第3話-3
病室に戻ると同室の、天使のような金髪の少年と目が合う。彼は車椅子に腰掛けベッド脇でくるくると回っており、つまらなさそうに口を尖らせている。
「おい」
声に反応して顔を向けると、鳶色の髪の四肢を失った兵士らしき痩せた中年の男性がカーテンを示す。
「カーテン閉めろ。そのガキのせいで俺まで目が回る」
「ああ、わかった」
カイルはカーテンを引いて自分たちと兵士たちの境界を作る。兵士は盛大な溜め息をついて礼も言わない。
(まあ礼なんざ期待してないからいいが……)
カイルは自分の力でベッドに転がり教科書や学術書、ノートをベッドに据えられた幅の狭い机に移動させる。さて勉強をと思ったら金髪の少年が車椅子で近付いてきて、自らのお絵かき帳とクレヨンをカイルの机に置き始め無言で何やら描き出す。
カイルはやや驚いたが、騒がしいトム・ワッツよりはマシと考え少年のためにスペースを譲り勉強を始める。
しばらく読書に集中していると金髪の少年がお絵描きの手を止め青い瞳でこちらを見つめている。
「……魔法のべんきょう?」
「まあな」
「楽しい?」
「楽しくはない。必要だからやってる」
「そっか……」
少年は何度か瞬きをしてお絵描きを再開する。カイルは少年の名が気になり隣のベッドを見るとイアン・ベイリーと書かれたネームシートを見つける。
「イアン?」
「ん?」
「名前」
「そうだよ、イアン。お爺ちゃんと同じ名前なんだ」
「なるほど。俺はカイル」
「よろしくカイル」
二人は握手を交わす。
「お前も車椅子か」
「そう、交通事故」
「一緒だな」
「カイルも? 痛かった?」
「事故の瞬間は覚えてないんだ。リハビリはすげえ痛かったけど」
「そっか」
少年はお絵描きに集中し出したので会話を無理に続けず勉強を再開する。しばらくするとまたイアンが口を開く。
「お爺ちゃん死んじゃったんだ」
「ふーん」
「僕のせい」
カイルはその言葉でノートから顔を上げる。イアンの肩を揺すり、視線をこちらに向けさせる。
「お前のせいじゃない」
少年は頑なに首を振る。
「僕のせいなんだ。お爺ちゃんにおやつをあげようとしたから」
「そうだとしても、お前のせいじゃない。事故は事故だ。お前のせいじゃないよ」
カイルのその言葉でイアンは涙を浮かべ、カイルの膝で啜り泣く。カイルは少年の頭を撫でた。
「お前は悪くないよ」
誰かにそう言って欲しかった言葉をカイルは少年にかける。イアンのそばへ移動し、青年は少年を抱きしめた。
イアンは塞ぎ込んでずっと一人で食事をしていたそうだ。カイルは少年を食事に誘い、お馴染みとなった介護士たちとエレベーターで降りる。
「食堂はじめてなんだ」
「なんだ、そうだったのか」
「カイルは何が好きなの? 僕ねー、ハンバーグ」
「んー……好きなもの……何だろうな。昼間に食ったミネストローネは美味かった」
「僕もそれにする!」
「そうか。じゃあ俺はハンバーグにしよう」
介護士ラインと介護士ブーケの話も聞きつつ四人は和やかに食事を進める。
「イアンが食堂に来てくれて嬉しいわ」
「そんなに?」
「だって散歩もしないから。明日公園行く?」
「んー……いいよ」
「じゃあ決まりね」
「カイルもくる?」
「あー、ごめん。誘いは嬉しいんだが俺は明日から訓練始まるから」
「そっか……」
「時間が合えば行くよ」
「うん」
イアンお勧めのハンバーグを口に入れ介護士ラインに視線を向ける。
「公園あったんだな、ここ」
「ええ! 訓練場だけだと息が詰まっちゃうから娯楽施設も多いわ。テニスコートは野外にもあるし卓上遊戯も色々あるのよ」
「具体的には?」
「うーん、チェスとかカードとか……他に何があったかしら?」
「オセロとかビリヤードもあるわ」
「色々あるな」
「デイヴィットさんがたくさん用意してくれたから。こちらが気を抜いたらカジノまで入れそうって職員の間じゃ噂よ」
黒き魔王の名が出てカイルは思わず食事の手を止める。
「……この施設あいつが建てた?」
「設立者はジーン所長よ。でも資金を出したのはデイヴィットさん」
「デイヴィットって誰?」
「あー……サンセットヒルシティに住んでる社長なんだ」
「ふーん?」
「なんだ、そうだったのか。あいつどこにでも金出してるな……」
「キーンくんはデイヴィットさん知ってるのね」
「まあ、色々あって」
出資者に雇われて施設に突っ込まれたとは言えず、カイルは頬杖をつく。
「遊技場が色々あるなら暇な時にやりに行こうかな」
「そうするといいわ! 息抜きも大事よ」
「うん」
消灯までにイアンに読み聞かせをし、カイルは眠りにつく。
夢の中、と思ったが彼は己の空想結界の中に来ていた。リハビリが全然進まなかった世界や、この施設に来ることを拒んだ世界。そして遠くには事故に遭わなかった世界が視えている。やろうと思えばこの先を見ず他の選択肢に逃げることも出来る。しかしカイルは、フランクとキャッチボールをする約束とイアンと公園に行く約束を果たすため、ぐっとこらえて眠っている己の体に戻った。
翌朝、目を覚ますとまだ朝日が地上から顔を出したばかり。カイルは自分で車椅子に乗り込み上着も羽織らず病室を出る。施設の外へ行きテニスコートを通り過ぎて海しかない地平線を見に向かう。朝日に照らされ、海は朝焼けに染まっている。
「やあ」
唐突に頭上から声が降ってきたのでカイルは驚いて真上を見る。すると見慣れた南国の海色の髪にマゼンタの瞳の若い男が彼を見ていた。
びっくりして声を上げそうになったカイルは思わず口を塞ぐ。レイ・ランドルフ・ローランドはカイルの反応を見て笑った。
「君、こっちでもそんな感じなんだね」
「は?」
優雅な足取りで己の隣に回り込んだ彼をカイルはじっくり見る。
ベージュのロングコート、灰色の上品なスーツ。よく見れば年齢もいつも見るレイよりやや上に思える。
「……アンタ誰だ?」
「私はレイだよ。それ以外に何があるって言うんだい? 時空干渉者」
まさか、別の世界のレイ? カイルは思い当たる可能性を口に出そうとしたが、レイは人差し指を立ててそれを止める。
「それは口に出さないこと。昨晩こちら側から視えたから気になって来てみた」
「アンタここに居ていいのか?」
「もちろん完全にこちらには来てない。ほら、触れないでしょう?」
車椅子の肘置きを触ろうとしたレイの指が透ける。
「……アンタ、俺の直接の恩人?」
「まあね」
「その節はどうも、ありがとう」
「どういたしまして。リハビリはどう?」
「まだ二日目だし何とも」
「そう。ま、君ならそう手間もかからないだろう。焦らずやることだ。では伝言を伝えて私は早々に帰ろう」
「ああ、まあ観光では来てないよな。用件は?」
分岐世界のレイは朝日を背にしてカイルの前に立つ。
「最初に、昨日君がイアンに言った言葉を俺からも贈ろう。ご両親が死んだのは君のせいじゃない。あの日は路面の凍結が凄かった。相手の運転手だって運悪く死んでしまっただろう?」
朝、父親がしっかりタイヤにチェーンを巻いていた。森を通る雪道は深く、凍結した場所も新雪で埋まっていた。
「君は悪くないんだよ、カイル」
氷にハンドルを取られた父親は慌てず路肩に止めようとした。でも対向車はそうじゃなかった。覚えているのは突っ込んでくる大型トラック、転がる車の中で響く両親の悲鳴。
「君は両親が死んでしまった世界のカイルだ。だから分岐前には戻れない。何度も両親を救いに時間を遡ろうとしたね。でも死んだ命を生き返らせることは我々でもしてはいけない。それは世界の理に反する」
カイルは歯を食いしばり俯く。
「君があの場で死んでしまった分岐も存在する。その世界では弟が君と同じ気持ちを抱いている。この世界の弟も後悔してるよ。あの日彼は友達との約束を優先して君たちと別行動を取ったんだから」
俯いているカイルの頭上でレイはもう一度囁く。
「君は何も悪くない」
カイルは声を押し殺して啜り泣く。時空の門番であるレイ・ランドルフ・ローランドは目の前の青年が泣き止むまで待った。
「次に、トム・ワッツのことだけど」
「……あいつがどうかしたのか」
「彼は別にミーハーで君に絡んでるんじゃない。狭い施設で関係が凝縮するのはどこでも一緒だろう? トム・ワッツはまだどの派閥にも属していないクリーンな君の傍らを求めてるんだ。施設内の偏見に染まってない君のね」
大人のレイはカイルの前から退き高くなっていく朝日を眺める。
「ここに限らないがヒーローってのは目からビームを出す奴とか拳一つで岩を砕ける華やかな奴が持て囃される。人物再現なんて言う地味な技は弄りの対象さ。実際、使いどころは正義の道より犯罪方面に傾く。スリをして逃げる最中に別人に化けるとかね。演技が上手ければ国家機関お抱えのスパイにもなれるだろうけど、トム・ワッツは正直すぎる」
「嘘とかつけなさそうだもんな、あいつ」
「別にトム・ワッツを一生の友達にしろって言ってるんじゃない。デイヴィットも言ったろう? 交友関係は広い方がいい。彼の一時的な逃げ場になってやれば、彼もどこかで君を助けてくれる。友人なんて一人一人の関係は軽くていいのさ。親友が作れるならそれに越したことはないけど、全員が全員そうじゃない。全員が善人の世界は全員が悪人の世界と等しい。どちらにしろ地獄だ」
「悪魔がそれ言うのか」
「悪魔に堕とされた神だから言うのさ」
「……他には?」
「あるけど、今はいいかな。それじゃあね時空干渉者」
レイの体は青空に透けていく。彼は消える間際、ああと声を出した。
「こちらのデイヴィットによろしく」
ベッドにいない新入りを探して慌てて出て来たラインに上着を押し付けられ、カイルは寝床に戻され温かいレモネードを握らされる。
介護士のお叱りを有り難く受けた青年は二度寝をしてから食堂へ向かった。途中、年間クラスの青年たちのお喋りに出会し反射的に身を隠す。
「就活どう?」
「俺はFBIアカデミーに移ってから結果次第。お前らは?」
「二、三受かったけどDIAの内定が出ればそっちに行くよ」
「俺はNASA行きたいな〜って思って出したけど返事来てない」
「受からなかったらバーガー屋でも始めるか!」
「いいなそれ」
笑いながら食堂へ向かう青年たちの胸ぐらを掴みたい気持ちになりながらカイルは頭を抱えた。一流の超能力者と認められれば国家機関に所属も出来るのだろうが、街中の職業を馬鹿にする態度は許せない。ああ言うのに普段から揉まれていればトムも嫌気が差すだろう。カイルは青年たちの後を追うように車椅子を進める。すると階段の影で壁を向いて俯いているトム・ワッツを見つけた。今朝の異世界のレイの言葉がよぎり、カイルはわざと廊下の溝にタイヤを嵌める。
派手な音でトムは振り向いた。目元には涙が滲んでいる。
「悪い、嵌った。助けてくれ」
「ああ! うん! お安い御用さ!」
泣いてない振りをしてトムはカイルを救出してくれる。
「ありがとう」
「いやいや、どういたしまして」
「昨日は悪かった」
カイルが俯くとトムは青年の顔を覗きにくる。
「八つ当たりしたんだ。こんな足だから、普通のことが出来ないのがもどかしくて」
「いいよ。俺も無神経だったよね、ごめん」
カイルは首を振る。
「アンタは悪くない」
トムは困ったように笑う。
「じゃあ、お互いのお詫びの印に朝食を一緒にどう?」
「喜んで」
「えーっ! じゃあ時間移動と空間移動のハイブリッド? いいな〜かっこいい〜」
「カッコ良くても一歩間違えたら死ぬハイリスクが付き纏ってるぞ」
「それは怖いけどさ〜」
トム・ワッツとスクランブルエッグを頬張りながらカイルは肩を竦める。
「高校卒業の年に事故ったしプロムも行ってない。いや、行く気なんぞさらさらなかったが植物状態になるぐらいなら片思いの女子に声かけたかった」
「あー、失われた青春の存在は大きいよね。ここも卒業生や在校生が集まって一緒にプロムするよ。参加すればいい」
「マジか。んー……誘える女子がいねえな」
「卒業前に声かけなきゃ!」
「そうだな。美人を探すか……」
他愛のないお喋りを終え、カイルは屋内競技場でケリー・ラインがマットを広げるのを眺めている。
「まず肉体のリハビリからしましょう。感覚を取り戻すのはそれから……」
「あー、それなんだが」
「ん?」
「能力自体はもう使える。見てろ」
カイルは空想結界に飛び、マットの上に転ぶ可能性に飛び込む。ケリーの視点ではカイルが車椅子の上から一瞬で消え、マットの上に背中から転がる。
「どぉよ」
寝転がって格好がつかないのは重々承知でカイルはコルナ・サインを作る。だがラインコーチは素直に喜んで拍手をくれた。
「ワォ! さすが経験者! これなら後は肉体のリハビリだけね!」
「いや、講義も受けるぞ」
「えらい! 私だったら講義なんて放り出しちゃう!」
「資格マニアがよく言う」
ケリーはぺろっと舌を出す。
「自分で勉強するのは好きだけど授業は嫌いなの」
「自分のこと面倒くさいって思ったことないか?」
「何回も!」
「ああ、そう」
資格マニアラインと共に下半身のリハビリを行なっていると、屋内コートの近くをフランクが介護士と通る。
「フランク!」
寝転んだままのカイルが両手を大きく振る。声の主を探したフランクは介護士の指差しでやっとこちらに気付く。
「おおカイル。おめぇもリハビリか」
「そうだ!」
「頑張れよー」
カイルを見かけて機嫌がよくなったフランクは鼻歌混じりに介護士に連れられる。ケリーは二人のやりとりを見て微笑む。
「仲良しさん?」
「昨日キャッチボールした」
「それは良かった。今朝ワッツさんとも話してたわね」
「あのあと喧嘩したから仲直りした」
「そう。……よし、右脚は終わり。次左脚ねー」
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