叫びと呟き
18 叫びと呟き
大学1年生 夏休み下旬 新理
帰省から戻り、夏休みも下旬に差し掛かった最中。日が落ち始めた夕方も厳しい日差しは変わらず、
歩くたびに熱の籠った風と、シャツが肌に貼りつく感覚に嫌気がさしながら、手で風を仰ぎサークルのドアを開ける。
クーラーの効いた部室に古都研究会の部長、
「あれ……香田君。今日も来たの?暇だねぇ」
ノートが散らばった机に突っ伏すように寝ていた彼女へ、新理は苦笑いを返した。
彼が暇なことに変わりはないのだが、今日は珍しく用があってサークル棟へ赴いたのである。
ここへ来る事となった経緯は昨日の昼、この場所で彼のサークル仲間兼友人の
*
ーー昨日の午前中、課題を終わらせる為大学内の自習室へ訪れた新理は、高橋と思わぬ災難に出くわした。
空調の故障で教室内は未だかつてないほどの熱気に包まれていたのである。
2人は事務員に報告後、(移動中はじゃれあっていた為)汗を流し命からがら、古くても辛うじて稼働しているクーラがある部室へ逃げ延びたのである。これだけでも十分に不幸な出来事であるが、前記した災難はこの後の事である。
そうしてどうにか古都研究会へたどり着くと、部室内には珍しく
彼は古都研究会の先輩部員で、部長の田渕が不在の今日、いつもの彼女の席に座り“心霊特集”と大きな文字が表記された雑誌を読んでいた。彼がオカルトや心霊現象が大の好物だという事は大学内で有名な話である。
「すごい汗だな。顔真っ赤だぞ」
「ええ、まぁ……」
「……自習室の空調が故障してまして」
「アホどもめ。俺がたまたま買ってきた飲み物がクーラーボックスに入っているから飲むがいい」
2人はすばやく大きなクーラーボックスから飲み物を手に取ると、冷房の前で蓋を開けスポーツドリンクを飲み干した。
生き返った2人は藤本に礼を言った。
「すみません、ありがとうございます」
「でも、これ飲んでいいやつでしたか?」
藤本の足元にある大きなクーラーボックスの中には、大量のスポーツドリンクが入っていた。よく見ると、藤本の格好は上下スポーツウェアだった。
彼はちらりと2人を見ると、特に気にするわけでもなくまた雑誌へと視線を戻した。
「ああ、テニサーの合宿に持っていくやつだし別に構わねーよ」
「ええ!?ダメじゃないですか、2人分減りましたよ!」
「いいよ。後で下の自販機で補充するし。てか、多めに買ってるから2本くらい平気、平気」
「なら、お金払います!」
「たった2、300円いらねーよ。次からその金で飲み物買え」
藤本は時折やたらと
「じゃあ、せめてなにか手伝いますよ。そのクーラーボックスを下に運ぶとか」
新理のその一言に藤本は雑誌をゆっくりと閉じ、ニヤリと笑みを浮かべた。
「そうかそうか。よし、少しでも感謝の意向があるなら、俺の頼みを聞け」
その瞬間「言わなければよかった」と新理は後悔した。
*
ーー夕方、夜も間近に迫った時間帯。
薄暗いサークル棟を歩いていると、どこからともなく低く地を這うようなうめき声が聞こえて来る。慌てて足早にサークル棟から出ようと、階段を降りていく。
しかし、ふと廊下の奥から視線を感じて顔を上げる。薄暗い誰もいないはずの廊下に、ワンピースを着た女性が1人立っている。
彼女はゆっくりと口を開く。
キャアアァァァ……
女性は甲高い叫び声と共に夜の闇に消えていった。
彼女は大昔に廃部になったサークルの女子部員だと言われているが、正体は定かではない。
長らくその部室は空き部屋だったが、サークルが増設され、いつしかその部室がどこにあったのか誰にも分からなくなってしまった。
彼女がなぜここに留まっているのか?なぜ叫び声を上げているのか?真相はわからぬまま、今でもその女性はサークル棟を彷徨い続けているという。
「……お前らこの怪談は知っているよな?」
「“サークル棟の空き部室”?だっけ?」
高橋がそういうと、新理は顔を見合わせて頷いた。
「この怪談は昔からある。“女子トイレ”の話は昔の先輩が、“階段”は俺が流した。まぁこの話は今はどうでもいい」
得意げに話す藤本に高橋は驚いていたが、新理にはなんとなく、そう見当がついていた。
というのも、彼の兼部しているサッカーサークルの友人、
『心霊・オカルト系がめっちゃ好きな先輩がいるんだよ』
『多分ここの幽霊部員だね。オカルトがすごく好きな奴が1人いるの』
とはいえこの言葉から藤本であると閃いたのは、新理が彼と知り合ったごく最近のことである。
「“サークル棟の空き部室”についてある噂が囁かれている」
「ある噂?」
新理と高橋は首を捻った。藤本は眉をひそめて話を続ける。
「ここ最近、サークル棟で叫び声を聞いた奴がいる。それも一度や二度じゃない。その時に女性の姿も目撃されてる」
「目撃されたのはどこの棟ですか……?」
「この、第3棟だ」
グググググ、グ、クク〜……
タイミングよく2人の背後で唸るような音が響き、思わず新理は振り返った。当たり前だがそこに人影はなく、あるのは無数の部誌が並ぶ棚と鍵付きの資料棚、そしてクーラーだけである。
キュルルル〜……
藤本は立ち上がり、クーラーに向かって手のひらで乱暴に叩く。
突然の藤本の奇行に2人は呆然と口を開いた。藤本が叩くと、クーラーは息を吹き返したようにまた冷気を送り始めた。
「このクーラー古いからよくこうなるんだよ。これも修理してほしいよな。この音が鳴りだすとクーラーが止まるから、このへこみを叩け」
藤本はクーラーに手をかけ、中央の窪みを指差す。
「……へぇ……覚えておきます」
2人はほっとため息を吐いた。
「ここで本題だがその叫び声の幽霊、お前らが見つけてくれよ」
「えっ……」
「幽霊を?」
2人は思わぬ提案にぎょっと目を大きくさせた。
「見つけてどうするんです?……俺、また夜の大学に来るの嫌ですよ」
「また?お前、前も来たことあんの?」
“女子トイレ”の一件で、幼馴染の
「高橋と……飲みサーの新歓で」
「ああ、そうか。じゃあ慣れてるな、頼むぞ!動画か写真に収めてくれりゃいいよ!」
「いやいや、待ってください、藤本先輩も一緒に来てくださいよ!」
「俺はこれからテニサーの合宿だ」
全く動かない高橋に変わって、新理は必死に食い下がる。
「じゃあ合宿から帰ってからでいいじゃないですか!」
「それじゃダメなんだよ。これを見ろ」
藤本が雑誌のページをめくり、新理に見せる。それは先ほどまで藤本が読んでいた雑誌で、そこには“心霊動画・写真募集中!採用者は雑誌、下記動画サイトで実際の映像・画像公開の上、最優秀賞者には賞金8万円を贈呈!”との記載があった。
「これ、明後日の昼までが締め切りなんだよ。合宿と丸かぶり。というわけでよろしく!大丈夫!お前のこと超信用してるから!」
至極晴れやかな顔でクーラーボックスを持ち去っていった藤本に対し、新理は先ほどの感心を撤回したい気持ちでいっぱいであった。
新理がちらりと後ろを見ると、先程から高橋は固まったまま動いていない。
「高橋……お前は無理しなくてもいいよ」
「香田……ごめん。俺、今日の夜から明後日までキャンプ……妹に頼まれてて運転係なんだ……」
「い、妹……?」
「うん……高校生。友達と行くから保護者代わりに……」
唖然とする新理は悲しいやら羨ましいやらと様々な感情が入り乱れ、高橋は心底申し訳なさそうに「ごめん……」と呟いた。
*
そして翌日の夕方。不在の藤本に代わり、幽霊を動画に収めるべく新理は1人サークル棟に赴いたのであった。眠りこけた田渕がいるとは予想外であったが。
田渕は目をこすりながらあくびをしてスマホの時計を眺める。
「もうこんな時間じゃない。香田君、忘れ物でもしたの?」
「まぁ、そんなところです」
そもそも空き部室のない現在、どこをまずどう何を調査すべきなのか新理には見当もつかなかった。サークル棟は全部で3つ。そこを声が聞こえるまで1人でぐるぐると徘徊すれば良いとでもいうのだろうか。
依頼人の藤本はサークル合宿、高橋はキャンプ。さらに他の友人である
ちなみに隣県の大学に通う幼馴染、晶に助けを求めたところ、彼女からは涼しげなかき氷の写真が数枚送られてきただけであった。
田渕は上に腕を伸ばし肩を回すと、どんよりとした顔の新理に声をかける。
「すぐに終わるならいてあげるけど、長くかかりそうなら代わりに香田君が施錠してくれる?」
「部長、俺、これから幽霊探しに行くんですよ。藤本先輩に言われて。一緒に探しに行きます?」
つまるところ、彼はほんの少し拗ねていたのである。
「いいけど」
思わぬ田渕の返答に、新理は目を丸くした。
「眠気覚ましになりそうだし。ほら、なにぼーっとしてるのよ。私、幽霊系に耐性ないから夜になる前には帰るからね」
田渕は席を立ち、腰に手を当て新理に笑顔でそう言った。
*
新理の大学のサークル棟は全部で3つ。手前から第1、第2、第3棟と番号がふられ、それら全てがコンクリートの4階建てである。建物の端と端に階段があり、往来の手段はそれのみで廊下の一直線上に様々なサークルが並んでいる。
夏は暑く、冬は寒い為、ほとんどの部室には暖房器具や扇風機が置かれている。建物の構造は3つ全て同じであるが、飲みサーや運動サークルが数多く存在する第1棟は比較的新設で広い部室が多い上に空調も完備である。
建物を繋ぐ廊下は存在しない為、棟の移動は階段を下まで降り、外から歩いて別の棟へ移動しなければならない。
叫び声と女性が目撃されたのは古都研究会の在する第3棟であったが、藤本からの要望で全棟を念のため回る事となっている。
新理達は第3棟を後回しにして、まずは第1棟から回ることにした。
概要を田渕に話すと彼女はハンディファンを手に持ちながら頷いた。
「へぇ〜。叫び声ねぇ」
「田渕先輩、今まで聞いたことあります?今日もですけど、遅くまで結構ここにいますよね?」
「私は一度も聞いたことないわね。部室は課題をやったりするのに丁度いいのよ。自習室は人も多いし、図書室は寝てると怒られるし、アパートだと電気代がかかる。でも部室なら何してても怒られないもの」
第1棟の階段を登り、4階の廊下を歩きながら田渕は得意げにそう語る。
特に何も起きぬまま一つ下の階に降り、また長い廊下を歩く。その繰り返しである。
「藤本君はわかるけど、まさか香田君もこういうのに興味がとはね。そういえば夏休みの始め2人で旅行に行ってたっけ。その時のやつ、部誌に入れるの?」
夏休みの始め、新理は藤本と2人海岸の見える眺めの良い旅館に宿泊をした。
「いえ、それはレポートで使おうと思ってて。今回発行予定の部誌とはジャンルが違ったので、来年に回そうと思ってます。すみません」
「別にいいわよそんなの、ちゃんと考えてて偉いわ。あの金髪にも教えといてやってよ」
彼女の言う『あの金髪』とは勿論藤本の事である。ちなみに旅行であった事や、
後で新理が藤本関連で困った時に、貸しとして彼に提示する為である。
しかし彼がその話を掲示する頃には、すっかり藤本に忘れられてしまっているという事になるのは数年後の事である。
田渕と廊下を全て見て回ったが、とうとう第1棟では何も起こらなかった。
「ま、本命は第3棟だし?叫び声、聞こえるといいわね」
彼女は茶化すわけでもなく、前向きに新理へそう言った。
その場を後にし、第2棟目も同じ要領で見て回ったが特に様子は変わらず、また第3棟へ戻って来てしまった。
「ここが最後ね」
「下から見て、上は最後にしましょう。そのまま帰れるし」
「そうね。ていうか、成果なしで藤本君に怒られない?」
「藤本先輩、その辺は理解あるので大丈夫です。残念がるとは思いますけど」
「そうよね。まぁ何か言われたら証言してあげるわ」
田渕と歩きながら新理は廊下を見つめる。
第1、第2棟とはうって変わり、日が落ちて薄暗いコンクリートの棟内は、やや不気味な雰囲気に包まれている。非常出口の電灯がチカチカと点滅し、その音が廊下に木霊する。
1階を見終えて2人は2階へと移動する。その途中、田渕がぽつりと呟いた。
「まるでホラー映画の導入みたい」
「え?」
新理はぎょっとして田渕を見る。彼女は顎に手を乗せ、まるで推理でもするかのように話を続けた。
「幽霊が目撃されるとおぼしき、人気のない暗がりへ男女2人組が訪れる……」
「そしたら俺達真っ先に悲しい目に合うじゃないですか」
「そうよ。それでこの大学に新たな怪談として永遠に語り継がれるの。……藤本君が怪談を流したりするのってそういうことなのかしら」
「え?真っ先に悲しい目に合いたいって事ですか?」
「違うわよ。永遠に語り継がれる……いわば伝説のようなものを残したいのかなって」
「伝説かぁ、俺には縁のない話ですね」
2人が話しながら2階から3階へ移動した、その時だった。
ウヴヴヴ……ヴヴ……
突然、2人の頭上から低い唸り声の様な音が響いた。
「やだ、何?今の音……」
田渕が上を見上げながら肩を縮める。
新理が廊下の先を見ると、そこには黒い影があった。
蜃気楼のようにゆらゆらと揺れるそれは、少しずつ色濃くなり、はっきりと形が形成されていく。
ぞわり、と嫌な感覚が新理の身体中を巡る。しかし何故か目が離せない。
現れたワンピース姿の女性はゆっくりと、ゆっくりと口を開く。
キャアァァァ……
甲高い、女性の叫び声が2人の頭上に響き渡る。
2人はゆっくりと顔を見合わせた。しかしお互いの顔に、全くと言っていいほど恐怖の色は見られない。どちらかといえば疑問の表情。
その音に、2人は聞き覚えがあったからである。
新理は田渕とそのまま4階に駆け上がり、叫び声のするサークルのドアを勢いよく開ける。
そこにあったのは、古都研究会に存在する骨董品。古ぼけたクーラーである。
時折恐ろしく大きく唸るような音を立て、その後、響くようにキュルキュルと何かが回る音がする。現在、稼働中のままになっていたクーラーは叫び声に似た音を上げていた。
互いにクーラーへ近寄って、中央の窪みを田渕が強めに叩くと、またクーラは正常稼働をし始めた。
「叫び声の正体って……うちのサークルのクーラー……?」
そんな中、新理の中でとある仮説が生まれた。
「……部長。この夏、クーラーつけっぱなしで帰ったことあります?」
「えっ?ああ、たま〜にね。でも、その日に思い出してちゃんと消しに来てるわよ。しかも走って消しに来てる!」
「別に走るのはどうでもいいんです。それ、結構やってます?」
「そんなにやってないわよ!2、3回よ!ほんの…………5、6回?いや、10回ない、くらいよ……本当に……」
先ほど新理が目撃したあのワンピース姿の女性は、悲鳴を上げていたのではない。
何かを呟きながら、上を指差していたのである。
「……あれは部長に対するクレームですね」
「え?な、何?」
しどろもどろと目を泳がせる田渕を彼はそれ以上攻めはせず、新理は「帰りましょう」とクーラーのスイッチを切った。
*
翌日、新理は合宿から帰還した藤本に動画も写真も撮影できなかった旨を説明した。そもそも撮影を忘れていたということに関して、彼も帰り際気がついたのだがふせておくことにした。
ちなみに3階に現れたワンピース姿のあの女性の事も、田渕には全く見えていなかったようなので、彼女の事もふせておいた。晶の真似ではないが、新理には“なんとなく”ワンピースの女性は特に害がないように感じたからである。
「応募できなくてすみません」
「くっそーお前をもってしても無理だったのか。まぁ、別の写真と動画送ってあるからいいけどさ」
新理は色々と言いたいことがあったが、考えるのはやめた。
しかし藤本に聞きたいことがいくつかあった。
『藤本君が怪談を流したりするのってそういうことなのかしら』
『いわば伝説のようなものを残したいのかなって』
田渕との会話を思い出しながら、新理は顔を上げる。
「……動画や写真もいいですけど、今度藤本先輩の話を聞かせてくださいよ」
「おーいいぞ。お前もそろそろ心霊スポットなんかにも興味が出てきた頃だと思っていたんだ」
「え、いやそういうのじゃなくて……」
藤本に肩を組まれ、嬉々として話を続ける彼とは裏腹に、逃れられないと悟った新理は、鬱陶しそうな顔で仕方なく相槌をうつ。
この関係が将来長きに渡って続いていく事は、まだこの時お互いに予想すら出来ていなかったのであった。
叫びと呟き end
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