邂逅

19 邂逅


大学1年生 立夏 新理



5月の長期休暇明け、香田新理こうだしんりは講義を終え、サークル部室へ向かうべく1人廊下を歩いていた。



「なぁなぁ、香田君?この後暇?」



まるでナンパの常套句のような口上で、友人の宮下みやしたがすり寄るように隣に近寄って来た。彼は最近彼女ができたばかりで浮かれているのである。



「なんだよ、言い方が嫌だな……」


「まぁまぁ、そう言わず。これから彼女と飯に行くんだけど、お前もどう?」


「とてもいい誘いだけど、残念ながら暇じゃないんだ」



新理は得意げにそう言った。


サークルの部長、田渕たぶちが遅れて来るとのことで、今日の部室の開錠係が新理に任命されたのである。


彼の所属サークルは古都研究会。活動内容というよりは所属部員の人柄に興味を持って入部したサークルである。


超が付く程の弱小サークルが故、部員は全部で6人。3年の部長と副部長、2年の幽霊部員、そして新理を含む1年生3名である。彼は未だ、2年の幽霊部員とは会ったことがない。


田渕曰く、そのうち会えるとのことであるが、これいかに。


誘いを断られた宮下は残念そうに腕を組んだ。



「そっか、香田最近楽しそうだもんな」


「誘ってくれてありがとう。今度また飯に行こう。今日は彼女と2人、楽しんでくれ」


「うん。

まぁ今日は彼女の友達も来る予定だったから香田もどうかと思ってさぁ」


「それ先に言って!」



新理は必死に宮下を止めた。



「でも、こういう人の紹介って平気?」


「全然平気だけど……なんで?」


「いや、新歓の時とか、サッカーの混合練習の時もそうだったけど、香田って沢山人がいる場所であんまり女子と話さないなと思って」


「えー!話してるよ!?」



新理は大げさに仰け反って驚いた声を上げる。



「そうか……そうだけど、なんか会話に壁を感じる。見えない壁?っていうか……一線引いてる感じ?」



香田新理は平凡で好奇心旺盛な大学生。彼は同級生と分け隔てなく仲が良く、年上に好かれ年下に懐かれる。交際経験も少なからずある。


周りに女性がいないわけではないが、彼は無自覚に運命的な出会いを夢見ていた。そして誰のせいか、やや面食いなのである。



*



宮下と別れ、彼の言葉を噛み締めながら部室のドアノブに手をかけると、鍵が開いていることに気がついた。


以前、サークル棟に野犬が入り込み、在学生が怪我をしたという昔話を宮下から聞いていた為、新理はリュックでガードしながら恐る恐るゆっくりとドアを開けた。


するとそこには1人の女性が椅子に座り、雑誌を読んでいた。



「こんにちは」



新理と目があうと、黒髪のショートカットがよく似合う彼女はにっこりと微笑んだ。


大きな黒い目に、赤い唇、ほっそりとした首元。落ち着いた佇まいに、白いワンピース姿。


見覚えのない女性と開錠された扉と合わせて、新理が導き出した答えは一つだった。



「もしかして……部長のお友達ですか?」


「そうだよ」



彼女はニコニコと頷いた。

かなり大人びて見えたが言動はまるで子供のようだった。


新理は軽く頭を下げる。



「ああ、やっぱり。開錠するように言われていたんですけど、代わりにやって頂いてありがとうございます」


「いえいえ、気にしないで。あなたは1年生?」


「はい、4月に入部したばかりです」


「へぇ、やるね、田渕ちゃん」



彼女はそのまま手元の雑誌に目を移しページをめくる。


瞼を伏せると、彼女の睫毛が長いことがよくわかり、新理は目が離せずにいた。



「あの、いつからここにいたんですか?」


「少し前だよ。ちょうどあなたが来る前くらい」



彼女はまたページをめくる。



「ここにはよく遊びに来るんですか?」


「ううん、久しぶりに来た」



彼女は首を横に振りながら髪の毛の先を弄んだ。



「古都研に興味があるんですか?」


「んー……古都研っていうよりは……オカルト?」


「え!意外ですね!」


「あはは、そお?」



彼女はケタケタと楽しそうに笑う。そしてゆっくりと読んでいた雑誌を閉じた。



「さっきからなんだか尋問されてるみたい」



新理は思わず目を丸くする。



「すみません、そんなつもりは……」


「私からも質問していい?」



彼女は新理の言葉に被せるようにそう言うとにっこりと呟いた。



「はい、どうぞ」



新理はこくりと頷いた。


彼女はじっと新理を見つめる。彼女の吸い込まれそうな黒い瞳から、新理はまるで逃れられなくなったかのように動けなくなる。


すると、彼女はぽつりと呟いた。



「あなた、変なたましいだよね」


「え?」


「どうしてそんな・・・なの?」



彼女の黒々とした視線に、新理は額や背中に汗が滲むのを感じた。



「いや……えっと……」



彼女との距離は、おおよそで4メートル程。対角線上にいる。


しかしこの時の新理には、とても近くで彼女が話しているように感じた。



「初めて視たなぁ」



……生きてる人間だよな?



「ねえ」



さっきから寒気が止まらない。



震える新理の肩に、彼女の手がふわりと乗った。

びくりと新理の体が痙攣する。



「大丈夫?顔色悪いよ」



彼女は心配そうに首をかしげ、新理の顔を覗き込む。



「あ……いえ、ちょっと気分が悪いだけで……飲み物でも飲めば平気です」


「飲み物?何か淹れようか?」


「……平気です。気分転換に空気を吸いがてら、下の自販機で買って来ます」



新理はぎこちなく引きつったように笑い、立ち上がる。



「なにか、欲しい飲み物ありますか?よかったら買ってきますよ」


「ありがとう、でも私は平気。またね、新理君」



彼女はにっこりと微笑みながら、扉が完全に閉まるまでずっと手を振っていた。



*



自販機前で5分程、新理は立ち止まっていた。気分を落ち着ける為に少し休んでいたのだ。


彼は呼吸を整えて自販機を見る。


彼女といると“彼ら”を思い出した。

“あちら側”、あの暗い闇に潜む影を。


新理がボタンを押すと、ピピッと軽い電子音と共に、大げさに飲み物が落下した。


新理が驚いて横を見るとそこにいたのは田渕であった。



「奢ってあげる。いい先輩でしょ?尊敬してもいいわよ」



彼女は満面のしたり顔でそう言った。新理は礼をいい、尊敬する等のくだりは無視した。



「今、部長の友達が古都研に来てますよ」


「え?私の?一体誰よ」



新理はここで、彼女の名前聞きそびれていた事に気がついた。



「えっ……と黒髪で、ショートカットの女性です」


「そんなのいっぱいいるわよ。見当がつかない」



呆れる田渕は、サークル部室への階に向かって歩き出す。新理は田渕が来た事で安心し、彼女について行くように部室への階段を登った。


部室の前に到着すると、田渕は遠慮なくドアを勢い良く開ける。新理は少し緊張し後ろからそっと中を覗き込んだ。


しかし、そこにいたはずの彼女は忽然と姿を消していた。


拍子抜けしたように田渕は新理の方へ振り返る。



「誰もいないけど……」


「あれ?でもさっきまで……」



彼女が座っていた場所には読んでいた雑誌がそのまま残っていた。それは、古都研究会の部室に多数存在する有名なオカルト雑誌であった。



「帰ったのかしらね」


「でもほら、ここにいたんですよ。これ読んでました」


「はー?そんな雑誌読む友達なんて……」



田渕はそこまで言うと言葉を切り、はっとした後、困惑したような顔をした。



「いや……そんな事……まさかね」



初めて見る彼女の反応に対し、新理は閃いた。



「もしかして幽霊部員の人ですか?そういえば部長の事知ってそうでしたよ」


「私を?」


「はい『田渕ちゃん』って呼んでました」



田渕は少し黙った後、短くため息を吐いた。



「……その人は幽霊部員じゃないわ。女の人でしょ?2年の幽霊部員は男よ」


「じゃあ誰なんです?」


「……私の友達っ!はい、もういいでしょ雑誌は元の位置に片付けて置いてよね!」



新理の質問を、田渕は早々に切り替えるように苦言を呈した。



「ええ?俺が出したわけじゃないのに!部長も片付け手伝って下さいよ」


「さっきジュース奢ってあげたでしょ!」



新理が不満げに雑誌を整えていると、ふと頭の中に彼女の声が響く。



『またね、新理君』



彼女は、いつ俺の名前を知ったのだろう?



動作を止めた新理に、田渕が声をかける。



「……香田君?」


「はい?」


「……気になっちゃったりしてないわよね?もしかして好き……とか」



新理は田渕の神妙な面持ちに思わず失笑する。



「まさか、流石に出会って数分の人を好きになったりはしませんよ」


「どうかな、なんか香田君単純そうだし。面食いそうだし」



新理は田渕の『面食い』発言にぎくりとしつつ、美人で聡明な幼馴染の顔を浮かべた。想像の彼女は「確かに」と呟いて深く頷いた。



「知っているなら名前教えてくださいよ。さっき聞きそびれちゃって」



田渕はじろりと新理を見る。



「なんかムカつくから嫌」



それだけ言うと、彼女はぷいっとそっぽを向いた。


新理は雑誌を片付けながら、名前も知らない黒髪の彼女を思い出す。


ショートカット、大きな黒い目、赤い唇、ほっそりとした首元、白いワンピース。


頭に残る、瑞々しい声。



『またね、新理君』



新理は彼女との再会への期待を淡く想う。

そして共に、どこか畏怖の感情を抱くのであった。



邂逅 end

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