第35話『濁り』
「なんだ、こりゃ」
誰にも聞こえないであろう程度の声量で俺はそう呟いた。手に持っている眼下の文字羅列を見る。
これは、誰が書いたのだろうか。
……そんな疑問は解決したくないところだが。
────まぁ、この感じは……
なんとなく予想しつつも、その手紙から目が離せない。
『私を愛してよ。氷室政明クン』だなんて。照れるなぁ、あはは。……っと、考えられるぐらいポジティブな精神を
残念ながらな。
「……」
心地悪い、生暖かい風が部室の空いた窓から吹き込む。
これがどういった感情で書かれたモノなのかは知らないが、取り敢えずイイモノではないだろう。
それぐらいは、俺でも分かる。
ふと、その時。
部室の外。廊下から足音が近づいてきたのを察知する。
部室の入り口からだと、部屋の端にいる俺は良く目立つだろう。
これは見られてはまずいだろうし、手に持っていた手紙を即座に折りたたみ床に投げ捨てていた自分の鞄にソレを突っ込んだ。
「やっはろー、私が不在の間にみんな集まってたんだね!」
「政明も、緋色坂も、逢瀬も、ちゃんといるな」
俺が鞄にソレを隠したと同時に、部室の扉は勢いよく開かれた。外から、顧問の三野響と先輩の遠山風吹が入ってくる。
三野先生は、『先生』だというのに手をポケットに突っ込んでいて行儀が悪い。これでも教師なのだろうか、といつも思う。
「どうも先輩と、先生」
「こんちはーっ!!」
逢瀬と緋色坂が彼女たちに応答する。気を取り直して、俺も先輩たちに返事する事にした。
「どうも先輩と先生。先生とは、さっきぶりですね」
「ああ。そうだな。んん……うむ! それにしても氷室、なんか顔がやつれてるぞ?」
「そりゃあ、なんでか知らないけど色々な理不尽積み重なったもんで」
「一体誰の所為だろうな」
あんたの所為だよ。
と綺麗にツッコミを入れてやりたい。
だが生憎、今の自分にはそんな気力は残されていなかった。
「……む。だがそれにしても、もうあまり活動時間が無いな。出来ても、あと十分程度活動出来るかどうかって所だな」
「っし!」
「喜ぶな、殺すぞ」
「んん!?!?!?」
恐ろしいセリフを吐く顧問を無視して、片づけ支度を始める。
あと十分程度で今日の部活は終わりらしい。ガッツポーズだ。
なにせやる事が無くてずっと暇だったからな。
「まぁこんな微妙な時間ならもう帰らせてもいいか。…………よし、今私たちは来た所だけど今日のところは部活動終わり!」
「えっ! 先生、私は戻ってきたばっかりなんですが」
「部活なら明日もある、心配するな」
「うへぇ……確かに、そうですけどー」
遠山先輩が残念がるが、俺としてはとても嬉しい。
悪いね、ははは。
それに、今はなんだかここが酷く居心地が悪かったからな。……理由は明白だが、極力現在は目を背けて進む。
「じゃ、オレは先に帰ってますね」
他人に目もくれず、俺は帰宅する為に部室を後にした。
◇◇◇
廊下は暗くなりつつある。
もうすぐで完全な日没だ。
時刻にして午後六時十分。
陽はあと数十分もしたら、完全に沈んでしまうだろう。
だから俺は急いで帰る事にした。
夜道ってのは、思っているより危険だらけだからな。
予期していなかった事件に巻き込まれる可能性を考慮した、リスクヘッジというワケだ。
大切な事である。
俺は早足で廊下を通り抜けていく。
足音だけが響く廊下内だったが、ふと自分の耳に誰かの会話音が聞こえてきた。
「さて、体育祭の種目決めをしなきゃいけないワケだが……」
「どうしますか、会長」
「そうだな。オレは別に他の学校が行っているオーソドックスな競技だけで構わないと思うが」
「そうですね。変に競技を行うと面倒な事になるかもしれません」
「ま、少しぐらいは珍しいモノを入れても良い。はあるかもしれないな」
そんな男と女の会話が。
この廊下を進んだ先に曲がり角があるのだが、どうやらその曲がり角の先で話しているらしい。
なんでこんな所で……と思いつつ、無感情に進む。
角を曲がると、唐突に男の影が現れた。
「おっと、すまん」
「いえ……、こっちの不注意です」
案の定、そこには男と女が立っていた。
あやうく男の方とぶつかりそうになる。
黒髪黒目で見た目は至って普通なのだが、身長が高くガタイが良すぎる所為か堅苦しい雰囲気を放っている男。隣に立っているのは、水色の髪色に蒼色の眼をした、煌びやかな少女。
ド真面目な雰囲気が漂っている。
それにしても三年生を見る機会はあまりないので、思わずじっくり観察してしまいそうである。
そんな事をしたって無意味だろうに。
それと。体格など見る限り、三年生だろう。多分……、さっき盗み聞きした話から察するに体育祭実行委員の会長がこの男で、隣にいる女が書記的な立ち位置だったりすると考える。
その男の姿を横目に、その言葉を一つだけ置いて俺はその場から去る。
ところが。
「待て、君の顔を一度見たことがある気がするのが気になってだな」
「え、オレですか? 面識はないと思うんですが……」
「名前を教えてくれないか? 俺は
「……はぁ。生徒会長が俺の名前を聞いてくる、っすか」
鶴川は急に俺を呼び止めてきた。
その理由は、今言われた通りである。
「ああ、そうだ」
まさかコイツが生徒会長だとは、ちょいとビックリだ。
確かに、生徒会長として相応しい雰囲気を漂わせている。この感じだと、体育祭の実行委員長なども兼任している。という感じなんだろう。
それにしても、俺に面識がある……か。
少しだけ息を吸い込んで、緊張して意味がわかっていない様子を騙(かた)る。
ゆっくりと顔を上げて、上から覗いてくる鶴川に視線を合わせた。
廊下は風に揺れて、微かにガタガタと音を立てる。再び静かに沈んだ廊下に響く唯一の音は、ソレだけだ。
時間の進行が遅くなる。
……だけど不幸中の幸い、か。
「会長、一年生が怖がってますよ。あんまりそういう風に脅した感じにしてあげないでください」
「いや、俺はそんなつもりなかったんだがな」
「……会長は、会長が思っている以上に怖い人ですよ。それぐらいは自覚しておいて下さいね」
「む、そうか。気を付けよう」
隣にいる女性の助言から、鶴川は申し訳なさそうに目を逸らす。
「無理やり聞こうとして悪かったな」
そして、彼らは何処かへ歩いていくのだった。去る寸前、俺を助けてくれた女の方が「ごめんね」と言ってくれた。
俺も一礼して、一息つく。
まさか、名前を聞かれるとはな。
……あやうく、俺が何なのかバレる所だった。
一つ、余談をしよう。
この学校の理事は大金持ちであり、他の事業にも手を出していたりしてソチラでも成功している程凄いヤツなんだが……。一昔前なら財閥なんて呼べるレベルの。
その知名度だけなら、学校外でもあり超有名だ。
理事はスーパー堅物で、営業経営が得意な人として世界で有名なのだ。でもそれは、あくまでも表向きの情報。
理事長はその圧倒的な権利を利用して、裏社会にもつるんでいたりするのだ。その裏社会というのは、いわゆる反社会勢力なんてぬるいモノではない。ここで言う裏社会とは、もっと上の存在だ。
で、だ。
校長に気に入られた生徒。
……一応この学校では、他の学校と統一するように『生徒会』だなんて表している、校長のお気に入り生徒の巣窟。
そこにいる生徒は、裏社会でも一定の権利を持っているのだ。
つまるところ、そういうコトだ。
アイツの既視感とは、そういう事だろう。
────流石にアッチ側は覚えていないと思っていたんだけどな。まさか、あの時の事を覚えているとは。……いいや、ただ勘強いだけだろうか。
取り敢えず、鶴川。
俺が何も無い平和な日常を過ごすという目的に於いて、ないしは俺の求めている『青春』を見つけるという目的に於いて、彼がとても厄介な存在だという事は認識した。
山城に卯月、三野、遠山。
……それに生徒会、か。
障壁はやはり多い。
「偶然だと思うには、少しリスクが高すぎる、か」
だけど何も思考は変化しない。
取り敢えず、俺は帰宅する事にした。
夜道は危ないと、先程自分を律したというのに。
もう忘れかけていた。
◇◇◇
だけど、今日は思っているよりも運が悪かったらしい。
……どうやら俺は、
本当にしょうもない。
その行為は、自分の首を絞めている事に気がつかないのだろうか。
いいや、気付いているのかもしれない。
気づいた上で、そのリスクを鑑みた上で、この行動を取っているのだろう。……よく分からないけれど。
闇が深いなと思いつつ、俺は彼女に何か接触するワケでもなく家に帰った。
彼女に介入するとしても、それはまだ『その時』ではないだろうと思ったから。
「はぁ、俺はなんでこんな面倒ごとに巻き込まれるのだろうか」
マンションの三階、自分の部屋に入ると共に鍵を閉め。部屋にバックを放り投げた。
そう思いつつ、創作部としての活動。
まずは日記を書くことにした。
『この世界では好きになった方がマケという言葉があるが、本当にその通りだと思う。今日の体験を通しても、心底そう思う。好きになった相手には、例え何だろうと勝つことは出来ない。好きになるという事は、恋愛以外その全てを鈍らせるのだ。
だから刺される。汚れ切ったそのレンズの目の前から。彼女の末路はどうなるか知らない。だが、濁った愛には濁ったモノで返されるのがオチだというコトだけは、此処で告げておこう』
きっと俺の求めている青春は、此処にも無い。 星乃カナタ @Hosinokanata
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