第1話-9
地下水道。あまりいい臭いはしないそこで、女は目を閉じたままじっと逆立ちをしている。髪は黒、肌は黄色味の強い色白。黒のタンクトップを着た日系アメリカ人の彼女はただただ身体を鍛えていた。一、二と時々腕を曲げては戻していると、彼女の耳に差し込んだ無線イヤホンが震える。
「今いいか?」
「ああ」
「仕事だ。ネズミや目と連携してくれ」
「承知した」
通話を繋げたまま相手はさらに電話をかける。古いネット接続の音がして、繋がる。
「はい、スリーナンバーズピザです」
「デザートを公園に届けてくれ。梅の木の下だ」
「承りました。すぐお持ちしますか?」
「すぐ行けるか?」
「無論」
「ではすぐにお持ちします!」
ピザ屋との電話が切れ、梅は濡れないように高い位置へ置いておいたスマホを手に取る。送られてきた魔祓い師七人の情報を頭に叩き込んだ彼女は即座にスマホから情報を削除した。
「七人居るのか」
「メインディッシュはな。場合によっては増えるかも知れん」
「増やす余裕は与えない」
「おお、怖え」
「王」
「なんだ」
「今度、鶏肉料理が食べたい」
「いいぜ。好きな店に連れてってやる」
「楽しみにしている」
「おう」
梅との電話を終えデイヴィットは再び着替えを始める。手持ちの中でも特に高級で派手なスーツだ。ネクタイ、手袋、革靴もスーツに合わせて派手にする。明らかに出掛ける準備をしているデイヴィットと支度を手伝う爺やを見てエヴァはしゅんと肩を落とした。
「出掛けちゃうの?」
「ああ」
「ご飯、一緒に食べない?」
「あー、そうだな……。悪い、夕食には帰ってくるからよ」
エヴァンジェリンはそれなら昼食を作って渡すのはどうだろう? と思いついた。思いついたらそのまま行動に出られるのが子どもの利点だ。
「爺や! キッチン借りて良い!?」
「はい? よろしゅうございますが、何かお作りに?」
「デイヴィットのご飯、私が作る!」
目的を達成するべくエヴァはキッチンに走って行く。
「ああ、爺もお手伝い致します! エヴァ様お待ちを!」
「あー、行ってやれ。後は自分でやる」
「申し訳ございません……!」
爺やも慌てて後を追う。デイヴィットは自分で襟を整え、カフスを着けた。
「分厚い……」
デイヴィットは破裂しそうな膨らみを紙で何とか抑えた食パン丸三枚のサンドイッチを持ち、メインストリートを歩いている。
「ヤベえなこの詰め具合……開けたら爆発しそう。敢えて中身は聞かなかったけど何入ってるんだ……?」
彼のスマホが震え、歩きながら番号を確認しいつものように衛星経由で受け取る。相手は梅だ。
「どうだった?」
「ネズミの話では居たのはいつもの酔っ払いとホームレス。それ以外は網には引っかかっていないそうだ」
(地下に向かってないならどこに逃げた? 姿
デイヴィットは妙だと思いつつも梅やハッカーたちは嘘をついていないと分かっていたし、彼らの忠誠心をよく知っていた。
(どこかで情報が止まってるな。問題はどこか、だが)
「そうか。まあ、地下には行ってないんだろう」
「……手に持っているそれは何だ?」
「あ? これか? サンドイッチだよ」
デイヴィットはどこからかこちらを見ているであろう梅に向けて紙にくるまれたサンドイッチを頭の高さに掲げる。
「王が弁当を持ち歩くなんて珍しい」
「愛娘の愛情ベントーだよ」
「…………」
「なんだその沈黙は」
「……王の娘一号は私だぞ」
「ほー、妬いてんのか」
「妬いてる」
「それなら妹に今度顔見せてやれ。私がお姉ちゃんですよってな」
「会いに行けと言うのか。……まあ、考えておく」
「素直じゃねえなぁ」
「仕事に戻る。指示があればまた連絡を」
「おう、よろしくな。殺すなよ」
「善処する」
「ん」
デイヴィットは次に衛星を使ってより長く世界中を経由し電話を掛ける。相手が出たのを確認し、デイヴィットは同族にしか通じない言語を持ち出した。
「“よう。これからそっちに向かう。全員集めてくれ”」
「“わかった”」
悪魔が電話を切って顔を上げると数メートル先に灰色パーカーの青年が立っていた。
「おう、オレンジ」
魔王が気さくに手を上げるとオレンジは会釈のような頷きを返した。
「ああ、こんにちは」
「こんにちは。なんだ、用事か?」
オレンジは目の前で立ち止まった自分よりもなお背の高い黒い男を見上げた。
「いや、これと言って用事はない。強いて言うなら、アンタに顔を見せると言うのが用事だ」
「何だそりゃ。ああ、わかった。俺による観測が必要なのか」
「察しが良いな。その通りだ」
「なあオレンジ」
「なんだ」
「お前、サンドイッチ好きか?」
デイヴィットは近くの中華屋台で包丁を借り、エヴァ手製のサンドイッチを包みごと半分に切り分けついでにワンタンスープも注文した。
「はち切れそうだし、食い切れる自信がなくてよ」
「手作りだろう? 良いのか?」
「娘お手製の世界一美味いだろうサンドイッチを一欠片でも食い残す方が後悔する」
「悪魔も後悔するのか……」
「ほれ」
サンドイッチは作りたてなのか、まだほのかに温かい。
「ん、ああ。ありがとう……」
悪魔と超能力者は手頃なベンチに腰を下ろす。
「アレルギーとかねえよな?」
「なかったと思う」
「思う、ね」
二人は包装を剥いてサンドイッチにかぶり付く。中身はタマネギ、レタス、ピーマン、オリーヴ、茹でチキン、マヨネーズにマスタードと盛り沢山だ。
「おお、俺の好きな物しか入ってねえ。……いや、嘘ついた。缶詰のオリーヴ入ってるじゃねえか。缶詰嫌いなんだよ俺……。まぁでも美味えからいいや」
「……美味い」
「良かったな」
「……何故そこまで俺に世話を焼く?」
「んー? そうさなぁ……。一回死んじまった人間がなんで未だにふらふらしてんだろうと思ってな」
「ああ、アンタには何の説明も要らないんだな。本当に……」
「良い加減、お前に何があったか喋ってくれねえかな」
オレンジは手元のサンドイッチを見ながらぽつりと言葉をこぼす。
「厳密に言うと、俺は死んでいない。本体は病院にいる」
「本体?」
「俺は死んでいて、生きている。そう言う状態だ」
「……お前、植物状態なのか?」
オレンジは静かに頷く。
「五年前、事故に遭った。その際にこの能力に目覚めて、そのまま色々な人を助けている。この街に来たのは、本体がこの街の病院に移されたからだ。あまり体から離れすぎると本当に死ぬからな」
「まるで夢遊病だな」
「夢遊病……。まあ、外れてはいないだろう。今の俺は俺が見ている夢のようなものだからな」
「身体に戻ってやれよ。家族が心配してんだろ」
「……事故の際に両親が一緒に死んだ。今残ってるのは弟だけだ」
「それなら尚更……」
オレンジは一瞬ぎゅ、と胸の真ん中にある悲しみを押しつぶしたような表情をした。
「事故の前から迷惑な兄だった。合わせる顔がない」
「はぁー? 馬鹿?」
デイヴィットが呆れた声を出すとオレンジは目を丸くした。
「え」
「お前がどんな迷惑かけたか知らんが、唯一生きてる家族が兄貴だけなんだぞ弟は? 寝てても起きてても迷惑かけるってんなら起きろ。起きて美味い飯食って遊んで寝ろ」
ぽかんとした若者にデイヴィットはフンと鼻を鳴らしてみせた。
「……悪魔に真っ当な事を言われるとは思わなかった」
「今は悪魔とか人間とか関係ねえ。俺は大人として若者に怒ってんだ。くだらねえ思考は捨ててさっさと生き返れド阿呆」
「あ、阿呆……」
「お前どこの病院にいるんだ」
唖然としていたオレンジはまたふっと視線を落とした。その横顔は泣いているように見える。
「……セントラル病院」
「見舞いに行くからな」
「来なくて良い。骨と皮みたいな顔してるし、見られたくない」
「行くったら行く。名前も教えろ」
「……カイル・キーンだ」
「キーン?」
どこかで聞いたファミリーネーム。デイヴィットの脳裏には茶髪の目隠れ男子が思い浮かんだ。オレンジの顔を改めて観察すれば、鼻筋や頬のラインがどことなくキースと似ている。
「……おい、兄弟してイニシャルがKKか?」
「そうだ」
「弟を事故に巻き込んだのかお前……」
「キースは運が良い。怪我は滅多にしない」
「事故ったお前が言うと説得力凄えな……」
オレンジ、もといカイルは立ち上がる。
「……サンドイッチ、美味かった。ご馳走様」
「早く目覚ましてやれ」
「……まだやる事がある。起きるのはその後だ」
彼はふっと姿を消す。面倒くさい奴、とデイヴィットはベンチの上で独り言ちった。
デイヴィットは手頃なタクシーを拾って工業地帯の適当な飲食店を指名した。車内で今時煙たがられるタバコを吹かし、目的地に着くと色をつけて支払いを済ませる。
デイヴィットは一見雑然と物が転がるだけの廃工場に身体を滑り込ませた。もし普通の人間が見ていたら、結界を超えた瞬間デイヴィットの姿が消えて驚いたことだろう。廃工場の中には個性豊かな老若男女が黒の豪奢なスーツを纏い勢揃いしている。人数は九人。彼らの中にデイヴィットが混じれば、その様子はさながらマフィアの集会だった。
「“ようお前たち! 愛してるぜ!”」
デイヴィットは変身を解いて彼らの元へ歩きながら両腕を広げ、高らかに挨拶をする。もちろんチャーミングな笑顔も忘れない。
「“開口一番それですか、まったく”」
「“王の愛はいつも過剰ですね。胃もたれしそう”」
集まったのは全て<火の一族>の血筋、その中でも戦闘に特化したデイヴィットの兵士たちだ。彼らはチェスピースに準えられ
「“すでに梅が炙り出しを始めてる。お前らも加われ”」
「“目から連絡があったので何事かと思ったら、たかが魔祓い師に随分手間掛けてるじゃない?”」
初めに喋ったのは黒のボンテージを着た金髪碧眼の美女だ。
「“それが突然ポンと消えちまってよぉ……”」
「“クソどもが、我らの王を振り回すとは……”」
ポツリと呟いたのは一見年端もいかない少女のように見える黒いローブの小柄な女。だがその憎々しげな表情からは十年では利かないような経験の豊かさを滲ませている。
「“侮ると足元掬われるぞ”」
「“
ライダースーツのトサカ頭の男に、ボンテージの美女が言い返す。
「“好き嫌い言うな。久々のハンティングだぞ”」
「“ハンティングってことは、喰って良いのか”」
「“そのために他の者には殺すなと念を押している”」
「“お小遣いも出ますか!?”」
デイヴィットの言葉に茶髪のショートヘアの女子が笑顔を見せる。
「“もちろん。報酬も出すとも”」
「“それならおやつ的にペロペロっと食べますか”」
「“相手七人でしょ? 足りなくない?”」
「“仲良く分けて食え”」
「“えー!”」
「“それなら私ナイトと半分こしよ♡”」
ショートヘアの女子がボンテージの美女に抱きつくと、美女は頬を赤く染める。
「“……仕方ないわね”」
「“て言うかナイト食べちゃいたい♡”」
「“目の前でいちゃつくな”」
一番年若い茶髪の男がツッコミを入れるとショートヘアの女子はんべっと舌を出した。
「“やーい童貞”」
「“テメェ!!”」
「“王の前で騒ぐなお前ら”」
デイヴィットのスマホが鳴る。すかさず衛星経由で受け取る。相手は
「見つけた」
「こちらに追い込め」
「承知」
「“行くぞ、野郎ども”」
デイヴィットの不敵な笑みに、手駒たちは楽しそうに頷いた。
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