指輪 後編

*



コーヒーを飲み干すと、仲村なかむらは席を立った。



「さて、じゃあ行こうか」


「行くってどこに」


「そりゃあ勿論祓いにさ。このままじゃ良くない。

君、夜にあの“彼女”を見たんだろ?今は見えてないんだろうが、深瀬ふかせさんには見えてる。

夜になったらどっちかが襲われるかも知れないよ」


「えっ夜? もう夕方じゃないですか!

ど、どうにかしてくださいよ……!」



自分が蒔いた種で、あきらも巻き込んで心底情けない様相だが、新理しんりにはどうすることもできない。専門家の仲村に頼るしかなかった。



「大丈夫大丈夫。今から祓うから。

ここじゃなんだから下に止まってる白い車に乗って」



笑顔の仲村に続き半信半疑の2人はカフェの階段を降りると、道路脇に白い車が止まっていた。

運転席の窓が開き、新理と晶は目を丸くする。



「ドーモ仲村。

お兄サン、お姉サンも乗ってネ」



片言だが割に流暢りゅうちょうな日本語を話す、褐色肌の外国人の男が運転席で軽く手を振っている。

仲村が気を利かせて車のドアを開ける。



「俺の知り合い。だから安心していいよ。

君らは後ろに乗るといい」


「チョット、女の子震えてイルヨ。

仲村 隣にいてあげタラ」



晶は「平気です」というと車へ乗り込み、奥へつめた。

不安げな新理の心境を察したのか、仲村はにこやかに答えた。



「大丈夫。あの“彼女”はこの車に乗れないから」



その言葉に少しだけ安堵すると、新理は車へ乗り込んだ。

すると中は 窓側は黄色の煌びやかな模様のカーテンがかけられ、中は線香とはまた違う異国の香りと、様々な飾りのようなものが沢山ぶら下がっていた。

聴いたことがない曲(おそらく民謡)が車内にずっと流れている。先に乗り込んだ晶も目を丸くしていた。



「あの、名前……」


「ワタシはクリシュナ。仲村の友ダチ。

インド人に間違われるけどネパール人。

占いやってマス。ついでにカレー屋さんも」


「逆だよカレー屋が本業だろ」


「ナンカレーブームに乗っかったら繁盛したんだヨ。

お姉サン今度、占いしにきてネ。ワタシの占い当たるから。

カレーもあるよ」


「営業するなよ」


「和ませてるんダヨ。だから仲村は結婚できナイ。

女ゴコロをもて遊ぶカラ」


「また人聞きの悪いことを……」


「お姉サンお兄サン、大丈夫。

仲村は胡散臭いケド祓い屋としては優秀。

それにさっき占っタラ、悪いカードは出なかったヨ。

安心シテ。最悪イケニエに仲村置いて帰ればイイヨ」


「物騒なことを言うな」



仲村の話口調はいつもより粗野で、仲が良いことが伺える。

クリシュナの話し方に新理はほんの少し肩をなでおろす。

晶も不安そうだが先ほどよりは顔色もいい。


新理は息を吐いて、心のわだかまりをぽつりと口にした。



「深瀬、巻き込んでごめん」



新理の申し訳なさそうな顔を見て晶は弱く微笑んだ。



「変な顔。

いつになく弱気だね」


「だって……」


「あのね、ああいうの見えるの、別に初めてじゃないから」



晶からの突然の告白に、新理は思わず困惑する。



「えっそうなの? でも、あれ……?」


「言ったらおもしろがるでしょ。

それにあの時は信じてもらえなそうだったし。

でも今はそんなことはどうでもいいの」



彼女は新理の方を向く。



「大丈夫。

絶対になんとかなるよ。わかるの」



外の夕焼けの光に彼女の輪郭がくっきりと映る。

まっすぐと新理を見据える琥珀色の大きな瞳は強く彼にうったえる。



「信じなよ、新理君。

君が一番欲しかった言葉のはずだろう?」



仲村が助手席から独り言のように呟いた。



「うん」



新理は晶の目を見てそれに応えるように頷いた。



「そういえば、これからどこに行くんですか?」


「ムード台無し!

お祓いの場所ダヨ」


「俺、専用のね。

必要な時にしか行かない場所だけど」


「……わざわざそんな場所に行かなきゃいけないくらいやばいんですか」



新理が青ざめた顔で仲村に言うと、彼は吹き出すように短く笑った。



「いや、まぁ、別にあの場でやっても良いんだけど、

みんな驚くでしょ。それに“彼女”に失礼かなって」



*



住宅街の続く長い坂道を登っていくと大きな白い鳥居があり、すぐ横の駐車場にクリシュナが車を停車した。

車を降車した彼らは慣れた足取りで鳥居を通り過ぎ砂利道をまっすぐに進む。


ほどなくして小ぎれいな木造平屋の建物に到着した。



「さぁ入って。

俺が借りてる別荘みたいなものだから」



仲村とクリシュナに続き、新理と晶が玄関から入る。

中も綺麗にされているが人の気配はない。

本当に、必要な時だけに来る場所のようだ。


外と長い周り廊下の間には木枠のガラス戸が嵌められ戸越しに坂の上から見える街の景色が拝める。


先ほどよりも日が落ちた黄昏時の空を新理は不安げに見つめた。


4人は廊下を進むと、広い座敷の部屋に到着する。

まるで夏に(不本意ながら)訪れた寺のお堂のようだった。

仲村が適当に座布団を2つ敷き、2人を座るように促す。



「さて、これからお祓いをするけど2つ約束して。

喋らないこと。終わるまで動かないことね」



2人は同時に頷く。


仲村が新理から受け取った紙袋から箱を出すと、一枚板の木のローテーブルに置いた。



「わかるだろうけど彼女は執着心が強いから。

なぜああいう姿なってしまったのかは……後で話すよ。

ま、すぐに終わるから」



すると、いつの間にか仲村の背後に“彼女”が現れる。


蒼白い肌、背中にかかる長い髪。

鋭い眼光がぎょろりと晶を睨んだ。


新理が驚いて声を出しそうになるものの、先ほどの約束を思い出し、慌てて口を閉じる。


“彼女”は、仲村の顔を覗き込みながら周囲をぐるぐるとゆっくり周回する。仲村は特に何も言わず彼女の動向を伺っているようだった。


ぞわぞわと嫌な感覚が背筋をなぞる。


すると、次に新理と晶の方へ歩き出し、またぐるぐると周り始めた。



何度も



何度も



ゆっくりと



周る



横を通り過ぎる度に、何かを呟く小さな声が聞こえる。

新理は異常な寒気を覚え、前を見ることができずに背中を丸め下を向く。


するとピタリと青白い足が新理の目の前で動きを止め、新理に一歩一歩近寄ってくる。


新理はぎゅっと強く目を瞑った。


“彼女”のか細い声が頭上から聞こえる。




「どこ………?」




新理が思わず顔を上げ、目を開けた瞬間、“彼女”の顔が目の前にあった。


驚きのあまり、新理は固まってしまう。


その場面を目の当たりにした晶が、思わず声を上げそうになった瞬間。




「その子達じゃないよ」




彼の優しい声色に新理はどこか懐かしさと寂しさを覚えた。


“彼女”は仲村の方に顔を向ける。




「ゆっくり話そう。

今は箱の中にお帰り」




仲村の言葉がその場に響くと、彼女はまるで光に当てられた霧のように姿を消した。それと同時に

カタン

と、からくり箱が鳴った。


頬に、ひとすじの涙が流れた。

新理は何故か、とてつもない安心感と安堵感に包まれた。



「成功だネ。もう大丈夫。香田クン深瀬サンお疲れサマ」



どこからともなくクリシュナが現れるとガシッと新理の手を掴み立たせる。

新理はハッとして涙を拭う。



「……指輪は」


「ウン平気。デモ今は触らないほうがイイかもネ」



座ったまま呆けたような表情の晶の右肩を、仲村が横から軽く叩いた。



「深瀬さん。もう大丈夫。よく頑張った」



晶は俯くと何も言わなかったが、立ち上がろうとする仲村の服の裾を握って離さなかった。


珍しく仲村がほんの少し狼狽えていると、クリシュナが箱を布に包み紙袋の中に入れ深くため息をついた。



「仲村は気が利かナイ。もう置いて帰ロ」


「なんでだよ」



すると即座に晶がパッと袖を手から離し立ち上がると、仲村から数歩離れ新理に近寄った。



「……もう大丈夫なの?」


「うん。そうみたい」



新理と晶は顔を見合わせてほっと息を吐く。2人をみて仲村がにっこりと笑う。



「ここ実は泊まれるんだよ。

泊まってく?」


「い、嫌ですよ」



新理が引きつったような顔で食い気味に答えると、仲村とクリシュナは我慢できずに笑った。



*



1週間後、クリシュナの営むカレー屋に新理は晶と共に赴いた。仲村が仕事会えない代わりに、クリシュナがカレーを振る舞いながら後日の話をしてくれた。


指輪のお祓いも終わり、もう害はないらしいが指輪はしばらく仲村が保管することになったとクリシュナから聞いた。(どこに置いておくのかは不明。もしかしたら古本屋かもしれない)

彼は続けて、「仲村が悪徳な成金に売りさばく」と冗談めいたことを話していた。


あの日の帰りの車で彼らに聞いたところ、あの指輪は婚約指輪で、亡くなった女性の深い悲しみが念となって指輪に憑いてしまっていたようだ。


詳しくは話してもらえなかったが、指輪の箱があのからくり箱だった事や不可解に錆びた指輪の文字部分から、あまり良い事があったわけではないと新理にもなんとなくわかった。


あの指輪に関しては、これ以上詮索する事はやめようと晶とも約束をした。


新理が見た“彼女”は、消える直前に涙を流し、そしてそれまでに感じていた嫌な感覚がしなかった。



『ゆっくり話そう』



あの時感じた安堵感はきっと“彼女”のものだと新理は思った。



カレー屋を後にし、晶と駅に向かって歩く。



「深瀬……」


「何?」


「……いや、信じてよかったなって」


「あっそ」



困ったように微笑んだ晶は、今日もいつも通りの顔をしている。

彼女は“予感”を察知できる。そして“視える人”だった。

“視える”と聞いて、当初驚いたもののよくよく考えてみると納得ができた。


しかし、新理は疑問だった。



なぜ危険を冒してまで彼女あきら自分しんりを守るような行動に出たのか。



仲村の元へ向かう途中、お祓いの時。

晶の顔は焦ってはいたが冷静だった。


意図的に、自分の方へ注意を向けるように彼女は行動しているように思えた。


あの時の彼女の瞳は、いつもとは違う、まるで別人のようにとても冷たい目をしていた。


新理は ほんの少し前まで、疎遠だった幼馴染の横顔を眺めていると彼の視線に気がついた晶は振り向いて眉をひそめた。



「見すぎなんだけど……

なにかついてる?」



柔らかそうな茶色の髪、真っ白な肌、薄い唇、右目の下のほくろ、琥珀色の瞳、暗いオレンジ色の薄手のニット。



「今日の服似合うね」


「それはどうも。

でも褒めてもなにもでないよ」



彼女はそう言いながら微笑む。


彼がいくら考えても疑問の答えは出なかった。



指輪 後編 end

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