第21話『俺の求める青春は』

 …………あれから、どれぐらいの時間が経過しただろうか。


 呆然と、ベンチに座り続けている私はふとそう思った。星覧せいらん公園と呼ばれる所に私はいる。この或間町の丘上にある円形の公園で、遊具などご豊富なため昼は子供連れの親子で賑わっている所だ。


 空を見上げると、ぽつりぽつりと何かが降り注ぐ。


 雨だ。

 真っ黒に塗られたパレットから降る透明の塊。


「さむい、な」


 制服に雨が染み込み、私の体温を容赦なく奪い始めた。

 本当に寒い。もう夜になっている、という事もあるのだろう。夜風も相まって、体はどんどん感覚を失っていく。


 本当に、これからどうしようか。

 私は悩む。


 ……失望させてしまっただろうか、彼を。


 私が今まで隠し通してきた腕の傷。リストカットと世間一般で称される自傷行為の痕を。きっと彼は見て、そのまま失望したことだろう。

 自傷行為に走る人間は嫌われてしまう事が多々ある。




 だから、ああ。

 ああ。もうダメなのだろう。

 そろそろ我慢の限界である。

 もう本当に死にたい。




 それ以上先のことは、考えないようにした。

 考えるだけ恐ろしい事だから。自分の今まで秘めていた本音も、彼への感情も、その全てを抑え込む。

 忘れろ。忘れるのだ。


 それが最適解だと思った。

 風化するはずもない記憶を風化してとただ願い続ける。


 されど。


「やっと見つけた。……こんな所にいたのか、逢瀬」

 背後からは、彼の声が聞こえてきた。


 既視感が脳をよぎる。

 そういえば、初めて彼に興味を抱いたのも……先輩から助けてもらった時だった。


 そう思うと、今回彼がここに現れたのも……必然的と言えるかもしれない。


 ◇◇◇


 ふぅ。

 取り敢えず、第一段階はオーケーと。……俺は数時間も掛かりやっとこさ見つけた彼女の姿を正視すると共に、安堵の息を漏らした。

 もう手遅れかと思っていたが、案外余裕がある。


 ちょっと天気が悪いが、ちょっとの雨ならば支障はない。


 オレは彼女に近づいて、声を掛けた。

 すると逢瀬は目を見開いて言う。


「氷室……くん。なんで、ここに」

「なんでって? そりゃあお前に謝罪しにきたんだよ」

「しゃ、謝罪?」

「ああ。俺のさっきの行為があまりにも無神経だったからな」


 彼女は『さっきの行為』という言葉に反応したのか、ちょっとだけ肩を揺らした。きっと彼女も気づかない程度の、些細な行動であったが。


「………やっぱり、見た。かしら」

「……そうだな。見ていない、と言えば嘘になる」

「そ、そう」


 それにしても、やはり彼女の声はかなり暗い。


「悪かったな」

「いえ、別に貴方が謝罪する必要はないわ……。悪いのは、私。─────私がこんな事している程度の人間だったのが悪いの。ごめんなさい」

「……」


 加えて、随分と弱っている。

 逢瀬雫は顔を俯かせつつ、何故か俺に対して謝ってきた。意味が分からないな。なんでコイツが俺に対して謝罪する必要があるのだろうか?

 自己肯定感の欠如、か。


「…………言い訳らしくなっちゃうけれど。私の親はとても厳しいの。まぁ暴力こそ振るいはしないけれど。勉強、勉強─────勉強、そして女の子なんだからちゃんと華麗に生きなさいってうるさかった」

「ああ」

「それで私は努力した。努力したけれど……私は所詮、凡人の域を出なかったわ。だから努力しようにも、試験での結果はあまり伸びなかった。それで私は試験の度にこっぴどく怒られたりしたの」


 ……ふむ。


 複雑な家庭環境、ってワケではないが。

 随分と両親との仲が悪いらしい。


「そして、勉強が出来ないなら華麗で、そして強くあれって躾けられた。柔道とか空手とか、それに加えて茶道とかピアノとか。様々な特技になれば強いであろうモノを無理やり習わされた……。でも、どれもそれもやっぱり凡人の域を出なかった」


 でも凡人の域を出ないとはいえ、一介の男子高校生である氏等をボコボコにした時は見世物としてはかなり面白かったし。彼女には感心したがな。

 あくまでも主観だが彼女は既に充分なぐらい強いと思う。



「特別。そんな全てに憧れた。貴方みたいな人に憧れたわ。私は……凡人だったから。羨ましくて、焦がれるほど欲して、でも届かなくて。もう私はダメだと、自身を傷つけたの」

 それは、おかしい。



 ……俺は別に特別な存在でもなんでもない。ただの男子高校生だ。客観視すれば、彼女の方が圧倒的に才能を持っており特別な存在と思うけれど。

 だから彼女が劣等感を抱く意味がわからない。


 彼女にとって彼女は、「凡人の上」とでも考えているのかもしれない。


 だがそれは見当違いだ。


「おかしいな。俺は反論の余地がないぐらい完璧な凡人だぞ? ……ちょっとゲームが出来る程度の、陰キャだ」

「そんなワケないわっ。貴方が今まで失敗しているのは見たことがない」

「……そりゃ、まだ出会ってから日が浅いからだろう」

「いいえ、違う! 貴方は完璧よ。……異端者よ。だって、今まで私が何をいっても貴方は表面上だけでしか反応していなかったでしょ⁉ それに何があっても言葉だけで、動揺していたり感化されていたりするのは見た事がない! まるで全てを知っているみたいに!」


 ─────逢瀬雫。

 俺の隣の住民は、気が付けば瞳から雨以外の水滴を垂らしていた。彼女はベンチから立ち上がって、そう叫ぶ。

 彼女のポニーテールの黒髪から、微かに水滴が零れ落ちる。


「そんな事ない。俺はちょっと反応が鈍いだけだぞ」

「信じられない、信じられないわっ! ……私、見たのよ。あのゲームの後、貴方がトイレに行ってる間に。ゲームのプレイ時間を」

「……」

「そしたら、四時間とかいてあった。……そう、たったの四時間よ⁉ それであのゲームの腕前。素人の私でもおかしい、と思うわっ」



 彼女の声がだんだん大きくなってくる。

 まずい。暴走気味だ。……まさか逢瀬雫がこれほどまで動転するとは、びっくりだ。



「いや、いつもの俺は別のアカウントでやってるからな。そりゃ、そのアカウントは作ってから数日だし。試運転でプレイした数回しか記録されていないんだ」

「……」

「というか、話が逸れている。俺が話したいのは、俺の事じゃない」

「私が話したいのは、あなたのことよ! 氷室政明!」



 風と雨がどんどん強くなってきた。

 流石に制服へと雨が馴染み始めてきてかなり肌寒くなってきたな。

 ……俺は身震いを少しだけして、視線を再び眼前の女生徒に向ける。


「それで、お前はこれからどうしたいんだ? 俺はソレを聞きに来た」

「……なによ、それ」

「いいや、特に深い理由はない。お前をこんな複雑な心境に追い込んだのも、一応俺の行為一つがキッカケだろう? だからな、俺にはお前に謝るのと共に……元に戻さなきゃならない」

「おかしい理論だわ。本当に、意味が分からない」


 彼女は何かもごもごと口にしているが、雨音が思いの外うるさくて聞き取れなかった。


「……悪いけれど、俺はこういう事を遠回しに聞くのが苦手なんだ」

「そう、そう」

「……」

「もう、どうでもいいわ……本当に」


 すると呟くように彼女がそう言い放つ。

 その一瞬。何故か不思議と、雨音が遮断されてその一言だけは聞き取れてしまった。幸か不幸か。俺には判断がつかない。


 どうでもいい、か。


 少なくとも、俺にはそう思えないけどな。


「そうか」

「ええ」


 雨が強く降る。更に強く。もっと強く降り始める。あと小一時間程度以上ここに滞在すれば、きっと明日には風邪を引いている事だろう。

 そろそろ退散したい。終わりにしたい。


 早くしないと、本当に取り返しが付かなくなってしまう。


 オレは口うるさく今までも、何度と言ってきた。……現実は残酷であり、唐突に理不尽が降りかかるモノだと。

 それに俺の求めているモノは此処にも無いのだから。


 でもその次も、俺は言っていた筈だ。


 無いのなら、創り出せばいいだろうと。……創作部には創作部のやり方があるのだから。


「……これはあくまでも私情だが」

「?」


 俺は彼女へ語る。

 自身の思いを。


「俺は、お前にはいつも元気な顔して「俺の隣の住民」でいてほしいと思っている」

「は……、え?」

「お前の私情なんて知るか。これは俺の願望だ。お前がもし自殺したいというのならば、止める事はないだろう。退部も、俺の目の前から消えるのも。あくまでも、お前の自由だからな。だが一つ、流石にそれでは自己中心的すぎるから、俺からアドバイス」


 深呼吸をして。


「時には幻想に囚われるってのも、そんなに悪くないんだぞ?」


 彼女へと歩み寄り、頭を優しくぽんと撫でるように叩いた。


「え、……っ⁉︎⁉︎」

「辛くなったら、逃げたっていい。辛くなったら、俺でよければ相談にも乗ってやる。お前が困ったならば、俺はお前を支えてやる。だからそんな現実主義者になるな。現実をそんな直視したって、つまらない景色しかないだろう」

「そ……う、かな」

「ああ、少なくとも俺はそう思う。お前は今まで否定されてきたのかもしれない、親に、周りの環境に。……逢瀬雫という人間の存在を。ならば、周りの人間が鑑定出来ないなら……俺が特別に鑑定してやる」



「逢瀬雫という人間には、価値がある。と……例え自傷行為に逃避していたとしても。あんたには価値があると」



 ……価値、か。

 こういう話をすると、やはり世界は平等じゃないとよく思う。もし人間全員に同じ価値があるのだという意見があるとするならば、きっとそれは「価値」じゃないだろうから。


 この世界は甘いモノだらけだ。この言葉も、例外ではない。そして苦いモノだらけに溶かす甘いものは、それ以上に甘く感じるのだ。


 彼女はぐすんと、目で音を立てる。


「あ、ああ……ああああ……」

「俺がお前の事を認めてやる。いやまぁ、俺程度に認められるとか屈辱ぅ! って言うなら話は別だけど。さっきは辛い事言ったけれど。どうしたいか迷ってんなら、俺が相談にのってやるから」

「……ひっぐ。うぐ、あ……あり、がと……」



 俺は彼女を胸の内に寄せて、ただそう言った。


「今の俺はマンションで一人暮らしだから、いつでも来ていいぞ。……もしちょい家出したいと思ったならば、くればいい。だから、めげずに頑張ってくれ」


 彼女がコクリと頷く。

 時にはこういうのも悪くないかもしれないな。俺は目を瞑り、雨に濡れる中で彼女の体温を感じ取った。


 どうやら、彼女も納得したのか。それから数分後落ち着いてくれた。まだ涙目だったが、先程の暗さはない。


 取り敢えず、この場に留まっていると風邪をひきそうだからと俺は彼女を連れて……自身の住むマンションに案内する事にした。



 ◇◇◇



 さて、やっとこさ一件落着したとでも言おうか。……と言いたい所だったが。まだである。俺の物語はまだ、終わってなんていない。

 俺が何故、逢瀬を見つけるのが日が暮れてからになってしまったのか。教えよう。



 ……正直な話。校門を出た時点で、逢瀬雫がどこに行くかは見当があったのだ。



 精神的に病んでいる女子高校が、途中で学校を抜けて行ける場所なんて限られている。家なんて、最も有り得ないだろう。

 それに両親に恐怖心を抱いてるであろう逢瀬雫がそんな行動をとるはずがなかった。


 だから、行くとしたら……これから雨予報で人気がないであろう公園。『星覧公園』だろうと確信していた。


 されど、ここまで予想を絞っていて。

 昼過ぎに学校を抜け出した俺が、彼女を見つけるまでには五時間ほど間が空いてしまった。


 では、なんでそんな間が空いてしまったのだろうか。


 その理由は単純で、

『ある人物が俺の邪魔をしてきた』

 からである。


 しかも俺が最も嫌とする相手だ。

 そして思いの外、ソイツを追い払うのに時間が掛かってしまったというワケ。


 ……本当に、オレは運が無い。

 だが。


 たとえ今がどれだけ苦くても、それはきっと過去になれば甘く溶けるだろう。

 彼女の人生も、きっとそうだ。

 だからこそ、この青春は今とても苦くても構わない。

 どれだけ辛くても、どれだけ壁が高くても、どれだけ不安定でも。



 最後に甘く濁らせるのが、俺の知っている青春げんそうだ。



 ─────だからこそ、俺も努力しよう。

 氷室政明の羅列した言葉きょげんが真実になるように。



 オレはただ、普通の生活が送りたいだけなのだから。……周りに起きた問題は最適解で解決するつもりだ。


 そしてもしアイツが更なる妨害をしてくるならば、その時があればきっと……、



 容赦はしないだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る