第3話-8

 翌朝、クレア・ローは企業スパイの表情を引っ込め足取りを軽く二番街の安いダイナーを目指した。道端で彼女を救ったサムと名乗る青年は開店前に既についており、チューイングガムを膨らませている。

「サーム」

「ん」

彼女は濃灰色のオレンジパーカーの青年に笑顔で駆け寄る。丁度七時半となり店のドアが開く。

「来てくれたのね」

「暇だったし」

「昨日は言わなかったけど、そのパーカー格好いいわね。ブランド物? どこかで買ったの?」

「自分で作った」

「ワォ! 器用ね!」

「ネット注文でプリントしてくれるサービスだよ。ダチもやってる」

「へーえ、私そう言うの疎くて。あ、朝ごはん奢るわ」

「じゃあ遠慮なく」

「よかった」


「何でちょっといい感じなの!」

 <量子オレンジ>のパーカーの内側に仕込まれたカメラとマイクから二人の様子を見聞きしていた弟のキース・キーンは通信の向こうで声を上げる。

「嫉妬かキース?」

「そんな訳ないだろ! ちくしょう僕の兄さんだぞ! こらぁ女スパイ! 何触ってんだ!」

「妬くって言ってもそっちか」

「キースってブラコンだったのね……」


 アデルはポテトを口に運びながら嬉しそうに目の前の青年を眺める。サムは彼女の顔を見ると「ん?」と聞いた。

「何でもないわ」

「嬉しそうだな」

「誰かと朝食を共にするの久しぶりで」

「ああ、そう言う」

サムは安いプリペイド式携帯電話を使ってSNSをしているようなので、アデルは画面を覗こうとする。

「お友達?」

サムはさっと画面を伏せてしまったので画面は確認出来なかった。

「ああんケチ」

「不良の携帯なんぞ覗くな」

アデルは彼の言葉でニヤッとする。

「不良は自分のこと不良って言わないのよ」

「不良なんだよ」

「ふふふ、本当は違うんでしょ? 私元々不良だったし分かるわ」

「そのナリでか?」

アデルはブリトーを齧りながら頷く。

「頑張ったの。今でも時々タバコ見ると吸いたくなっちゃう」

「ふーん」


「全国の不良って何人いる?」

「さあね!」

「さすがにアデルで絞るには多すぎる」


「不良を練習してるサムはどこのサムなのかしら? 気になるわ」

サムはダークブラウンの瞳で真っ直ぐアデルを見ている。猛禽類や肉食獣を思わせる、強く真っ直ぐな瞳だ。彼女は嬉しそうに彼の視線を受け止める。

「……何故不良じゃないと?」

「社会に中指立てたい、カッコつけたいだけの男子はそんな強い目出来ないの。大体ラリってるしタバコ臭いし、タトゥーは消せても腕は注射痕だらけ」

アデルは左側のカフスを外しちらりと荒れた手首を見せ、それからサムの袖を少しめくって綺麗な肌を確認する。お互いの腕を示し「ほらね」と彼女は口にした。

「……次から左腕に赤い印付けるか」

「ふふ、そうして。なりきりたいなら」


「だから何でちょっといい感じなの!!」

「こっちの声漏れないようにして正解だったな。これ聞こえてたら兄貴めちゃくちゃ笑い堪えてるぞ」


「サムエル」

「え?」

「サムじゃなくてサムエル・オフリー。アンタは?」

本名らしい名前を聞いたことでアデルはさらに笑顔になる。

「アデリーン・アップルピンよ」


「かかった! すぐ検索! 指名手配、前歴、ヤクの使用歴からも遡れ! 全部だ!」

「アイサー!」

サムエル・オフリーは昨晩ハッカーたちが作った架空の人物。ネット上にプロフィールだけが存在する特徴のないフリーターだ。


「変わった苗字だな」

「私もそう思う」

サムことカイルはチラリと時計を気にする。

「八時になるけど、仕事は?」

「んー、サボっちゃおうかな」

「おいおい」

「サボってあなたとデートに行きたい」

「デートねえ……」

「冗談よ」

「別に構わんが」

「えっ本当?」

「サボっていいならな」

「あら……」

アデルはスマートホンを取り出し素早くショートメールを打ち始める。


「おっと? 色仕掛け成功か?」

「ちょっと兄さん何しれっとしてんの!」


「はい、今日の私は突然の三十八度の高熱で休み」

 アデルはサムエルにスマホ画面を見せる。カイルは彼女のスマホを覗くため顔を近づける。

「返信来てるぞ」

「あらもう? ……やった、休み確定」

「ズルい奴」

「いいでしょーたまには」


「スマホをハッキングしろ! 使い捨てだろうが情報は取れるはずだ!」

「アイサー!」

「アデリーン・アップルピンは見つかったか!?」

「医療履歴で五件引っかかった!」

「黒の王を含めた全員に共有! さらに遡れ!」


「で? どこに行く?」

「んー、あなたのお勧めのところ」

「お勧め……困ったな。ダチに聞いてもいいか?」

「それ素直に聞いちゃうの?」

「最近越してきたしあんまりこの辺詳しくなくて。待ってろ、すぐ戻る」

「はぁい」


 量子オレンジはトイレの個室にこもるとハッカーピザ屋より先に雇い主であるデイヴィットにメールをする。

しばらく待ち、大ボスの返事を見たカイルはハッカーたちにもメールを飛ばす。

「量子オレンジからメール! “水族館へ向かう”!」

「アイサー! デートプラン組み立てる! ちょっと待ってろ!」


 ハッカーたちの返事を受け取りトイレから戻ったサムエルはアデリーンに出発を促す。

「どこ行くの?」

「この辺りなら水族館だと」

「あそこね、場所は知ってる」

「じゃ行こう」

「ふふ、本当に誘ってくれると思わなかった」

「素っ気ないから?」

「本気にしてもらえると思ってなくて」

「ああ、そっち」

サムはダイナーを出るとアデルをスケートボードに載せ、肩を押しながら港近くの水族館を目指す。アデルは屈託のない声で笑った。




「フォーマルにしてももうちょっとお洒落なのにしてくればよかった」

「デートのつもりじゃなかったんだから無理もない」

 サンセットヒルシティの大型娯楽施設が集まる一角。サムエルこと量子オレンジはアデルのために受付で二人分のチケットを購入した。

「一日券にした。水族館とショップモール好きに行き来できる」

「やった」

「水族館すぐ行くか?」

「もちろん」


 彼らが楽しくデートをしている一方で、ハッカーたちはアデリーン・アップルピンの素性を調べていく。

「アデリーン・アップルピン。五年前ヤク中毒で死んだことになってるが企業スパイとして三年前に出現。整形前の写真はこれ」

近隣の街の医療記録から拾い出された画像にはそばかすと緑の瞳、茶に近い典型的な赤毛の少女。残ってるのはスッとした鼻筋だけで、垂れ目は吊り目に。薄い唇も厚めに。バサバサの赤毛は会社を移るごとに茶髪、黒髪、プラチナブロンドと変貌している。

「恋人と共に薬漬けで五回とも中毒症状で運ばれてる。ヘビースモーカーでタバコを持ってる写真も多い。整形をしたはずだが医療記録がない。闇医者を頼ったんだろう。企業スパイとして大手製薬会社を中心に、盗んだデータをライバル企業に高値で売りつけてる。だが買った側も次に彼女の標的になっていることから売って歩いているだけで誰か固定の雇い主がいる訳ではなさそうだ。ここまでの情報を量子オレンジに共有。そろそろ確認するはずだが……」

ハッカーたちがフードに仕込んだカメラと水族館の固定カメラで動向を見守っていると、オレンジはアデルの目を盗みショートメールを確認する。

「よし、読んだな」


 アデルは自分そっちのけで携帯をいじるサムエルに気付き画面を覗こうとする。が、サムはアデルを抱き込み画面を彼女の背に回した。


「おお上手い躱し方だ!」

「ぎゃー!」

女スパイと抱き合う兄を見てキースは声を裏返す。


「お友達のメールは後にして」

「わかったよ」

「ねえ、キスしていい?」


「ダメ!! 絶対ダメ!!」

「いやーこれはオレンジの気分によるだろ……」

 ハッカーたちが見守る中、首に腕を回されたカイルはやや悩んだ表情をして……アデルに唇を許した。

「ちょっと!!」

「オオーウ」

アデルははにかんでサムエルの鼻に己の鼻を擦り付ける。カメラには彼女のバッグに何かを仕込むオレンジの手が映る。

「おい、何か入れたぞ」

「指示にないことしてる?」

「……オレンジって普段黒王から指示受け取ってるか?」

「そのはずですけど……」

「俺たちが知らない指示受け取ってる可能性あるな……」

アデルとサムエルは水族館の入り口から移動していく。いよいよ館内へ入るのだろう。

「彼女が今働いてる製薬会社の裏の情報が出た」

「全員に共有、スクリーンに表示」

「アイサー。これだ、恐らく彼女がクスリの企業を狙ってる理由。十年以上前から上層部が進んで裏に開発途中のヤバイヤク流してる。正規開発品は路上生活者に無償で提供、危ない方はジャンキーに配布。データ取ったらこの世からご退場頂く方針らしい」

「クソだな」

「ああクソッタレだ」

「アデルはこれに巻き込まれた……?」

「可能性はあるな。他の企業も同様か?」

「まだ調べてるが、後ろめたい情報ならいくつか出てる。ほぼ確定だ」

「なるほど。となると敵討ちか……」

 二人は悠々と泳ぐジンベエサメを見ている。オレンジはちらっとメールを確認、すぐポケットにしまう。


「アデル」

「ん?」

「イルカのショーもうすぐやるって」

「いいわね!」


「ノリノリだなオレンジ」

「ぐぅう〜兄さんのデート見てらんない……」

「ブラコンには辛いな」

「ブラコンじゃない! 大事な家族に変な奴くっついてるのが嫌なだけ!」

 ショーの前にトイレへ寄る二人。量子オレンジは個室にこもると突然カメラとマイクを外し始める。

「兄さん!?」

「おいおいおい……。このトイレカメラあるか?」

「いや、プライバシー優先で設置されてない」

「出てくるのを待つしかないか……」

マイクとカメラは捨てられたような音と振動を見せ、その後トイレ前のカメラには清掃員がカートを押して出てくる様子が映る。

「念の為清掃員を追え。オレンジは?」

「まだ中だと思うわ。……出てきた」

カイルは清掃員と逆の方向、女子トイレ前の廊下で待っている。間もなくアデルも出てきて二人は腕を組んで通路を進む。

「……だんだん普通のデートになって来てないか?」

「ジェネもそう思う?」

「うぐぅうぐぐぐ……」

「キースすごい顔だぞ」

「このまま本当に恋人になったらヤダ……」

「必死ね」

 イルカショーの間、オレンジはカメラの位置や周りに注意を払っており時々表情が窺える。

「キスした後でもしれっとしてんなー。スパイ向きじゃないかお前の兄貴?」

「うぐぅうぐぐ……」

「おっとまたキスするぞ」

「うぐぅ!」

「そろそろ弟の胃に穴が空くわよオレンジ」

サムエルからキスの誘いを受けてアデリーンは嬉しそうだ。二人は軽いキスを二度三度し、しばらく顔を近付けている。違和感を覚えたリーダーが一人に指示を出す。

「二人の口元を拡大」

「アイサー」

キスの合間合間、アデルは一瞬笑顔とは程遠い緊張した表情を見せる。オレンジも周囲に気を配っておりアデルに何か話している。

「……二人だけで何か喋ってる」

「スパイだってバラしたのか?」

「まさか。兄さんは俺たちを裏切ったりしません」

ショーの休憩が入り、二人は席を立つ。トイレへ向かうのかと思われたが彼らは水族館から離れるコースを取ったためハッカーたちは追跡を続ける。

「……どこに行く気だ? そうだ、さっきの清掃員は?」

「俺たちのカメラ捨ててどっか行っちまった。あいつカメラの位置全部把握してる。清掃員じゃないのは確かだ」

「黒王の手下ならこっちに連絡が来そうなんだが……」

「兄さんどこ行くんだろう……」

「人通りの少ない道選んでるな」

カメラを追っていた別のメンバーが声を上げる。

「二人を追いかけてる別の男がいるわ」

「顔をデータベースで検索しろ」

「アイサー。もうやってるけど」

リーダーの使い捨てスマホが鳴る。相手は街の支配者だった。

「御用命ですか?」

「コード五六、引き続き監視をしてくれ」

「! アイサー!」

リーダーは即電話を切り自らのパソコンの前に座る。

「コード五六発令! アデリーン・アップルピンと量子オレンジの保護と援護を開始!」

「アイサー!」

「ええとコード五六って何でしたっけ……!」

「五六はだ! アデリーンは誰かに狙われてる!」

リーダーの声を待っていたようにデータベースに男が引っかかる。

「追手の情報出たわ!」

「全員に共有!」

「アイサー! ゴヨ・ガフ。凶悪犯よ。殺人七件、殺人未遂一件で起訴されてるけどどれも裁判前に証人が消えてて最終的に証拠不十分で釈放されてる。逮捕されてない殺人もありそうね」

「最悪だな。ゴヨ・ガフと製薬会社の関連性は!?」

「その顔見たぞ。今アデルが通ってる会社の上役の一人と一緒に飯食ってる」

「ビンゴ! 全員に共有!」

「アイサー」

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