チョーカー
10 チョーカー
大学1年生 初秋 新理
住んでいるアパートは大学から一駅先にあり、寝坊すると少しマズい。
最寄りの駅から大学まではゆっくり歩いて15分以上かかる。
少し走っても信号がある為12分。
最も最悪なのは夏。木陰すらない炎天下の道のりを汗だくで登校しなければならない。
しかし最近、偶然大学までの近道を発見しそこを頻繁に用いている。
塀や格子で囲まれた民家や建物の裏の、人二人分程度の裏路地。人通りは少なく、さらに日陰で大学まで10分もかからず着くという素晴らしい近道だ。
ただ一点、気になる事がある。
その道で、真っ白な肌で細い首に赤いチョーカーをしている女性とよくすれ違う。勿論遭遇しない日もあるが、大体同じ時間帯に出くわすのだ。
一週間ほど彼女を観察してわかったこと、それは彼女の首元にあるチョーカーは縄の跡だという事だ。
*
「どう思う?」
「どうって……言われても。
ただの見間違いじゃないの?」
彼女はそう言うとガトーショコラを頬張り、一蹴された
人づてに聞いた不思議な話を“予感”を感じることのできる幼馴染の
「ていうか、何の話?」
「都内の大学の噂。一応ノンフィクション。
縄の跡については俺も見間違いとかなんじゃないかって思ったよ。でも違う。アクセサリーじゃない、肌についた跡だって」
晶は一瞬手を止めて新理に視線を移したが、
すぐにケーキへ視線を戻した。
「噂をノンフィクションだって言える?
それに肌についた跡だってどうしてわかるの? 至近距離で見たとか?もしかして触った?」
「まぁまぁ、続きを聞いてよ。
勇気を出して、その人に挨拶をして聞いたんだって。
『こんにちは、そのチョーカーいいですね』って」
「何その声の掛け方……不審すぎるよ。
……それで?」
「しっかり目の前に立って首元も確認した。
挨拶は普通に返ってきた。
でも『チョーカーなんてつけてません』って。
これってどう思う?」
「…………新理君はどう思うの?」
「どう……って…… 不思議だなって……」
「私もそう思う」
彼女はにっこりと微笑むと紅茶を一口飲んだ。
「なぁ、真面目に聞いてよ」
「真面目に聞いてるよ。でも話の本筋が見えてこないんだもん」
「わかった、わかったよ。
で、この話続きがあるんだけど……」
*
女性に声を掛けてから数日後、すれ違っては挨拶を交わすーー。
いつしかそれは日課になりつつあった。
首の後は変わらずについたまま。
それから一週間が経ち、ぱったり彼女と会うことはなくなった。そもそも毎日会っていた訳ではないし友人でもなんでもない。ただすれ違って挨拶をする、ただそれだけの間柄。
たまたま付近の家から出てくる彼女を見たこともあった為、
家が大学の近所ということもなんとなく知っていた。
特に心配するでもなく、しばらくすればまた見かけるだろうといつものように道を通り過ぎた。
そう思っていた数週間後。
彼女が失踪したという噂が立った。
*
「家を知ってるのちょっと嫌だな」
晶は手に顎を乗せて頬杖をついたまま不愉快そうな顔をした。
「まぁ……確かにね。いやそれは一旦置いといて」
「失踪したってどうして噂になったの?」
「大学構内で、噂になってたんだ。
それで、よくよく聞いてみたらそれは近所の人の話で
まさかと思っていたら例の女性だったという……」
「ふぅん…」
「話は続くんだけど……
失踪して半年以上が経過したある日、山の中の廃屋で一部白骨化が進んだ遺体が発見された。報道によれば首を吊って亡くなっていて、発見された時は縄だけが天井の
彼女は新理をじっと見たまま彼の言葉に耳を傾けている。
「ちなみに大学付近に住む女性が、都心から離れた場所で首を吊った事件が10年以上前にある。だから噂がノンフィクションっていうのはあり得そうなんだよ」
新理はスマホに当時のネットニュースを表示し、晶に見せた。
失踪した20代女性、小屋で発見ーー。
自殺の線濃厚ーー。
遺体は一部白骨化が進んでおりーー。
彼女は節目になりながらそのニュースを静かに読んでいる。
彼女、深瀬晶には霊的な予感を察知できる不思議な能力がある。彼がこの話を切り出したのには訳があり、彼女ならあるいは、と貴重な休日に会ってもらっていた。
「……この年の後から都心に住む若い女性の失踪事件が多かったみたいだね」
「えっ、どうしてわかるの!?」
「ページの最後にこの記事と関連性の高い記事一覧が載ってた」
「あ、本当だ……」
「それで?何が聞きたいの?」
彼女の鋭い一言に新理はぎくりとすると、言葉を濁し目を泳がせた。
しかし、彼女の大きな琥珀色の目からは逃れられず、観念したかのように顔を上げた。
「……俺が聞きたいのはさ、深瀬は、死期が近い人の死因が見えたりとかって……するのかなってことなんだけど……」
晶は目を丸くし、少し考えるような素振りをして口を開いた。
「そういうのはないね」
期待に胸を膨らませながら得られた回答はなんともシンプルなもので、新理は深くため息を吐いた。
もしもそういった能力があれば、この噂の信憑性は一気に高まったはずだったからである。
彼女の能力がどこまで通用するのかを知りたかったという理由もほんの少し、あるが。
その様子を見るなり、新理のスマホを返却しながら晶は澄ましたような顔をした。
「あの人と違って、面白くなくてごめんね」
「あの人」とはきっと
古本屋兼古美術商の店主、おまけに祓い屋という最近知り合った笑顔が胡散臭い男。
しかし話は面白く、飄々としている割には妙に頼り甲斐のある人物だ。
晶の澄ました顔から、大きな瞳がじっとこちらを向く。
「さっき見せた実在するであろう小屋に赴いて、肝試しでもする気?」
「いや、そうじゃないけどさ」
「どの辺にあるの、それ」
「ここからだと……電車で1時間以上かかる山の中らしいけど……俺もよくは知らないよ。聞いた話ってだけだし」
そもそもこの話(とネットニュースのURL)は大学の所属サークル、古都研究会の先輩である
すると彼女から出された提案は意外なものだった
「じゃあ、今から行ってみない?」
「え?」
「私と。案内よろしくね」
間の抜けた声をすると、彼女はケーキの最後のひとかけらを綺麗に頬張った。
*
都心から電車で1時間と少し、そこからバスで20分程、山へ続く荒れた林道を新理はなぜか幼馴染と共に廃屋を目指して歩いている。
未だ残暑が厳しい季節の砂利の登り坂は、それなりにきついものがあった。
「サッカーサークルなのに体力ないね」
「俺 助っ人選手だし。しかも掛け持ちだし」
「来る前にコンビニに寄って飲み物買ってきてよかった」
文句を言いながら、ちらりと斜め前の晶へ視線を移す。
少し辛そうだったがたまに林を抜ける冷たい風に喜ぶ姿を見る限り、新理よりは余裕がありそうだった。
「なんでここに来ようと思ったの?
もしかしてーー深瀬もついに興味が湧いた?」
「そんなわけないじゃん」
「怖くないの?」
「怖いに決まってるでしょ」
彼女はこちらを見ずに歩きながらそう言った。
だとしたらなぜ来たのだろうか。
新理は歩きながら先程の噂話と晶の事を交互に頭の中でぐるぐる考えていた。
そうしているうちに前方左に青いトタン屋根が見えてきた。
噂の失踪していた女性が発見されたと噂されている小屋だ。
大きめの小屋で、シャッターは閉じていたがすぐ横にある人が通れる程度小さいシャッターが開いている。
小屋の周囲は思ったよりもひらけた場所で、奥に廃材と白いダンプが数台並んでいるのが見えた。
「彼女ーーー自殺だったと思う?」
「え?」
「赤いチョーカーの人」
「噂だと……自殺っぽいけどね」
気持ち程度に設置された、地面に垂れ下がる錆びた太い鎖を乗り越え、2人は小屋へ入った。
小屋の中に入ると、密閉された空間ならではのモワッとした熱い空気が溜まっていた。そこまで埃っぽさはなく、中は広く殺風景で粛然としていた。
晶は中央にあった祭壇のような木の棚に、持っていた小さなお茶を供え手を合わせた。他にもお酒や食べ物等が置いてある。彼女に倣って新理も手を合わせた。
彼女はそのまま工場内を軽く散策し始める。
「で、噂を語った人は?」
「噂を語った人?」
「その女の人と挨拶を交わしていた人。その後どうなったの?」
彼女の突然の問いに、新理は腕を組んで考えた。
「さあ……
あの後の話は知らない……話はあれで終わりみたいだし。
女の人が亡くなったのが10年前くらいだから、生きてるとは思うけど」
「霊感かもしくはお告げみたいなもので、その女性の首に赤い縄が掛かる事が見えたってこと?」
「噂だと、そう……言っているように聞こえるけどね…」
晶が歩みを止め、上を見上げる。
新理も真似るように見上げると、そこには梁があった。
特に縄の跡などの形跡は見られない。
「この廃屋で本当に亡くなったのかな……」
「でも、ここを選ぶかな」
「え?」
「何が理由で……そう、自殺に至ってしまうのかにもよるけど、もしそうだったら誰かに見つけてもらえる選ぶと思うの。印象的な場所とか…家、学校、通勤・通学路……この廃屋は、家族も知らなかった場所だよ?」
言われてみれば、確かにそうだ。
もし自殺だとしたら……発見が遅れてしまうのは不自然に思える。
記事によれば彼女は若く、実家暮らしで家族仲は良好。
保険にも加入しておらず、在宅の仕事で会社に出勤することはほぼ希だったと記載してあった。
そもそも噂の中では“自殺”とは言われていない。“首を吊った”とだけだった。記事や警察の見解ではその線が濃厚と言っているだけで。
これでは、わざと遠い場所で、まるで見つからないようにーー
「本当は自殺じゃなくて、誰かが関わっていて、
犯人は今も、どこかにいる」
新理が思っていたことを晶が見透かすように口にする。
もしかして、その女性に挨拶をしていた、その物語を語った人が。
「彼女の首にロープが掛かることを知ってるのは、
噂を語り始めた人だけだよ」
新理は何も言えず、急に立ちくらみを覚えてその場にゆっくりとしゃがみこむ。
「……なんて、全部憶測の域を出ないけど……
って、大丈夫?」
「ああ、うん。
なんかちょっと、暑くて、立ちくらみが」
晶が新理に駆け寄り体を支えると、彼女は小さな声で言った。
「……やっぱりここはにいない方がいいよ」
「……え?」
「……外に出よう。
水飲んで、少し休んだら帰ろっか」
晶は目を逸らしたままそう言うと、新理の顔を見ていつものようににっこりと微笑んだ。
小屋の外へ出て、すぐ目の前に置かれた大きなタイヤに腰掛けながら彼女の持参した清涼飲料水を飲むと、新理は先ほどよりも気分が楽になった。
冷たい風と共に、遠く森の中からひぐらしの鳴く声が聞こえる。
空を見上げているといつの間にか、日が落ち始めていることに気づき、2人は砂利と砂と雑草まみれの道を下る。
新理が晶の背中を見ながら歩いていると突如彼女から質問が飛び出した。
「新理君、今日楽しかった?」
「え?」
あんなに恐ろしい考察を披露しておいていきなり何を言い出すのだと新理は驚いたが、彼女はそれ以上何も言わずに前を向いたままゆっくりと歩いている。
その姿は 彼女の双子の弟、
「うん。深瀬と遠出なんて久しぶりだから
楽しかったよ」
晶は振り返り、笑顔でこう言い放った。
「ならよかった」
それ以上彼女は特になにも話さなかったが、晶は仲村と仲良くする自分にほんの少し嫉妬して付き合ってきてくれたのかもしれない、と我ながらおめでたい頭だと思いつつも新理はそう考えた。
この後、到着するほんの数分前にバスが出発したことを知り、2人は背もたれもない古い椅子に座りながらバス停で1時間ほど待つ羽目になった。
後日、藤本と行く予定だったその場所はその辺一帯が工事の為立ち入り禁止となり、終わった頃にはその小屋も綺麗になくなっていた為2度訪れることはなかった。
新理は晶に工事のことを知っていたのかと尋ねたが「偶然」だと返されてしまった。
晶から誘われたのはこれが初めてのことで、この日のことはいつまでも覚えている。
新理はあの廃小屋での出来事よりも、バス停での晶の言葉が一番印象に残っている。
バス停で水を飲んだ彼女は手の甲で唇を軽く拭いながらぽつりと言った。
「あの噂を言い始めた人は女の人かもしれないね」
「女性?どうして?」
「話の中で性別は出てこないし。
初対面で『そのチョーカーいいですね』なんて言う男の人、そうはいないでしょ。
アクセサリーに目が行くのは女性くらいじゃない」
その言葉と、秋の夕焼けに向かってまぶしそうに目を細める晶の横顔を昨日の事のように鮮明に思い出すのだった。
チョーカー end
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