第1話-12

 日没近く。デイヴィットは事件解決の祝杯も上げず、セントラル病院へ向かう。街一番の大きな病院。時代が進む度に何度も建て直されたものの、ここも火の一族によって建てられたと言う古い歴史を持つ。

 面会時間外に訪れたデイヴィットを見て受付の新人看護師は渋い顔をする。

「面会時間は終わってますよ」

「知ってる。新人じゃ話にならない。緊急だ、院長出しな」

「……わかりました」

看護師は受話器を持ち上げ院長に電話をつなげる。

「院長にお客様です」

デイヴィットは看護師から受話器を取り上げ耳に当てる。

「ようレッドメイン。ちいと野暮用が出来てね。カイル・キーンの病室を聞いても良いか?」

「カイル・キーン……。少し待ってくれ」

画面を叩く音がして数秒の静寂が訪れる。デイヴィットは受話器を耳に当てたまま待った。

「504だ」

「さんきゅ」

 日が沈む。日の入り、日の出。満潮、干潮。生物の生き死にには月が関係する。月は波と生ある者を引き連れて死者の国へ旅立ってしまう。

デイヴィットは504号室に押し入る。見舞いの花束もなしに。長い間寝たきりで、痩せ細って皮と骨ばかり。彼自身が言った通りのまだ若い男が目を閉ざして寝ている。

「よお時空干渉者。まだおねんねか?」

そこへ、オレンジが現れる。珍しく慌てた様子で。

「おお、来たなオレンジ。いや、オールドKK」

デイヴィットがおどけて見せるとオレンジは寝たきりの自分をチラリと見て怯えた表情を見せる。

「……何をする気だ」

「お前を夢から覚ましてやろうと思ってな」

「俺にはまだやることが」

「やることやる前に死んじまったら意味がねえだろ」

「俺は自分が死ぬ未来なんて観測してない!」

「誰でも自分の死は見えない。神ですら」

オレンジの焦った表情の中に困惑が混ざる。デイヴィットは靴を脱いで寝たきりのカイルを跨いでベッドに立つ。

「言っただろ、俺の街にいる奴は全員俺の物だって。俺に関わった以上見なかった事にはしない。居なかったことにもしない。お前に許されるのはヒーローとしての孤独死じゃなく、弟と再会する兄貴としてのハッピーな結末だ」

オレンジは俯く。己の体から目を逸らす。横たわる現実を見たくなくて、あふれる涙を隠したくて。デイヴィットは足元に横たわる青年に向かって手をかざす。

「“太陽の化身たる我らの祖に従い、此処に宣言する。我、デイヴィット・ドム・デイモンはカイル・キーンの永き微睡みを否定する。月に呼ばれし古き契約を今宵否定する。我が名を持つ星よ、闇の泥に沈む魂を陽の光に照らされし地上に連れ戻したまえ”」

灰色パーカーを着たオレンジの体が透けていく。どこでもない場所にいる可能性を否定されて、どこにでもいた幻を否定されて。どうすることも出来なかった、彷徨うもう一人の自分を否定されて、彼はすっかり姿を消した。

デイヴィットはベッドから降り、靴を履く。

「世話のかかる若造だな全く」

デイヴィットはカイルの髪をくしゃくしゃに乱した。

「起きて俺のこと覚えてたら、そん時は飯でも行こう」




 日が昇る。朝がやってくる。眠りを否定された人々が起き出し昨日の続きを生きるため寝床から体を起こす。

 月曜日、デイヴィットは目覚ましより早い電話のコールでボサボサ頭の人の姿で上体を起こす。朝も早々に彼はチェスの駒たちから魔祓い師たちの駆除の完了を告げられた。

エヴァンジェリンへの報告はたった一言。終わった、とだけ。血生臭い話を子供が聞く必要はない。朝食を彼女と共にし、デイヴィットは仕事のためいつものように会社に顔を出した。


 その日の昼下がり。汗や汚水にまみれた顔を隠すほど長い黒髪、同じように汚れた、白かったであろうローブに身を包んだみすぼらしい男が道の端に立っている。人々は汚臭の強い男を嫌がって避け、通り過ぎて行く。デイヴィットはその姿を見るとタバコをふかしたまま彼の二メートル手前まで歩いて近付いた。デイヴィットが近付くと男は恭しく膝を落とす。

「よお、ネズミ」

「畏れながら謁見と、懺悔を」

「言ってみろ」

「先日の騒ぎの際、陛下にの行動を黙っていたことを、お許し頂きたく……」

「あー、レイだろ? どうせまたされたんだろ。良いよ、許す」

「陛下の多大なる御慈悲に触れられること、有り難き幸せ」

「へいへい。相変わらず硬いなネズミよ」

「これでも神の末裔に対する態度としてはで御座います。もちろん陛下がそれをお許しになっているからこそ、可能なのですが」

「今風ねえ……。親父にもそんなお硬い態度だったのか? お前」

「先代様はこのようなみすぼらしいネズミ相手には、直接の伝言すら許しませんでした」

「あー、くそ。聞かなきゃよかった。クソ親父め」

「……陛下、貴方様は下々にもお優しい。先代様とは違った御心の広さです」

「奴の心が広いもんか。街の全てを所有しておきながら橋の下で寝てる連中は見ない、いないことにするっつーのは心が広い内には入らん。強欲ですらねえ。ただの切り捨てだ」

「……陛下、畏れながら」

「いい、皆まで言うなわかってる。ワールド・ウォーを二回潜り抜けた英雄様だよ親父はよ。んなこた知ってんだよ。だが奴は俺とは相性最悪だ。生きてたとしても顔だって見たくねえ」

主の愚痴をネズミは黙って聞いている。

「つい愚痴が溢れたな。許せネズミ」

「下賤なネズミにとっては、陛下のお言葉を耳に出来るだけで恐悦至極で御座います」

「愚痴が褒美になってたまるかよ。悪いが今の愚痴でレイに関する報告をしなかったこととチャラにさせてもらうぞ。そうだ、必要なものあるか? また仕送りするが」

「陛下の寛大な御心に感謝を。急を要する必要物資は御座いません」

「そーかい。じゃ、引き続き地下の監視を頼む」

「は」

太陽の末裔に深々とお辞儀をし、身を落とした古き地底の神は己の巣穴に戻っていった。




 星見の娘を巡る大騒動から一週間後。セントラル病院。デイヴィットはいつも通りの豪奢な黒スーツとコートで、とある一室を訪れる。

「よう、オレンジ」

「……オレンジじゃない」

カイルはベッドごと上体を起こして見舞いの弟を相手にしていた。

「ででデイヴィットさん!?」

「よう、ヤングKK! 元気かー?」

「おええええ何でここに!? あれ? 兄さん知り合い??」

「デイヴィット、俺はまだキースにあの話はしていないんだ。ややこしくするな」

「あの話ってなんだよぉ!?」

「なんだ、ヤングKKはオールドKKの活躍を知らないのか? そりゃもったいない。つーかお前、思ったより回復してるじゃねえか。顔色も良い」

「しぶとさだけは取り柄でね」

「そりゃ良い事だ」

コートをそっと引っ張られる感触を合図に、デイヴィットは恭しくコートを広げる。

「カイル、お前さんにお客さんだ」

デイヴィットのコートからおずおずとエヴァンジェリンが顔を出す。カイルはその強張った顔を見て目を見開いた。

「……あ」

デイヴィットに背を優しく押され、エヴァは一歩前に出る。様々な色の小さな花束をカイルに差し出す。

「……助けてくれてありがとう」

その一言を振り絞ると、エヴァはまたデイヴィットのコートの中に引っ込んでしまう。膝に置かれた花束をカイルはじっと見つめている。

「助けた相手に面と向かって感謝されたのは初めてだ」

「そりゃ随分奥ゆかしいヒーローだな。弟もぽかんとしてるし、兄貴の武勇伝は俺から話すか?」

「……そうだな、そうしてくれると助かる。昔から口下手なんだ」

「じゃあ、ちょっとした兄貴の自慢話といくかね」




 サンセットヒルシティ、その中央。そこには街一番の大きな病院が建っている。セントラル病院504号室、長期入院患者のための病室には四人分のベッドが並んでいた。

 今日は明るくも曇り空。窓の外をぼんやりと眺めている青年は名前をカイル・キーンと言い、つい先日まで超能力者男だ。

両親と一緒に乗っていた車で事故に遭い五年間、生きている自分と半ば死んでいる自分の両方が存在していたことでカイルは確率の狭間を動ける能力を獲得し、その能力で人を助けてきた。

だが彼はとうとう先日、サンセットヒルシティの事実上の支配者であるデイヴィット・ドム・デイモンによって逆に救われたのだった。五年間の微睡みはカイルから体力と四肢の自由を奪っていた。しばらくは栄養をつけ、体力が戻ってきたらリハビリに移るらしい。

 そんな彼の病室を目指す人物が一人いた。は病室を訪れるとノックもなしに室内に進んで入り、カイルの前に立った。

「やあ、オレンジ」

片手にはハナズオウの濃い桃色の花。南国の海を思わせる鮮やかな青い髪を肩まで伸ばした目鼻立ちのすっきりした美形の男。カイルはその顔に見覚えがなかった。

「……アンタは?」

「俺はレイ。レイ・ランドルフ・ローランド。デイヴィットのはとこ甥、ハドリー・ヘイデンの甥子」

レイはハナズオウを口元に寄せる。髪と同じ鮮やかな青色で作られたまつ毛とハナズオウの桃色がお互いを高め合う。カイルはその瞳を見て美しさよりも畏怖いふの念を抱いていた。黒い炎の頭のデイヴィットの親類、つまりこの一見若く美しい男は人ならざる者であったからだ。

「……あの悪魔の甥っ子が、どうしてここへ?」

「もちろん、君の見舞いに来たんだよ」

「どうして」

「君を間接的に助けたのは俺だからね。責任者として、一応挨拶に?」

レイはハナズオウの細枝をカイルの膝に放る。

「……見たことない花だ」

「ハナズオウ。花言葉は目覚め」

「そりゃ、ご丁寧にどうも」

レイは窓を開け放ち縁に腰掛ける。座り方は危なっかしく、後ろに体重をかけたらころっと落ちてしまいそうだった。

「さて、どこから話そう?」

「……その前に」

「うん」

「アンタとハドリーとデイヴィットがそんなに近い親類なのか、と」

「ああ、そこ? 俺の母親がハドリーの奥さんの姉、そして母と叔母はデイヴィットとはとこ同士だからね。嫌でも顔は合わせるさ」

「同じ悪魔同士で結婚するのか、アンタらは」

「人間だって始めのうちは兄弟で子供こさえてただろ?」

「……そう言うものか」

「そう言うものだとも。まあ近年は人間と混ざる一族が大半だから、悪魔としての血も薄いけどね。叔母の猫ハドリーはもっぱらそっち」

カイルは膝に置かれたハナズオウの枝を指でつまむ。乾燥の激しい花弁がパラパラとこぼれる。

「なあオレンジ」

「……その呼び方はデイヴィットから聞いたのか?」

「いや? 俺が一方的に君を知ってるだけ」

「なに?」

「時空干渉者、君は分岐した選択肢の海を彷徨ってあちこち覗ける能力を持っているよね」

「ああ、まあ」

「君が向こう側を覗いてる時、向こうの時空干渉者も君を覗けるって理屈さ。俺たち<火の一族>が別次元へのゲートの門番だって話は知ってる?」

「いや、初耳だ」

「あらそう。じゃあ説明しておこうか」

レイは<火の一族>が太陽の化身の末裔まつえいであること、その中でも門番候補と呼ばれる特異な者たちがその後継者となってきたことをカイルに明かす。

「……なるほど。異教の神ならあの強さも納得だな」

「まあデイヴィットは特に大事に育てられてるからね。直系からは門番候補が出やすいんだけど、彼はまさに期待された次の門番候補だったし」

「……だった?」

「候補から降りたんだよ」

「どうして」

「門番ってのは本来向こう側でゲートを守るだけなんだけど、こちら側からゲートにアクセスしようとする不遜ふそんやからも多くてね。主に魔術師とか魔法使いだけど。で、まあこちら側にも警備がいないと立ち行かなくなったんだよね。デイヴィットはこっち側で人間と関わりながらゲートを護る方針を固めたわけ」

「……実質門番にはなったんだな」

「事実上のね」

「なるほど」

「で、向こう側の門番は分岐した世界も見えててね」

「……アンタ門番なのか?」

「いや、は候補から降りたよ。でも別の軸の俺はそうじゃない」

「……だんだん話が見えてきた。向こう側のアンタがこちら側のアンタに連絡をしてきた。そう言う話か?」

「さすが時空干渉者、飲み込み早くて助かるよ。時々ね、夢を見るんだ。妙に現実味の強いありそうでなさそうな光景をね。時空干渉ってのは本来ならそれ専用の警備が飛んでくるような重大な違反な訳なんだけど、君みたいにスレスレのこと出来る奴がいると本職は困るわけ」

「……なら俺を抹殺まっさつした方が話が早そうだが」

「うーん、それはちょっと飛躍しすぎかな。時空干渉のルールを無視して行動されるのは困るけど、ルールを重視してくれるなら警備員補佐として有用なんだよね君は。だからあちらの俺は君を有効活用する方針に決めたらしい。というわけで、こちらの俺に君を生かすよううながしたと。多分」

「……つまりアンタに見殺しにされる未来もあったと」

「この時間軸の別分岐にはあるだろうね。現に、助かった君がここにいる。ならば助からなかった君ももちろんいる。そんなこと身に染みて知ってるだろう?」

そう、カイルは誰かが死ぬ未来と誰かが生きる未来を常に選びながら生きてきた。誰かが生きれば誰かは死ぬ。全てがいつか死ぬとしてもどれかを先送りにすればどれかが早まる。人の行動は織物の縦軸と横軸のように繊細に絡み合い、些細なことで崩壊する。

「で、本題だけど」

レイはニンマリと口の両端を持ち上げる。

「オレンジ。君、デイヴィットの正式な臣下しんかとして働きたまえよ。なんちゃってヒーローごっこじゃなくてさ、神の末裔の臣下として」

「……断ったら?」

「いま俺が君の魂をペロッと食べておしまいだね」

「……脅されてるのか、俺は」

「端的には」

「なるほど」

静かに頷いたカイルの表情を見てレイは笑顔をスッと引っ込めた。

「……落ち着いてるね。人間って命がかかるともっと慌てるんだけど」

「念のため聞いただけだ。時空干渉者が本職相手に反目したら命がないなんて分かりきったことだ」

「賢いじゃないか」

「お褒めに預かりどうも」

レイは再び人懐こい笑顔を作った。

「なら、答えはもう聞いたようなものだけど。一応聞いておいていい?」

「アンタに脅されなくてもデイヴィットは命の恩人だ。協力するとも」

「オーケー。そしたら紹介用のカードを渡しておこうか。ま、主に俺の電話番号だけど」

レイは今風で洒落た透明の名刺をカイルに差し出す。カイルがなんとか腕を持ち上げると、レイはその手に名刺をしっかり握らせた。

「……神の末裔もSNSするんだな」

「そりゃ現代っ子だもの」

レイは窓枠からぽんと飛んだ。もちろんこちら側に。

「じゃあねオレンジ。デイヴィットはまた今度見舞いに来るはずだし、その時に自ら家臣に進んでおなりよ。ああ、その時に俺の話は出さなくていいよ。今の話どうせデイヴィットには筒抜けだから」

「なんだって?」

「門番候補同士ってのはテレパシーみたいな状態になりやすくてね。お互いの盗み聞きは得意なんだよ。じゃあね〜」

レイは満面の笑みで病室を出ていく。オレンジは残された手元の花と名刺を見つめた。

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