第1話-2

 三、四、五軒目と橋の周囲を訪ねたデイヴィットは手帳に困窮者の近況を書き足して行く。

「ふむ、今週も平和だな」

彼らは困窮したままではあるが騒ぎがなければ平和と言うより他にない。

 路地で一服し、六軒目へ向かうと早々にデイヴィットの顔にパソコンのキーボードが飛んできた。そこは街の有力者たちが顔をしかめるアンダーグラウンドな情報を取り扱うハッカーたちの溜まり場。だが喧嘩の真っ最中だったらしい。飛んできたキーボードを片手でキャッチしてデイヴィットは溜め息をついた。

「おいおい、ずいぶん派手だな」

「デイヴィット!?」

「ああ、助かった」

キーボードを投げつけた蛍光グリーンの髪の白人女と琥珀色の太いフレームが洒落たアメリカ南部の顔立ちをした男はデイヴィットの顔を見ると気まずそうに見つめ合った。

「……デイヴィットが来たんなら一時休戦にしてあげる」

「痴話喧嘩は程々にしとけ。メシでも行くか?」

「腹は減ってねえよ。俺はな」

「そうかい」

顔の見えないメンバー分のチョコバーを机に置きデイヴィットは一人一人に挨拶をする。

「変わったことは?」

「これと言って特には……。喧嘩の原因は聞いてくれるな」

「へーへー」

部屋の隅に見慣れない若い男が座り込んでおり、デイヴィットはリーダーの男をつつく。

「おい、新入りを紹介してくれよ」

「ああ、そうだな。来いよキース。大丈夫だって食われやしねえから」

キースと呼ばれた白人の若者はぎこちない動きでデイヴィットの前に立った。その茶髪はもさもさとしており、前髪が長くいわゆる目隠れという様相。そっけないTシャツにデニムパンツ。年は十代後半から二十代前半と言った感じ。

「こちらデイヴィットさん。ほら、DDタワーあるだろ? あそこの社長さんだよ」

「C、E、O、だ」

「はいはいCEOです」

「は、初めまして。キース・キーンです。呼び方は何でもいいです……」

キースは震えた手を差し出した。

「デイヴィット・ドム・デイモンだ。よろしくなKK」

「あ、KKですか……なるほど……」

握手を済ませデイヴィットは手近なゲーミングチェアに腰掛ける。キースはぎこちない動きのまま声が届く程々の距離の机に寄り掛かった。ハッカーには人見知りも多い。デイヴィットは気にせず会話を続ける。

「そんで? この新入りは何の役に立ったんだ?」

「ああ、新開発のプログラムを直してくれたんだ。天才だよ」

「ほー」

「いえ、大したことじゃ……。え、ええと……人が来るって聞いてて……ちょっと驚きました……」

キースは前もって琥珀眼鏡リーダーからデイヴィットが人外だと説明を受けていたようで、不安そうにデイヴィットの紫の瞳を見上げた。

「ハハハ、人じゃねえもんな!」

「新入りにいきなり悪魔ジョーク噛まさなくて良いっす」

「悪魔……なんですか?」

「人間がそう呼ぶ存在ではあるな。魔者まものの方がしっくり来るが」

「そう……なんですか。……あの、どうしてその、タワーの管理人がここへ……?」

「ああ、その手の話まだだったな」

手元の作業を止めリーダーの男が椅子ごとキースに振り返る。

「昔、正義感でギラギラしたハッカーがいてな。この街の悪を根本から直してやるぜって息巻いてあろうことか当時最先端を行くDDタワーのセキュリティに飛び込んだんだよ。でもそのハッカーは見事に返り討ちに遭い、そこのCEOに抱き込まれたって訳さ」

「それって……」

「前々のリーダーの話だよ」

「なる、ほど?」

「今ではこのアジトの連中はデイヴィットの手足として街のあちこちの情報を探ってるのよ」

「“ヒーローごっこがしたいならいつでもさせてやるよ”、だっけ?」

「おいおいあのガキ誘い文句まで弟子に教えてんのかよ……」

「そう、なんですね」

デイヴィットは懐からタバコを取り出すと火をつけ、リーダーの男と一本のタバコを交代で吸い合う。

「騙したり騙されたりが多い世界だがデイヴィットさんは身内は裏切らないし表社会と裏社会の扱いは分けてる。だから信用していい」

「お、いいぞいいぞ。もっと褒めてくれて構わん。そんで? 新入り以外で変わったことは?」

「二、三件」

「良い話から聞きてえなあ……」

長い足を組み、デイヴィットは大袈裟に溜め息をついて大きく煙を吐き出す。このメンバーから聞く新情報では割合的に少ない。大体が危ない橋を渡っている最中か、渡った後の話だ。

「じゃあ良い話から。ご注文の新しい盗み見プログラムはキースのおかげで完成一歩手前」

「そいつは上々」

「悪い話。完成一歩手前だったが巧妙に騙されて盗まれた」

「げえ。犯人はわかってんのか?」

「ああ、今まさに追跡中だ」

「盗まれた経緯が原因で揉めてたのよ」

「なぁるほど」

「まあ、喧嘩の原因はそれだけじゃないけどな」

「どうせ痴話喧嘩だろ」

「付き合ってねえって」

「恋愛感情なんかなくたって付き合い長すぎて夫婦同然だろうがお前ら」

会話の切れ目にデイヴィットがふっと息をつくとキースがおどおどと声を出す。

「あ、あの……すみません……。盗まれたのは僕が原因なんです……」

リーダーの男に吸いかけのタバコを押し付けデイヴィットはキースの隣に座る。

「よぉ、そりゃ本当か?」

「う。は、はい……。ごめんなさい……」

「俺にが出来るなら上々だ」

新しい一本を取り出しデイヴィットはライターも使わず指先でタバコに火を付ける。そして一口吸ったタバコをキースに差し出した。

「え、あの、すみません。僕タバコは……」

「キース」

リーダーが言葉を遮り、首を横に振る。断ってはいけない、と目で訴えた。キースは汗ばみ、震えた手でタバコを受け取りフィルターを口に咥えた。

「うへっ! げほっ!」

「はっはっは! 勇気あるじゃねえか! 気に入った!」

思いっきり煙を吸ったキースを見てデイヴィットは彼の背中を数回叩きその手からタバコを取り上げた。

「まぁいいさ。どちらにしろデータは取り返すんだろう?」

「もちろんだ」

「危ねえなと思ったら言え。応援を寄越してやる」

「どうも。助かるよ」

デイヴィットはキースが口をつけたタバコを美味そうに吹かす。

「他に報告は?」

「今のところはない」

「オーケー。引き続き頑張りな」

ハッカーたちに背を向けたまま手を振りデイヴィットは粗末なコンテナハウスから出て行く。

「さて、次は……」


 七、八と巡って九軒目。廃ビルの屋上。家もなければ拠点もない、本物の放浪者の元へデイヴィットは顔を出す。

「よう」

夜景がよく見渡せる高いフェンスに腰掛けたその者に声を掛けると、若い男はゆっくり振り返った。彼は灰色パーカーのフードを目深く被り手荷物は一切持っていなかった。

「……なんだ、アンタか」

彼はこの街の新参者で二週間前に現れた。オレンジ、と名乗った静かな青年はデイヴィットが見た限りその体に超能力を有していた。

「本気で拠点なしにプラプラしてんのかお前。倒れんなよ」

「俺が行き倒れても、アンタには関係ない」

浮遊魔法を使いデイヴィットはオレンジの隣に立つ。ここはデイヴィットが若いころ仕事をサボってよく通っていた場所だ。眺めがよく、気に入っている。

「いいや、あるね。行き倒れが出るような街という汚名は、大いに困る」

「なるほど……。じゃあ、行き倒れないようにしておくから、放っておいてくれ」

「放っといて欲しいなら棲み家を見つけて腰を落ち着けるか、俺が紹介した団体に顔を出すか。どちらにしろ固定の活動場所を決めろ」

「お節介な悪魔おとこだ」

「ここは俺の街だ。住人は全員だ。ヤクを売るも詐欺をするも健康に暮らすも落ちぶれるも大いに結構。派手な喧嘩も結構。だが全て俺の目の前でやれ。死ぬなら俺の足の下で死ね。俺の知らないところで死ぬなんてのは一番許さねえ」

「……なるほど、強欲が一周回って親切に見えるんだな」

「褒めてんのか?」

「どうだろうな。……そう言えば、あんたとは別の悪魔にも親切にされたよ」

「あん?」

「この近くでふらふらしてたら、パスタを奢ってくれた。ハドリー……とか言ったかな」

「ああ、なんだ。ハドリーに会ってたか」

「知り合いか」

「俺の親類だがほぼ人間みたいな奴だ。良い奴だよ」

「そうか……。彼の作るパスタは美味かったよ」

「当然。俺の舌を満足させる奴だからな」

デイヴィットはしゃがみ、チョコバーをオレンジの顔の前に差し出す。

「金は受け取らないと言った」

「だったら受け取ってから捨てろ」

感情に乏しい顔のままオレンジは目の前のチョコバーを眺める。ややあって彼は初めてデイヴィットの施しを受けた。

「……気が変わった。アンタからの小遣いで、ハドリーにパスタ代を返すよ」

「そうしろ」

「……変な悪魔やつらだな、アンタたちは」

ふっと微笑むとオレンジの体は霧散した。文字通り彼は霧のように細かい粒子になって大気を移動出来るらしい。

(便利な能力だ。いつか手駒として迎えたいところだが……)

デイヴィットは考えながら廃ビルを降りて行った。


 その後もチョコバーのサンタは一晩中街を回り未明にようやく己の住居タワーのてっぺんに戻った。同じ火の一族に身を置く執事のスティーヴ・サイモンは主人の帰りを待ち湯と酒を用意していた。スティーヴは白髪の生え始めた頭髪を綺麗なブラウンに染め上げ、主人曰くを隠すため威厳のあるたくましい口髭を揃えている。背筋は良く、立ち姿は美しい。

「お帰りなさいませ」

「ああ、帰ったぞ。黒いサンタのお帰りだ」

デイヴィットはスーツを脱ぎ捨て湯に浸かりスティーブ爺やが差し出したグラスを受け取る。

「皆さまお変わりはありませんでしたか?」

「おお、今週も平和だ」

「それはそれは」

ウイスキーを口の中で転がし、手足をゆっくり伸ばす。スティーブは主人が脱ぎ散らかした服をまとめ洗濯室へ持って行く。

「俺がいない間の変化は?」

「グレイ様とオートワール様から電話がございました。どちらも急ぎではなかったため、再びかけて頂くようお伝えしてあります」

「そうか、わかった」

湯浴みを終え元の姿に戻りタオル地のガウンに袖を通すとデイヴィットの私用のスマートホンが鳴る。見知らぬ番号だ。念のため衛星経由で仕事用もう一台に通知を飛ばし、電話に出る。

「誰だ」

「オレンジだ」

「あ? さっきぶりじゃねえか、オレンジ」

「ああ。チョコバーと小遣いの分は働こうと思って、情報を持って来た」

「ほう」

デイヴィットは口の端を持ち上げた。オレンジは善人だ、構ってやればそれ相応に礼を返してくる。予測通りうまく行った、とデイヴィットは手駒が増える確かな予感を喜び、オレンジの言葉を待った。

「電子の海を漂っていたらアンタに関係ありそうな記事を見つけた」

「電子の海だぁ? まさかお前ネット回線の中にいるのか?」

「正確には違う。その辺りの細かい話は今度する。ひとまず、内容を聞いて欲しい」

「聞くさ」

「うん。明日、出るかもしれないニュースだ。超能力者の少女が街で暴れる、とある。ゴシップの下書きだ」

「かもしれない? 確定じゃねえのか。……いや、お前確定される前の近似値の未来が覗けるのか」

「飲み込みが早くて助かる。そうだ、今の俺はアンタからすれば若干先の未来を覗いている」

「おいおい……。人ならざる者ゆえに忠告しておくがな、時間旅行は程々にしろよ」

「大丈夫だ、制限範囲内で時間を移動している」

「能力者としてはそれなりに活動してるな? お前」

「ああ、その辺りの話も今度しよう。それで、この少女だが……アンタが保護すれば恐らく暴れずに済む。だから保護して欲しい」

「ほう、具体的にどうすれば良い?」

「いつもと違う行動をすれば良いだけだ。じゃあ、用件は済んだから通話は切る」

「だいぶ簡単だな」

「あまり詳しく話すと未来がブレる」

「そりゃ知ってる」

「なら、分かったろう? おやすみ」

デイヴィットの返事も待たず、オレンジは通話を終えた。

「ふうん、物理的な霧散じゃなく確率の隙間を動く能力だったか……。返って厄介だな。時空魔法の領域じゃねえか。他に掠め取られる前に上手いこと確保しておきたいところだが……。さてどうしたものか」

起こり得るかもしれない事件から最上の未来をどう手繰り寄せるか? 簡単な話だ。推測すればいい。

(明日のものでまだ出ていないニュースの下書き……ってことは、朝の記事じゃねえな。夕方か。つーことは陽が出てから昼までの出来事って事で良いだろう)

「……ふむ、さっさと寝て早起きするか。いや、寝なくてもいいな。いつもと違うことか……」

思考をまとめながらウイスキーを飲み干すと執事が次の酒とつまみを持って現れる。

「爺や」

「はい」

「今から二、三時間寝る。日が出る前に起こしてくれ」

「かしこまりました」

デイヴィットはバスローブのままベッドへ潜り、思考を休めた。


 同じ頃、三台の黒い車がデイヴィットの街へ移動し始める。トランクの中には身体を拘束された灰色の髪の少女が押し込められていた。少女の名はエヴァンジェリン。彼女は生まれる前から様々なものが視えてしまう、千里眼と言う超能力の持ち主だった。

 母の腹を覗く父の微笑みが視えた。ベッドに寝そべったまま屋根の上を歩く野良猫の肉球が視えた。青空に隠された砂粒のような星々が視えた。あまりに長い時間遠くを見るために、彼女の両親は遠視か、いっそ盲目なのではと疑い、やがて真実を知ると自分たちの精神を守るために彼女を手放した。親戚中をたらい回しにされた挙句、少女は幼いまま田舎の修道院に引き取られ厳しくしつけられた。

 しかし突然、視えない範囲から脅威はやって来た。複数の男たちに車に押し込められ少女はいま両親に手放された時以上の絶望を味わっている。黒く重たいヘルメットの内側には何かを詰め込まれ、眼球を動かすことが出来ない。何も見えない、という状況は彼女にとって初めてだった。今まで瞼を下ろしていてもあらゆる情報が飛び込んで来ていたのに。初めて見る暗闇に、彼女はおののいた。

(誰か、誰か助けて……!)

何かを詰め込まれた喉の奥で彼女は叫ぶ。まだ、夜は深い。

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