【長編】黒炎の王と星を視る娘

ふろたん/月海 香

第一話

第1話 『黒い炎の悪魔と星を視る娘』

 アメリカは東部、サンセットヒルシティ。夕闇にそびえ立つビル群の輝かしい光は人々の労働力によって維持されている。その中でも一際目立つ紫色にライトアップされた二本一対の摩天楼はDDタワーと称される。西暦1900年代後半には存在していた古いビルは何度も改修を重ね現在でも最新鋭の建築技術を誇っている。その内部、窓も出入り口もない奇妙な部屋でDDタワーのオーナーはをもてなしていた。

「おいおい、たかだか4,000ドルの借金だぞ?」

 男の名はデイヴィット・ドム・デイモン。サンセットヒルシティの事実上の支配者。その見目は人々が日常的に見かけるどのマフィアやモッブ、ヤクザのボスとも違う。燃え上がる黒い炎の頭。目は四つ。手足の数と形状は人と同じ。黒い革手袋に高級な黒スーツと金糸で刺繍が入った豪奢ごうしゃなコートをまとった人ならざる者。

 赤革の椅子に腰掛けたデイヴィットがわざとらしく溜め息をつくと、目隠しをされ手足を縛られ逆さ吊りにされた中肉中背の男はビクッと体を震わせた。

「ち、ちゃんと返してきたじゃないか……!」

「返済期限に間に合わなかったのはマジだろ」

デイヴィットは背後に立つ黒スーツの部下二人に右手を差し出し、手渡されたタブレットを操作して吊り下げた男のを読み上げた。

「俺から利子込みで4,000ドルの借金、ロランド俺の知り合いから800ドルの借金。表向きには新装開店するドーナツ屋への資本金で消えた訳だが」

タブレットを部下へ預けたデイヴィットは革張りの椅子からゆっくり腰を上げ借金男の目の前まで歩いていくとあでやかな声でささやいた。

「言ったよなぁ? 真面目にドーナツ屋やるなら見逃してやるってよ」

デイヴィットは目元だけでニンマリ笑うときびすを返し部下に片手を上げ指示をする。

「飼い主と手を切るならこの街で生きてていいって意味だったが脳みそが足りなくて理解出来なかったらしい」

黒スーツの部下たちが宙吊りの男を丁寧に下ろし始めると借金男は命乞いが効いたと早とちりをする。

「こ、これから真面目に返すよ! あんたの部下になるから!」

「残念だが俺の部下に能無しは要らん」

デイヴィットは二本指で男をあしらうように部下に追加の指示をする。

「新鮮なうちに臓器を売り飛ばせばそれなりの額にはなるだろ」

「い、嫌だ!! 助けてくれ!!」


 仕事を終えたデイヴィットはその足でタワーから二ブロック先の寂れた路地裏に向かった。オレンジ色の光が漏れる小さなジャズ・バーは知る人ぞ知る昔ながらの名店『Diva and cocktail歌姫とカクテル』。上品な木製の扉をくぐるとカウンターの向こうでは壮年の男がグラスを磨いていた。

「いらっしゃいませ」

「よおハドリー」

名を呼ばれたバーの店主ハドリー・ヘイデンはいつも通り茶髪を整髪剤で後ろへ流し、青い瞳で常連の顔を見た。

「ご注文は?」

「ネバダ。あと麺が食いてえ。味は任せる」

「かしこまりました」

口の端を少し持ち上げたハドリーはシェイカーと材料を卓上に揃え手際よくシェイカーに注いでいく。

「何かあったのか?」

「仕事でよ」

「ああ」

ハドリーがグレープフルーツとライムが香るカクテルをデイヴィットの前に差し出す頃、カウンターの向こうからヒールを鳴らしながら美しい栗毛の婦人が現れる。

「よおシャロン」

「いらっしゃいデイヴィット」

このバーの歌姫でありハドリーの伴侶である彼女は名をサム・サリー・シャロンと言い、デイヴィットのはとこだった。背中を大きく開けた色っぽいグリーンのドレスを着たシャロンはまず夫であるハドリーに口付け、それからカウンターを出てデイヴィットの隣に腰掛ける。それまで仏頂面だったハドリーも伴侶の姿を見ると表情を和らげた。

「何かあった?」

はとこ夫妻に同じ質問をされたデイヴィットはカクテルグラスを傾けたあと髪をかき上げ、黒い炎をまとった姿からあでやかな黒髪の壮年の白人男に姿を変えた。デイヴィットもハドリーもシャロンも、姿を変えて人の世に身を潜める古い神の末裔だった。彼らは自らを<火の一族>と名乗り、一族共通のファミリーネームを伏せ三つから二つのファーストネームを名乗る。戸籍上は人のようなファミリーネームを適当に付けて暮らしていた。

「そんなに表情かおに出てたか?」

紫の瞳をかげらせ独り言のように呟いたデイヴィットにシャロンは人形のように美しい顔でふっと微笑んだ。<火の一族>たちは代々美しい容姿を持ち、それを武器に人を魅了し操ってきた。デイヴィットは一族の跡取り。本家に近しい傍系ぼうけいのシャロンも同様に非常に美しい姿をしていた。無論、その姿は魔術によるであるが。

「ついさっきつまらないことがあった、と分かる程度にはね」

「マジか」

シャロンは細長く白い人差し指に小さな火を灯した。

「誰かに見られたらどうすんだ」

「いまはいないもの」

「そうだけどよ」

デイヴィットは懐から細長いシガレットを取り出すとシャロンの好意に甘え煙を蒸かす。

「美味しい?」

「今日一番うまいタバコ」

「そう、よかった。それで? 何かあったの? 野暮ったいこと?」

「いや、白豚の屠殺とさつをしてきたってだけだ」

「あらまあ」

ここへ訪れる直前に愚かな人間を一人始末してきたことを汲み取ったシャロンはクスリと笑った。

「それで私のハドリーねこちゃんの顔を見に?」

「そう言うこと」

デイヴィットとシャロンは揃ってコンロの前でフライパンを振るハドリーの背中を見た。人ならざる二人の瞳には、同じ火の一族でありながら人と混ざりすぎ悪魔の血が薄くなったハドリーの体に宿る、人間の魂が視えている。人の魂を喰らいながら永い時を生きる彼らにとって、それはご馳走以外の何物でもなかった。

デイヴィットがカクテルグラスを掲げるとシャロンもさりげなく夫が用意したカクテルグラスを持ち上げる。

「今日も美味しそうないとおしい君の猫に乾杯」

「私の素晴らしい伴侶かわいいハドリーに乾杯」

完成したミートソーススパゲッティを差し出したハドリーは、揃ってニンマリ自分を見つめる義理のはとこと妻の表情にキョトンとした。

「豚肉の後じゃあ私の猫ちゃんに癒しを求める気持ちもわかるわ」

「ここは数少ない俺の癒しスポットだからな」

「豚肉?」

「何でもねえ」

デイヴィットは温かいミートソースにフォークを突き刺しくるくるっと巻いてスパゲッティを口に放り込んだ。

「うんまい」

「そりゃようございました」

腕で光る高級時計をチラリと確認したデイヴィットはスパゲッティをスルスルと運んでいく。

「そう言えば金曜日だったな」

「あら、まだサンタさんしてるの?」

デイヴィットは毎週金曜日の夜、決まって道端の浮浪者たちホームレスに紙幣を挟んだチョコバーを配り歩いていた。しかし何も慈善事業でチョコバーを配っている訳ではない。どのホームレスがどこにいるのか? どの家が特に困窮しているのか? 困窮した者が増えたのか減ったのか? デイヴィットはそういう街の末端に属する者の細かな情報を毎週確認しているのだ。最初は金だけだった。けれど金を食費に回さずクスリやタバコの代金にする者も多く、デイヴィットは仕方なく現物も支給することにしたのだ。

「当然。高級車を乗り回していようが橋の下で寝ていようが街の住人なら全員俺のものだ」

「そうね。支配者あなたには当然の財産よ」

「義務だよ義務」

「真面目ねえ」

軽い夕食を終えたデイヴィットはナプキンで口元を拭うと口にミント味のタブレットを放り込んで腰を上げた。

「ご馳走様」

「早いな」

「これからチョコバー買うからな」


 ビニール袋にチョコバーを詰め込んだデイヴィットはまず隣町へかかる川辺の大橋の下を目指した。この街の一番端っこをうろうろしている老人はよそ者の情報を掴むのが早い。己の領地で最も遠い場所だからこそ彼はそのホームレスのところに真っ先に顔を出していた。ノック代わりにお粗末なビニールの屋根をつつきガサガサと音を立てる。老人は、デール爺は毛布にくるまって横になっていた。

「おいデール、生きてんのか?」

「まだ死んじゃおらんよ」

「それなら良いけどよ」

街の支配者は上半身を起こしたデールにチョコバーを手渡す。ありがてぇ、と呟いてデールは金をポケットに仕舞いチョコバーに早速かじり付いた。

「何か変わったことはあったか?」

「ねえなぁ……。いつも通りさ」

「そうかい」

懐に手を突っ込んだデイヴィットはタバコの数が大して残っていなかったことに今頃気づいてあっと声を出した。

「しまった。一回家に戻る気でいたから……」

デイヴィットは自分の口にくわえて人差し指で火を付けると二、三回吹かしてから吸いかけをデールに差し出した。

「悪い。今度箱で持ってくるから勘弁してくれ」

「恵んでもらえるだけありがてぇって」

デールはやつれた顔でふっと微笑むとタバコを美味そうに吸った。

「美味いか」

「ああ」

「体調は?」

「悪くはねえな」

「ならいい。まだ寒い時期だから出来るだけあったかくしてろよ」

「相変わらずの世話焼きだな」

その後当たり障りのない世間話をし、デイヴィットはデールに手を振って別れた。


 デイヴィットが次に向かったのは大橋の近くにあるスラム街の入り口。大通りに面した焚き火用のドラム缶とゴミ箱の近く。そこは繁華街裏のスラムの住人の中でも特に若い者たちがたむろする。近付いてくるデイヴィットに気付いたパンクロックスタイルの少年が顔を上げる。

「来たよ」

「毎週懲りないよな、おっさんも」

「誰がおっさんだ」

遠目から若者のぼやきを地獄耳で聞き取り、デイヴィットは焚き火の上に手をかざし炎を強くする。火を見てタバコを吸いたくなったが今は若者の手前、我慢する。

「五十年前から見た目変わってないってうちの爺さん言ってたぞ」

「そうだ。つまり俺は来年も若い。ほら、お前らちゃんと食ってんのか?」

金入りチョコバーを手渡すと若者たちは白黒の派手な化粧の下から年相応の笑顔を見せる。実際はチョコバーそのものよりもデイヴィットが気にかけてくれることが嬉しい少年少女は、彼が街の支配者裏のボスと知っても恐れずに甘えている。彼らは素直に慕っていると口に出さなくても成長すればいずれデイヴィットの手先となる。デイヴィットがこの街の支配者であり続ける一因は、この根回しが世代を跨いでストリートチルドレン全体に効いているからだ。何かあったらデイヴィットに助けを求めろ。それが彼らの支えであり鉄則だ。

「チョコバーよりタバコくれよ」

「吸うなっつってんだろ。成長期にはエネルギーとカロリーだ。ニコチンよりな」

「説教はいいよおっさん」

「おっさんじゃねえっつってんだろ。はっ倒すぞ」

彼らもまた金をポケットに仕舞いチョコバーを齧る。その場でかじらない者ももちろんいるがその場合は食事に連れて行く。今日はトサカ頭のエミリーと少年二人がチョコバーに口を付けなかった。またダイエットなら怒るところだが暗い表情を見る限り違うようだ。

「どうしたエミリー」

「チョコバーの気分じゃないんだ」

「ならメシ行くか。何がいい?」

「……ティムも連れて行っていい?」

「もちろん」

エミリーは微笑むと小さな弟を迎えに駆けていった。五分もすれば戻ってくるだろう。

「せっかくだからお前らも来い」

「俺はいい。これからバイトだし」

「バイト? 次は何を始めたんだベン」

「おっさんには言わねー」

「ヤベェ仕事はするなよ。裏の末端の仕事がしたきゃ、俺の下でワルになる覚悟してからにしろ」

「してねーよ! ほっとけ!」

若者の一人、ベンはバツが悪そうにその場を離れると薄明るい路地へと姿を消した。

「ベンがどこで働いてるかお前ら知ってるか?」

「あー、タバコの工場じゃなかったっけ?」

「どこの工場か分かるか?」

「あそこ。あのー、中華屋のすぐ近くのボロ工場……」

「ああ、ブラットのところか。あそこは比較的まともだ。なら良し」

エミリーが五歳になる弟のティムを連れて戻ってくる。ティムは左の頬を赤く腫らしていた。また父親に殴られて食事を抜かれたのだろう。事情を察し、デイヴィットは膝を折ってチョコバーをティムに手渡す。

「ようティム」

「……こんばんは」

ティムは照れくさそうに身体を揺らしてチョコバーを受け取った。

「こんばんは。ティム、何が食べたい?」

「んー、ハンバーグ」

「そうか。じゃあダイナーでも行くか。エミリーとティム以外についてくる奴は?」

その場に残った姉弟以外の全員が人差し指を立てた手を上げる。

「全員か。食欲旺盛で良いこった。よしよし、行くぞ」


 チョコバーの袋を下げたままデイヴィットは若者たちを近くの簡易食堂ダイナーへ連れて行った。物と人がそれなりに雑多な古き良きアメリカンダイナーの様相は若者たちにはダサく映り、デイヴィットには変わらぬ良い風景に映った。この店のマスターもデイヴィットの世話で育った男であり、若者を連れてくると必ず店の奥の広い席を空けて用意してくれた。

「好きなもん好きに頼みな」

 デイヴィットはコーヒーを頼んだ。若者たちは喧嘩もするが食事の席では控えている。そうしないと己の拳が出る前にデイヴィットの平手が飛んでくるのだ。少年たちは食事やデザートを食べたいだけ頼み、やがて届いた食べ物を口に運んで他愛のないお喋りを始める。

 デイヴィットは彼らを見守りつつ手帳を取り出しデール爺やベン、エミリーの近況を記入して行く。今時は情報はデジタルよりアナログで保管する方が安全なのでデイヴィットは分厚い手帳を何冊も持っていた。

ティムの表情を伺うと姉とその友人に囲まれてにこにこしながらハンバーグを口にしている。デイヴィットはコーヒーを一口啜りエミリーに小銭を握らせた。

「弟に湿布買ってやりな」

耳元で静かに囁くとエミリーははにかんだ。

「ああ、ありがとう」

つい懐のタバコに手を出しかけたデイヴィットはすんでのところでグッと我慢をする。

「で、お前たち。変わったことはあったか? ベンのバイト以外で」

「特にねーよな?」

「ねえな」

「そうか。コリー、ヒューとの痴話喧嘩はその後どうした?」

「覚えてんなよ。……仲直りしたよ昨日」

「なら良い。そう言えばそのヒューがいねえな。どうしてる?」

「朝からバイトだって。三日くらい帰って来ないんじゃねえの? 泊まりがけとか言ってた」

「そうかい」

「なー、デイヴィット。タバコくれよ。いや、ください。一本でいいからさぁ」

「ダメだ」

「ケチ」

「お前のニコチン中毒はなかなか治らんな」

会計を済ませ、食事を終えた若者たちを見送りデイヴィットは次の場所へ向かった。

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