第1話-7

 オリーヴは立ったまま、デイヴィットとエヴァはソファに座る。オリーヴは早速葡萄酒に口をつける。デイヴィットとエヴァはノンアルコールのフルーツカクテルを口にする。

「……やはり王の持ち物とあってここにある葡萄酒はどれも上質ですね」

「そりゃようござんした」

エヴァはグラスを持ったまま、ないはずの口に飲み物が吸い込まれていく光景を凝視している。デイヴィットは目を皿のようにしているエヴァの顔を見て吹き出す。

「ふっ、顔がねえのに飲み物飲んでるって驚いてるぜ」

「はっ! ご、ごめんなさい……」

「構いませんよ」

エヴァは目線を逸らしてカクテルをちまちま飲み込む。

「さて、星見の話だったな……。エヴァンジェリン。お前のその目は千里眼と呼ばれる、古くからある超能力の一種だ」

「う、うん。千里眼だって言うのは聞いたの……。ほしみは? 何が違うの?」

「千里眼は壁があろうが物があろうがずっと遠くまで景色が見える能力なんだが、星見って言うのはその能力のご先祖さまだ」

「能力にも、ちすじ? があるの?」

「おう、まぁ大体そんな感じだ。星見は爺さん、千里眼は孫って考えで良い」

「私の目はお爺ちゃん……?」

「そうじゃねえ」

「例えのせいで返ってややこしくなっていますよ。星見と言うのは文字通り星を見る能力です。貴方、昼間でも遠くの小さな星が見えるでしょう?」

「見えます」

「はい。ですが、ただの千里眼では昼間に遠方の星は見えないのです」

「え、どうして……?」

「太陽の光は情報量が多くて、そこから先は見えにくいんだよ」

「じょうほうりょう……」

「太陽の光は、たくさんの色があるでしょう?」

「はい」

「千里眼たちは、たくさんある色が邪魔して昼間は土星や木星のような近くの大きな星しか見えないのです。ですがおそらく貴方は輝いていない遠くの星でも見つけられる。つまり、私の顔と同じです。私の頭は鏡ですが鏡の向こう側がある。貴方はそう言った本質を見抜く目を持っているのです」

「……ええと……」

「さすがにそれ九歳には難しくねえか?」

「ふうむ、噛み砕いた表現と言うのは難しいですね」

「いえ、あの、何となくわかりました……」

「ほう?」

「似たようなことが前に……。他にも同じ能力の子がいるからって、修道院で一緒に暮らした事があるんです。ええと、隠れん坊をしていて……」


 ──エヴァは一年か二年前の出来事を思い出す。田舎の修道院の傍ら、収穫間近の麦畑で男の子と彼女は隠れん坊をしていた。お互い物が見えすぎる能力ゆえに、隠れん坊の範囲は広かった。

「交代で鬼をしてて、私が隠れてたんです。それで、男の子が探しに来るのが遅かったから私はすることなくて……ずっと地面を見てたんです」

最初はアリを追いかけているだけだった。だが、彼女はちょっと興味が湧いて地面の下を覗いたのだ。

「砂利とか、粘土とか、色んな石と土があって、その下に川があって、そのずっとずっと下まで見たら、突然明るくなったんです。あんまり眩しいからそこで視るの止めちゃったけど……」

少年がようやく彼女のところにやって来ると、エヴァはいま見た物の話をした。だが、彼は少女を馬鹿にした。

「地面の下には土しかないよ、ってその子が言ったの。だからシスターに嘘じゃないって、本当に眩しかったって言ったの。そしたら……次の日から他の子とは別々の部屋にされて……」


「……なるほど。そこで千里眼ではなく星見と気付いたのでしょう」

「あの子が視える物より遠くを視ちゃったのかなって、私」

「そうだ。お前が見たのは地球の内側にあるマグマだ」

「マグマって、火山から噴き出る赤い……?」

「ああ。地球はな、内側に熱々の金属が液体のまま入ってんだよ。お前が見たのはそれだ」

「ふうん」

「あまり太陽とかマグマとか火は見ないようにしろ。目が潰れる」

で思い出しましたが」

「やめろ、子供の前だぞ」

「?」

「何でもない。エヴァ、悪魔と天使はちいと難しい話をするから爺やのところに戻っててくれ」

「う、うん。わかった」

エヴァが扉を閉めて部屋から離れる足音を確認してからオリーヴは口を開く。

「星見のもっと詳しい話はしないのですか」

「難しすぎるしいま言う必要ないだろ」

「ごく普通に天使を視ている時点で星見を証明しているのだと話すべきだったのですが……。それと眼球が異空間と呼ぶべき代物だとも」

「無理だろ。天使はそもそも地上と天界の狭間にいるなんつーのは。次元の概念はまだ理解出来ん。眼球内の異界化もそうだ。そう言う説明はせめて学校へ通って18歳以上になってからだ」

「本当に人間に詳しいですね、貴方は」

「お前らが興味なさすぎるんだよ……。そうだ、学校で思い出したがどこかに通わせないとダメだな。っと、その前に養子縁組だ。独身で父親かぁ……まだ結婚もしてねえのに……」

デイヴィットは背もたれに身体を預け天を仰ぐ。オリーヴは飲み終わったグラスをテーブルへ置き腕を後ろで組む。

「時空干渉者の話を」

「ん、ああ。そうだったな。オレンジと名乗ってる奴な。まだしっかり確認はしてないが……恐らく一度死んでる」

「生と死の狭間にいると?」

「ああ。俺にでこの結界ガチガチの領域に侵入した時点でな、相当ヤバい。存在濃度が薄すぎて俺の結界すらあいつを捕まえられなかったんだ」

「貴方がこの時間で生を確定させれば、生き返るのでは?」

「そこだよ、難しいところ」

「ふむ」

「存在を確定させた瞬間、生き返らせた瞬間に今までの時間経過をもろに肉体と精神に食らう事になる。あの能力を得てから、死んでからそれなりに経ってるはずなんだ。それが何年分なのかわからん状態で行うのはマズい」

「なるほど。死んで五十年経ってたら現在でおおよそ七十歳になると」

「反動が恐ろしいんだよ。一気に歳を取った事で死んじゃいました、なんて洒落にならん」

「ふむ……確かに、難しいですね」

「だからうっかり手出しは出来ない。悪魔とは言え、いや悪魔だからこそ簡単に命を失う真似はしたくない」

「酷く勤勉な悪魔ですね」

「サボり上等の天使と違ってな」

「天使も仕事はしていますよ」

「知ってるよ、干渉する度合いの問題だってのは。まあ、とにかくだ。オレンジもただ彷徨さまよってる訳じゃない。何か目的があってあの状態を続けてるはずだ。それを聞いてから決める」

「わかりました。では、我々もあの者には干渉しません」

「話は終わりでいいな?」

「ええ。ではまた」

「はいはい、またな」

オリーヴの身体は揺らいで煙のように消えて行く。時間を確認しデイヴィットは伸びをする。

「メシにするか」


 デイヴィットはすでに食事の準備を終えダイニングに待機していた爺やとエヴァのところへ顔を出す。

「腹減ったわー」

「あの、デイヴィットさん」

「呼び捨て」

「で、デイヴィット」

「それでいい。何だ?」

「私、いつまでここにいて良い?」

デイヴィットとスティーヴは顔を見合わせる。居場所を転々としてきた少女は今はよくともまた捨てられるのではないかと俯いている。頭をぽりぽりと掻いてデイヴィットは椅子ごと振り向かせたエヴァの前に跪く。

「昼間、約束しただろ? ずっと守るって」

「う、うん……」

「お前がここに居たいなら好きなだけ居て良い」

「ほ、本当……?」

「本当だ。俺はな、自分が面倒を見た奴は放り出したりしな、おうっ」

言い終わる前にエヴァンジェリンはデイヴィットの首に飛びつく。押し潰していた不安が解け少女は嗚咽を漏らす。溜め息をついてデイヴィットは少女を抱き上げる。

「……食事はもう少し後ですね」

「そうだな……」

少女が泣き止むまで、悪魔はその小さな背中をさすった。


「で、デイヴィット……さん」

「呼び捨て」

「で、デイヴィット。あの……」

「何だ」

「これは一体……」

 パジャマに着替えたエヴァンジェリンは大きな天蓋付きベッドの上で白シャツのデイヴィットと寝そべっていた。デイヴィットはもちろんただ寝かしつけようと思っただけでやましい気持ちなど一切ない。しかしエヴァの方はそれどころではなかった。

(いい匂いがする男の人が隣にいたら寝られないよ〜!)

恥じらっているエヴァを見たデイヴィットはきょとんとして、少女の気持ちに気がつくとニンマリと悪い笑みを浮かべる。

「よく寝られるようにお話しするか?」

「ひゅっ……!」

悪い大人がわざと甘く囁くと少女は体を強張らせた。

「そう緊張するな。仕事で忙しくなかったら毎晩寝かしつけてやる」

(毎晩……!?)

毎晩こんなことをされたら心臓がもたない! と、エヴァは何度も首を横に振る。

「だ、大丈夫! 私一人で寝られるよ!」

「本当か?」

「本当!」

「ふうん。……じゃあ」

デイヴィットは素っ気ない振りをしてドアを開け放ったまま寝室を出て行ってしまった。エヴァは突然のことで驚き、心臓がきゅうっと締まって心細くなったが、自分で言い出したことだからと我慢して布団に深く潜った。

(孤児院でも一人で寝てたもん……。大丈夫だもん……)

 ベッド脇に再び重さが加わったことに気付いてエヴァンジェリンはソロソロと掛け布団から顔を出した。するとニンマリした黒髪のデイヴィットと目が合う。

その美しい顔に少女の心臓はまた跳ねた。デイヴィットはそんな少女の前で何をするのかと思えば、宝石のように美しいチョコレートをポイと口に放り込んだ。

「そ、それなぁに?」

「チョコ」

コリコリといい音を立ててチョコレートを頬張るデイヴィットは銀のトレーに規則正しく並べられたチョコレートの上で指を彷徨わせた。

「これは大人が食うチョコだから子供は食えねえ」

「お、大人のチョコ……!?」

ベッドから這い出したエヴァンジェリンは目の前に置かれたトレーの上のチョコを観察した。深く濃い茶色をサファイヤやルビーのように煌めく別のチョコレートが覆っている。丸いものや本当の宝石のように四角いもの。様々な形のチョコレートにエヴァは目を奪われる。デイヴィットの美しく長い指がその一つを持ち上げ、エヴァの口元に突き出した。

「わ、私もう歯磨きしちゃった……」

「そうだなぁ。いい子は寝る前にチョコ食わねえなぁ?」

「う……」

これは誘惑だ。悪魔の囁きだ。デイヴィットは自分に悪いことをするよう仕向けている。

(大人の人が食べるチョコ……)

エヴァンジェリンは誘いに乗ってはいけないと思いながらも、強い誘惑に負けて口を開けてしまった。

(はっ……!)

「ふっ」

デイヴィットはイタズラが成功した子供の顔で笑って、エヴァの小さな口にチョコレートを運んだ。

(私、いけないことしてる……)

エヴァは今まで口にした甘味の暴力ではなく、カカオマスが深い苦さをもたらす中に洋酒があふれるビターチョコを味わった。甘いのに苦い。苦いけど、ツンと鼻をつく独特な辛さと爽やかなオレンジピールの味。

「デイヴィット。これ何か入ってるよ」

「酒が入ったチョコだからな」

「お、おしゃけ……!?」

「どうだ? 初めての悪事の味は?」

「う……」

デイヴィットは寝転がってベッドの上にちょこんと座ったエヴァを見つめながら次のチョコを頬張った。

「……あのね」

「おう」

「おいしい、よ。でもちょっと辛いから、辛いのは嫌かも」

「そうか」

 寝室の前にはいつの間にかスティーヴ爺やが控えていた。エヴァは執事の微笑みにハッと気付いて、またチョコレート悪事に視線を落とした。

「爺やが作ったチョコだ」

「爺や何でもできるね!」

「そうだ。俺の執事は優秀だからな」

デイヴィットは自分のことのように胸を張った。エヴァは、デイヴィットは爺やが大好きなのだなと感じた。

「でも七色のチョコも美味しいよ」

「知ってる」

デイヴィットはトレーの端にあった緑と茶色の二層チョコをつまんでエヴァに差し出した。

「大人もチョコミントは食べる」

再びチョコレートをポコッと口に突っ込まれたエヴァは背徳感がだんだん薄れていることに気付かず嬉しそうにチョコを頬張る。デイヴィットはまた意地悪な笑顔をしてエヴァの青い瞳を覗き込んだ。

「ミント味だから油断したな?」

「はっ」

「味がミントでも夜中にチョコを食ったことに変わりはない」

「ううっ……」

デイヴィットは満足そうにエヴァの膨らんだ頬を指先でツンツンと突いて銀のトレーを執事に手渡す。

「さ、もう寝ろ」

「は、歯磨きは?」

「しなくていい。今日のエヴァは悪い子だから、そのまま寝ろ」

「わ、わたし悪い子じゃないよ!」

「じゃあ今から歯磨きするか?」

「する!」

 エヴァンジェリンはベッドをぴょんと飛び降りた。デイヴィットとスティーブは微笑ましく少女の後ろをついていき、彼女の体が冷えないように上着をかけたり、またベッドに戻る頃そっと手足を温めて少女が眠りに落ちるのを待った。

「おやすみ、エヴァンジェリン福音の子

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