第3話-2

 カイル・キーンの懇願こんがんもむなしく初日から訓練は与えられなかった。代わりに午後一時間だけイザードの講義が入るため、カイルは購買にノートと鉛筆を求めに行った。帰り際、彼はバスケットコートで球技を楽しむ若者たちを見かける。彼らから感じ取れる雰囲気は弟と変わらず、カイルの二、三歳下といった様子だった。

(立てないだけなんだよな)

己の足を見ながらカイルが物思いにふけっていると、近くにバスケボールが転がってくる。

「ごめーん! 取って!」

カイルは車椅子を動かし屈んでボールを拾い、育ちの良さそうな栗毛の少年に投げて渡す。

「ナイスパス!」

少年たちは再び遊びに戻って行った。カイルはふと、自分も事故に遭わなかったら大学生活くらいは出来たのだろうかと思いながら病室へ戻って行った。


 昼食の時間になり、カイルはラインコーチに連れられ食堂へおもむいた。歩けはしないものの手や上半身を動かすのに既に不自由がないので、病室での食事でなくとも大丈夫だろうと言う介護士ラインの判断だった。

「補助も兼ねてとなりで食べていいかしら?」

「どうぞ」

またあのお喋りを聞かされるのか、と思いながらカイルはトレーに載ったミネストローネを口に運ぶ。

「ん、美味い」

「美味しいわよねここのご飯! すごいのよ、栄養価もきちんと考えてるしトマトソースも種類たくさんあって!」

「アンタ管理栄養士の資格も持ってそうだな」

「どうしてわかったの!?」

「当たりかよ。資格マニアか?」

「勉強が楽しいの!」

「あー、全国の不良が聞いたら卒倒しそうな趣味だな……」

 ケリーの声に張りがあるからだろうか、近くに座っていた生徒らしき少年の一人がこちらに振り向く。彼は栗毛に紫の瞳をした、先ほどバスケットコートにいた少年の一人だった。少年はカイルに気付くと己のトレーを持って席を立った。

「やあ!」

「……ああ、さっきの」

「あら、もうお友達が出来たの?」

「友達じゃない」

「えっ!? いやいやこれから友達になるよ! そうとも!」

栗毛の少年はカイルに握手を求め右手を差し出す。

「トム・ワッツ。よろしく」

「カイル」

 カイルはトムの握手には応じず、挨拶あいさつだけで済ませる。トムは行き場がなくなった手を残念そうに引っ込める。

「カイル! 高校の友達と名前がおんなじだ! ファミリーネームは?」

「キーン」

「じゃあKKだな!」

黙って食事を進めるカイルを見てトムは何とか話を繋ごうとする。

「車椅子ってことはリハビリクラス?」

「聞かなくてもわかるだろ」

「今日来たんだよね!」

「そうだ」

「能力は? 俺は人物再現」

「……人物再現?」

 やっと自分に興味を持ってくれたカイルの視線を受け、トムの目が輝く。

「そう! 見たことある人に変身出来る能力。変身能力にもジャンルがあって、俺は人間限定。他の動物とか無機物になれる子もいるよ!」

「あー、人狼とかそう言う類い?」

「そうそう、昔はそんな風に呼ばれてたみたい。世界には本物の人狼もいるらしいけどね」

「ふーん」

 また興味をなくして食事を再開したカイルを見てトムは苦笑い。彼もようやく自分のチーズバーガーを口に運ぶ。

「ミネストローネ?」

「野菜入ってるから。健康考えて」

「わかるー。キャベツ美味しいよね」

 会話を受け取ろうとしないカイルを見てトムは思わずケリーに視線を向ける。ケリー・ラインは肩をすくめてコーンスープを飲む。

「ワッツさんは去年入ってきたのよね」

「そう! まだ一年だから訓練は程々かな。ここは大学じゃないけど大学と同じぐらい楽しいよ、そう思う」

 カイルはふっと笑う。トムもケリーも日々繰り返される事件も惨劇も知らずに過ごしている幸せな世界の住人なのだろうとよく理解した。しかしカイルはデイヴィットの私兵として働くためにここへ来た。生温い交友関係は不要だ。明日から彼らとは程々に付き合おうと考えながら、カイルはチョコバーをかじった。


 昼食後。トムやケリーは自分達の訓練におもむいたためやっと静かな時間を、カイルは小さなバスケットコートで一人ボールとたわむれていた。リズムよくボールをゴールに入れ、転がってきたら掴みまた投げる。ゴム製のボールが床を擦る音を聞いていると松葉杖の音がし、誰かがカイルの横に立つ。

 見上げるとヒゲが茫々の老人の男性。彼はカイルの顔を見るとへっと笑った。老人の顔つきは戦場を駆け抜けてきた者のそれで、カイルも直感的に仲間だとわかる。

「いい顔してるじゃねえか若ぇの」

「どうも。カイル・キーン」

青年は今日初めて自ら握手を求めた。老人は左手で握手に応じる。

「フランク・ウェイトだ」

カイルはフランクの足を見る。老人は右の膝下を失っていた。

「爆弾でドカーン、よ」

「痛そうだな」

「痛かったぜぇ」

 続きを、とフランクが促すのでカイルは再び一定のリズムでボールを投げては取る。

「爺さんはどこに居たんだ?」

「アフリカ。秘密作戦中だったんだが失敗してこのザマよ」

「それは残念だったな」

「残念も残念、最悪も最悪よ。せめて足が残ってりゃ作戦は成功してた」

「そうか」

 カイルのボールが手元に戻らず好き勝手に転がってしまうと、フランクが取りに向かう。老人はボールを抱えたまま近くのベンチに腰を下ろす。カイルは老人の正面に移動し、キャッチボールを求めた。フランクは笑顔になると松葉杖を置きボールを跳ねさせる。

「坊主はどうした。車椅子だが」

「五年前に交通事故に遭って、数ヶ月前まで植物状態」

「ほー?」

バスケットボールが床を擦る。キュッキュと音が鳴る。

「死んだと思ったんだが生きてて、気付いたら超能力者になってた」

「植物状態でか?」

「シュレーディンガーの猫って知ってるか?」

「いや?」

「こちらが観測するまで死んでるか生きてるか分からない、毒ガス入りの箱に入った猫のことだ。俺はそれに近かった。植物状態で横たわってる俺と、事故に遭わずピンピンしてる俺の両方が両立してて……」

「あー、分身ってやつか?」

「そう思っていい。ピンピンしてる方の俺は決定される前の選択肢の隙間を動けるようになってた。時間と時間の隙間だ」

「オーゥ、時間干渉系か」

「後見人は時空魔法の領域だと言っていた。ここの魔術師イザードも同じ感想らしい」

「ほー。先生がいるのは知ってるが、魔法なんて本当にあんのか?」

「ある。知り合いが使うところを見た」

「へー、じゃあイングランドにハリー・ポッターもいそうだな」

「どうだろうな」

フランクがはっはと笑うと、カイルもやっと笑顔を見せる。

「爺さんの能力は?」

「俺は超加速。ひたすら速く走れるってやつだ。若い奴に言わせるとライト・スピードだとよ」

「光速で走れるのか?」

「いやぁさすがにそこまでの速さは出したことねえ。速いほど反動が辛いしな。理屈としては自分の体に時間加速をかけてスピード出してんだとよ。おかげで体がボロボロって訳」

「……爺さんもしかして俺が思ってるより若い?」

「幾つに見える?」

「八十ぐらいかなと」

「ジジイはジジイだ。七十二」

「あー、肉体に副作用が出るタイプは辛いだろうな」

「はっはっは! 七十年の付き合いだから今更だけどな!」

「たしかに」

キャッチボールに飽きたカイルは車椅子をベンチの横につける。

「でもここにいるってことは体ボロボロでも復帰する気なんだろ?」

「足がなくても能力は失ってねえ。まだ何か出来るはずだ」

「ああ、俺と一緒か」

「おめえもか」

「車椅子の上でぐずぐずしてる暇なんかない。助けが必要な人はいくらでもいる」

「ああ、おめえはその年ですっかり戦士になっちまったんだな。苦労するぜこれから」

「就職先なら決まってる」

「ほー! そりゃおめでとう。どっかのヒーローグループか?」

「私兵だ」

「苦労するぞ」

「知ってる。でも酷い雇い主じゃないと思うし、何もしないよりいい」

「ああ、そうだよな……」

二人の戦士は中空を見つめる。そう、足が取れようが腕がもげようが止まっている暇など彼らにはない。それぞれの戦場で悲鳴を上げて助けを求める人たちがいる限り、彼らは立ち止まることなど許されない。

「カイル」

「なんだ」

「またキャッチボールしよう」

「ああ、いいよ。明日は?」

「いいぞ。見かけたら声かける。俺ぁ病室戻るわ。おめえは?」

「これから講義」

「そうかい。頑張んな」

「ああ、ありがとうフランク」


 ノートと貸し出された角の折れた教科書を持ち、まるで学生のようにカイルは講義室に顔を出した。魔術師イザードは教壇の横で本を読んで暇を潰していたので扉をノックする。

「来たな。では……ふむ、最初に君の空想結界をもう一度見せて頂こう」

 カイルは魔術師イザードと体の向きを揃えた状態で手を繋ぎ、己の世界に彼を招く。見える選択肢の位置、遠さ、隣接する可能性の無限性などを説明し元の軸に戻ってくる。

「俺は別の選択肢に飛ぶことを、選択肢を変えず数分未来に飛ぶことをと呼んでる」

「なるほど。だが資料に目を通す限り、君は現在地から遠い場所への空間転移もやってのけている。この場合はどうする?」

「それはシフトの応用なんだ。普通のシフトより集中力がいる作業で、“もし今ここに居なかったら”と言う選択を選び続けて離れた位置にいる自分の可能性を引き摺り出す。感覚的には狙った方向に飛び込む瞬間に滞空時間を引き伸ばして選択肢をズーム、短い時間で判断をつけて転移先を選んでる」

魔術師イザードはカイルの説明を聞いて顎に手を添える。

「何か?」

「いや、これだけの時空転移を感覚のみでやってのける者が人間に存在すると言うのが不思議でな。君は親戚に神か悪魔か天使か、何でもいいが人以外の存在がいないかね?」

「うーんどうだか。うちは両親が駆け落ち同然で親戚の話は一切聞かなかったもので……」

「親戚筋を調べた方がいいかも知れん。君がやっている時空干渉は空想結界の展開と言う特殊性も相まって、古来の神々がやっていた<かくあるべし>と言う奇跡に近い。己の意思で周囲の環境を変えてしまう御業だ」

「……俺の親戚にこの施設を建てた一族のような者がいると?」

「その可能性が非常に高い。君は死に瀕して血に眠っていた能力に目覚めたのだろう」

「すごい話」

他人事のようにカイルは肩を竦める。魔術師イザードは顎に手を添えたまま再び物思いに耽る。

「……この能力で失敗したことは?」

「何度もある」

「その場合君はどうなる?」

と言う結果が残る」

「ふむ?」

詳しい説明を求めイザードは掌をカイルに向ける。

「俺の能力はシュレーディンガーの猫、量子論の思考実験がそのまま具現化したようなものだ。常に死んでる自分と生きてる自分が半々の可能性になってる。ジャンプやシフトに失敗すると言うことは死を意味する」

「リスクが高いな」

「高いなんてもんじゃない、文字通り必死さ。死んでしまったら続き、未来がない。失敗したと思ってすぐ飛ぼうとしたことがあったけど、同じ場所が黒く塗り潰されていて選べなくなるんだ。最初からその選択肢はなかったようになる」

「君が死んだ分岐世界が発生すると?」

「ああ。シフトでもジャンプでも失敗した俺は世界から弾き出される。だから居ないんだ」

「……なるほど、転移に失敗した君と発動前の君の可能性が半々になるなら、残った意識は生きている肉体を優先すると言うことか」

「多分……」

「ますます興味深い」

魔術師イザードはカイルから聞き取ったことをバインダーにメモしていく。

「リハビリと並行して君の親戚筋を探そう。もしかしたら師匠にあたる人物がいるかも知れない」

「先生がそう言うならそうする」

記録を終えるとバインダーを教壇に置き、魔術師は立ち上がる。

「では時間と空間とは何か? 魔術的、物理的にどう違いがあるのか。基礎的なことからやっていこう」


 カイルは講義内容を復習するため図書室から本を借り、食堂でコーヒーとドーナツを傍らにペンを走らせている。病室で暇を持て余すよりずっといいと思っていたが、しばらくすると年間クラスの面々が訓練を終え大量に押し寄せる。

(静かで最高だったのに)

カイルは残りのドーナツをコーヒーで流し込むと、食堂を避け病室に戻ろうとする。

「KK!」

昼間聞いた元気な声を耳にし、カイルはうんざりしながら無視しようと車椅子を進める。

「KK! 待って! あの、おーい!」

トム・ワッツは羨むほど健康な体を活用しカイルの前に駆け込む。

「やあ!」

「……退いてくれ」

「あー、一緒におやつどう?」

「もう食った」

「じゃあ購買の菓子おごる! だから一緒に」

「あのな」

「友達に紹介するから!」

「おい!」

カイルはトムの言葉を遮る。

「歳が近いから声かけてんだろうが、俺はお前みたいなピーキャー騒ぐ連中が生まれてから此の方ずっと嫌いなんだよ。いいから、黙って、お友達のところへ帰れ」

カイルが静かな怒りを表して食堂を指差すとトムは寂しそうな微笑みで両手を上げる。

「……ごめん」

「新人構うより元々の交友関係を大事にしろ」

すっかり不機嫌になったカイルはトムにさようならも言わずエレベーターに乗って病室に戻る。トムは肩を落として食堂に戻って行った。

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