第2話-2

 レンタルした眼鏡の性能を試すついでにとデイヴィットはエヴァを連れボストン美術館へ足を踏み入れた。孤児院にも聖母子像などの絵画は存在したものの、美術に触れるのはほぼ初めての少女は展示されている絵画や彫刻を眺め、楽しみ、最後には与えられた小遣いで収蔵作品が載った分厚い図録を購入し満足げに出てきた。

「すごかった!」

「眼鏡も試せたし、よかったな」

「うん!」

三人の内の誰だったかはわからない。腹がぎゅうっと鳴り彼らは顔を見合わせた。

「昼飯どうすっか」

「お外で食べたい!」

「そうだな。この辺りだとどこがいいだろうなぁ……」

「お調べ致しましょうか?」

「いや、いい。こう言う時はふらーっと歩いて見つけたところに入るのがグッドだ。エヴァ、右の道か左の道か選びな」

「私が決めていいの!?」

「おうよ」

「じゃあ、じゃあー……」

彼女は周りを見渡して人差し指を彷徨わせる。手ごろな建物を選ぼうとした少女は、だがその手を止めて眼鏡をずらし視線の先にある物を何度も確認する。

「ん? どうした?」

「……あそこ建物の近くに蜘蛛の糸みたいなのがある」

「ん?」

デイヴィットはエヴァが指差した方向を人ならざる瞳で見つめる。たしかに蜘蛛のように煌めく細いものが建物の前に張り巡らされている。

「ありゃ魔力だ」

「魔力?」

「魔力は魔術を使うための力のことだ。魔術のために術式を描いた後ああやって残る」

「んー……うちの玄関とか壁に綺麗な模様がキラキラの線で描いてあるけどおんなじ?」

「そ」

「そっか」

「で? 糸のある方向にすんのか?」

「うーん、糸の方はやめとく」

「ほう? そりゃまたどうして」

「なんかあっち怖いから」

「わかった。じゃあ反対側の道にしよう」

養女と話すために屈んでいたデイヴィットが姿勢を戻すとスティーヴが耳打ちをする。

「関わらなくて宜しいのですか?」

「俺の陣地じゃねえしな。勝手に首突っ込まれてもあちらさんは迷惑だろうよ」

「左様で御座いますか……」

「不満そうだな」

「いいえ、その様なことは」

「なーに?」

「何でもねー。腹減ったし行こうぜ」

「は……」

スティーヴはエヴァの言うに後ろ髪を引かれつつも、主人たちと連れ立つため足早にその場を立ち去った。


 少女の発言から一時間経ったかどうか、案の定その怖い場所で自動車が人をはね、野次馬はSNSで情報を一斉に送信し合った。食後にスマホをいじっていたデイヴィットは己の目と、同じ様に情報を目にした近くの客の声で嫌でも事故の詳細を知った。彼らの声はもちろんエヴァとスティーヴにも届いてしまい、老人と少女は顔を見合わせた。

「死んじゃったの……?」

「どうだろうな」

「でもあの人、血、いっぱい出てたよ」

「馬鹿、視るんじゃねえ! 眼鏡掛けてろ!」

「でもあの怖いところだよ! 私、怖いところって言えたのに!」

「エヴァ、そりゃ無理だ。第一、ここは俺たちの街じゃない。第二に、被害に遭う本人を見つけていたとしても場当たりで説明する余裕はきっとなかった」

「でも!」

「第三に!」

声を遮られたエヴァは悲痛な顔でデイヴィットを見上げた。

「……俺たちは他人の運命に易々と介入してはいけない」

「助けられたかもしれないのに……」

養父は溜め息をついて背もたれに体重を預ける。

「後悔と無力感はわかる。事前に仕組まれてたなら事故じゃない、事件だ。助けられる余地はあったかもしれない。でもなエヴァ、お前はあそこが怖いから見たくなかった。そうだろ?」

「うん……」

「それでいいんだ。怖かったら逃げていい、何も間違っちゃいない。怖いものに怖いとわかっていながら立ち向かうのは勇気だが、対抗手段を持っていないならただの無謀だ」

少女は固く目を閉じて何かを思い出しているデイヴィットの顔を見つめた。

「デイヴィットも、助けたかった人いた?」

「いっぱいいたよ」

「ん、そっか……」

「全員助けるってのは無理なんだ。誰かを助ければ誰かは死ぬ。この街には俺たちの知らない人間たちが住んでいて、俺たちが知らない関係を組んでる。いい関係も悪い関係も両方だ。わかるか?」

「うん……」

「余所者の俺たちが目の前の出来事に割って入ったとしよう。だが、助けた奴が二日後に誰かを殺したら? 例え一瞬でもやっぱり助けなきゃよかったって思うよな」

「うん」

「基本、余所者ってのはそう言う見極めが出来ない。だからこの街のことはこの街の住人に任せるしかない」

「うん……」

そこまで口にしてデイヴィットはふと考えを巡らせる。

「……いや、その通りだ」

「え?」

「そうだ、俺たちは余所者だ。だがエヴァ、俺たちはあれが事故じゃなくて事件かもしれないっていう情報を今持ってるよな」

「うん、そうだね」

「なら、この街のスーパーヒーローに情報提供をするべきだ。違うか?」

「違わない!」

少女は一転して目を輝かせる。デイヴィットはにんまりと頬を持ち上げた。


 デイヴィットはすぐにボストン近郊に住んでいる一族に連絡を取り、ボストン在住で奇妙な厄介ごとを解決することで有名な人物の名を聞く。

一族の者がと呼んだ人物はボストンの中でも特に古く修理のままならないアパートに住んでいて一行は一度目的地かどうか疑ってしまった。

デイヴィットはアパートの小さく狭いロビーに設置された郵便受けから探偵の住む204号室を見つけ、部屋の前にたどり着くとやはり呼び鈴には触らず扉を三回叩いた。

「宅配便でェーす」

「違うでしょデイヴィット。ごめんくださーい!」

屋内で人の気配はするものの、探偵は出てこずデイヴィットは再びドアを叩く。

「おーい、まほーつかい、魔術師。どっちでもいいわ出てこい。事件の情報提供にきたんだーっつーのー」

言いながらドアを何度か叩くが、家主は出て来ない。警戒心が強いのかこちらが見ず知らずの男だからなのか。呆れたデイヴィットは屈んでエヴァに話しかける。

「エヴァ、このドア魔術で結界が作ってあるんだが視えるか?」

「どこ?」

「ホラ、ドアと枠の隙間んとこ」

エヴァンジェリンは眼鏡をずらし星見の瞳を使用する。

「ほんとだ。模様じゃないね、文字?」

「そう。読めるか?」

「うーん……読めない。アルファベット?」

「そ。古英語つってな、俺たちが今使ってる英語のご先祖様よ」

「英語のおじいちゃんね!」

「そーゆーこと。こう言う扉におまじないがしてある場合はほとんど魔除けでな」

「うちのも魔除け?」

「まあな、大体一緒。魔除けってのは基本的には亡霊とか悪魔が入れないようにするんだ」

「……じゃあデイヴィット入れないんじゃない?」

「お、いいところに気付いたな〜。この英語で書いてあるまじないは俺や爺やとは相性悪い……お?」

ゴトゴトと物音がして扉のすぐ向こう側に誰かが立つ。はドア越しに魔術の杖でデイヴィットを狙っていた。

「……ふん、で。悪魔がもし魔術師の家に上がりたい場合はどうしたらいいと思う?」

「え? えーっと……ごめんくださいって言って入る?」

「惜しい。ごめんくださーいって言うだろ。そのあと魔術師がどうぞって言わないと入れないんだよ」

「そうなんだ。じゃあ、ごめんくださーい」

「ごめんくださーい」

間延びした声を聞いた家主はドアチェーンを付けたまま扉を数センチ開いた。エヴァンジェリンは隙間から家主の顔を伺う。男は少女から見えない位置で杖を構えたままだったが、エヴァは構わず口を開く。

「ごめんください。あのー、さっき美術館の近くで事故があったの。それでね、事故のあったところに魔力の糸があったの。多分事故じゃないの」

探偵はようやく扉を全開にしたが警戒は解いておらず短い杖、ワンドを構えたままだ。彼はスポーツ選手のように短い鳶色とびいろの髪をワックスで立てており、瞳は緑。鼻と頬にはそばかすと言う典型的な赤毛だった。デイヴィットは立ち上がり挑発的な笑みを探偵に向ける。

「よおフラッシュ。いや、ピーター・パーカーか?」

「……悪魔のくせに子連れか」

「おおよ。一神教のせいで悪魔に堕とされた古き者ってところだ」

「よそ者か」

「俺らからすりゃあお前たちの方がよそもんなんだがな。ま、いい。ボストン美術館の近くで自動車と人間の衝突事故があったのは知ってるか?」

「今ニュースで見た」

「その事故の一時間前、うちの娘と一緒に魔力線が三本か四本事故現場の近くに浮いてるのを見た」

はじいっとデイヴィットの顔を見つめている。ほとんど睨み付けていると言っていいだろう。エヴァは探偵の前に一歩踏み出す。

「さっきね、デイヴィットが言ったの。私たちは今日この街に来ただけだから、この街の事件なら住人さんにじょうほうていきょうするしかないって。……合ってる?」

「合ってる合ってる」

デイヴィットはエヴァを抱き上げ左腕に抱えながら養女にウインクをする。

「じゃ、情報は提供したし帰ろう」

「え? もう?」

「おうちにお邪魔しなくても探偵さんが話聞いてくれたしな」

「うーん、そっか」

「ほら、挨拶して」

「うん。探偵さんさようなら」

手を振った三人が背を向け来た道を戻るも、赤毛の男はじいとこちらを見るばかりだった。スティーヴは念のため主人に小声で話しかける。

「立ち去って宜しいのでしょうか」

「まあ俺らを疑うのが定石だろうからそのままついてくるんじゃねーか?」

「探偵さん一緒に来るの?」

「来るかもなー」

「一緒にケーキ食べる?」

「いやーケーキは食わねえんじゃ……そういや何時だ?」

「二時になります」

「んー、おやつ食うなら帰ってからだな」

「えー! ここで食べるー!」

「いやー、俺疲れたし帰ろ? な? そうだ、ハドリーんとこでパンケーキでも食おう」

「ハドリーおじさんち?」

「おう」

「……うん、じゃあ帰る」

「よしよし、そうしような」


 しかし一行の癒しのパンケーキ・タイムは遠退いてしまう。何故ならデイヴィットに抱えられたエヴァが再び魔力線を発見してしまったからだ。

「全く同じもんがそう遠くない位置に出現したんじゃ笑えねえな」

「ねえデイヴィット、次は知らせた方がいいよ」

「そうだな。都合のいいことに探偵も近くにいるし」

「いるの!?」

「あそこ」

デイヴィットが指差した方向からコートを羽織った探偵が歩いて来ていた。エヴァは魔術師に大きく手を振る。

「探偵さん! 探偵さんこっちー!」

尾行がバレてしまった探偵は一瞬気まずそうにしたが、エヴァが一生懸命呼ぶと駆けてくる。

「なんだ!」

「あそこ、美術館の近くで見たのと一緒!」

エヴァが指差した瞬間、自動車のタイヤがパンクし制御を失って横断歩道を渡る女性に突っ込んでいく。

「危ない……!」

だが今度は動ける大人が二人いた。探偵は走り込んだ勢いのまま女性を庇い道へ転がり、デイヴィットは何もない空間から素早く黒い杖を取り出すと車に魔術を当て軌道をずらす。自動車は横転。周りの人間が悲鳴を上げる。デイヴィットはエヴァンジェリンを爺やに押し付け運転者の救助にかかる。

「おい! 生きてるか!?」

運転手の男は横転した勢いで目を回していたが怪我はなく、デイヴィットは黒い石のステッキを振り無詠唱で解錠する。すぐ近くにいた人間も数人手伝い運転手は無事車の外に連れ出された。

「ぶへー、疲れた」

デイヴィットは助け出された運転者の様子を伺おうとしたが、駆けてきた探偵に首根っこを掴まれ路地に引き込まれる。

「どした!?」

「どうしたじゃない、あんたら前の事故現場にもいたんだよな!?」

「お、おう」

デイヴィット、そして轢かれかけた女性。爺やとエヴァは探偵によって同じ路地に連れ込まれた。

「あ、あの、助けてくれてありがとう……」

「お姉さん助かってよかったね」

「怪我してねえか?」

「ええ、おかげで……」

「あんた、この子供と爺さんと男に見覚えは?」

「え? いいえ? 初対面よ」

「お前まだ俺たちのこと疑ってんのか?」

「可能性がなくはないから念のため聞いただけだ」

探偵はスマホをいじり先ほど起きた事故のニュースを被害者の女性に見せる。

「さっきもこの近くで事故があった。被害者か運転者の名前に見覚えは?」

「……いいえ、知らない人ね」

「そうか……。わかった、情報をどうも。このあと警察が来るだろうから事情聴取は受けて。さ」

「え、ええと、わかったわ。本当にありがとう」

女性は早々に解放したが探偵はさらに路地へ押しやったデイヴィットの胸ぐらを掴んだ。

「おいよそ者」

「デイヴィットだ」

「その子供は何故魔力線が見える。魔術師の子供か!?」

「うちの娘か? 千里眼なんだよ」

「千里眼?」

「そうよ。それでね、デイヴィットは私の家族なの。本当のパパじゃないけど家族なのよ。それから爺やもね」

魔術探偵は少女と悪魔たちの顔を見比べ、ようやくその手を離す。

「よそ者が何故ボストンに?」

「買い物だよ」

「メガネ作ってもらいにきたの」

「……今かけてるそれか?」

「これは借りたの」

少女が眼鏡を差し出すと探偵は右手で受け取り眼鏡のつるを確認する。

「なんだ、テイラーのところの客か」

「お、テイラー知ってんのかお前」

「以前魔眼殺しを作ってもらった」

「ほ〜、あいつ頑張ってんなぁ」

「トールさんは昔デイヴィットがお世話してたんだって」

「なんだと?」

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