第32話『交錯するは、それぞれの思惑』
紅に染まる地面。
薄かった月は濃くなってきた。
黄昏時のその刹那。
オレはただ自身の姉である『
「やっぱり、そういうコト聞いてくるよね」
「ああ、そうだな。実の姉だというのに、全くもってその真意は見当がつかない気た。……それにあんたが俺に干渉するなんて、珍しいからな」
「そりゃどうだろ? あんたは我が自慢の弟だからな! がはは、過干渉して悪いか? 普通だろってね?」
それは、どうだろう。
推察する事は幾らでもで出来るが、きっと本物は理解出来ない代物だ。なにせ檸檬とは普通の関係ではないのだし。
普通は分からないのだ。
「濁さないで、答えてくれるか。オレだって情があるんだ、あんたには無理やりな手は使いたくない」
「うんうん。大丈夫だよ、しゃんと答えてあげっから。そんな焦るなって」
「なら助かる」
彼女の瞳は潤しい。
黒髪に黒の瞳。逢瀬よりも清楚らしく優等生な雰囲気を醸し出している、
「まぁ正直な話、あんたを創作部に入れさせた理由。そこに特に深い意味はないよ」
「それは、どういう意味だ」
「えー、意味が無いっていうんなら筋違いだけどな? うんうん、うちの弟は困ったモンだ。面白おかしい人間だ。普通になりたいのに、どこか心の底では普通にも特別にも馴染めない異端だ」
……氷室政明という人間は、姉にとってはそう見て取れるらしい。
「そんな君の望みを叶える為にどうすればいいのか。私になりに考えてみたのさ……すると、ポット出てきた考えがソレ。私が学生だった頃、自身が所属していた部活動である『創作部』に入れさせてやろうって思ったのさ。なにせあんたも私の母校に入るんだし」
一見、俺の望みを叶えるのと創作部に入る事は何の関係性も無いように見て取れる。
「つまり、俺の望みが創作部に入れば叶うとでも?」
「さぁね。それは知らないけど、その手助けになるかもしれない、と思ったまでだよ」
「……そりゃあ、感謝だが。本当にそれ以外の意味はないのか?」
「いやはや、もしかして姉さんを疑ってる系男子?」
彼女は腰を低くして、慣れない下からジト目線でコチラを凝視した。そこには様々な信念がこもって────いや、いない。
コイツはオレの姉だぞ? そりゃあ、考えなしに違いない。
「いいや。そういえばあんたってバカだったよな。……そりゃそうか、これ以上考えが深いワケがない。か」
「はひ? わ、私は馬鹿じゃないんだが! 弟にそんなこと言われるとは、心外です。もしその発言にいいね、とバットボタンがあるなら私バットボタンを五回押すね」
「というかその発言がバカみたいだ」
「げっ」
まぁやはり姉は姉なのだろう。
聞いた感じ考えなしで、確かにそれ以外の考えをこの美女は持ち合わせていないようだった。俺の瞳をじっと見つめる姉はあまりにも魅力がある。
これでバカじゃないなら、超絶モテモテだった事だろう。
あ、でも一応我が姉の尊厳を傷つけない為に補足しておくが。
彼女は勉強のできるバカというヤツだ。
決して、学校での成績が低かったとかそういうワケではない。もし勉強が出来なければ、今彼女が所属している大企業には入社出来ていなかっただろうし。
一応、優秀だけどバカってなだけなのである。
これ以上聞いても、意味はないだろう。
それに彼女は信用しているし。うふふ。
「そうか。まぁそれなら良いんだ。ちょっと気になっただけだからな」
「……ふーん。なんかバカって言われるのは嫌だけど、事実だし。ガクゼン、仕方がなイ」
「はぁ。あんたと話すのは、なんだかどさっと疲れるな」
話を終えると、屈託のない笑顔で彼女は微笑んだ。
「さて、オレは聞きたい事が聞けたし。もう充分だ」
「そう? じゃあ、みんなのところ行くぞー!!」
「うるさいな、もうちょっと静かにしてくれ。あんたは、これでも社会人だろ」
幕を閉じ、俺たちは動物園を後にして外で待っている皆と合流する。その頃にはもう既に日は、半分沈んでいた。
あと数十分もすれば、すっかり夜になってしまうだろう。
「じゃあ、帰るか」
取り敢えず、電車に乗って或間街に戻る事に決めた。姉はうちに泊まっていくそうで、明日また自身の会社の方へ帰るらしい。
オレはあの会話で、分かった事がある。
……氷室檸檬は、あまりにもな大噓つきだ。
◇◇◇
「じゃあここで解散だな。オレは帰って寝る」
「……そうね。私も今日は疲れたわ。帰って課題をやったら寝ようかしら」
「気を付けて帰れよ」
「貴方に言われるまでもないわ」
午後六時。俺たちは或間駅前の駅ビル入り口に立っていた。街中は夜だというのに騒音と色が付けられている。流石はある程度の発展を得ている街と言うべきか。
夜になってもその煩さが衰える事はないのだろう。
それに続くように緋色坂も帰ると言ってすぐさま夜の闇に消えてしまった。正直、女子高生を夜一人で帰らせる危険は大きいと思うのだが。
送ってやろうかと言っても、きっと断られるだろう。
だから言わなかった。
「じゃあ我が弟よ。私は三野と飲んでくるから、先に家に帰っててちょ。一応、あんたの家は知ってるから。放っておいて大丈夫だー」
「悪いな、氷室。そういうコトだ」
……姉と先生は今から飲みに行くらしい。
本当にこの人たちは変わらないなと思いながら、オレは空を見上げる。天井は暗く、まばゆく輝く点は少く見える。
今日はあまり星が見えない。
まぁ街の光がある、という要因も関係しているだろうが。
街が暗い。まるで悪夢に取り残された感覚。
「はぁ、じゃあ先に帰ってるぞ」
そうして独りで俺は家に帰る事にした。と、その前にもう一度立ち止まる。
「ああ、それと。逢瀬」
「なに?」
「まだ何か家族の不安要素があるか?」
「……ん、ないけど。大丈夫よ」
「そうか、なら良いんだ」
念の為、逢瀬にそんな事を聞いておく。
だがソレは愚問である。まぁ良いのだ。
気付いてないのならば、問題ないだろう。
「じゃあな逢瀬」
「え、あ……うん」
停滞させていた脚を再稼働させて、自身の住居へと戻り始めた。
◇◇◇
帰路の途中には強い夜風がオレを犯す。
あまりにも理不尽な寒さ。絶対零度なんて優に超すと堂々と宣言するような圧倒的な寒波だ。おかしい、なんでこんなに寒いのだろうか。
もう春だってのに。
そんな文句を自然環境にぶつけつる帰り道。
何事もなきマンションに着く。俺はエレベーターを上がり自身の部屋がある三階に向かうと同時に、着用していた鞄から部屋の鍵を取り出した。
ポン。と無機質な音と共に乗車物が停止し、扉が開く。
エレベーターを降り、自分の部屋の前にたどり着き鍵を鍵穴に差し込む。しかしその動作をぴたと止めると同時に、俺はエレベーター前へ振り向いた。
そこにはゴスロリ姿の黒髪ツインテールな女が立っていて……。
「……」
「ごきげんよぅ。いや、今はこんばんわ。かしら?」
「────」
コチラを凝視していた。
不用意に声はあげない。
誰だ、と自然に思いつく疑問も口にしない。代わりに、静かに息を飲み込む。
「アレ、全然動揺してないようですね」
そりゃ当然である。
なにせ、最初から俺はコイツの事を『誰だ』なんて思ってすらいないからな。だが相手も動揺していないのは同様。ゴスロリ姿の女は不敵にククっと笑う。
「悪いが、オレはお化け屋敷とかでも驚かない系男子なんだ」
「ふふ、面白いですね。……それに、私が誰だか分かっている様子。流石です」
「……? オレはお前が誰だかなんて分かってない。確かに驚いてはいないけれど、実は心の中ではガクガクブルブルなんだぞ?」
「へぇ、ご冗談を」
ダメだ、こりゃあ。
溜息ばかりが喉を穿つ。
通路のライトは不規則に点滅しつつ、それぞれ二人は一切動かず静止を貫き通していた。
そして、先に動いたのはオレだった。
ゆっくりと腰を伸ばして、普通の体制で立つ。
「私の事を知っているでしょう? 氷室政明さん」
隠し通すつもりだったが、どうやら初対面でもコイツはかなりグイグイ来る。……大方予想通りの行動であった事には、少々腹立たしい気持ちではあるのだが。丁度退屈していた所であったし、タイミングは良かったのかもしれない。
「────逢瀬卯月、だな」
「ご名答。その通りです。……でもなんで私だと分かったのですか? そこに、少し好奇心があります」
「さぁなんでなろうな、どことなく
逢瀬卯月。ソレは逢瀬雫の妹の名だ。
姿も知らないし、声も知らないし、どんな雰囲気なのかも全くもって知らない。事前情報ゼロの中だったが、なんとか俺が見つけ出した存在の名。
今日、動物園に行った時。
二百メートル程先からずっと逢瀬を観察している、私服姿の少女の姿を俺は把握していた。その時はいつもの監視だと思っていたが、どうやらソイツの事をちらと一瞥する度に違和感を覚えたのだ。
一般人である事に間違いはないのは最初から確信づいていたが、妹だと確信したのは今あったこの瞬間である。
コイツが今日、元々ずっと俺たちを追尾していた事も知っている。
俺と姉との会話を盗み聞きしていたのも知っている。
そして今までに追尾していた時の歩き方や視線、雰囲気の全てを判断し至った結論。それが、その名前だったのだ。
かなりその行動を隠そうとしているのか妙な動きがあったりしたが、ソレを含めても行動理念が逢瀬雫にあまりにも酷似していて……そう考えざるを得なかったワケである。
名前は、前に逢瀬の母と話した時に教えてもらった。
「もしかして、貴方……。いいや、なんでもありません」
「なんだ?」
『さては、監視に気付いていたのか?』とでも聞こうとしたのかもしれない。
だがそれは言えないはずだ。そんな事を言って、もし俺がそのことに関して知らなかったらあまりにも大きな失態になるからな。
聞けない質問を創り出す。
オセロで相手の駒が置けない様に配置するのと似た感じだ。または少し違うが、チェスのピンと言っても良いだろう。
「で、雫の妹。あんたが俺に何の用があるっていうんだ?」
「それは、貴方も分かってるんじゃないですか?」
「交渉ですよ。交渉────貴方にとっても、私にとっても利益のある。ね?」
「交渉?」
やっと彼女も動き出したかと思えばカツカツと、履いているブーツで大きく足音を響かせつつコチラに接近してきた。
見た感じナイフなどの凶器は携帯していないぽい。
警戒を解くわけにはいかないが、こんな所で法外を犯すほど卯月も愚かな人間ではないだろう。
「交渉……か」
過干渉。という言葉が脳をよぎる。
まさか邪魔をするんじゃなくて、交渉の手に出たのか。……そのことについて、一歩踏み込んで来たなとも感心がある。
「一か月後に迫った体育祭を貴方は知っているでしょう?」
「ああ、そうだな。月の宮高校の体育祭は来月だ」
「……では、もしソコに
空気が硬直した。
なるほど、そういう事かという理解をしつつ俺は小柄な彼女の瞳を覗き込んだ。目が死んでいる逢瀬卯月は、病んでいた状態の逢瀬雫に心なしか重なる。
────それにしても、俺は受けが嫌いなんだ。
自分の顔近くまで寄ってきた卯月の腕を掴み、彼女の身体をマンションの壁に押し付けた。彼女は少々驚いた様子で「わっ」と単発の音をあげる。だが、それだけだ。
普通の少女なら恐怖で言葉も出ない様な刹那を。
コイツは平然と通り抜けた。
「わお、大胆だわ。政明って?」
「何の真似だお前は。……何故ここで山城の名を出す」
「彼はスロースターターじゃないからね。最初からクライマックスで行くつもりだよ」
「お前のコトバには全くもって信用性が無い。信用するには当たらない」
……ここは監視カメラの死角だ。
そして絶妙な時間に帰宅した為、九分九厘この数分間にマンションへ帰るモノは非常に少ない。
それは元々の事前調査にての平均をとって分かっている。
「なるほど、ここは監視カメラの死角……。ちゃんと計算していますね、ですがどうでしょう? 私がここで叫んだら、どうなるか分かっています?」
「どうだろうな。オレは捕まるかもしれないな」
「抜け穴、ですか?」
「さぁ? だがこれだけは言っておこう、今の逢瀬雫から氷室政明を奪ったら彼女の精神状態はどうなるだろうかな?」
その簡単な問いの答えは、同様に簡単だ。
それは一つ。
────壊れる。
「幾ら複雑な家庭関係のお前らでも、自身の姉が破滅するのは本心からは望んでいないだろう?」
「なるほど、貴方はやはり……いや、思ったよりも策士ですね」
「そんな事はどうでもいい。それよりも、何故お前はそんな事を言ったんだ? お前の先程の言動には、あまりにも信用がない」
「そりゃ、信じる信じないは貴方の結構です。……ですが、それがもし真実だった時のリスク。それはお分かりでしょう?」
……喧嘩を売っているのか。
ジト目でもなく、虚ろな細い目つきでコチラを見つめる卯月。その奇妙な視線に対して、オレも思いを込めて視線を送り返した。
勿論、こんなぽっと出の策士まがいに負ける気は毛頭ない。だけれど、もし────コイツが俺の予想を上回る存在ならば。
自身の好奇心を遮断し、まずはこの話を続行させる。
「俺を利用するって言いたいんだな」
「言い方を悪くすれば、そうかもしれません。ですがこの情報は本当です、貴方が私の頼みを聞いてくれるのならば……きっと私は貴方のお役に立てるでしょう」
「お役に立てるってのは、具体的になんだ」
仕方がない。
主導権はコイツに握らせてやる。俺は卯月の腕から手を放し、壁から解放させた。
「山城。彼が体育祭に来るのを出来る限り妨害してあげましょう」
「……じゃあその代わりにオレは何をしろと」
「それは単純です」
彼女は崩壊しつつある世界の中で告げる。
虚ろな目の瞳孔がだんだん広がり、大きな輪となって悪夢は円環し嘲笑した。
「────遠山吹雪を自殺に追い込んで下さい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます