第三話

第3話『街中の星たち』

 レイ・ランドルフ・ローランドに恋人がいると知った時の驚きようをどう表現しよう?

入院中の萎びたオレンジことカイル・キーンは車椅子の上で大層驚いた。

ペンキをこぼしたような真っ青な海色の髪をしていて瞳がマゼンタの悪魔は、身動きが取れない人間の病室に押しかけて平然とお前の魂を食ってやると言った。そんな奴に恋人がいるのか? カイル・キーンは目の前で腕を組んで並ぶ年若い男女を開いた口でずっと見るしかなかった。

「……誰?」

アンジェラ・エヴァンズが真っ先に声を出した。アンジェラとカイルの接点はレイだけであり、その接点が気まぐれで恋人を連れて来なければ二人は出会うことはなかった。

「カイル・キーン。超能力者だよ」

「ふーん」

黒髪と揃いの睫毛は長く、目鼻立ちが整いながらも素っ気ないアンジェラはカイルに興味を持たない。

「……アンタ恋人いたのか」

「いるよ。可愛いでしょう? あげないけど」

「横恋慕なんかするかよ」

「そう?」

恋人アンジェラの髪に口付け、レイ・ランドルフ・ローランドは近くのコーヒースタンドで買って来たであろうカフェオレをカイルに差し出す。

「自販機の薄いコーヒーじゃなさそうだ」

「デイヴィットの知り合いの店のさ。美味しいよ。あげる」

「アンタがタダで差し入れを?」

「この後シュークリームを持ったデイヴィットが来る」

「あっそ」

レイは元超能力者カイルにカフェオレをしっかり持たせると恋人と共に病室を出て行く。

ほんの数十秒、ほとんど入れ違いに黒髪のデイヴィットが病室へ来た。もちろんシュークリームの袋を持って。

「よぉ、オレンジ」

「……オレンジじゃない。甥っ子が来たぞ」

「知ってる。ちょっと散歩しよう」


 デイヴィットに車椅子を押されたカイル・キーンは、病中、病後の人々が思い思いに過ごす中庭を眺めながらベンチの脇まで移動する。デイヴィットは自分とカイルの膝上に紙ナプキンやらシュークリームやらをちゃっちゃと広げ、早々にシュークリームにかぶりつく。

「んー、美味い」

隣の魔王の顔を見てからカイルはクッキー生地で覆われた大きなシュークリームを手に取って口に含む。

「……ザクザクしてる」

「美味いだろ? 借金苦で死にそうだった奴をシュークリーム屋で修行させたらめちゃくちゃ上手くなってな。お前はシュークリーム作りの天才だって今日も褒めて来たところ」

「アンタの交友関係は広すぎて読めないな……」

「俺の特技であり長所であり、戦略の一つでもある。表社会の奴らには迷惑かけないつもりだが、ピンチの時思わぬ形で助けてくれたりする。友人は多い方がいい」

「なるほど。このカフェオレの店も知り合いなんだってな?」

元超能力者はトールサイズの紙コップの、店名がついたラベルをこの街の支配者に向ける。

「そいつは店を持ちたいが資金が足りねえってんで融資してやった。おかげでこの辺で一番のコーヒースタンドって訳。俺はこの辺で美味いコーヒーの調達に困らない。奴は店が持てて幸せ。奴のコーヒーのファンも毎日幸せって訳よ」

「いいこと尽くめか」

「そー」

コクのあるカスタードをカフェオレで何度かさっぱりさせながら、二人はシュークリームを胃に収めていく。

「話って?」

「ん。そうそう、お前いま能力使えないだろ?」

「誰かさんが植物状態から起こしてくれたおかげでな」

「おい、そりゃ恨み言か?」

「感謝と半々だ」

「オー、怖いね。じゃあ力が取り戻せるかもって話はやめとくか」

「……何だって?」

オレンジことカイルは思わずシューを食べる手を止めた。デイヴィットは彼の顔を見ずクリームを貪りながら懐から名刺を出す。名刺は真っ黒な厚い紙に鮮やかな青色で文字が刷られており、高級感を醸し出している。

「エージェント・シー?」

「表向きは高級スポーツ・サロン」

「実情は?」

「うちの一族が経営してる異能力者養成所」

カイルはぽかんとして黒い名刺をもう一度眺める。

「アンタの一族何でもやりすぎ」

「はっは! 褒め言葉として受け取っておこう!」

隣の青年がシュークリームを食べ終えると、デイヴィットはまだ車椅子から降りられない彼の代わりにナプキンや紙コップをひとまとめにしてゴミ箱に投げ入れる。

「ナイッシュー」

「どーもどーも。さて、病室戻るか」

車椅子を動かし黒髪の悪魔は青年と来た道を戻る。

「養成所の詳しい話は?」

「お前の返事次第」

「聞きたい」

「即断だな」

「まだやれることが残ってる」

「そうだな。お前は根っからスーパー・ヒーローだよ」


 病室に戻り、カイルが横になるのを手伝ってから魔王は懐から黒いパンフレットを取り出す。

「エージェント・シー。名前通り施設からは海が一望出来る」

パンフレットを開くと高級サロンらしい、様々なジムが収容されていると過剰で魅力的な宣伝文句が目に飛び込んでくる。

「この辺じゃないのか」

「施設の強靭度とか色々な理由で離島に建ってる。通ってる奴には目からビームが出るようなのもいるからな。当然と言えば当然」

「……この利用金額は誇張でも表向きでもないんだろ?」

カイルはパンフレットの料金表を指でトントンと叩く。

「そう、最低五十万ドル年間払い。初年無料なんて優しい制度はない。だが、お前に勧めるのはこっち」

デイヴィットは料金表の下に記載された『リハビリプランもございます』と謳い文句の枠を示す。

「リハビリって文字通り?」

「おう。一度能力を何らかの形で失ったか、お前みたいにギリギリ生還して日常生活がままならない奴らが集まる方のクラス。それぞれの回復具合に依存するから訓練期間がバラバラ、料金も個別で組む。五体満足で年間料金を払える金と言う名の保護者の後ろ盾があるお坊ちゃんお嬢ちゃんどもとは違う、前線で死地を潜り抜けて来た戦士や色んな事情の奴が来る。お仲間だ」

「金がない」

「俺が出す」

「見返りは?」

「俺の私兵になること」

「……アンタ私兵いくらでもいるだろ?」

「増やして困ることはない。もしお前に何かあったら真っ先に弟の面倒見てやる。お前の面倒も一生見る」

「……魅力的だな」

「俺は一度払うと決めた金と手間は惜しまない」

「知ってるよ」

カイルは両手で顔を拭い、息をついてパンフレットを再び眺める。

「……リハビリが長期間になったら?」

「その時はその時だ」

「年払いの五十万ドルを越えても?」

「二言はない」

「それだけの投資をする価値が俺にあるのか?」

「知らん。この世に絶対はない。リハビリに行ったら逆にお前がダメになるかも知れん。だが俺はお前がクヨクヨする前に戦士に戻れる機会を転がせるし、そうとわかったら実行に移す」

デイヴィットは椅子にゆったりと座りながらも言い切る。カイルは両腕で頬杖をつきながらこの街の支配者の顔を見る。

「……アンタはすごい」

「ふ、急にどうした」

「資本があるとか家が裕福とか、そう言うレベルじゃない自信がアンタにはある。それがすごい」

「統治者の風格ってやつか?」

「それ」

「んだよ茶化そうと思ったのに。ガチ褒めか?」

「ガチで褒めてんだよ」

「そうかい。さんきゅ。じゃあ、返事は聞いたようなもんだが一応聞いていいか?」

頬杖を解き、元超能力者は魔王を真っ直ぐ見た。

「アンタの兵士になる。だから通わせてくれ」




 水平線の名にふさわしいどこまでも続く大水を見て、カイル・キーンは唖然とした。完全な孤島で交通手段はヘリか小さいジェット機のみ。デイヴィットと彼の執事スティーブ・サイモンによってカイルの車椅子は目の前にある大きなスタジアム型施設に飲み込まれていく。

「ジーン!」

「久しゅうございます我が王。お待ちしておりました」

青い髪の名残がある初老の施設長らしき女性と、茶髪のいかにもアスリート体型でジャージ姿の女性コーチが彼らを出迎える。デイヴィットは施設長とハグをし、頬同士のキスを交わす。

「彼女は所長のジーン・ジェシカ・ジャスティーン、俺の親戚。若い方は新人コーチのケリー・ライン。候補に上がった中では所長一番のお勧め」

「どうも」

簡単な挨拶だけで済ませたカイルを見てデイヴィットは肩を竦める。

「素っ気ないが悪気はない。長年の反動でな」

「解ってるわ。ここには色んな戦士が来るから」

ケリー・ラインはカイルの前に歩み寄ると屈んで視線を合わせる。

「どうぞよろしく。一生懸命あなたをサポートするわ」

笑顔のラインを見てもカイルは興味を持てずふっと視線を外す。

「悪い」

「構わないわ」


 デイヴィットが用意した書類に目を通した所長ジーンとコーチのラインは愕然とする。

「空間移動能力ではなく確率干渉能力……?」

「決定前の分岐世界の覗き見も出来る。有効範囲は限りなく少ないが、俺の見立てじゃ時空魔法の領域に足突っ込んでる。カイル、自分の能力だから説明出来るだろ。詳しい話は自分でしな」

「あー、ええと……」

カイルは身振り手振りを加えながら能力を使う時の感覚を言語化しようと模索する。

「まず周りにたくさんの可能性が視える。上下左右関係なく万遍に。それで足元が自分がいる選択肢の現在。隣接してればそれぞれ別の選択をした可能性。真上が場所も選択肢も変えてない未来。未来って言っても何年も先には行けない。せいぜい数分。体の前は比較的飛びやすい選択肢の現在から未来への途中で、体の後ろは飛びにくい、つまり選択肢が現在からかなり遠い場所と時間になってる。この俺がどれかを選んで飛び込んでも他の選択先にはそれぞれの俺が発生するから世界から俺が消えることはない。その時……視える光景は万華鏡と言うか、オレンジの輪切りが何個も並んだような見た目なんだ」

「ほう、そんな感じなのか。だからヒーロー名の由来がオレンジなんだな」

「ヒーロー名として名乗ったことはないが、あだ名を付けるならそうだろうなと」

デイヴィットはにんまりして腕を組む。

「<確率のオレンジ>。いいじゃねえか。かっこいいぜ」

「そんな名前になるのか? 俺」

軽口を叩き合う魔王とオレンジをよそに、所長とコーチは話を聞いた上で書類に追記をし、唸る。

「時間干渉系だとコーチを変えないといけないわ」

「ケリーじゃダメか? お勧めの子なんだろ?」

「この子は瞬間移動能力なの。あくまで空間に限った能力だから時間干渉は出来ないわ」

「ジーン、言っておくがカイルと全く同じ能力を持っている人間を探し出してコーチにしたいなら数十年かかる。俺のだ」

黒い王の言葉を聞いた所長は目を閉じて首を振り、額に手を当てる。

「参ったわね」

「空間移動能力者と時間干渉能力者のダブルコーチにする方が手っ取り早いはずだ。そうしろ」

「……私たちの黒き王がそう言うならその通りなのでしょう。では二人体制で様子を見ます」

「よかったなカイル。先生が倍だ」

「倍の金かかりそう」

「お前が払うんじゃないからいいだろ?」

「心が痛む」

「いい子だなぁお前」


 能力の稀有さもあり入所はあっさり決まった。カイルはデイヴィットの衛星電話を借り弟のキース・キーンに電話をかける。

「もしもし」

「キース」

「兄さん! 面接どうだった? 入れそう?」

「入所決まった」

「そっか! よかった。リハビリも出来てヒーローにも戻れるなら一番いいよ」

「そう言ってくれるか」

「俺もヒーローの兄さん見たいしね」

「素直だなほんと。じゃあしばらく頑張ってみる。またな」

「ちょくちょく連絡入れてね!」

「ああ」

すぐそばで待っていたデイヴィットに衛星電話を差し出すと、魔王はふかしていたタバコを灰皿に捨て電話を受け取る。

「頑張るよ」

「頑張りすぎなくていい。音を上げそうなら連絡しろ。とっとと迎えに来る」

「……わかった」




「デイヴィットさんの意向で期間は決めずに始めるから、まずここでの生活に慣れてね」

 ラインコーチはハキハキと笑顔で話しながらカイルの車椅子を押し、彼がしばらく寝泊まりする部屋へ案内する。部屋と言ってもそこは病室、四人部屋であり、寝たきりの重篤患者と四肢を完全に欠損した戦争帰りのような兵士や己と同じ車椅子の少年などがいる。

お仲間だな。デイヴィットが言ったのと同じ感想を抱いているとカイルは空いたベッドに座らされそうになる。青年は歳のそう変わらない女性の腕を掴んで止める。

「初日は寝てろとか言わないよな?」

「その通りよ。長距離移動で疲れたでしょう?」

「勘弁してくれ、遊びに来たんじゃないんだ。せめて施設ぐらい見て回りたい」

「そう? あなたがそう言うなら」

ラインコーチはカイルの荷物をベッド付近の棚のどこに何を置いたか説明しながらしまっていき、仕分けを終えると再び車椅子のハンドルを握った。

「じゃあまず一番使うだろう場所から順にね」


 スポーツジムの振りをしているだけあって、養成所にはバスケットコートもテニスコートも、サッカーもアメフトも出来る野外コートも充実していた。

「私ここへの所属が決まった時びっくりしたの! 確かに介護の資格もスポーツトレーナーの資格も持ってたけど、まさか超能力を持ってたことで優遇されるなんて」

案内とは別にお喋りな性格のケリー・ラインに辟易してカイルは溜め息をつく。

「……もう少し静かに案内してくれると助かる」

「ああ! ごめんなさい! あなたが初めての担当だから嬉しくてつい」

「はしゃいでんのはわかる」

「私も初日なの。お互い様ね!」

カイルは再び溜め息をつく。

 ラインコーチは受付、トイレ、食堂など生活に必要な箇所を案内し終えると嬉しそうに車椅子に加速をつける。彼女が最後に紹介したのはだだっ広い屋内競技場だった。

「あなたが主に使う訓練場よ! 私も個人訓練で使うの。長距離走も出来るトラック付きの屋内施設なんて素晴らしいじゃない?」

「わかったからはしゃぐのをやめろ」

「あら、ごめんなさい。うふふ、これじゃどっちがコーチか分からないわね」

ケリー・ラインはそう言うとジャージを脱ぎ出す。体にぴったりしたウェットスーツのような格好になると彼女は体をほぐし始めた。

「何してる?」

「私の能力を見せるわ! 見ていて!」

若きコーチはそう言うとトラックへ走り出す。二、三周軽くジョギングをするとケリーは全速力で駆け出し、トラックの端から端まで一瞬で移動した。勢い余った彼女は壁にぶつかりかけた。

「おっととと!」

爽やかな笑顔でどう? と聞きながらコーチは戻ってくる。

「助走が要るのか」

「私の場合はね。あなたは違う?」

「俺は時間の隙間に逃げ込む感じだから、予備動作は要らない」

「うーん、そうするとやっぱり時間干渉者の方が発動の感覚を理解してくれそう……」

気分を切り替えるように彼女は手を打つ。

「よし、このあと別のコーチを紹介するわ」


 ケリー・ラインのお喋りにうんざりしながらカイルは二階の講義室へ移動する。時間移動者の男性コーチは黒い髪を肩の高さで切り揃え、いかにも魔術師ですと言わんばかりに黒いローブを着ていて、カイルはホグワーツにいそうだと空想した。男性はジーン所長と話をしていて、二人が近付くとこちらを見る。

「所長、キーンさんが早速施設を見て回りたいと仰るのでお連れしました」

「ありがとう。キーンさん、こちら時間魔術の使い手でウォルター・イザード。超能力者ではなく魔術師なの。貴方を担当する二人目のコーチよ」

「よろしくお願い申し上げる」

「どうも」

イザードはカイルの目の前で手を差し出す。握手だと思ってカイルが応じると、二人は手を繋いだままカイルの能力発動時の空間にいた。

「ふむ、なるほど。これは確かに時空魔法の領域だな」

「アンタ、人の能力覗けるのか!?」

「いや?」

イザードが手を離すと二人は元の時間に戻っている。

「君に纏わる話を聞く限り、能力発動時に心象異界か空想結界に飛んでいるのではと睨んでいたのだが、合っていたな」

「二人が一瞬消えたわ!」

「所長、やはりキーンの能力は小型だが時空魔法に限りなく近い。肉体の回復はライン氏、講義は私の担当が良いと思われる」

「ええ、そうね。そうしましょう。どう? キーンさん。まずはこの二人でいい?」

「訓練出来るなら誰でもいい」

「キーンさん、相性は大事よ。合わなければ都度変えるから、相談は気軽にして頂戴」

「……わかった」

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