込んできた。


 その小さな体からは想像出来ない威圧感。きっとかめ〇め波とか気〇斬とか不意打ちで打ってくる系の魔物だろう。


「にゃー、にゃぁ……あ?」


 しかし。その魔物まものはコチラに攻撃を仕掛けてこず、ただそう鳴いて俺の膝に頭を擦り付けてきて。


 ……刹那。世界が崩壊した。


「!?!?!?!?!?!? ……っなんだこの、悪魔的な可愛いさ」


 一瞬にして俺の世界は、この猫によって浸食されたのだろう。頭の中も体の中も、心の中も全てが純粋なお花畑。

 まるで幻想だけで構築された世界だ。


 コイツは、あまりにも可愛いすぎる。

 その瞬間を体験した事により、逢瀬の気持ちが分かったかもしれない。


「ぐ、ぐふ。悪いな猫、オレはお前に惑わされる程度柔じゃねーよ」

「どう見ても惑わされるわよ、やっと貴方も理解した? 猫の可愛さを」

「……理解してないっ。俺は断じて理解していない」


 逢瀬は憫笑びんしょうしながら猫を愛でていた。

 くそう。コイツらは悪魔か、サタンなのかもしかして。

 そして五秒の激闘の末。俺は膝から崩れ落ちて、目の前の猫に視線を合わせた。


「猫め……ッ!!」

「にゃー?」

「う、ぐ」


 試しに威嚇してみると、猫は我が腹目掛けて飛び蹴りしてきて。

 見事に命中。


「げほっ……⁉ なんなんだコイツ」

「何をやっているんだ氷室。腹を抱えてどうしたんだ?」

「三野先生……すか。いやちょっと、この目の前にいる獣が恐ろしいんですよ」

「獣? どう見ても猫なんだが」


 ぞぞぞ。ぞぞぞぞぞ。

 触れ合い部屋に新しく入ってきた三野響が懐疑的な声で話しかけてきた。何をやっているんだお前は、という感じである。

 三野の隣には氷室ひむろ檸檬れもんも立っていた。


「何をやっているんだ、我が弟は。ひびきんは分かる?」

「さぁな。何をしているんだろうか。それとその呼び名はやめろと、言ってるだろレモン。」

「うーん。相変わらず頑固だね、ひびきんはさ」


 猫部屋の入り口付近にそびえる女性二人はやはり仲が良い。

 俺にもこういう竹馬の友的な仲間、友達が欲しいものだが。

 それでも分かっている。やはり、俺には友達とかは出来ないのだろうな。


「あんたら何しに来たんだよ」

「むぅ。実の姉に何しに来たってなんだよぉ。こんな場所に来たんだから決まってるでしょ? 猫を愛でに来たんだぞ、猫を」

「そういえば姉さん、猫好きだったっけか」

「おうよ!」


 檸檬(あね)はこんな所でも、いつものテンションだ。

 流石と言うべきか、それともただの迷惑というべきか。


 きっと、どちらもだろう。


 ◇◇◇


 あれから数十分が経過し、俺たちは猫を沢山愛でた後やっと束縛から解放され……部屋の外に出るい。


「相変わらず日差しが強いな」

「ええ。眩暈がしそうだわ」

「大丈夫か?」

「まぁね。太陽より貴方の気持ち悪さが勝つから、何も問題ないわ」

「何も問題なくねぇよ。一大事だ、それ」


 外に出るとすぐさま襲ってくる直射日光。

 ポケットから携帯を取り出して確認すると、今の時刻は十二時三十五分を表示していた。もうすっかり昼だ。

 心なしか、腹が減ってきたと思ったのも間違いではないっぽい。


「あ、いたいたっ! 氷室クンたち!」

「やっと見つけたよー」


 同時に緋色坂や先輩が遠くから、額に汗をかきつつコチラへ走ってきた。別に逃げないし、そこまで焦って走ってこなくてもいいんだけれどな。


「先輩と緋色坂はどこ見てたんだ?」

 そう思いつつ、返答する。


「いやいや、それがねっ」


 しかし、そんな返答は無視されて緋色坂は話を続ける。

 もはや何も思わなくなってきた。そろそろ悟りが開けそうだ。……だけど、緋色坂と先輩の表情はどこかいつもと異なっていた。

 そこからは異常が感じ取れる。


「どうしたんだ?」

「……動物園の西エリアにいた小鹿が脱走しちゃったんだよっ!」

「え?」


 そして。


 ────それは、見当外れではなかった様だった。

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