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大学1年生 初夏 晶


上京して初めての梅雨明けの頃。

彼女もこちらでの生活に少しずつ慣れてきていた。


仲良くしたい友人や行きつけの本屋もでき、幼馴染も近くにいるので都会でもあまり寂しくなく過ごしている。


今日は大学内でも人気を誇るカフェスペースで彼女は友人達と席を囲んでいた。


ミルクチョコレート色の髪をふんわりと巻いた友人は、課題よりも前髪が気になるようで、鏡を見ながらため息をついた。



「あ〜あ、楽単だからとったのにまさか夏休み前に

レポート提出あるなんてしらなかったよぉ」



その姿を見て、隣に座る黒髪の友人が少し呆れたようにさとす。



「そういう理由で人気だからでしょ?

レポート提出自体は今年からみたいだけどさ」


「なんでこの年にでるの〜?

ずるいよ先輩たち」


「今と秋にしか出ないんだから頑張りなよ。

あきらもでしょ?レポート」


「うん」



手元の資料を整頓しながら、深瀬晶ふかせあきらはこくりと頷いた。

茶髪の方はまい。黒髪は琴子ことこ

大学で初めてできた晶の友人だった。


舞は社交的で流行にも敏感なセンスのいい少女。

入学当初から目立っていて、話をしていて飽きない子だ。


琴子は利発的で面倒見がよく、はじめの講義で隣の席になったことで仲良くなった。大学付近が地元らしい。晶は舞と共に“こっさん”という愛称で呼んでいる。



「なんで晶ちゃんそんなに余裕そうなの?」


「余裕ないよ。でも調べるの結構好きなんだ。

これから自習室で調べものしに行くけど一緒にくる?」


「舞、これから彼氏の家。今日お泊まりなんだ〜

あっ連絡きた!」


「あたしは次 授業入ってる。

時間によっては一緒に帰れるよ」


「わかった、じゃあ あとで連絡する。舞ちゃん楽しんでね」


「は〜い」


「あたし舞ちゃんの方が余裕そうに見えるんだけど……?」



舞と琴子に手を降ると晶は席を後にし、颯爽と自習室へと向かった。



*



自習室はちらほら人がいるがPCがある部屋は飲食が原則禁止だからかあまり人気がない。とはいえそれを守るものは相当少ない。


人気のない一番の理由としては、PC室には幽霊がいるという

噂のせいだろうか。部屋に日の入りが悪く、特に後ろの奥の席は壁とカーテンのせいで微妙に薄暗い。たしかにいそうな雰囲気ではあるのだが、晶の見解では“いない”と判断していた。


PC室のドアを開けると珍しく先客がいた。

晶は前から3番目の窓に近い席に座ると、一番前の席で作業をしている人物が、前のめりでPCと睨みあいをしているのがわかる。


部屋の日の入りは悪いが、窓際は比較的に明るいので気分も上がる。人の通る姿が時々視界のすみに入るがそこまで気にならない。

晶はバッグを隣の席に起き、資料を取り出した。



*



「深瀬さん」



作業をしてどのくらいの時間が経ったか、何の前触れもなく晶は名前を呼ばれた。



「ちょっとレポートについて聞いていい?」



見上げると、体格のいい青年が立っている。

晶が突然誰?という表情をした為か「急にごめん」と彼は即座に謝る。

髪や服の色から先ほどまで前の席で作業していた人物だとすぐにわかった。正面から見ると、眉にピアス、指にリング、腕にブレスレットと装飾が多い。

青年は申し訳なさげにUSBを晶に差し出す。



「実は俺、深瀬さんと同じ学科取ってて、

さっきレポート出したんだけどやり直し食らった。

早いけど文章が雑すぎるって。

先生が期限に余裕があるから、内容が似てて文章が綺麗な

深瀬さんを参考にするようにって言われて……」



この先生にはレポートを提出する前に、大体のテーマと内容を箇条書きにしたものを先に提出する。


高校の頃、晶は小論文が得意な友人にコツを聞いてよく真似した為か文章をまとめる事がかなり上達し、教師にも褒められることが多かった。


大学に来てこの能力が活かされてよかったと思いつつ、講師に面倒ごとを押し付けられたような気もするが気にしないことにした。


晶はUSBを受け取り、隣の椅子を青年の方へ向かって半回転させ、座るよううながす。



「もう提出したの?早いね。

レポート見てもいいの?」


「うん。 あ、伊達だてです」



彼は名乗りながら軽く頭を下げて隣へ座った。



*



「そんなことあったの?

お疲れさま」


「まぁ人のレポート見る機会って中々ないから

面白かったけどね」



授業後の琴子にPC室で起こった出来事についていたわれながら帰り道を歩く。

すると琴子は徐々に少し険しい顔をしながら腕を組んだ。



「それあれかな。武将みたいな名前の……体がでかい……

伊達……なんつったかなー」


「知ってるの?」


「入学式の時近くの席だったんだよね。

でかくて武将みたいな名前で覚えてた。

下は忘れたけど舞ちゃんならわかるかもね。

たしか軽音サークルに入ってるはず」



確かに苗字は伊達なので覚えやすくはある。

ずっと座っていた為分かりにくかったが、背丈は晶の双子の弟、千洋ちひろと同じくらい高かった気がした。



「軽音かぁ……」



縁のないサークルだ、と思いながら晶は毛先を触りながら呟いた。



「意外にモテるらしいよ。

でも体がでかいから、見た目結構いかつくみえるよね。

眉にピアスしてるし」


「そういえばリングとブレスレットもしてたな。黒いやつ。

オシャレなんだね」



晶は眉のピアスよりも腕のブレスレットの方が印象に残った。デザインはよく覚えていなかったが彼に似合っていたからだろう。



「明日またお昼に会う予定なんだ。

バイト入ってるみたいで忙しそう。飲食店らしいよ」


「そうなの?じゃあ今度そこで奢ってもらいな。

美味しくて高いやつ」



琴子は悪戯っぽく笑い、晶もつられるように微笑んだ。



*



次の日の昼、晶は授業を終えてPC室に入ると伊達がすでに座って待っていた。


窓の外に人影が見えたが、晶が部屋に入ると隠れるように

いなくなってしまった。琴子に「意外とモテる」と聞いたので、もし彼に好意を抱いてる人物ならこの状況は少しまずい気がした。



「あ、深瀬さん。今日も悪いな」



伊達は頭の後ろに手を当てて大きなあくびをしながら軽く頭を下げる。



「連日お疲れ様。今日でレポート修正終わりそう?」



晶は明るく大きめの声で伊達に聞く。



「さっきまで少し進めてた」



今日も眉にピアスと黒いブレスレットをしている。

指にリングは見当たらない。



「今日は指輪してないんだね」


「キーボードの作業しづらいから外した。

どうにか終わらせたいけど今日もバイトだからなぁ

ダルい……」



晶は机にバッグを置くと、ふと違和感を感じた。

何かはわからないが、ゆっくりそのまま席に座る。



「あんまりいいところじゃないの?」


「時給はいいんだ。でも、やめようかと思っててさ」



晶はこの時ずっと感じていた違和感を理解した。


伊達の手首のブレスレットは、晶にしか見えていない。

ブレスレットではなく黒い手。

誰かの手が、彼の手首を握っていることに気がついた。


そして、この自習室は2階だということに。



「ーーー伊達君」


「何?」


「ピアス。似合うよね。眉のところの。

私は開けるの怖くて、イヤリングなんだ」


「へぇ。自分で買うの?それ」


「うん。でも友達にプレゼントでもらったこともある。

伊達君は?誰かにもらったりする?」


「いや? あ、うん、まぁ」



伊達は歯切れの悪い返事をして、少し考えると口を開いた。



「……サークルで、バンド組んでるんだけど。

こないだ公演があってさ。

そん時に、バイト先の人、たまたま来てたみたいで。

そんでプレゼントって言われて、ミサンガ。もらった」


「……ミサンガ」


「中身は知らなかった。家で開けて初めて知ったんだ。

…………多分お揃いの……それで ずっとしまったまま」



伊達はそこまで言うと、大きな手で口を覆いながら肘をついた。


多分、彼自身 言う予定ではなかった事を晶に話してしまい、焦っているようだった。


晶はその横顔の向こう側を見つめながらゆっくり口を開いた。



「……もし、何が引っかかってるなら

その人とちゃんと話した方がいいかもよ。

そんなに悪い人じゃないんでしょ?」


「……まぁ」


「バイトもさ、辞めるかどうかはその後でもいんじゃないかな」


「……うん」



そして、二人はそのまま作業を始めた。


昼間でも日当たりの悪いPC室はいつも少しだけ暗い。


PC室は2階でベランダもないので人が通る姿を見るなどありえない。


窓の外のうっすらと黒い影のような女性はじっとこちらを見ている。

あるはずの彼女の右の手首から下は、何度確認してもそこにはなかった。



*



カフェのテラス席で晶は音楽を聴きながらノートをまとめていると、目の前に大きな影が現れた。


顔を上げると、紙コップのコーヒーを持った伊達が立っている。



「ここ、いい?」



晶はイヤフォンを外して頷くと、机に散らばったノートを片付けた。



「こないだ、ありがとう。レポート手伝ってくれて」


「全然いいよ。 私も作業してたし」


「俺の手伝いも兼ねてただろ」



伊達は飲み物を一口飲むと、一息ついた。



「……話したよ。ミサンガも返した。

俺はバイトは続けるけど、その人はやめるっぽい。

就活に本腰入れるみたいで」


「……そっか」



何気なく腕を見ると、もう黒いブレスレットはしていない。

どことなく寂しげな伊達は視線を逸らしたまま、また飲み物を飲んだ。晶もつられるようにカプチーノを飲む。



「一応、報告。

そういえば手伝いのお礼。何がいい?」


「じゃあ落ち着いたらバイト先でなにか奢ってくれてもいいよ」


「なんだそれ。まぁ別にいいけどさ。

今日はサークルでバンド練あるから無理だけど。

じゃあまた」



伊達は飲み物を飲み干すと、席を後にする。



「あ!……待って」



席を立つ伊達を、晶は立ち上がって引き止める。

伊達が振り向くと、琥珀色の瞳はまっすぐ彼に向けられる。


彼は驚いたまま、数秒その瞳から目が離せなかった。



「……何?」



彼女は俯き気味に口を開く。



「あの……

ずっと聞きたかったんだけど……


ーーー伊達くん、下の名前なんていうの?」


「………………」



二人の間に沈黙が訪れる。



「ずっと聞く機会伺っててさ、急にごめんね」


「………………正臣まさおみ


「あ、すごく武将っぽいね」


「……よく言われる」



深瀬晶。

すらりとした身長に、指通りの良さそうなストレートヘアで大きな琥珀色の目が印象的な端正な顔立ちの女性。“予感”を察知できる不思議な能力の持ち主で、勘も鋭いが、自分の事となるとそうでもない。


実は大学内で周囲に一目置かれているなんて事も、本人は知るよしもない。 




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