第1話-3
予定通り爺やに起こされ、白るんだビル街を後ろにデイヴィットは覚醒しない頭のまま生ハムの載ったメロンを口に放り込んでいた。
「なんで土曜の朝に早起きしなきゃならんのだー……」
「ご予定がおありなのでしょう?」
「そーなんだけどよ……」
「爺に申し付けはございますか?」
「いや、ない。単独行動の方が良さそうだし、爺やは俺が留守のあいだ家に居てくれ。自由時間だ」
「かしこまりました。朝食はどうなさいますか?」
「朝食は……いい。外で食って来る」
「かしこまりました」
手持ちの中では質素な灰色のスーツとベージュ色のコートに着替え、銃火器を仕込む。騒ぎになる可能性があると聞いては武装しない訳にもいくまい。能力者でなければ魔法で、何らかの能力者であれば銃火器で。どの生物も偏ればどちらかは疎かになる。デイヴィットは長年の経験でそれを熟知していた。物理的にも能力的にも強靭な者がいれば、その者は生き物の枠からはみ出しているだろう。
「へぇっぷち!!」
黒髪白肌のデイヴィットは盛大なくしゃみと共に身震いをし己を抱きしめた。
「うう、さすがに朝は冷え込むな……」
DDタワーのオーナーは大橋の下へ向かう。デールはすでに起きていて、デイヴィットの姿を見かけ目を丸くする。
「んん? 珍しいな、土曜なのに早起きじゃねえか」
「ちっと用事があってな。メシ行かねえか?」
「空き缶回収しながらでもいいかね」
「構わん。何が食いたい?」
「あったかいモンがいいねえ……」
「なら、屋台でも行くか」
足の悪いデールの歩調に合わせながら他愛のない話をし、中華街の屋台に寄る。二人分のワンタンスープを頼み、近くのベンチでスープを啜った。
「ああ、染みるねえ」
「美味いか」
「美味いとも」
「そうかい」
デイヴィットは懐から新品のタバコを取り出し、開封して一本抜き取り口に咥えて火を付ける。残りは箱ごとデールに手渡した。
「昨日一本しかやれなかっただろ」
「いいってのに。ま、ありがたく貰うけどよ」
「おお、取っとけ」
デールが咥えたタバコにマッチで火を付けてやり、二人でぷかぷかと白い煙を
「美味えなぁ」
「美味いねえ。……デイヴィット」
「ん?」
「なんかまた、揉め事でもあんのかね」
「察しがいいなデール。そうだな、確定じゃないが可能性はある。明らかに怪しい、見慣れない連中がうろうろしてたら連絡をくれ。あとは隠れてて良い」
「ああ、わかった。他に手伝えることは?」
「んー……」
数時間前のオレンジの言葉を思い出す。
──アンタが保護すれば恐らく暴れずに済む。
(俺自身で捕まえないと意味がなさそうだ)
「ない」
「そうか、わかった」
デイヴィットは立ち上がり、スープの器を屋台に返しに行く。
「またな、デール。少なくとも来週までは生きてろよ」
「はっは、ジジイは案外しぶといんだ。末期癌だろうが百年後まで生きてやるさ」
「その意気だ」
「朝飯、ご馳走さま」
「おうよ」
まだ人の少ない時間のオフィス街に足を運ぶ。街はまだ眠っている。人も車も通らない。デイヴィットは信号を無視して車道の真ん中に立つ。ニコチンを燃やして肺の中に入れる。何も考えず、うるさいほどの静けさを全身に浴び、街の支配者はタバコを短くしていく。瞬きの後、何の予備動作もなくオレンジが視線の先に立った。
「伝えておくが、事件が起きるのはここじゃない」
「知ってる」
「なら、何故ここへ?」
「ここで時間を潰せば良いと、俺の勘が言ってる」
デイヴィットの勘は当てずっぽうではない。一種の予知能力だ。オレンジの能力が可能性の間を移動出来る事であるように、デイヴィットの固有能力は最適解の未来を手繰り寄せる事だ。
「……なるほど。思い直せば、
「そうだ。だからお前はこのあと何もしなくて良い。ヒントは貰った」
「わかった。やるべきことはやるが、大人しくしておくよ」
「そうしな。……おい、オレンジ」
背を向けた若い超能力者を引き止める。
「可能性の狭間を動くんだろう? お前」
「ああ、そうだ」
「身体は大丈夫なのか?」
オレンジは身体が霧散しているわけではなく、その場所にいる自分の可能性を選ぶことで移動している。失敗すれば二つ三つの場所に同時に存在すると言う矛盾から身体がバラバラになるだろう。集中力のいる作業だ。連続で使用すれば精神や神経も磨耗していく。オレンジが感情表現に乏しいのは無愛想だからではない。能力を使い続けた代償だ。
「……そこまで把握しているなら、アンタに説明は要らないな」
「寝ぐらが欲しければ俺のビルに来い。フカフカのベッドで休ませてやる」
「ありがとう。と、言うべきだろうが、今はまだその時じゃない」
言い終わるも早々にオレンジは霧になってどこかへ飛んでしまう。
「は、まだ食えねえってか」
吸い殻を
黒い車は街に入る直前、別の集団と合流していた。幾ばくかの物音の後エヴァンジェリンは数時間ぶりに外の空気を吸った。ペンキか、油のような臭いがする。硬い地面の感覚から恐らくどこかの工場の近くだろうと彼女は推測した。頭上で男たちが会話を始める。
「この子供がそうだと?」
「ああ、シスターがそう言ってた」
その言葉を聞きエヴァの絶望はより深くなる。自分は修道院からも売られたのだと。そして、このあと裏社会を転々としていくのであろうと。きっとこの世界に神などいない。彼女は幼いながらに悟ってしまった。
ああ、誰か、誰かいないだろうか? この絶望を終わらせてくれる者は、いないのだろうか?
彼女は再び車に押し込められる。しかし、今度は後部座席だった。それが唯一の
オレンジは改修中の高層ビルの上でクレーンが吊り下げたままの鉄骨に腰掛けていた。その真下では空き缶拾いを終えたデールが手押し車をゆっくり動かしながら交差点にやって来る。その隣に大きなあくびをしながらキースが立つ。キースは徹夜せずに眠れば良かった、などと思いながら。デールは痛む腰と膝を気にしながら。オレンジはここへやって来る黒い車を探しながらその時を待つ。
信号が変わり歩行者が渡り始める。若者のキースはさっさと渡るが、老人のデールはゆっくりとしか動けない。立ち上がったオレンジは鉄骨の上を往復しゆらゆらと反動を加えていく。信号が点滅する。まだ道を半分も渡っていないデールに気付き、キースは引き返す。
「お、お爺さん。よかったら手伝います」
「ああ、ありがとう」
反動を加えきった鉄骨からオレンジが立ち去る。鉄骨を吊るしていた紐がほどけ、クレーンはその荷を地上に手放した。
そこへ二台の黒い車が現れる。交差点を渡りきらないデールとキースに苛立った運転手がクラクションを鳴らす。キースは音に驚くが震える声を抑えて運転手をキッと睨む。
「おい、早く退け!」
「う、うるさいなぁ。待ってやれば良いだろ……」
落ちてきた鉄骨に気付いた誰かが悲鳴を上げる。
次の瞬間、鉄骨が車のボンネットを貫く。
キースとデールは衝撃からお互いを庇い合う。
ガラスが大破し、運転手は鶏のように情けない悲鳴を上げる。
衝撃で車は大きくひしゃげ、後部座席のドアが外れて落ちる。
車は車上荒らし対策の派手な音を鳴らし異常を周囲に伝えた。
周囲が怯んだその隙に、エヴァンジェリンは車の外に飛び出した。
騒ぎが起きた頃、デイヴィットは路地に
「……いや」
オレンジの言葉が過ぎる。
──いつもと違う行動を。
「分岐点はここか」
デイヴィットは人の動きとは反対へ駆け出す。
「デイヴィット!? どこ行くの!?」
デイヴィットは振り向きざまにその美貌に見合うウインクと投げキッスを春売りたちに投げつけた。
「悪い! 用事を思い出した! またな!」
物を詰められた口からなんとか呼吸をしながらエヴァンジェリンは暗闇を走っている。詰め物とヘルメットのせいで頭が重い。あちこちの壁に身体をぶつけながら、少女は音と気配だけでなんとか道を選んで走る。
(痛い、痛い。でも、逃げなきゃ)
(いや!!)
「待て! おい!」
子供の足では大して走れない。とうとう男たちが追いつく。少女を追って来る。
(来ないで!!)
心の中で彼女は叫ぶ。足がもつれて地面に身体を打ち付けた。
(誰か……誰か助けて……)
少女が絶望に包まれる中、ふと目の前に見知らぬ気配が現れた。
「へえ。こりゃまたガキ相手に随分な」
低く艶やかな声。エヴァンジェリンは視えないのに、彼が形の良い唇で喉を震わせたことを感じ取った。
(誰?)
誰だろう? 私を狙う別の男だろうか? たまたま居合わせたのだろうか? 何故か、追ってきた男たちは美しい声の男を見て立ち止まった。
「よう魔祓い師」
落書きだらけの汚く細い路地で黒い男と少女と魔祓い師たちは邂逅した。男たちはその身に宿る魔力で黒髪の男の姿が偽りであると感じ取った。目を凝らせば人の姿に重なって黒い炎の頭を持つ四つ目の人ならざる姿が映る。
「っ……! 悪魔め!」
緊張した魔祓い師たちが素早く銀の弾丸を装填した華美な銃を構える。
(悪魔……?)
エヴァには何も見えない。悪魔と呼ばれた男の姿が想像できなかった。
「
デイヴィットの挑発に魔祓い師たちは乗ろうとしない。両者は対峙したままに睨み合いを続ける。事態を動かすべくデイヴィットは腰から抜き出したデザートイーグルを少女のヘルメットへ向けた。
「やめろ!」
魔祓い師たちが動揺して隙が生まれる。デイヴィットはすかさず少女の腕をつかみ、魔術で姿をくらます。
「くっ……!」
「どこへ行った!?」
「探せ! 早く!」
目の前で魔祓い師たちが慌てる様子を見ながらデイヴィットは少女をそうっと抱き上げ、そそくさと走り去った。
エヴァンジェリンは突然現れた悪魔に対抗する術を持たなかった。何をされるか分からなかった。しかし、悪魔はエヴァをただ抱き上げて優しく運んだ。少なくとも荷物ではなく人として扱ってくれた。
(助けてくれたの……?)
「まあ仕方なく」
(え?)
デイヴィットはエヴァの頭の中を読み取って返事を返した。
「これだけ近ければその重いヘルメット越しでも聞こえる」
(……私の考えてることがわかるの?)
「まあな」
(読心術?)
「どれかと言えば
エヴァンジェリンは押し黙った。彼が悪魔と呼ばれていたこと、頭の中を覗ける異能力。少なくとも普通の人間ではないなら、彼は自分と同類なのだろうか?
エヴァが想像だけを巡らせていると黒い男はどこかの建物に入った。デイヴィットはエヴァを抱いたまま社長専用のエレベーターを使い摩天楼の天辺に到着する。
玄関に入ってすぐ、執事のスティーブと灰色パーカー姿のオレンジが待っていた。
「お帰りなさいませ」
「おう、帰ったぞ。ようオレンジ」
「どうも」
「休みに来たのか?」
「ああ、そうだな。そんな話をしたな」
デイヴィットは髪をかき上げる動作をして人間体から本来の姿へと戻った。目の前に黒い炎の男が現れてもオレンジは動じなかった。そんな青年の様子を見てデイヴィットはニンマリと目を細めた。
「この姿を初めて見て叫ばない奴は少ない」
「……先を見た時にアンタの姿はチラッと見えた」
「そうかい」
「坊っちゃま。先にお客様の手当てをいたしましょう」
「あー、そうだな。このヘルメットどうやって取るかな……」
「前もって観測したが、詰め物がしてあるらしい」
「そうだな。子供にしちゃ重すぎる」
エヴァは抵抗せずデイヴィットに大人しく抱かれている。今までの大人たちに裏切られた少女は、少なくともいま危害が加えられる様子はないと冷静に観察していた。もうしばらく様子を見ても良いかもしれない。
少女はふかふかのソファに座らされた。爺やが手錠と足の重りを外し、顎の隙間からヘルメットの中を観察する。
「確かに、詰め物がしてあるようです」
「外せそうか?」
「ええ。ひとまずヘルメットだけ外しましょう」
爺やが小声で呪文を唱えるとヘルメットだけがテレポーションする。中身を失ったヘルメットは床に転がり、少女の様相が露わになる。
「うわ、酷ぇ。何だこりゃ銀か?」
少女の目から頭頂部にかけては金属のようなものが張り付いていて口はボールのようなものとハンカチで塞がれていた。爺やがハンカチを取り去り口の詰め物を外す。エヴァンジェリンは半日ぶりに言葉を発した。
「げほっ、えっほ。はぁ」
「大丈夫か?」
「……はい」
「なら良い」
「その金属は恐らく……」
「ああ、普通のモンじゃねえな。このためにわざわざ造ったんだろう。が、俺のところに来た段階で無意味だな。二人とも下がってろ」
少女の頭の上にデイヴィットが右手をかざす。
「“我は恒星の末裔なり、我は月の伴侶なり”」
デイヴィットが紡いだ言葉は異国の言葉のように思えた。
「“全ての石は我が名の元に、全ての熱は我が手の中に。砂は硝子へ、銀は水へ。我は重力の王なり、我は石の支配者なり”」
どろり。固まっていた金属が結合を解きデイヴィットの手の平へ集まっていく。ようやく少女の灰色の髪と海のように深い青い瞳が現れる。エヴァは暗闇から解放してくれた目の前の悪魔を見上げる。黒い炎の頭。四つの目。
人ならざる者。その姿を見たのは初めてだった。
「……本当に、人間じゃない」
「ん? おお、悪魔だからな」
「悪魔……」
緊張が解けどっと疲労が押し寄せて来る。エヴァンジェリンは意識を保てず手放した。
「っ!」
爺やがすかさずエヴァの身体を支える。デイヴィットはその傍らで胸を撫で下ろした。
「ああ、人外は初めてか」
「……そう言う意味で気絶したわけではないだろう」
「ん?」
口を挟んだオレンジは疲れた顔でふっと視線を下げた。
「……空いている部屋はあるか? 俺もしばらく休みたい」
「ああ。爺や、案内してやれ。子供は俺が見ておくから良い」
「かしこまりました。ではオレンジ様はこちらへ……」
デイヴィットは引き剥がした金属を瓶に封じ込め、胸ポケットに仕舞ってからエヴァを横向きに抱き上げた。
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