第3話-9
「アデル、聞いて欲しい」
「なぁに」
キスをせがんだサムがまたダークブラウンの瞳で彼女を真っ直ぐ見る。彼女は彼に見つめられるのが嬉しくて笑みをこぼす。
「本名を教える。カイル・キーンだ」
「偽名なのは何となく分かってたの。スパイ?」
「今は調査員、かな。落ち着いて聞いて欲しいが、君は命を狙われてる」
「知ってるわ」
「……分かっててこんな行動を?」
アデルはカイルの首に腕を回す。
「そろそろ逃げ切れないなと思ってたの。だからあなたが現れて、ああ、もうお終いかーって」
アデリーンはカイルに密着して唇を吸う。それはそれは名残惜しそうに。
「でも私の死神がこんな素敵な男の子ならいいかって思ったの。早とちりだったのね」
「……君が死ぬ必要はどこにもない」
カイルは、小さなヒーローはアデリーンを真っ直ぐ見た。
「君を酷い目に遭わせたクソ野郎どもはのうのうと生きてて、君が先に死ぬなんてのはナンセンスだ。あいつらより長生きしろ。俺のボスが君を逃してくれる。護衛も付けてくれた。君と君の恋人の復讐は俺がする、だから」
「敵討ちだなんて思ってないのよ」
アデルは寂しそうに目を伏せた。
「薬のせいであまり長くないの。だからヤケクソって言うか、死ぬ前に自分なりに納得したかっただけ」
「アデル」
カイルは彼女の口を再び吸った。死を覚悟したアデリーンを励ますために。
「死んだらダメだ」
「酷い。あなたのせいで生きる気力が湧きそう」
「それでいい。行こう。ここだと他の人を巻き込む」
「わかった。あなたの言う通りにするわ」
アデリーンはカイルに手を引かれ席を立った。カラカラな最後の力を振り絞って。
量子オレンジはアデリーンを守りながら地下駐車場にたどり着く。背後から人相の悪い男が追って来ているのは明確だった。
「これ逃げれる?」
「大丈夫だから言う通りにして」
ハッカーたちは二人の足取りを追いながら二人の、特にアデリーンの痕跡を消し始める。
「相手は拳銃持ちだが銃のスペシャリストとは程遠い、二人を狭い場所に誘導しろ!」
「アイサー!」
ハッカーたちはカメラや施設の電波を利用し、追っ手のガフの位置を車上荒らし対策のけたたましい音で二人に知らせる。ガフが驚き、一瞬怯んだ隙に清掃員がカートでガフに突っ込む。量子オレンジはアデルを連れて時空の狭間に飛び水族館から消えた。
「飛んだ!」
「おおう魔法ってのは便利だなぁ! 引き続き俺たちは清掃員の援護を!」
清掃員の格好をした黒の王の手下は警棒を取り出すとガフと一対一で戦い始める。
「こいつ棍術のスペシャリストか? すげえな、カンフー映画みてえ」
清掃員はガフの手足を折り着実に追い詰めていく。頭に決定的な一撃を食らったガフは倒れ、拳銃は弾き飛ばされる。清掃員はカメラを一度見上げ、その後ガフと拳銃をカートに押し込み何食わぬ顔で駐車場から出て行った。数秒後、ピザ屋ではなくリーダーのスマホに連絡が入る。
「ご苦労」
「アイサー、次の仕事に移ります」
電話を終えるとリーダーは微笑みを漏らしつつ大袈裟に肩を竦めた。
「作戦終了〜だとよ。次の調べもんに移れ。の、前に打ち上げかな?」
ハッカーたちは歓声を上げながら近い仲間同士で両手を打ち合う。だがキース・キーンは己のスクリーンを睨んだまま不安そうにしていた。新人の様子を見たリーダーは彼に近寄る。
「キース」
「は、はい」
「兄貴は大丈夫だ。何かあったら黒の王が直々に対応してる」
「そう、なんですけど……」
「まあ、姿見なきゃ不安だよな。残りはいいから早々に帰りな。プライベートを大事にしろ」
「お言葉に甘えて……」
キースが立ち上がった瞬間、量子オレンジことカイル・キーンがハッカーたちの根城にシフトしてくる。兄の姿を見たキースはすぐ駆け寄って、疲労感から膝を折ったカイルを支えた。
「兄さんお帰り!」
「さすがに長距離のシフトはまだ疲れるな……。ああ、そう」
カイルはハッカーのリーダーに数枚の紙幣を差し出した。
「ボスがこれで酒でも買えってよ」
リーダーは満足そうなカイルの表情と言伝にニヤリとし、彼の弟と共に無名のヒーローが立ち上がるのを助けた。
「ダイナーでも行くか! な!」
「こう言う時こそ本物のピザ屋じゃないのか?」
「アッハッハ、言ってくれるな!」
「引っ越そう」
「なんで?」
「ボスからの勧め。ほぼ命令」
「え、ほんと? いつ?」
「すぐにでも」
「急だね」
アデリーン救出からそう間もなく、キーン兄弟は日が暮れていく安アパートの一室で寛いでいた。小振りのビール瓶を呷った兄カイルは必要最低限の荷物をまとめ始める。
「越してどこ行くの?」
「ひとまずデイヴィットが持ってる物件の一室に。その後小遣い手段も含めて考えろってさ」
「うーん、ネットワーク崩すの面倒くさいな……」
「手伝ってやるから」
「わかったよー」
緊張感のない声でキースはビールの残りを飲み干す。だるそうに腰を上げると彼は自分の部屋に扉を開けたまま入って行った。
カイルは最低限の服と身分証、銀行の通帳などをリュックに詰め込み弟の部屋を覗く。
「持って行くのは最低限にしろ」
「そうなるとこのタワーパソコンと周辺機器全部だね」
「スクーターで運ぶのは無理か?」
「兄さんが全部背負ってくれたら何とかなるかも」
「分かった、全部背負う」
「冗談だよ。ちょっと待ってて」
キースはパソコンを起動させると手早く自作ソフトを起動させ、放置したまま服や大事な物をリュックに詰め込んでいく。カイルが画面を覗くと、弟のプログラムはアカウント情報や様々なサービスに紐づけられた個人情報を片っ端から消している。
「すごいな。こんなもの作れるようになってたのか」
「兄さんが寝たきりになって金を稼ぐ手段になりふり構わなくなったから、危ない仕事もやるようになったんだ。そのおかげであのアジトにいる訳なんだけど……。そのプログラムも仕事のついでに作ったんだ。どこかで使うだろうってリーダーが言うから。本当に使うと思ってなかったけど」
荷物をまとめ終えたキースは兄の隣に並び、青白い画面を見つめる。
「……色々あったね、この五年」
「そうだな」
「俺たちどうなるんだろう」
「悪いようにはしないってデイヴィットが言ってくれた。信じよう」
「……そうだね」
キースのパソコンは最後に自身を破壊して完全に沈黙した。カイルは肩を竦め、手の平でパソコンを示す。
「持ってくのか?」
「まさか。大事な情報は全部こっちにある」
弟はリュックにしまったノートパソコンを示す。
「そこは脳みそに、とか言うシーンじゃないのか?」
「残念ながらソースが残ってないと二度手間になるから」
「あっそ」
「リーダーが持ち歩くのは最低限にしろって言ってたけど、スマホに仕込むサイズには出来なかったよ」
「今は色々すごいんだなぁ」
「……兄さんもすぐ追いつくよ」
キーン兄弟は一台のスクーターに乗り、サンセットヒルシティの夜の闇に消えていった。彼らを追う者は護る者に限らないが、それでも黒き王の庇護の下にある限り凄惨な結末を迎えることはないだろう。
二人の小さなヒーローの行方を知るのはウサギの面の忍者と、ほんの少しの知人だけであった。
アメリカ東部、サンセットヒルシティ。そこは他の都市とそう変わらぬ裏組織がいて黒い噂が流れる街。その支配者たる男は人ですらなく、名を堕とした神の末裔。
「隠れ家の暮らしはどうだ」
太陽の子孫、黒き子。デイヴィットは己が支配する街の一角でタバコを蒸していた。傍らには彼に奢ってもらったカフェオレを啜る濃灰色のパーカーの青年。
「悪くない」
「そりゃよかった。副業は決まったか?」
カイルは数日前グローブ・ウォッチから聞いた言葉を思い出す。
──デイヴィットから報酬を受け取ると毎月結構な額になる。例えクリーンな金でも出所不明の金ってのは処理に困るのよ。それに、税金の取り立ては親父でも避けられん。親父に副業を勧められたら素直に頷いて無理のない範囲で始めろ。
「キースと相談したんだが、時間が自由に使えて隠れ家にも出来るって発想でキッチントレーラーがいいんじゃないかって」
「キッチントレーラー! ハンバーガー屋にでもなる気か!?」
「そこまで決めてない」
「料理人になりたいなら知人を紹介するぞ。短期間でそこそこの腕前に仕上げてやる」
「んー……」
カイルは手元のカフェオレを見つめる。
「……コーヒーとサンドイッチの店がいい」
「えらく健康思考だな」
「つまみ食いを考えると俺もキースも酒よりカフェオレなんだよ」
「なるほど。それなら……あいつがいいな」
デイヴィットは懐から名刺を取り出して青年に手渡し、すぐさま携帯を取り出す。
「……おお、久しぶり。その後どうだ? ……ほほー。うんいや、実は弟子入りさせたいのがいるんだが、まだ料理のりの字くらいしか解ってないんだ。頼めるか? ……おお、ありがとう。これから向かわせる。じゃ」
魔の王はにんまりとした顔をカイルに見せた。
「面接はしてやるってよ」
「助かる。すぐ行くよ」
「おお、頑張んな」
カフェオレ片手に去って行く濃灰色のオレンジパーカーを悪魔は穏やかな視線で見守る。
これから彼が辿る未来への道をそっと祝福し、黒き王はカフェオレを呷った。
──第3話『街中の星たち』・完
次作:第4話『月の子どもたち』
【長編】黒炎の王と星を視る娘 ふろたん/月海 香 @Furotan
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