指輪 前編

9指輪


大学2年生 晩秋 新理


大学の帰り道、ほんの少し冷たい風を肌に感じながらたまたま通りがかった裏路地を歩いていると、古道具屋があることに香田新理こうだしんりは気がついた。


こぢんまりとした洋風作りの白い壁の家。

鈍色の窓枠で区切られた3枚のガラス冊子の奥には、良く言えばアンティーク、悪く言えばがらくたのような代物がたくさん並んでいることが伺える。


知り合いの古本屋とはまた違った雰囲気の店構えに、気難しそうな顔をした店主の顔を想像しながら興味本位で古い木のドアを開けて入店した。


カランと古い空き缶のようなベルの音を聞きながら戸を閉め、店内をゆっくり見渡しながら一周する。


なんとなく古ぼけた小さな木箱を手に取ると、中で軽い何かが転がる音がした。


それはテレビでよく見たことのある寄木細工の木の箱だった。中身が気になり箱をスライドさせて開けてみるも、何もない。



「それ、からくり箱」



突然の声に新理は驚いて肩を震わせた。

箱を持ったままレジの方向を向くと、店番をしていたであろう黒いエプロンをかけた少女が座ってスマホを手にしたままこちらを見ていた。



「ああ……

一定の操作を行わないと開かない……ってやつ?」



そう言うと、少女はこくりと頷いた。


からくり箱。

特定の面の仕掛け部分を押したり引いたりすると箱が開くという、パズルのような小箱。


振るとカラカラと音が鳴る為、何処か違う場所に何かが隠されているのは確かだ。



「これ、中身は?」


「……知りません。

からくり箱だから、大事な物か危険な物じゃないですか」



黒髪のボブカットの彼女は少しムッとしたような顔で言った。

前髪で隠れているはずの眉にしわがよった事がわかるほど表情は明らかだった。



「じゃあ、これいくらですか?」


「1500円です」


「え?こんなに小さくて古いのに?」


「じゃあ、990円」



彼女はまたもや眉間にしわを寄せたが、価格を安くしてもらえた為、新理はそのまま購入した。



「どうも」



無愛想な挨拶に苦笑いで返し、箱を持って店を後にした。



*



家に帰り何度か開け方を試して見たものの、中身が出てくる仕掛けは見当たらなかった。


数週間後のある日、新理はテレビを見ながらベッドにもたれかかり、今日も寄木細工を弄んでいると

カキッ

と、何かがぴったり合った音がした。

そのまま指をスライドさせると箱の蓋が開き、コロンと何かがシーツの上に転がった。

体を起こしてベッドの上を見る。


そこに落ちていたのは、古い指輪だった。


思わず手に取りよく見てみる。


錆びてはいないものの、色合いから年代物であることが伺える。

ツヤのない金色の輪に、花を象ったような透かしのひし形の台座には、中央に少し大きめの石が一つ。

石の色は透明のようだが今は輝きを失っている。


アンティーク調の指輪、デザインから子供のものではないことは確かだった。

新理は元の持ち主が箱に指輪を入れたまま忘れてしまったのだろうと想像した。



*



「指輪?」


「そう、例の箱の中身は指輪だった。

鍵とかだったらもっと面白かったんだけどな」



新理は早速 古都研究会の部室で昨夜の出来事を喜々として高橋たかはしに話す。

もしかするとかなり良い買い物をしたかもしれない、と内心喜びを隠せなかった。



「十分面白いじゃん。

高級なものかもしれないし」


「ブランドは?どこのものだった?」



ノートパソコンに向かっていた中岡なかおかがじっとこちらを見ていた。

眼鏡をかけた猫背のひょろ長い男で、彼も新理と高橋と同学年で古都研究会の部員である。



「わかんない……」


「ノーブランドだと安く買い取られる可能性があるぞ」


「そうなの?」


「宝石っぽいのがついてても?」


「まぁ素材がよければそこそこ売れるかもしれないけど……

俺もよく知らん。自分で調べろ」



彼はそういうと、またノートパソコンに向き直る。

中岡の一言が気になり、新理は帰宅して指輪を確認した。


外側にはなにもなかったが、内側にロゴのようなものが確認できた。

しかし錆か汚れで文字は潰れ、良く見えない。


新理はため息をついて箱の中に指輪を戻すと、ふと新理は違和感を感じた。

しかし何に違和感を感じるのか本人にも検討がつかず、彼は箱を棚の上に置いて、ベッドに横たわり動画を見始めた。




数時間後、動画が再生されたまま彼はいつの間にか眠りに落ちていた。

カタ、カタ

秋風のせいか窓枠が揺れる音が聞こえる。

寝返りをうった新理は、ぼんやりとしたいつもの部屋の景色を眺めながら目を覚ました。



すると、

ベッド脇で見知らぬ髪の長い女性がこちらを見下ろしていた。



驚いて短い悲鳴をあげると新理は飛び起きる。

しかし一人暮らしのこの部屋に他の住人がいるはずもなく、

ぞっと背筋に寒気が走った。


いつの間にか外の風はおさまっていたが、指輪を入れた箱の引き出しが、ほんの少し開いていた。



*



夢見の悪いまま、大学へ行き講義を受け、いつものように

サークル部室へ顔を出す。


扉を開けると中岡が目を丸くしてこちらを見ていた。



「え?何?」


「……いや、お前眠そうだな」


「ああ、昨日動画見てたら寝落ちしててさ。

音だけガンガンに頭の中に響いてたから寝た気がしなくて」



知らない女性がベッド横に立っていて、その後は眠れなかった。とはさすがに言えなかった。


新理は引きつった笑顔でごまかすと指輪の話へそらした。



「そう言えば、指輪見たよ。

ロゴっぽいものがあったんだけどさ、錆か汚れで見えなかった」


「そうか、残念だな」


「内側にあったんだけどね、ああいうとこも錆びるもんなのな」



すると、また中岡がじっとこちらを見ていた。

新理がぎょっとして「何だよ」というと、中岡は突然立ち上がり、新理のすぐ後ろ側にある部室のドアを開ける。

左右を確認する仕草をするとドアをそっと閉じ、また戻ってきた。



「……内側にあるのはロゴじゃなくてイニシャルじゃねーの」



彼の動きが不自然で、新理は不思議に思う。

中岡は基本的に物静かで表情も乏しいが、この時の彼は明らかに先ほどよりも浮かない顔をしていた。



「中岡、どうした?何かあったの?」


「……いや別に……」


「中岡こそ顔色悪いじゃん。

今日は早めに帰ったら?」


「違う」



中岡は、やけに神妙な面持ちで口を開いた。



「香田、お前、最近女の人と会ったりした?

例の幼馴染以外に」


「女の人?いや……」



新理はふと、昨夜の視線を思い出す。

ベット横で新理を見下ろす、長い髪の隙間から見える鋭い眼光を。



「藤本先輩に何人か女の子を紹介してもらったりはしたけど……どうかな……」


「じゃあ さっきお前の後ろにいた女性がそうなのか?

さっきから、通路を行ったり来たりしてるのが見えて、すげービビったんだけど」



新理は心臓が握られるような嫌な感覚を覚えた。

それとは裏腹に中岡がホッとしたような顔をして大きくため息を吐く。



「しかも昨日もだぞ。ドア開けたらいないし、高橋も何も言わないし。

待つのは勝手だけどドアの曇りガラスから見えると気が散るからやめるように言ってくれ」


「ああ……うん。

ちなみにどんな人だった?」



箱の中に入れたはずの指輪が、なぜか棚の上に置かれていた。


彼は今、鮮明に思い出した。

こないだ指輪を初めて取り出した日に、ちゃんと箱の中へ指輪を戻した事。

しかし、帰宅すると指輪は箱の上に置かれていた事を。


中岡は缶コーヒーを一口飲んで言った。



「長い黒髪の人」



居ても立っても居られず、ついに新理は幼馴染の深瀬晶ふかせあきらに相談をする事を決意した。



*



晶は午後の授業が丁度休講になったようですぐに会う事となった。



「可愛い女の子が店員だった?」



話をするやいなや、彼女は紅茶のカップに手を添えてそう言った。



「な、なんでわかったの!?」


「別に。なんとなく言ってみただけだよ。

その様子だと本当に可愛かったみたいだけど」



新理は顔を少し赤くしながら俯き、彼女はきっと刑事になれると思った。


いやそんなことより指輪はどうするべきか、と彼女に問う。

予感を察知することのできる彼女なら、何か良い案をくれるのでは、と望みをかけたのだ。



「……早く手放した方がいいと思うよ」


「やっぱり嫌な予感がする?」


「うーん……仲村なかむらさんに相談するのが一番いいと思うけど」



仲村とは上京して知り合ったオカルト関係に強い古本屋兼古美術商の店主。

やはりこの手の話には彼の方が詳しいようで、先ほどから晶は他人事のように目を背けたまま紅茶の中のレモンをスプーンでかき混ぜている。



「俺もそう思ってさ今日、持ってきたんだ。これ……」



新理が自分の横に紙袋を置くと晶はかき混ぜる手を止めた。



「いや、なんか持ってきた方がいいかなって……

家に置いておくのも怖いしさ……」



手が止まったことに驚き、慌てて言い訳のような言葉を口走る。


新理は彼女の顔をちらりと見ると、晶の顔は怒ってはおらず、まるで戸惑ったような強張った表情をしていた。



「……仲村さんに連絡とろう……ほら、早く」



静かに晶はそう言いにっこりと微笑むと、紅茶をゆっくりと飲んだ。



新理は言われた通り仲村に電話をかけ要件を話すと、彼はすぐに会ってくれるという。

ただし電話を繋いだまま場所に来いと言われ、新理は首をひねった。


しかしもっと不可解だったのは晶の行動だった。

移動の電車や歩く時も必ず恋人のように腕を組み、肩が触れるほど距離が近い。

わざわざ人通りの多い場所を通り、はぐれそうになると彼女はつないだ新理の腕を引く。


新理は高鳴る鼓動をどうにか抑えながら、2人は指定された駅前のカフェに到着した。


2階にあるカフェの階段を登り、入ると仲村は真ん中の席に座っていた。



「お疲れ様」



仲村はいつも通りにっこりと目を細めて笑うと、電話を切った。



「俺に相談しに来た、ということは

何か手に負えなくなった事があるのかな?」


「ええ、まぁ……」



無言のまま晶は店内に入店し、新理も後を追うように入店する。

客は仲村しかおらず、二人は仲村の向かいの席に座った。



「それに入ってるの?」


「あ、はい」


「君、“彼女”に相当気に入られているね」



指輪と箱の入った紙袋を渡すやいなや、仲村は微笑みながら言った。

“彼女”と言われて新理はまた胸のあたりがざわついた。



「深瀬さんはどう思う?」



仲村と共に横にいる晶を見ると、ひどく気分が悪そうな顔をしていた。



「…………外」



新理は反射的に窓辺を見ようとしたが、「見ないで」と彼女に静止された。

晶から視線を外し仲村を見ると、彼は微笑んだままゆっくり頷いた。



「指輪の持ち主の“彼女”なんだけどね、

今 外から見ているよ」



新理は「彼女」と言われ、ベットから見下ろす黒髪の女性を思い出した。



「“彼女”は入ってこれないよ。

まぁ、昼間は一定の距離を保っているように見えるね

箱の中身は指輪、ついて来てるのは女性。

どっちかっていうと危ないのは新理君よりも、深瀬さんだ」



新理は晶の顔が見れらなかった。



「何度かはぐれかけたろ?

それは“彼女”が君をこの世から引き剥がそうとしてるからさ。

ま、二人とも危険なことには変わりないけどね」



仲村に言われ、新理はここに来るまでの道のりを思い出した。

駅のホーム、改札、連絡通路……さほど混んでもいないはずなのに何度もはぐれかけた。離れそうになると、晶が大げさに腕を組んで来た。

体が触れて新理は違う意味で胸騒ぎがしていたのだが、晶はずっと真っ直ぐ見据えていた。


青ざめる新理に、仲村は続ける。



「電話越しに、“彼女”の声がずっと聞こえてたよ。

なんせ自分の指輪を持った男が、他の女と腕を組んで歩いているんだからね」



晶は知っていたのだ。

がついて来ていることも、そしてその憎悪の視線も。


知っていて尚腕を組み、自分に注意を引き付けたのだ。


今の席も、晶は窓側に座っている。

新理に近づけさせないように。


仲村は皆までは言わなかったが、今窓辺の“彼女”は晶を見ているのだと新理は悟った。



指輪 前編 end


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