第二話
第2話『星の子どもたち』
「これなーに?」
「眼鏡だ」
アメリカ合衆国は東部、サンセットヒルシティ。その街には一際大きな
通称DDタワー、ここはいくつかの企業がオフィスビルとして利用しており、天辺にはオーナーであるデイヴィット・ドム・デイモンの自宅が収まっている。デイヴィットは先日引き取った養女のエヴァンジェリンに上品な淡いピンクゴールドの丸縁眼鏡を与えていた。
「メガネはわかるけど、なんでメガネ?」
エヴァンジェリンは色合いが気に入ったのか、はたまたデイヴィットから物を貰えたのが嬉しいのか両頬を持ち上げている。
「ま、掛けてみりゃわかる」
デイヴィットの言葉に従いエヴァは眼鏡を掛けてみてすぐさま視界の違いに気づく。
「あ! 近くしか見えない!」
エヴァンジェリンは星見と言う、千里眼よりもさらに貴重な瞳を持つ娘であった。そのために様々な騒動に巻き込まれ、彼女はデイヴィットの元に転がり込んだのだ。
「知り合いにそう言う特別な瞳を持ってる人や、人じゃない奴相手に眼鏡作って生計立ててる器用な奴がいてな。急だがサンプルを送ってもらった」
「私以外にも星見の人がいるの!?」
「いる。が、気軽に会える場所にはいないな」
「んーと、遠いところにいるの?」
「向こうもお前みたいに星見って知られたら悪い奴に毎日追いかけられるだろうよ」
「そっか……」
同類が存在していることにエヴァは一瞬喜んだが、会えないとわかると肩を落とす。今日のデイヴィットは黒い炎の頭ではなく人の姿をしていた。白い肌に整髪剤で黒髪を軽く後ろへ流した、艶のある壮年の男。この街の住人ならデイヴィットだと一目でわかるだろうが、たとい見知らぬ街の人間でもこの魅力で人は振り返るだろう。
「で、使い心地はどうだ?」
「え? ……うん、悪くはない、かな?」
「お前の今後を考えると星見の力を制御出来るようになるまでは眼鏡なりなんなり必要だろうと思ってな。学校も通うだろうし」
学校という単語を耳にした途端、エヴァは表情を曇らせる。
「……どうした」
「学校、行かなきゃダメ?」
わずか九歳になる人生のほとんどを修道院の孤児院で過ごした彼女は人間に対する印象がよくなかった。狭い部屋に閉じ込められ人間関係だけが濃縮していく。その中で過ごす暗黒の日々をエヴァは思い出している。
「今まで学校は通ったことなかっただろ?」
「うん……」
「なら、一回体験してみてもいいんじゃねえか? 合わなかったら転校すりゃいい。それでもダメなら家庭教師にする。逃げ道はいくらでも用意しといてやるからひとまずフツーの、同年代の子供がいる状況に慣れとけ。千里眼とかスーパーパワーのねえ子供にな」
「……変な子って絶対言われる」
「んなこと言う奴は俺がぶっ飛ばしてやる」
エヴァはその言葉でデイヴィットの顔をふっと見上げた。驚くのでもなく喜ぶのでもなく、やや憂いのある表情で。
「学校の送り迎えは俺か爺やが必ずする。それでも心配か?」
「……ん、デイヴィットか爺やがいるなら……まあ……」
「よし、じゃあ入学の手続きはしておく。で、だな。その前に眼鏡を作ろうって話だ。だから今日はこれから眼鏡を作りに出かけたいんだが、いいか?」
「うん、メガネは欲しい」
「いい子だ。欲しいものは欲しいって必ず言えよ?」
「うん!」
かくして、少女は養父とその執事と共にサンセットヒルシティを後にした。
アメリカでも東部のごく一部にしかない線路の上。エヴァは眼鏡を掛けたり外したりしつつ過ぎていく窓の外の風景を見ている。デイヴィットは彼女の右隣でスマートホンの画面を叩き一企業のCEOとしての雑務をこなしていた。エヴァの左隣には執事のスティーヴ・サイモンが腰を下ろしており少女とそこら辺の客とを
「自家用機ではなくて宜しかったのですか?」
「毎回ヘリと飛行機ってのも味気ねえだろ」
「ねえデイヴィット、普通の人って遠くは見えないの?」
「ん?」
スーツの肩部分を摘まれたデイヴィットはエヴァが覗いている窓の外を共に見るべく上半身をひねる。
「私あの看板読めるの。ほら、青いネオンのやつ」
「……ああ、あれか。随分遠いな。フツーの奴はまぁ見えねえだろうな。青はわかるだろうが看板かどうかはわかんねえだろ」
「やっぱりそうなんだ……。でもデイヴィットには見えるのね?」
「俺はー、まあ」
人じゃないからな、と言おうとしてデイヴィットは言葉を濁らせる。エヴァはデイヴィットの濁した言葉の先を察しながら眼鏡をしっかり耳に掛け、その後はずっと流れていく風景を見ていた。
三人はボストンの一角に降り立った。デイヴィットはその中でも特に古い建物が立ち並ぶ場所へ足を向ける。
「キレイな街だね」
エヴァンジェリンはデイヴィットの肩の上から街並みを楽しんでいる。
「アメリカでも特に古い都市だからな。けど敬虔なクリスチャンの都市だから俺たちの一族とは相性が悪い」
「んー、そっか」
「デイヴィット、それ人の家のポストだよ」
「知ってる。ここに来る時は毎回俺が覗いてやってんだよ。あいつ引きこもってロクに家から出ねえからな」
「ふうん?」
型の古いエレベーターは最上階の七階に到達すると三人の乗客を吐き出す。一つの部屋の前にたどり着いたデイヴィットは呼び鈴には触らず扉を三回叩く。ややあって鍵を外す音がし、デイヴィットは家主が完全に姿を現す前に顔を新聞で軽く叩いた。
「五日分」
「……いらっしゃいデイヴィットさん」
「邪魔するぞ」
「どうぞ……」
巻きの強い栗色の癖っ毛をした壮年から中年の男性は客の手から新聞を受け取り扉を大きく開く。エヴァは重い前髪で隠れ気味な家主の、丸みのある四角いフレームの向こうの瞳を見ようとしたが彼は少女と目を合わせないように視線をずらす。
「眼鏡は、どうでしたか」
彼が自分に話しかけたのだとは分からず、エヴァは玄関に入ろうとしてから真意に気付きややあって振り返った。
「あ、えっとね。フチが綺麗だなって」
「あ、そ、そうですか。どうも……」
スティーヴに促され家主とエヴァは小ぢんまりとした部屋の中央に移動する。
「台所をお借りします」
デイヴィットの執事は慣れたようにキッチンへ向かい手指の消毒とお茶の支度を始めた。デイヴィットはと言うと、家主以上に家主らしく高級ソファに腰掛けて寛いでいる。家主の男はスティーヴとデイヴィットの行動に構わずたくさんの眼鏡が置かれた棚をごそごそと探り始める。
「エヴァ様、先に手をお洗いください」
「はーい。デイヴィットも手洗って!」
「ええー」
「えーじゃない!」
「はいはい」
手洗いうがいを済ませた客とその養父が戻ると家主はスティーヴ爺が淹れた紅茶と軽食を口にしていた。
「食事を一日半していなかったそうです」
「またか」
「すみません……作業に熱中すると黙々とやっちゃうもんだから……」
「気持ちはわかるけどよ」
エヴァとデイヴィットが座り、四人は同じテーブルを囲みながら黙々と紅茶を口に運ぶ。一番最初に沈黙に耐えかねて口を開いたのはエヴァンジェリンだった。
「ねえ、お名前は?」
「え? あ、僕ですか……。僕はトール・テイラー……眼鏡職人です」
「トールって神様の名前じゃなかった?」
「よく知ってるな? そう、ヒーローのソーと同じ
「ほくおうってどこ?」
「イングランドよりもっと東の大陸、の北の方。雪国」
「ふーん」
「……あの」
「なぁに?」
「その眼鏡を掛けてて、首が凝ったり肩が凝ったり……とか、しませんでしたか?」
「ううん、全然」
「そうですか。じゃあ大体は合ってるのかな……似た系統のレンズは……」
「テイラー、飯の時ぐらいは仕事に思考を向けるなっつってんだろ」
「あ、す、すみません」
「デイヴィット、なんかトールさんのお父さんみたい」
「若い時に世話してやったからな。育て親みたいなもんだ」
「はい、お世話になってます……。スティーヴさんのご飯も相変わらず美味しい……」
「お口に合って何よりです」
軽食を終え執事は全員の食器を片付け始める。テイラーは小さくもずっしりと重い、サイズが違う四つの箱を机の上に用意しエヴァを正面に座らせた。
「星見なら簡単だとは思うんですが、箱の中身を当ててください……。じゃあ、まず右端の箱から……」
それぞれ材質の違う金属の箱の中身を当てろと言われたエヴァンジェリンはようやく眼鏡を外す。眼鏡を掛けた視界に慣れ始めていた彼女は世界がぐらりと揺らいだように感じ思わず目頭を押さえる。
「……大丈夫ですか?」
「だいじょうぶ。ちょっとくらっとしたの」
「うーん、サンプルだときつかったのかな……。ああ、サンプルは回収しますから、机へ置いてください」
眼鏡を手放しエヴァは瞬きを何度かする。ようやく少女は箱の中身と向き合った。
「んー……毛糸の羊?」
「正解です。じゃあ、その隣は?」
「木彫りのテディベアね」
厚い金属に覆われた中身を彼女は次々に当てていく。
「正解です。ではその隣……」
「……何も入ってないわ。台座だけ」
「正解です。では最後の箱は?」
「……ちっちゃいけど、宝石?」
「さすがです。全部正解です」
エヴァンジェリンは誇るようにデイヴィットに振り返った。養父はその顔を見て肩を竦める。
「ま、当然だな。いや、さすが星見」
「ふふーん」
「普通の千里眼だと三つ目で混乱するんですけど、やはり星見は精度が違いますね。でもそうすると手持ちの材料じゃちょっと無理かな……」
「やっぱ千里眼とは勝手が違うか」
「ええ、まあ。でも作れなくはないと思います」
「さすがだな
「お褒めに預かり光栄です。じゃあ、すみません。ええと……名前を聞いてませんでした」
「エヴァンジェリンよ。エヴァでいいわ」
「エヴァさん、ですね。目を直接見ますので少し辛抱してください」
「どうぞ」
「では失礼して……」
テイラーは己の眼鏡を外し左側だけのゴーグルを装着する。そして少女の星見の瞳を覗き込んだ。ゴーグルに覆われていない方のテイラーの紫の瞳を見てエヴァは彼もまた普通の人間と違うのだと気付く。眼鏡職人は自身も特殊な瞳の持ち主であった。それは俗に魔眼と呼ばれる、古来から奇跡の領域に存在する特異な眼球だ。
エヴァンジェリンは魔眼独特の煌めきに魅了され、じいっと彼の瞳を見つめ返す。
「なるほど、これが星見……。すごいな……まるで大洋だ……溺れそう」
「二人ともお互いの瞳に魅入られすぎるなよー」
デイヴィットの発言でエヴァは瞬きを数度挟み、テイラーの瞳を見過ぎないように心掛ける。テイラーは計測を終えると手元のバインダーに何やら書き込んでいく。
「星見の能力のせいか遠視が強いですね」
「だろうとは思ったよ。物見る時にしかめっ面してるからなエヴァ」
「聞く限りでは星見の人間は幼少から遠視が進みすぎて弱視の人が多いんですがエヴァさんは奇跡的に弱視にはなってませんね。物を見る訓練とかしましたか?」
「ん、えーと……。シスターが他の子……千里眼の子と一緒に近くを見るようにしなさいって言ってて、よく絵本を読むように言われてたの」
「なるほど、そのおかげですね」
「じゃくしってなぁに?」
「物を見る力が弱い人のことです。ぼんやりとしか物が見れないので近くも遠くもよくわからないんです」
「目が見えないの?」
「物の輪郭や形がくっきり見えないんです。明るさや暗さはわかるんですけど」
「ふーん?」
「星見の人には珍しくないそうです、弱視は。最も星見であるが故に弱視だって本人が気付かない場合がほとんどらしいですが」
「うーん、わかんない。どうゆうこと?」
「そりゃーあれだ、エヴァこっち見な」
デイヴィットの方を振り向くと彼は畳んだ新聞で顔の前を
「新聞で隠れててもエヴァは俺の表情わかるだろ」
「うん、舌出してるね」
「じゃあこれは?」
「寄り目ー」
デイヴィットは新聞紙を顔の前から退かし少女にウインクをする。
「普通の視界ってのは俺の表情は見えずに新聞紙の一番上しか見れない状態だ。そんで新聞紙の文字がその椅子に座った状態でくっきり読めてるのが物が見えてるってことよ。さっき箱の中身見ただろ? 同じ話だ」
「その通りです。デイヴィットさんの説明に付け加えると、星見の人は手に持った新聞の文字を読むのが苦手な場合が多いんです。でも望遠鏡なしで木星の表面とか土星の表面のしま模様は見えてる。りんごそのものは赤くて丸い物としかわからないのにりんごの中に種、黒い粒がいくつ入っているかはわかる。見ることに対して不便が少ないので本人が気付かないんです。千里眼も同様の症状が出ますが幼少期に早い段階で弱視になってしまうので星見の場合はより顕著だそうです」
「けんちょ?」
「周りの人が気付きやすいと言うことです」
「そうなんだ」
「でもエヴァさんは弱視、物の輪郭がわからないようなひどい状態にはなっていません。よかったです。なので星見の能力だけ抑えればいいので……レンズはこれとこれと……」
テイラーは眼鏡を作ったことのある人間なら馴染みのある、レンズを何枚も差し込める大振りのフレームを取り出し少女の目に合ったレンズを数枚収めていく。エヴァはその合間にとデイヴィットに再び振り返る。
「トールさんの目、他の人と違うね!」
「ああ、テイラーは魔眼ってやつだ」
「まがん?」
「後で説明してやるから今は検査に集中しろ」
「はーい」
エヴァはテイラーが選んだレンズを何度か取替えながら己の感覚に合うレンズを選り抜き、フレームも決める。職人はレンズとフレームの種類を書き出して必要な材料や加工技術の難度から大体の予算を立てた。
「大体このくらいになります」
「うへ」
眼鏡一本とは思えない、ちょっとした旅にでも行けそうな金額にデイヴィットは思わず口を曲げる。
「お、お金大丈夫?」
「そう言う心配はしなくていい」
「そ、そう?」
「大丈夫だ。使った分稼げばいい話よ」
デイヴィットはテイラーが差し出したコイントレーの上にブラックカードを置く。
「前払いでとっとけ」
「相変わらず太っ腹ですね」
「払うってわかってる金は惜しまねえさ」
「そこがすごいんですよ、貴方は。……お言葉に甘えて半額頂きます」
「全部持ってけっつの」
「いえ、今回は額がすごいので半分で……」
「あっそ」
眼鏡職人は自分のノートパソコンに接続されたカードリーダーにカードを差し込み、デイヴィットに暗証番号を打ってもらい──もちろんその手元を直視はしない──事務処理を終える。
「では、エヴァさんはメガネが完成するまでこちらのサンプルを使ってください」
「さっきのと別?」
「はい、レンズが違います。フレームは同じにしました。来るまでに使っていた物よりはくらくらしないと思います。いま試してみてください」
エヴァンジェリンは机に置かれた新聞相手に新しく借りた眼鏡を試す。
「いい感じ!」
「よかった。では、製作はお任せください」
「おう、頼んだ」
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