第2話-4

 デイヴィットは急いで通話を切りハントの首根っこを掴んで駆け出す。

「星座でなんでそんなに慌てるんだよ!?」

「魔法陣じゃなくてこれは星座を地上にものだ! 左右が反転してんのはそのせいだな!」

「だからなんで慌てるんだっての!」

「馬鹿野郎それでも宮廷魔術師か!? 星座って言えば神話だろうが!!」

「神話つったってぎょしゃ座じゃギリシャ神話だろ? 黄道おうどう十二宮でもないし……」

「バカ難しく考えなくていい! 星座ってのは神によって英雄が天に上げられたモンだろ! それを地上に写すってのはな! 英雄を地上に行為だ! わかるか!?」

「照応を用いた召喚の儀式ってことか!?」

「そうだ! 二件目の事故は俺たちが介入して一度失敗してるが星座の写しなら成功するまで何度だってやっていい! つまり……!」

デイヴィットとハントは自分たちが出会した最初の現場にたどり着く。そこには魔力線を再び引いている女性の姿があった。

「いた!!」

「おいそこの!!」

女性は追手に気付くと頭にかけていたストールを裏返し姿を晦ます。

「くそ! 透明マントか!」

「おい宮廷魔術師、ちっと派手に魔法使うぞ」

「やめろやめろ! お前の魔術で派手なのって笑えな……」

姿を消した女性のいた辺り目掛けデイヴィットは人ならざる者の脚の速さで滑り込み、黒い石の杖を振りかぶる。

「“大地に眠る古き者よ、その門を大きく開きたまえ! 古き精霊よ、そのあばらを開きたまえ!”」

 詠唱と同時に悪魔は魔術師の女性を殴り、三人のいる空間がぐねりと捻じ曲がる。乾き、排気ガスに汚染された空気が湿り気の強い洞窟のような空気に入れ替わる。それは人の世界の裏に押しやられた、古き時代の地底の世界。魔法使いがと呼ぶ場所だった。ハントはすかさず自分の口を袖で覆う。古い世界の空気は現代人には合わないからだ。

(この悪魔……! いや、神の末裔ってのは伊達じゃないのか!)

女性魔術師は殴られた衝撃でその場に崩れ落ち、古い空気を吸ったことで大きく咳き込む。デイヴィットは魔術師の胸ぐらを掴んで引き寄せる。

「英雄の召喚とは大きく出たな、魔術師。さあ言え、何故こんなことをしたか! 言わなければ地底世界の空気がお前の命を奪うぞ!」

「コホッカハッ……。い、言うものか……」

「ならここで死ぬか!?」

「私一人……欠けたところで計画に、支障はない……」

「命乞いすらしないとは潔いことだが、一度死んだだけで解放されるとは思うなよ」

「な、に……」

「第一拘束解除、“招来”」

デイヴィットが短く詠唱すると彼の真っ黒な髪に青色の艶がほんのり戻り、瞳も茶色に変わる。杖すら用いず人差し指を天へ向けた瞬間、閃光と衝撃が降ってくる。

(雷!?)

雷をまともに食らった女魔術師は気を失う。しかしすかさずデイヴィットが揺さぶる動作と魔術をもって回復させる。

「クハッ……!」

「言え」

「誰が!」

「“招来”」

デイヴィットは細い雷を何度も呼び出す。女魔術師はその度気絶し、古い空気を吸っては咳き込む。

(おいおいおい天候も操るのかよこいつ……!)

神の末裔と言うのは伊達ではない。つい数分前己が抱いた印象だとしてもハントは再びそう思わざるを得なかった。

「おい悪……ぐふっ」

己もそろそろ限界だとハントは感じていた。それを待っていたと言わんばかりにデイヴィットは彼を指す。

「見ろ魔術師。あいつが死んだらお前も死ぬ。いや、多分お前が先にくたばる。吐くなら今だぞ」

「言うか!」

「強情だな。じゃあこうだ。第二拘束解除、続いて第三拘束解除」

デイヴィットの黒髪がだんだん青に近付き輝いを増す。瞳は赤みを帯びる。彼は女魔術師を掴んでいた手を雑に離し掌を上へ向ける。

「天に召します我らが父よ、ってな。星海領域限定、恒星顕現開始。我が真名を以て我らが父たる灼熱の星に乞い願う──」

明らかに今までの比ではない魔術を予感させる詠唱を聞きハントも事の犯人たる女魔術師も青ざめる。徐々に髪と瞳に鮮やかさと輝きを取り戻しながらデイヴィットは祈るように両手を合わせる。

「麗しく荒々しく猛き父よ、乞い願う。神名限定……おら、命乞いするなら今だぞ」

「はっ……はっ……」

「俺の顔睨んでんじゃダメだな。お仕置きだ。“光り輝くものの息子、赤色の炉から流れ出る青い炎の子から父へ”。空間断絶、置換開始……おい本当に死ぬぞ、いいのか」

「ぐ……」

「ふーむこれでも死がお望みらしい。なら好きなだけ死ね」

残りの詠唱をハントが聞き取ることはなかった。彼はデイヴィットによって精霊の道から追い出され、コンクリートに尻を打ち付ける。

「ぐへっ、けほっ。はっはっ……」

自分が生きる時代の空気を肺に充填しながらハントはデイヴィットと女魔術師が戻って来ていないことを視認する。

「どこに……いやまず誰かに……」

誰でもいい、状況の報告をしようとハントが腰を上げた時だった。黒髪のデイヴィットが何もない空間から魔術師の片腕を引きずった状態で戻ってくる。

「お、おいまさか殺してないよな!?」

「んー、三億回ぐらい殺したかな」

デイヴィットはハントが冗談だと思いたいようなことをほのめかしながらウインクをして、犯人を引き渡した。女魔術師は酷く消耗し気絶しているがかろうじて生きている。

「ま、まずは病院連れて行きな」




「良くて入院半年だと」

「お、半年で済んだか。俺やっさしー」

 ボストンの一角、設立は古いながらも最新鋭の病院のロビーでそんなやり取りが行われる。元宮廷魔術師ハントは自販機のココアをちびちび飲んでいるぱっと見は品のいい壮年の男を横目で見やる。

「何したんだあいつに」

「端的に言うと宇宙に連れて行った」

聞き間違えたかと思ったハントはデイヴィットの顔を思わず覗き込む。

「もう一回?」

「もちろん本物の宇宙じゃない。俺たち太陽の末裔の心の故郷つったらいいのかね? それの再現だ」

「おい、空間置換魔術だって言うのか? 大魔術だろ」

「お前ら人間が成功したから魔術に格下げられた元・魔法だ。おかげで神様は商売上がったりよ。うちの一族でも早々使える奴ぁいない」

「……そうだろうな」

ハントはスマホをいじり出したデイヴィットの横に腰掛け息をつく。

「娘に報告か?」

「それもあるが身内の情報網を使う。あー、エヴァ? 犯人捕まえたぞ。そうそう、ちょっとおイタしたけど無事。……うん、うん。そっかそっか。もうちっと爺やたちと待っててくれな。……大丈夫! すぐ戻る! そ。じゃあまた後で。愛してるよ」

娘との電話を手短に終えデイヴィットはそのまま別のところにかけ始める。

「“俺だ。おー、元気にしてたか?”」

(こいつ、人外語をスラスラと……いや人間じゃないから当たり前か)

ハントが近年はマシになった自販機から注がれる茶色いだけのコーヒーを呷ると、廊下の先から看護師の女性がポケットに手を突っ込みながらこちらに向かってくる。

「何かお困りですか?」

「あー、いや……俺は別に……」

と、探偵がデイヴィットを見やると悪魔は看護師にその場で待つよう人差し指を立てる。

「“オーケー、じゃあよろしく。”よお、看護師さん」

茶髪に赤茶色の瞳の彼女はサンセットヒルシティの支配者に軽く頭を下げる。

「初めまして王様。噂通りの見た目だからもしかしてと思ったの。合っててよかった」

ハントは思わず二人を見比べる。

「……同族か?」

「そうらしい。どの一派だ? この辺なら<三つ葉>か<揃いの青>あたりなんだが」

「んー、うちはそう言うのは特に」

「ああ、それで看護師」

「ええ」

「何だって?」

「うちの一族だって一枚岩じゃない。地域ごとにテリトリーがあんのよ。つまり、お前のボス誰? って話さ」

「ああ、そう言う……」

看護師は視線を逸らしながら笑顔で肩を竦める。

「そう言うに奉仕してない末端もいるの。私はそれ。つまり一般人」

「へえ……」

「一般人でも俺の顔を知ってるなら上々だ。義理のはとこなんてデイヴィットのデの字も知らなかったんだぜ? 悲しくなるね。で、看護師さん。名前は?」

「ケイ・ケイです」

看護師は右手を魔王に差し出す。デイヴィットは立ち上がって彼女の手の甲を胸に引き寄せた。

「デイヴィット・ドム・デイモンだ。よろしく」

紳士の挨拶を受けケイ・ケイは軽く膝を落とす。

謁見えっけん出来て光栄です。我が王」

「こちらこそ。で、ケイ。悪いんだがさっき集中治療室に運ばれた長期入院患者なんだが、うっかりで死んだりしないようにちょくちょく様子を見に行って欲しいんだ。頼めるかな」

デイヴィットはそう言いながら女魔術師の名前と顔、担ぎ込まれた時間を手帳にメモし破って渡す。

「王様のご命令なら喜んで。でもわたし簡単な魔術しか使えないの。お役に立てる?」

「俺の名刺をやる。<三つ葉>と<揃いの青>、あと<紫の子>に連絡を回しておく。そう経たないうちに向こうから連絡が来る。都度指示を仰げ」

「ワオ、私も派閥に入れてもらえるかも。判断がそれぞれ違った時はどこを信用すればいい?」

「優先するなら最古参の<三つ葉>に。<揃いの青>は自己主張が強すぎる。<紫の子>は自分の仕事があるからあんまり動けん」

「わかりました。ごきげんよう、王様」

「ごきげんよう」

看護師ケイの背を見送るとデイヴィットは残りのココアを呷り紙コップをゴミ箱に投げ捨てた。

「じゃ、帰るか」




 おやつの時間をとうに過ぎてしまったものの、デイヴィット一行はサンセットヒルシティに舞い戻り癒しのパンケーキ・タイムを堪能する。

「そりゃ大冒険だ」

間もなく開く店のためにハドリー・ヘイデンは商売道具の美しいグラスを念入りに磨いている。

「エヴァが怪しい魔力線に気付かなかったら無視しようと思ってたんだがな」

パンケーキに乗った小さな苺をフォークの先で弄びながら黒い炎のデイヴィットは肩を竦める。エヴァンジェリンは隣でパンケーキを口いっぱいに頬張り、スティーブはさらに隣でノンアルコールカクテルを喉に通す。

「そうなの?」

「だって、一応人んちだろ? 人んちの洗濯物がヤバイ黄緑色のシャツだからってこんにちは、お宅のお洗濯物変ですね。白いシャツにしないんですか? って訪問するか?」

「ううん」

「そう言うことなんだよ。人んちは人んち、うちはうち。もしかしたらヤバい黄緑は庭先に来るカラス避けかもしれない」

「うーん、そっか……」

「一見じゃ判断付かないからなーああ言うのは」

デイヴィットは皿に添えられた手付かずの生クリームをエヴァに分け与える。養女は養父の顔を見て両頬を持ち上げた。

「今日活躍した女王様に、歩兵から生クリームのプレゼントを」

「ありがとう」

「何だそりゃ」

事の経緯を知らないハドリーは二人のやり取りを見て口の端をほんのり持ち上げる。

「今日の王様は私だったの」

「エヴァが気付かなかったら犯人取り逃してたからな」

「そりゃすごい」

 一行がパンケーキを食べ終える頃、口笛を吹きながらデイヴィットのはとこ甥、ハドリーの甥にあたるレイ・ランドルフ・ローランドが顔を出す。

「叔父さ、あら」

レイはいつものにんまり顔を引っ込めデイヴィットたち、特にエヴァンジェリンを見た。エヴァはレイの顔を見て思わずデイヴィットの袖に捕まる。

相変わらず己に怯えるの養女を見てレイはふっと笑った。

「ごきげんようお姫様」

「……こんばんは」

「叔父さん、トイレの洗剤もう予備がないよ」

「お、わかった。買っとく。でも仕事の時は店長だろ」

「はい店長。俺もまかないパンケーキがいいです」

「ああ、わかった」

「やったー」

にんまり顔になるとレイは厨房の裏へ引っ込む。ハドリーは甥の背を示して両眉を持ち上げる。

「最近交代でまかないを作ってる」

「ほー。出来は?」

「直火の上に網を置く調理法以外知らなかったにしては上々」

「そうか。今度うちの知り合いのところで飯作らせるか」

「修行か?」

「ああ、本気で専業になるなら可愛い叔父のところだけじゃなく他の厳しいところでも見てもらった方がいい」

「まるで俺が甘いみたいな言い方」

「実際甘やかし気味だろ」

「ちょっとな」


 デイヴィットの私用のスマホに探偵ハントから連絡が来たのはその日の夜だった。魔王は会社のデスクでCEOとしての仕事を片付けながらイヤホンを片耳に突っ込む。

「“ごきげんよう”」

「……人外語はやめろ」

「せめて魔族語って言って欲しいね。どうした?」

「俺からも元同僚に連絡を取ったんだが、厄介なことに過去に三件同様の手口で術が発動してた」

「“何だって?” オイオイ、宮廷魔術師は名前ばかりか?」

「耳が痛いが星座を用いる召喚儀式なのは共通してても派閥、流派がてんでバラバラだったんで手口が重なったと判断されたんだ。そこへ四件目が来た」

「宮廷も重い腰を持ち上げると?」

「やっとな。それで、厄介な話はここからで、過去三件のうち一件は成功しちまったらしい」

「……“何だと?”」

これにはデイヴィットも腰を上げそうになる。過去の英雄が現代に召喚されたとすると時空警備違反どころでは済まない。人界侵犯、禁術である死者の蘇生にまで話が及ぶ。罰するとしたら星間領域に一万年閉じ込めてもまだ足りない。

「成功したってのはガチなのか?」

「ああ。ただ、その時の詳細な情報は地元警察が握ってた上、資料の保管がお粗末で今では紙屑同然らしい」

「“くそったれ。”成功した場所は?」

「ギリシャのどこかと言うだけ」

「最悪」

ギリシャと言えば有名なギリシャ神話だ。地元の有名度にかこつけて高位の英雄が降ろされた可能性が高い。デイヴィットは趣味にも似た社長としての仕事を即終わらせスマホを耳に当てる。

「俺の方でも南欧の身内に連絡を取ってみる。他には?」

「あー……眼鏡代なんだが、二十四回払いになった」

「随分だな」

「探偵は仕事が詫びしいんだよ」

「厄介ごとが欲しいならいくらでも回してやるぞ」

「やめろ。おっかねえ」

「仮にも王と呼ばれる俺の実力を見誤られては困る。その人物に無理な仕事はさせない」

狩人ハントはしばらくの沈黙を挟み、声を出す。

「……試しに一つ引き受ける」

「わかった。じゃ、“またな”」

探偵の言い残しがないことを沈黙で確認しデイヴィットは電話を切った。

「英雄の降臨とは参ったね」

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