第1話-13

「畏れながら」

「俺と君の仲に畏れるものなんてないじゃない」

 広大な地下空間の一つ、コンクリート打ちっぱなしの古い闘技場のような儀式部屋のようなその場所で、レイは飴を舐めながら浮浪者に身を落とした古き地底の神であるネズミと顔を合わせた。

「陛下の所有物の魂を勝手にむさぼるなどと言うことは、例え冗談でもお控えになった方が宜しいかと」

「まあね、言いすぎたかも。でもデイヴィットなら許してくれるよ、甥っ子だし」

ネズミは汚れ、濡れた髪の奥からレイを見ている。

「レイ様」

「なぁに」

御伴侶ごはんりょ御息災ごそくさい御座ございますか」

「アンジェラ? 元気だよー。……うふふ」

「何か、可笑おかしな事でも申しましたでしょうか」

「いや、伴侶って言われたから。まだ恋人だからね」

「ですが連れ添うおつもりで御座いましょう?」

「まあね、断られても最期まで見守るつもりではあるよ」

「ならば、レイ様にとっては御伴侶で間違いのう御座いますでしょう」

「まーね。でもちょっと気が早いよ、ネズミ」

「……は」

「それにしてもさ」

レイはネズミを手招いて隣に座るよう促す。ネズミは静かに寄り、頭を下げて大人しく隣に腰掛けた。

「君、<火の一族>なら全員にその態度でしょう? もうちょっと柔らかくてもいいんじゃない? 正直なところ神代かみよから当時の体のまま生きてる君の方が偉いじゃない」

「いいえ。あなた方の祖たる太陽の御方の庇護がなければ、私は今日まで存在出来ませんでした。故に、皆様を敬うのは当然のこと」

「あー、恩があるからってこと? それなら分からなくはないけど。いや、それにしたって直接の恩があるのは直系とデイヴィットくらいじゃない? 俺なんてほら、傍系ぼうけいだよ?」

レイは食べ終わった飴の棒で己の顎を指す。ネズミは彼をふと、寂しげにも見える表情で見つめ返した。

「……レイ様は、あの御方おかたに良く似ていらっしゃいます」

「誰?」

「初めの太陽の御子に」

「ふーん?」

「陛下も、デイヴィット様ももちろん似ていらっしゃいますが……ふとした瞬間貴方をあの御方に見紛みまがうことが御座います」

「へえ、初めて聞いた。……それ俺が現代の門番候補の中で一番に近いせい?」

「関係なくはないかと」

「ほー、なるほど」

レイは飴の棒を咥え、燃やして己の糧にすると立ち上がった。

「もうじきバイトだから帰るね」

「は。お声をかけて頂き恐悦至極きょうえつしごくに御座います」

「固いねえネズミ。そんな態度だから俺みたいな一族のガキどもに甘く見られるんだよ」

「ネズミにとっては、この身を忘れずにお声をかけて頂けるだけで幸せなので御座います」

「だからさ、そう言うところ」

レイはいつものニンマリ顔で地下を後にする。かつての地底の神は悪魔の若造の姿が見えなくなるまで頭を下げていた。




「あ、チェック!」

「おっと残念」

 エヴァをめぐる騒ぎから十日経ったある日。デイヴィットは赤い絨毯が眩しい己の執務室で娘となった星見の少女にチェスを覚えさせていた。大きな本棚と黒い革椅子。低い脚のテーブルというにエヴァは最初はしゃいだものの、チェスを覚えろという養父のにげんなりしてしまった。

「むぅ!」

「むくれてないで反撃しろ」

「ん〜……」

少女は盤上を睨みつけ動かせる駒を探している。

「……デイヴィットの考え予想しながら動かせなんてムリ!」

「上に立つ者には必要な頭脳だ」

「デイヴィットは王様でも私は違うもん!」

「お前にも将来必要になる。動かさないなら降参か? どうする?」

「んー……」

エヴァンジェリンは勝負の前にデイヴィットから「俺に勝ったらおやつを一種類追加、負けたら一つ話を聞く」と条件をつけられていた。おやつは執事のスティーヴが作ってくれるからと楽しみにしていた彼女だが、それよりも星見の力を制御して目の前の駒を辛抱強く見つめることや常に考え続けることが苦痛になってきたため、あくび混じりに目を袖でこすった。

「こら、袖で擦るんじゃない。目が腫れる。そういう時は目薬を差せ」

「んー」

デイヴィットはチェスを一時中断し、子供用の目薬をエヴァの深い海のような青い瞳に差した。つい少女の瞳を覗き込む形になったデイヴィットは、あまりに深い青色に一瞬見惚れる。

「……目薬を買っておいて正解だった。持ち歩いて目が疲れたらその都度使いなさい」

「はーい」

「で、勝負はどうする?」

「もういい……疲れちゃった」

「わかった。じゃあ続きは明日だ」

「私の負けじゃないの?」

「保留だ。盤上を放置しておけば続きからできるだろう?」

「デイヴィット頭いいー」

「ふ。まあな」


 執務室からの退室を促され、エヴァは養父に手を引かれダイニングルームへと戻った。スティーヴは既におやつを出せるように準備していて、デイヴィットは当然と長いテーブルの端に座った。もちろんエヴァンジェリンは隣の席へ。

「紅茶はセイロンに致しました」

「そうか」

デイヴィットは砂糖もミルクも入れずに紅茶に口をつけるが、まだ九歳のエヴァには紅茶すら苦い。彼女は養父の真似をしてストレートの紅茶を口に入れるが、やっぱり苦くてダメだと角砂糖を四つもティーカップに落とした。

「エヴァ、勝負は明日までお預けだが真面目な話がある」

「な、なに……?」

生唾を飲んだエヴァを見てデイヴィットはふっと微笑んだ。

「そう構えなくていい」

デイヴィットは懐から色付きのリップクリームを取り出した。女児ならある程度の年齢で興味が出てくる、化粧品への第一歩だ。エヴァはやはり、旧来の感性の持ち主なのだろう。色付きリップを見るとキラッと目を輝かせた。

「欲しいか?」

「う、うん!」

「今のは確認だ。エヴァ、俺の親族や、これから出来る友だち。見知らぬ奴からこう言ったを貰ったら、その場で使わず必ず俺のところに持ってこい」

「……どうして?」

「少し難しい話になる。これは父親として俺から一番最初のプレゼントだ。いま渡した瞬間から使っていい」

「ん、うん」

薄いピンク色のリップを手渡されたエヴァは喜びを抑えきれず口の両端を持ち上げた。

「紅茶が冷めないうちに飲みなさい」

「うん!」

エヴァンジェリンは大事にスカートのポケットにリップクリームをしまってから紅茶と濃厚なチーズケーキを頬張った。

「おいひい!」

「爺やの手作り」

ひいやじいや、おいひい!」

「お口に合って何よりでございます」

「うん!」

過剰な清貧せいひんを美徳とする孤児院で育ったエヴァンジェリンにとって、ケーキなどはと教え込まれていたため、最初は食べていいのか分からず遠慮してしまっていた。しかしデイヴィットと爺やが好きなだけ食べていいんだよ、と根気強く諭すと少女はやっと自らの意思でフォークを持った。

エヴァの嬉しそうな横顔を見たデイヴィットは目を細めて微笑み、上品な仕草で紅茶とケーキを完食した。


 養女がおやつを完食して、デイヴィットは話の続きを始める。

「エヴァ、化粧品って言うのはな。古い時代では魔法に関係があったんだ」

「魔法?」

「そうだ。ゲームで見るような派手なやつじゃなくて、うんと地味なやつだ。顔や体に動物の血を塗ったり、絵の具を塗ったりしたのが化粧の始まりだ」

「うぇ、動物の血?」

嫌そうな顔をした少女にデイヴィットはまたふっと笑みをこぼす。

「昔は今みたいに安全な色の粉がなかったんだよ。それで、化粧っていうのは呪術っていう魔法のための儀式に使うものだった。つまりな、化粧品は今でも使おうと思えば呪術に使える」

「うーん? うん」

「エヴァが俺の娘になったら、そういう道具を使って俺やお前を利用しようとする連中が絶対に出てくる。これは脅かしてるんじゃなく、予想できる相手の手段だ。チェスで相手の駒が動くのと同じだ。わかるな?」

ああ、それでチェスをしようなどと持ちかけたのか、とエヴァは悟った。

「相手の駒はいろんな種類がある。化粧品かもしれない。秘密の交換ノートかもしれない。エヴァの好きな食べ物かもしれない。だが今は、お前はそういう一つ一つに対応する駒を持っていない。持っていても駒の使い方がわからない。それを何も出来ないと嘆く前に、お前は保護者おれに相談するんだ。ん?」

デイヴィットが目を見て話すとエヴァはうんと頷く。少女は馬鹿ではない。デイヴィットの言葉の意味は理解していた。

「使う前にちゃんとデイヴィットに相談する」

「そう、いい子だ。けど俺に相談できない時とタイミングもある。その時は爺やに相談しなさい」

「はい」

「いい子だ。お前は賢い」

デイヴィットが頭を撫でるとエヴァは首をすくめてはにかんだ。

「もう一つ、大事な話がある」

「うん。なぁに?」

 デイヴィットは敢えて優しい微笑みを引っ込め、椅子を若干引き深く腰掛けると長い足を組み、組んだ両手をその上に置いた。

「俺がこの街の王だと言う話はしたな?」

「うん……」

「お前は今後、本物の悪魔である俺におねだり一つで願い事ができる。娘という立場からな」

「うん……」

エヴァはデイヴィットが言わんとすることが想像できず首を傾げる。

「本来、悪魔に願い事をすると願い事のたびに対価が必要になる」

「たいか?」

「金や生贄のことだ。物を買うにはその分金を支払わなければならない。それは悪魔に対して願い事をするのも同様だ。その願い事と同じくらい大切な、自分が支払える物を差し出す必要がある」

「うん」

「だが、エヴァ。お前はこれから、悪魔でありこの街の王であるデイヴィットおれに、“お願い”と言えば、ある程度望みが叶うようになる」

欲しいものがあればおねだりをしてもいい。子供の特権だから。ある程度子供の願いを叶えるのは保護者の義務だから。でもそれだけの話ではないのだろうとエヴァは勘づいた。

「本当の意味でこの俺に要望が通せる奴は一握りしかいない。お前はその数人の中に仲間入りをした」

「うん」

「魔王の娘と言う立場は大きい。お前のわがままで、俺が認めれば街を一つを潰すことだってできる。だからこそ聞く」

デイヴィットは身を乗り出してエヴァの青い瞳を真っ直ぐに見た。

「俺はお前をそんなガリガリに育てた孤児院をぶっ潰してもいいと考えている」

 エヴァンジェリンは怖い思いをした。保護者であるはずのシスターに売り飛ばされ、あやうく儀式の供物になるところだった。もしくは、目玉をほじくられて眼球だけ売り飛ばされる算段だったかも知れない。

「俺はお前を追い込んだ全員に怒ってる。あの神父どもだけじゃなく、その環境にいた全員に。そしてお前は、あいつら全員を訴える権利がある。エヴァ」

デイヴィットの表情は真剣だった。真剣に、心から怒っていた。

「お前がいいと言うなら、お前を売り飛ばしたシスターも、あの孤児院を経営してた経営者も、全員、俺がボコボコにしてくる。どうする?」

「私……」

エヴァは痛む胸をぎゅっと握りしめて俯いた。まだ九歳の娘には難しい話だ。その責任を全てデイヴィットが負うとしても、選択するのは彼女自身だ。追々、その本当の意味がわかった時に後悔して欲しくないから、デイヴィットは子供相手だと誤魔化さず真剣に聞いた。エヴァンジェリンを心から思うからこそだった。

「……私ね」

「うん」

「あの日、シスターが泣いてるところ見たの」

 エヴァの脳裏に、連れ去られる直前の出来事が浮かぶ。シスターは厳しかったが千里眼を持つ子供たちにも普通の子供のように接してくれていた。それだけは間違いなかった。

「シスターが泣いてる意味がわからなかった。でも、もしかして、シスターは私をあの人たちに渡そうと思ってたんじゃなくて……脅かされて渡すしかなかったのかもしれないって、今思ったの」

「うん」

「だからね、デイヴィットはシスターをボコボコにしなくていいよ」

「……そうか。なら、シスター以外の奴はどうする?」

エヴァンジェリンは顔を上げた。デイヴィットはエヴァ以上に悲しそうだった。

(どうしてデイヴィットがそんな顔するの……?)

「……ほかのね、千里眼の子もね、もしかしたら危ないかも知れないの」

「その可能性はあるな」

「……助けてあげたい」

「どう言う風に?」

「私とおんなじに……。私にとってのデイヴィットみたいに、他の子も新しい家族のところでベッドで温かく寝て欲しい。ご飯ももっとたくさん、野菜だけじゃなくてお肉も食べて欲しい」

「うん」

「だから、デイヴィットには、孤児院の子どもたちを新しい家族のところに迎えてもらえるように手助けして欲しい」

「わかった。その願いは必ず叶える」

「……うん、ありがとう」

エヴァンジェリンは晴々とした顔でデイヴィットを見上げた。デイヴィットは悲しそうに目を伏せて、それからいつもの凛々しい表情になった。

「明日から少しずつ願い事は聞いてやる」

「うん、ありがとう」

「では、真面目な話は終わりだ。このあとは自由にしていて良い」

「ほんと? じゃあリップクリーム塗っていい?」

「好きにしろ。もうお前のものだ」

「えへへ!」

エヴァンジェリンは椅子をぴょんと飛び降りて鏡台がある自室へ駆けていった。デイヴィットはその様子を見届けてからふっと視線を落とし、目頭を抑えた。

「坊っちゃま……」

主人の心労をおもんぱかった執事はそっと白いハンカチを差し出した。デイヴィットは何かを振り切るように顔を上げる。

「平気だ」

そして自分も腰を上げ、執事に強い顔を見せた。

「エヴァはああ言ったが俺は連中を許しちゃいない」

「はい、爺も同じ考えでおります」

「いずれはぶっ潰す。だが、エヴァが望まないなら我慢してやる」

「は」

「水面下でこの騒ぎに関わった全員を調べろ。俺のニオイはさせるな」

「畏まりました」

左胸に手を添えて礼をした執事を見てデイヴィットは口の端をニヤッと持ち上げた。

「俺の執事は優秀だな」

「無論、坊っちゃまがお育てになりましたから」

「その通りだ」

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