第2話-8

 <紫の子>の工場から出て来た頃には陽が傾いている。ボストンの中心地、駅の近くまで行くと魔王と甥御は狩人に振り向く。

「今日紹介した奴らだが、癖はあるものの腕は一流だ。その点では信頼していい」

「信頼と信用は違うからね、気を付けるんだよ」

「分かった」

「あー……よかったら夕飯もどこかに連れて行こうか」

「嬉しいけど奢られっぱなしだから遠慮しとくよ。そうだ、次は俺のお勧めの店を紹介する」

「わかった、じゃあ次回を楽しみにしておこう。また連絡する。そっちからの連絡でもいいぞ」

「ああ!」


 ハントは二人に手を振ったあと駅から離れて行く。その背を追う不審な者が二、三人いるが市民に紛れた藤美也の弟子たちがさらに暗殺者を追う。周りに分からぬよう藤美也一派に軽く手を振り、黒き王とその甥御は電車に乗り込んだ。


「“最後までハントに詳しいことは言わなかったね”」

「“言ってどうする。ギリシャでの英雄降臨成功例はお前の親父とお袋でしたって?”」

 電車の中にオレンジ色の光が差し込んでいる。周囲の人間は黒い炎の頭の男がいるのに気付きもしない。

「“テディ・ホテルで言うのかと楽しみにしてたのに。肩透かしだよ”」

「“そう言うなよ。今回は伝えない方がいい。ハント家は魔術師って言うより昔から祈祷師だったようだし、先祖はギリシア出身。何より下ろされたのは英雄じゃなく神だしよりによってアルテミスだ。月の系譜なら<三つ葉>も<揃いの青>も嫌がらずに護ってくれる”」

「“まあね。我々恒星の末裔にとっては月の子は伴侶にあたるし、自然と情は湧く。でもそこまで計算して?”」

「“いや、希望的観測だ”」

「“そう。まあきみの見立てだし大丈夫か。イングランドの魔術協会は彼に気付いてたの?”」

「“把握してたし専用の護衛が長年付いてたらしい。ただ内部で情報漏洩があって、宮廷から外されたのは本人の希望よりそちらの理由が大きい”」

「“二枚舌の国は怖いねえ”」

 サンセットヒルシティに到着した二人はコーヒースタンドに寄り質素なカフェオレと生クリームたっぷりのカフェモカを購入する。のんびり飲み歩きをしながら話は続く。

「“探偵業で食わせるより弓を覚えさせる方が稼ぎがいいと思うよ。あっという間に世界大会進出さ”」

「“んー、確かに一瞬でもアルテミスが降りた訳だしな。弓も覚えさせるか……。ピーター・パーカーよりグリーン・アローだな”」

カフェモカを早々に啜り終えたレイは遠くのゴミ箱にカップを投げる。カップは美しい放物線を描きながら金属のカゴに収まった。

「ナイッシュー」

「イェーイ。“しかし、さすが処女神だよね。まだ意識も何もない細胞の塊だったとは言え子供が居ると認識したら母親じゃなくそちらを選ぶんだから”」

「“神経も出来てない頃じゃ無垢そのものだしな。女神の反射的選択だろ”」

「“彼女もびっくりしただろうね、星海で悠々としてたら人間に呼び出されて”」

「“そりゃなぁ。今日この後は?”」

「バイトー」

「お前にしてはよく続いてんな」

「そりゃーハドリーとサムがいるから。見てて楽しいよ」

「飽きないのはいいことだ。プロのバーテンダーになるつもりなら知り合いの店で修行させてやるぞ」

「修行かー……。うーん、でも将来の食い扶持ぶちは考えないといけないからな。今度行くよ」

「乗り気だな、いいことだ。連絡するよ」

「わかった。“またね兄弟”」

「“またな兄貴”」


 大通りでデイヴィットとレイは反対方向へ歩き出す。黒い炎の男を追い、雑踏から小さなリボルバーを構えて出て来た、追い詰められた表情の老人が彼と段々距離を詰める。

しかし老人の前に突如、オレンジの輪切りのプリントが付いた濃灰色のパーカーを来た青年が現れリボルバーを奪う。オレンジパーカーの青年はその場で姿を消し、襲撃を任された老人は慌てて辺りを見回す。

「やあ」

振り向けば南国の海のような髪の美しい男。レイは疲れ果て余命幾ばくもなさそうな襲撃者の唇を躊躇いなく吸う。襲撃者は力なく倒れ、己を襲った美しい顔を見上げる。

「君の魂あんまり美味しくないな。可哀想に、今まであんまり幸せじゃなかったんだね。ごめんね。でも覚えておいて、理由がなんだろうとこの街の支配者に武器を向けたらこうなるのさ」

青い髪の青年は倒れた男の額に口付ける。熱いカップルの行動と思っていた周囲は段々違和感に気付く。レイは人間たちが叫ぶ前にその場から立ち去った。



 濃灰色のオレンジパーカーがDDタワーの最上階で呼び鈴を押したのは襲撃の直後であった。主人の命で扉を開けるのは執事のスティーブ・サイモン。

パーカーの青年はこの街の支配者の私室に赴くとソファで寛ぐ彼にハンカチで包んだリボルバーを手渡した。黒い炎の魔王は銃を受け取ると愉しそうに目を細める。

「<魔弾>とは驚いたな。まだ製作者がいたか」

「襲撃者の始末はしてないが、いいのか?」

「そっちはレイが済ませた。お前は殺しなんぞしなくていい」

「分かった。魔弾?」

「オペラだよオペラ、『魔弾の射手』。元々はドイツの伝説」

「……オペラは聴かない」

「今度連れてってやる」

「勉強か」

「そうだ」

「分かった、行く」

「キースも誘え」

「……弟は巻き込まない約束だ」

「警戒するなよ。オペラ観に行って一緒に飯食うだけだ」

「それならいいが」

革張りのソファから立ち上がったデイヴィットはリボルバーを鍵つきの引き出しに仕舞い、財布を取り出すとオレンジもといカイル・キーンに紙幣を差し出す。

「小遣いなら先週もらった」

「ほんとに物欲ねーな。雇い主がやるっつってんだから貰っとけ」

オレンジは首を横に振ると紙幣を受け取る。

「弟とダイナーでも行きな」

「そうする」

オレンジは能力を使わずデイヴィットの部屋から歩いて出て行く。


 日は沈み、月が顔を出す。街の支配者が女神の微笑みを眺めていると扉を叩く音がする。

「どうぞ」

「デイヴィット。あのねー爺やがご飯だよって」

「おお、そっか。眼鏡の調子どうだ?」

「ばっちり!」

ピンクゴールドの細い縁の眼鏡をかけた灰色の髪の少女は満面の笑みを見せる。デイヴィットはまだ娘である少女の表情を見ると満足そうに目を細めた。

「よーし飯だ飯だ。今日は何かな〜」

「今日はねー、玉子のサラダがあったよ。あとこのニオイだからー……ボロネーゼ?」

「いやわからんぞ。ミートソースならラザニアかも知れん」

 魔王と小さな姫は執事と共に食卓につく。三人でミートソースドリアを分け合いながら今日あったことを報告し合う。予想外れちゃったね、と言いながらドリアを頬張る養女をデイヴィットはいつまでも穏やかな笑みで見つめるのであった。




──第2話『星の子どもたち』・完


次作:第3話『街中の星たち』

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