第1話-5

 デイヴィットはまずドーナツ屋へ立ち寄り、カラフルで油塗れの輪っかを腕いっぱいに四箱ほど買い込んだ。

 その足で警察署へ向かうと刑事や警官たちはデイヴィットを見るなり笑顔で挨拶をし快くドアも開けてくれる。中にはすでに事情聴取を終えた魔祓い師たちの姿が。

「っ彼だ! 彼が我々の子供を!」

魔祓い師たちはデイヴィットを視界に収めた瞬間立ち上がり悪魔を指差す。すると程々に賑やかだった警察署はしんと静まり返った。

「よう、神父さんたち。はいチーズ」

デイヴィットは静寂に狼狽える魔祓い師たちにスマートホンを向ける。彼らがしっかり写ったのを確認し、胸ポケットにしまう。

「この街の警察は仕事が早くて優秀だろう?」

「貴様……」

デイヴィットはドーナツの箱の一つを近くの刑事に押し付け魔祓い師の近くへ歩いていく。

「生贄がいなくなりましたってちゃんと言わなきゃ。包み隠さず話さないと神様に怒られちまうぜ?」

「この悪魔め……!」

「お前らにとっては悪魔だとも。ただし、この街じゃ悪魔の方が人間には余程親切でね」

また近くの刑事にドーナツの箱を押し付ける。ドーナツを受け取った刑事はデイヴィットの言葉に無言で頷いた。街の支配者は聴取を担当した刑事からファイルを受け取り、その場にあった椅子に腰を下ろした。

「この街に外から神父は来なかったし、彼らは事故にも遭っていない」

黒い男はファイルを懐に仕舞い魔祓い師たちにニンマリと笑いかけた。

「ここじゃ警察も政治家も全員俺の犬なんだよ。さっさと俺のくにから出て行きな」

魔祓い師たちは周囲から冷たい視線を一斉に浴びる。

「くっ……」

「バイバーイ」

デイヴィットは尻尾を巻いて逃げて行く魔祓い師たちにしっしと手を振り、残りのドーナツの箱を一つだけ残して適当に周囲に配った。

「ま、そう言う事だ。悪かったな仕事の邪魔して」

街の支配者は一部始終を見ていた署長に振り向いて声を掛けた。

「こちらで出来る事は?」

「そうだなぁ。さっきの神父どもをまた見かけたら追い回しておいて欲しいのと、神父どもを幼児誘拐と虐待の犯人として指名手配掛けておいて欲しいくらいかね」

「わかった」

デイヴィットは立ち上がり、先程受け取ったファイルと最後のドーナツの箱を署長に手渡す。

「じゃあなお前ら。お仕事ご苦労さん」

軽く手を上げデイヴィットは警察署を後にした。


 外へ出たデイヴィットは歩きながらスマートホンをいじり電話をかける。ギーギーガーガーという古いネット接続の効果音がして、相手に繋がる。

「はい、こちらスリーナンバーズピザです」

「ピザを頼みたい」

「ご注文をどうぞ」

本物のピザ屋ではない。彼らは昨日チョコバーを配ったハッカーたちだ。

「円形のパンピザ。サイズはXL。トッピングはブラックオリーブ増し増し。ピーマンとオニオンはデフォルト。サラミは全体に載せられるだけ載せてくれ。トマトは抜きだ」

「エビは載せますか?」

「あー、悩むな。そいつは任せる」

「ではトッピングにエビも追加します」

「おう、頼んだ。支払いはいつも通りで」

「ありがとうございます。予約番号をお渡しします。少々お待ちください」

デイヴィットは電話を切り、届いたショートメールに警察署で失敬した魔祓い師たちの顔写真を載せ返信し、画面を閉じた。

「あとは任せて……。どうすっか。一回帰るか」


 デイヴィットが自宅兼会社の摩天楼に戻って来るとビルの前に白いゆったりとした一枚着をまとった美しい女性が立っている。周囲の人間たちは彼女が見えないのか、目もくれず通り過ぎていく。

「よお、オリーヴ」

「……また騒ぎを起こす気ですか」

「お前ら天使が何もしねえからこっちが動いてんだよ」

オリーヴ、と呼ばれた天使はふうと溜め息をつく。

「馬鹿野郎、溜め息つきてえのはこっちだ」

「我らは見守るだけ。騒ぎに参加する気はありません」

「そうだな、黙って見てろ。俺が切れる前に失せな」

オリーヴは首を横に振りデイヴィットの横を通り過ぎた。


 しかめっ面で戻って来たデイヴィットを見て爺やはデミタスカップに満たされたホットチョコミントを差し出す。

「なんか、珍しい物淹れたな?」

「お嬢様に同じ物をお出ししました」

「なるほど」

家主は立ったままチョコミントを呷り、甘い、と言って差し出されたお盆の上にカップを置く。デイヴィットはエヴァのいる客間の前に立ちコンコンとノックをする。

「は、はい。……どうぞ?」

デイヴィットがドアを軽く開け顔だけを出すとエヴァは清楚な紺のワンピースに着替え窓から外を見ていた。

「ただいま」

「お、おかえりなさい……」

デイヴィットは部屋に入りドアは締め切らず少女の元へ歩み寄り跪く。

「……あの、ご飯、美味しかったです。ありがとうございます」

エヴァはデイヴィットに深々とお辞儀をする。大人に敬語を使う子供の姿にデイヴィットは眉根を寄せる。

「大人に敬語は使うな」

「で、でもシスターがそうしなさいって……」

「ここにそのシスターはいない。俺の家だから俺がルールを出す。お前は俺と爺やに敬語を使うな」

「……でも」

「返事は?」

「は、はい!」

緊張してしまった少女を見てデイヴィットは対応を間違えたなと頭を抱えた。

「そうじゃない。リラックスしろって意味だ」

「は、はい……」

「ったく。いい子の相手は慣れん」

デイヴィットは少女の手を引いて共にソファに腰かけた。彼は少女の方を向き足を組む。

「俺はデイヴィット・ドム・デイモンだ」

「よ、よろしくお願いします……」

「よろしく。俺たち火の一族はファーストネームしか名乗らない」

「全部名前……なの? 三つもあるのに?」

「そうだ。俺は本家だから名前が三つあるけど、爺やはスティーブ・サイモンで二つしかない。遠縁になると名前の数が減る」

「一個しかない人もいる?」

「いると思うが、そう言う奴らはほとんど人間と変わらないぐらい悪魔の血が薄いだろうな」

「血?」

不安そうな顔をしたエヴァを見てデイヴィットは小さな肩を抱き寄せた。エヴァンジェリンはドキドキした。デイヴィットが大きくて温かいから。今まで見た大人の男よりずっといい匂いがして綺麗だったから。

「んーと、よその国に王様がいるだろ?」

「う、うん」

「俺のご先祖さまはこの辺にあった小さな国の王様だったんだ」

「そうなの?」

「うん。俺はその王様の息子の息子のずっと遠い息子で、この街の王様なわけ」

「悪魔なのに王様なの?」

「そう。悪魔で王様だから魔王って言い方が正しい」

「ま、まおう……」

強そう、とエヴァは素直に思った。驚いている彼女の顔を見たデイヴィットはぷっと吹き出す。次に見せたデイヴィットの微笑みは優しくも妖しいものでエヴァンジェリンの心臓は跳ねた。

「そう、魔王」

「ま、ま、魔王さまなの?」

「そうだよ」

赤くなった少女の表情に自分に色目を使う女見慣れた光景を思い出したデイヴィットはつい悪戯心が疼いてしまう。

(ガキんちょでも女だなぁ……)

「人間じゃない奴らにも王様や平民がいるってこと」

「う、うん……」

髪にキスでもしてやろうかとデイヴィットは灰色の髪を触った。その手触りがまるでタワシでしごいたスパゲッティのようにボロボロで彼はびっくりしてしまう。

(何だ?)

よく見れば少女は肌も乾燥していて粉を吹いていた。デイヴィットは一瞬思考が止まり、気付けば少女を抱き上げて部屋を飛び出していた。

「ぴゃああ……!?」

「爺や!」

キッチンで洗い物をしていたスティーブは血相を変えて飛び込んできた主人の姿に目を丸くした。

「いかがなさいました?」

「エヴァを風呂に入れろ! 肌も髪もガサガサだ!」

「何と」

「えっ? お風呂……?」

戸惑うエヴァンジェリンをよそにデイヴィットはまくし立てる。

「誰でもいい、本家からメイドを呼べ!」

「めっ、メイド!? メイドさんがいるの!?」

「いややっぱり俺が呼ぶ!」

キッチンの作業台に据えられた小さな椅子に少女を座らせたデイヴィットは玄関へ走っていき、魔術で実家の豪邸と自分の孤城の玄関をつなげた。

「坊っちゃま!?」

「手の空いてるメイドはいないか!?」

自分から見えないところでわあわあと人々が騒がしくなる中、エヴァンジェリンはポカンとして、魔王なのにちっとも怖くないとブハッと吹き出した。


 エヴァンジェリンの髪と肌をつるつるすべすべにしろと言う命令を受けた火の一族のメイドたちはデイヴィットの所有するタワーの頂上と本邸の間を忙しく動いた。

「まあ、こんなに美味しそうなかわいいお嬢さんをデイヴィット様が?」

「でも見て、肌が粉を吹いてるわ」

「本当。せっかく美味しそうなかわいいのにもったいないわ」

大人に服を脱がされると言う未知に対しエヴァンジェリンは顔を赤くしたり青くしたり。

「じ、自分で洗えます……!」

メイドたちは大きなバスタブに湯を張ると石鹸をふわふわに泡立ててエヴァンジェリンの全身を磨き始めた。

「まあダメよ。これは私たちの仕事なのですから」

「そうですよ。デイヴィット坊っちゃまがあなたを磨けと仰るならその通りにしなくては」

「み、磨くの? 鏡みたいに?」

「いいえ。女性として磨くのです」

「じょせい?」

メイドは手の平に洗浄用のローションをたっぷり取ってエヴァの顔や腕に押し付けた。

「こ、これなに?」

「ローションです。石鹸では取りきれない汚れを取るのです」

「わ、私そんなに汚い……?」

「毛穴の奥には普通では取れない汚れがつまっていて、それを取るのは大変なんです。女性はみんな苦労するんですよ」

「でも脂を取りすぎるとかえって脂を増やそうと肌が頑張ってしまうので、汚れを取ったらすぐ保湿をしないといけないのです」

「ほしつ?」

「水分を適度に肌に残すんです。お嬢様はお肌に水分がなくてカサカサなので水分を補充しましょう。はい」

エヴァにとって湯浴みの最中に飲み物を差し出されると言うのは初めての体験だった。搾りたてのオレンジジュース。大人が使うトールグラスにはオレンジの輪切りが添えられていた。

(おいしい……)

ジュースはただのオレンジジュースではなくて色々な味がして、それに温かくて、入浴中でもお腹がぎゅうっと締め付けられるようなことはなかった。初めてのことだらけでエヴァが驚いている間にもメイドによる手入れは進んでいく。

「さあお嬢様。お風呂から上がってください」

「こちらへ。ドライヤーで乾かしますからね。熱すぎたら熱いと言ってください」

立ったまま飲み物を飲むと言う、修道院の孤児院にいたらまず怒られそうなことをしたエヴァはいけないことをしている気持ちになりながらもどこかワクワクしていた。

(いいのかな? でも怒られないし良いんだよね?)

「飲み終わりましたね。グラスを預かります」

「は、はい」

エヴァは仕上げに全身にたっぷりと良い香りがするクリームを塗られた。髪には香油を塗られ、サラサラになった灰の髪は本来の銀色の輝きを取り戻した。先ほどとは別の紺色ワンピースに袖を通し、エヴァンジェリンは捨て猫のような状態から金持ちの子女のように生まれ変わった。

メイドたちは達成感に満足しにっこりと笑った。

「素敵になりましたよ!」

「あ、ありがとうございます……」

「さあ、坊っちゃまの元へ戻りましょう」


 エヴァが客間に戻るとデイヴィットはソファで本を片手に寛いでいた。

「お、見違えたな」

デイヴィットは腰を上げるとメイドたちにたっぷりとチップを握らせた。

「今後何度か呼びつけることになるだろう。子供の扱いに慣れたメイドを厳選しておけ。年齢は若い方がいい」

「畏まりました」

「それから彼女のことは母上にも兄弟にも他言無用だ。いいな」

「はい、デイヴィット様」

「下がっていい」

 メイドたちが客間を出るとデイヴィットは膝を落として自らエヴァの髪や肌艶を確認する。

「ん、まあまあマシにはなったな」

「あ、あの……おうさま」

「デイヴィットだ」

「デイヴィット、さま」

「呼び捨てにしろと言っただろ」

「ご、ごめんなさい」

デイヴィットはエヴァの手を引いて再びソファに腰掛けた。

「さて、どこまで話したか」

「え、えっと。悪魔にも王様がいる話……」

「ああ、そうだったな。俺たちはこの土地に古くからいた神様の遠い子孫でよ。その神様はアメリカでは主流メジャーな教会からすればよそもんの神様だったわけ」

「うん」

「今のアメリカ人の先祖たちは引っ越した先に知らねえ神様がいたから邪魔で、お前らは悪魔だと言ったわけだ。それで俺たちは悪者にされた」

「わ、悪いことしてないのに?」

「邪魔ってのは悪いことしたようなモンなんだよ」

「そんなの酷い!」

悲痛な表情をしたエヴァを宥めるためにデイヴィットは銀の髪を撫でた。

「そうだな。昔は特に酷く差別されたらしい。だから俺たちは退治された振りをして、こうやって人間に紛れて暮らしてる」

「何にも悪いことしてないのに……?」

「いや?」

デイヴィットは少女の銀髪を口元に引き寄せながら甘く囁いた。

「俺たちは悪いこともする」

「わ、悪いこともするの?」

「そうだ。だから悪魔という表現は合っている」

ただ優しい訳ではない。それを知った少女は思わずデイヴィットから距離をとった。デイヴィットはニヤリと口の端を上げる。

「その反応でいい。人間じゃない奴らと俺たちは根本的に相容れない。別の種族だからな。だが、無闇やたらと怯える必要もない」

デイヴィットはソファから腰を上げかけた少女を引き止めてもう一度座らせた。

「俺たちは魔法と魔術の世界に生きている。そして人間が魔術をたくさん使って悪いことをしないように見張りながら、人間が悪いと思う方法で悪い人間どもを支配している」

「わ、悪い人を?」

「そうだ。俺たち悪魔はいい奴ばかりを狙ったりしない。悪い奴の方がよっぽど悪魔に気に入られたいと思ってる。それを利用するんだ」

「悪い人を使うの?」

「そう。そして悪い奴はそうとは知らずにいい奴を守る。例えばお前みたいな小さな女の子とか、男の子とかな」

デイヴィットはまた優しく微笑んでいた。彼の表情を見てエヴァンジェリンは肩の力を抜く。

「俺はすんごい悪い奴らを部下にしてる。そんな悪どもの王様の俺が、魔祓い師ごときに怪我させられると思うか?」

「……ううん」

エヴァンジェリンはやっと理解した。悪魔は裸で知性がない化け物ではない。高い知性があるからこそ人間に悪い囁きをする。唆された人間は自分の悪い心を膨らませて悪いことをする。だがいいことをしようとする人間にも悪魔は手を貸す。善悪を超えた大きな存在。この街に君臨する悪魔の王。それがデイヴィットなのだと。

「デイヴィットは強いんでしょ?」

「そうだ。めっちゃくちゃ強い」

「めちゃくちゃ強いデイヴィットなら、私を守ってくれる……?」

「ああ、守ってやる。誰に襲われようともお前を守る」

デイヴィットは右手を差し出した。エヴァンジェリンはその手を見て、デイヴィットの微笑みを見上げた。

「お前が俺のお姫様になってくれるならこれからずっと守ってやる」

「……うん」

エヴァは悪魔の手を取った。

「私、いいよ。デイヴィットのものになる」

「ま、社会的には養子だな」

「ようし?」

「父親と娘ってこと」

「んー、デイヴィットはパパって感じしないけど……いいよ、娘で」

「じゃ、契約成立だな」

デイヴィットは小さな手の甲に口付けた。

「ようこそ、魔王の城へ。小さなお姫様リトル・レディ

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