4 波


大学1年生 夏休み上旬 新理


夏休み目前のテスト明け、いつの間にか周囲はバイトや留学、合宿などと予定を立てている事に香田新理こうだしんりは今更気が付いた。


彼は焦り、頼みの綱であるサークル棟へ足を運んだ。


新理が所属するサークルとは古都研究会。

入学式で仲良くなった友人の高橋に誘われて入ったサークルだ。

1年3名を含め、部員は全6名。

活動内容は、寺社仏閣関連施設等を実際に拝観する。普段は週1回ペースで学習会を開催。実地活動の際はより見聞を深めることが出来る様に活動を行っている。

……と、ここまで説明は真面目なものになっているが、実際のところは年数回観光地へ旅行に行ったり、自由気ままに付近へ散策したりする超小規模サークルである。

活動内容の文面は有名な大学のサークルを真似たそうだ。


部室のドアを開けると、見慣れない金髪の青年がパソコンの前にいた。

落ち着きのある風体から上級生だと確信した。



「香田新理?」


「…っはい、香田です」



驚く間も無く名前を聞かれ、咄嗟に返事を返してしまう。



「よし! 俺、藤本浩介ふじもとこうすけ2年。

一応ここの部員でテニサーと掛け持ちしてる。

お前もだろ?」


「はい、サッカーサークルですけど……」


「うん、お前いつヒマ?

俺とサークル合宿しよう!」



藤本と名乗る上級生に圧倒され、新理はつい頷いてしまった。



*



6月に部室へ集まった際、同窓会の肝試しで起こった出来事を新理はなんとなく部長に話すと、その手の話が好物だという幽霊部員・藤本の耳に入っていた。

それ以来、新理に興味を持っていたらしい。


そんなわけで、何故か気に入られている藤本と共に古都研究会サークル合宿と称し、海辺の宿に2人で宿泊していた。

急遽決まったことでありながら、藤本の気迫に押されるように部長はすぐOKを出した。


駅から地味に遠かったものの、宿泊する宿は古いが風情があって眺めもいい。

通された部屋は3階の角部屋。思ったよりも広く開放感のある

畳の和室だ。各部屋テレビ、冷蔵庫、トイレ、風呂付き1階に大浴場も有り。

素泊まりでもかなり安い。お茶と水はサービスのようだ。



「先輩、よくここ知っていましたね」



荷物を部屋の入り口に置いたまま、新理は部屋をぐるりと見て回ると旅行の資料として窓辺から部屋の内装と海の写真を数枚スマホで撮った。



「実はこの辺、幽霊が出るって噂なんだよ」



新理は写真をスクロールする指を止め、藤本を見る。



「今、まさに香田が撮った海辺に。ほら崖があるだろ?

昔、この辺は飢饉に見舞われてあそこから飛び降りた人がたくさんいるんだってさ。まぁ、いわゆる口減らし的なことだったんだと思うけど」



太陽が曇り空に飲まれ、部屋の中が暗くなる。

新理はほんの少しだけ首の後ろに寒気が走った。



「なぁ、お前も好きなんだろ?

こういう逸話のあるスポットに!

しかも見えた事あるって、すげーじゃん!」



藤本は笑顔で意気揚々に話す。

新理が彼に興味を持たれた理由は、どうやらそういうことのようだ。



「ここの宿は知り合いに教えてもらったんだ。

お前には、特別にその知り合いを紹介してやる。

宿を教えてくれた親切な人だ。

その人なら心霊系の面白い話をたくさん聞けるよ。

今日はもう夕方だから、明日会う予定なんだけど散策はそんときついでにしよう」



サークルの合宿を「ついで」と堂々と言い放つのはどうかとも思ったが、実際 新理の興味もその心霊系へと惹かれていた。


しかし知り合いという言い方にひっかかり、新理は手を挙げて発言権を求めた。



「どういった知り合いなんですか?

サークルのOBとかですか?」


「いや?全然関係ない。俺個人の知り合い。

詳しく言うと、俺の父方の遠い親戚の知り合い かな」


「他人じゃないですか」


「OBだとしても他人だろ?」



藤本は目を丸くしてそう言った。


その知り合いとは、明日近くの土産物屋で落ち合うこととなっているらしい。


夕飯は近くの定食屋で済ませ、宿では藤本が今まで数々のスポットを巡った話をされ、その日はいつの間にか寝ていた。



2日目の朝、新理が起きると藤本は腹を下すという悲劇に見舞われトイレを占領していた。

約束どころではなくなり一人で会うことになってしまった。


その人物と会う前に、新理は好奇心で崖まで一人で歩いてみることにした。

藤本を残し、宿の外へ出て海岸へ続く道への信号を渡る。

車通りはかなり少ない。

夏は海水浴の客が多いと駅の観光パンフレットにあったが人とすれ違った回数は片手で数えられるほどだった。


崖の近くまで歩いて来たが、ここまでも特に何もない。

しかし整備されているのか雑草などはあまり道に生えていなかった。

10分ほどその場でうろうろし、特に何もないことを確認して

約束の場所に赴こうと、踵を返す。


−−−−−ふと、

声が聞こえた気がして振り返り辺りを見渡す。


誰かの話し声かと耳をすませても大きな波の音しか聞こえなかった。

しかしよく見ると一本の木の根元に古く苔の生えた小さな地蔵があることに気がついた。

新理はスマホを向けようとしたが、すぐにやめてその場を後にした。


件の土産物店に到着すると、「名物 絶品宇治抹茶金時」という暖簾のれんが出ていた。

昨夜、まだ元気な頃の藤本が「これだけは食べてSNSにアップする」と意気込んでいたことを思い出す。

物は試しに食べるか悩んでいると壁際の縁台で茶をすする人影が目に入る。


男、低い位置で括った黒髪、切れ長の目。派手なシャツ。


藤本に聞いていた特徴と一致する。



「−−あの、藤本先輩の知り合いの方ですか?

俺、後輩の香田っていいます。

仲村なかむらさん……で合ってますか?」



男は新理を見るとお茶を置いた。



「……ああ、君が。

うん合ってるよ。俺は仲村、仲村一なかむらはじめ

よろしく」



切れ長の目は笑うとより細くなり、彼からは香水のような良い香りが少しした。



*



彼が抹茶白玉あんみつを追加で頼むと向かいの縁台に座るよう促される。


仲村一と名乗るその男は、想像していたよりもずっと若く、線の細い見た目だった。

しかし派手な服装と笑顔のせいかやや胡散臭さが否めない。


腰を落とすと、早速新理は質問を切り出した。



「あの、突然で悪いんですが

先輩とはどういった知り合いなんですか?」


「藤本はなんて?」


「……遠い親戚の知り合いだと…

心霊系の話を、たくさん知ってる……」


「うーん……まぁそんな感じか。藤本は知り合いの親戚でね。

俺、古本屋と古美術商を営んでいてさ、その繋がりで知り合ったんだよ。

俺からしたら藤本は『知り合いの遠い親戚』だね」


「へぇ、じゃあ藤本先輩の親戚も古美術商なんですか?」


「ジャンルは違うけど……ま、そんなとこ。

骨董品もたまにそういったものにあたることがあってね。

たまーにその話を藤本に聞かれるんだよ。

それで君は?サークルの後輩?」


「はい、そうです」



考えてみれば藤本とも先日知り合ったばかりでよく知らないことが多い。それなのに夏休みの初めにちょっとした遠出の旅行をしかも違う学年の先輩としているなんて、現実味がない。心霊系が好きと豪語しつつ、藤本は案外面倒見の良い先輩なのかもしれない。



「じゃあ女子大学生って藤本が言ってたけどあれは嘘か」


「すみません」



大丈夫だと笑う仲村だったが、初めに挨拶した時に薄い反応だった理由がなんとなくわかった気がした。

新理は脳内で“面倒見が良い”に斜線を引き、“二枚舌”を加えた。


店の奥から店員が運んできたあんみつは2つあり、目を丸くすると仲村が1つを新理に寄せる。



「抹茶とあずき平気? 平気なら食べな」


「なんかすみません。

そういえば 宇治抹茶金時は食べないんですか?」


「あれは大きすぎるから、一人には向いてないよ。

初見殺しの大きさだね」



そう言うと、新理は感心しながら頷き、仲村は白玉を頬張った。



「あの、仲村さんってこの辺詳しいんですか?」


「たまに来る程度だけどね。

骨董品巡りに」


「なら、この辺一緒に観光しません?

藤本先輩、腹壊して来れないし、一応サークル合宿なんで

観光地の神社とか建物の写真欲しいんです。

あ、もしよかったらなんですけど」


「いいよ。今日は君たちと会う予定だったから

特に何もないしつきあうよ」


「しがない男子大学生につきあってくれて

ありがとうございます」



仲村は新理の言葉に少し笑った。


初めて会うのに、どこかで知っているような

雰囲気に新理は少しだけ安堵した。



*



仲村と辺りを軽く散策し、宿に戻る頃には

夕方になっていた。


宿を教えた本人ともあってか、仲村も同じ宿で2階に

宿泊していることがわかった。

しかし新理たちとは違い夕食付きだという。



「今日はありがとうございました」


「いえいえ」


「あの、明日も空いてますか?」


「明日はちょっと用事があるね。

何かあった?」


「そうですか……いえ、大丈夫です。

大したことじゃないんで」


「良ければだけど、今日はもう何もないし

もし何か話したいなら部屋に来ていいよ。

飯食べるから、8時頃で良ければ」



旅館の玄関先で新理は仲村と別れ部屋に戻った。適当にシャワーを浴び、カップ麺で腹を膨らませ、具合の悪そうな藤本に薬と茶屋で買った即席おしるこを振る舞った。


藤本の調子は依然として変わらず、この時期だと言うのに毛布にくるまっている。

新理の「病院に行ってはどうか」という提案は却下され、「俺の分までたのむ」と言い残し藤本は布団をかぶり寝てしまった。


仲村の言葉に甘え、新理は部屋に赴いた。



出迎えた仲村は浴衣姿で、下ろした髪もまだ濡れている。

一階の温泉に入ってきたそうで、温泉の存在を新理はここで

思い出した。



「浩介も入れば少しは体も温まるかもね」



そう言うと、仲村は冷蔵庫から缶ビールを取り出し缶を開けながら新理には缶チューハイを一つ差し出す。



「ありがとうございます」


「君が聞きたいのはこれだろ、ここの歴史。

資料あるから好きに見ていいよ」



そう言って仲村はバックパックの中からファイルを取り出すと、そこから古い新聞の切り抜きや本が出て来た。



「なんとなく浩介の後輩なら好きかなって」


「……これ全部仲村さんが?」


「まぁね」


「趣味で?

それとも、この辺で仕入れた骨董品に関係するんですか?」


「読んでごらんよ、何か分かるかもしれないよ」



にっこりと目を細めてそう言った。


内容は藤本が昨日話していたような昔話が2つ。


飢饉で作物は育たず、海は荒れて魚も取れず寄り付かない。

そんな時、村長の夢枕に先祖が立ってこう話す。

「岬から降り立ち真の誠の心あれば、作物帰り来るべし」

その言葉に、村の一人の子供が勇気を出して岬から海へと落ちる。すると子供は波に揉まれたものの海岸に流れ着き家に帰って行く。すると家にある柿の木がみるみるうちに実をつけて皆喜んで平らげた、という話。


もう一つは、海から何やら呼ぶ声がして下を眺めていると崖から落ち、先ほどの声の主であるサメに海の中の宴会場へ呼ばれ、腹を満たして帰り、村人に沢山のお金と食料を手渡した、という話。


誰かが崖から落ちる事と、腹が満たされハッピーエンドになる事がつきものだった。(2つ目の話は浦島太郎に似ていた)


昔、晶が「童話も昔話も捉え方は人それぞれ」と小さいながら話していたことを新理はふと思い出した。



「まぁそれに限らず昔話の解釈は人それぞれだよね」


「え?」



仲村が彼女と同じようなことを言ったので思わず顔を上げた。


すると、新理のスマホのバイブが振動しテーブルから滑り落ちる。スマホを拾い上げて見ると珍しく晶からのメッセージだった。


彼女はSNSをほとんどやっておらず、時折撮影した写真をメッセージで新理宛に送ってくることがある。


今日は友人のバンドを見に行くと言っていた事を思い出し、メッセージにはその写真が数枚送付されていた。



「友達?」


「はい、幼馴染なんです。大学は別なんですけど、

わりと近くてたまに会ったりする仲なんです」


「へぇ、いいね

学生時代の友人は一生の友というからね。

大事にしなよ」



仲村はビールを飲みながら微笑んだ。


彼は明日仕事の予定とのことで、新理は部屋へ戻ることにした。



「なんか腹減ったし何か買いに行こうかな」


「夜は出歩かないほうがいいよ」


「なんで?」


「波から声が聞こえるから」



先ほどの昔話を真似た冗談を仲村が言うので、まさか、と若いながら顔を見ると彼は真剣な表情をしていた。

新理はその顔を見て動きを止める。


それは覚えのある雰囲気だった。

ごまかしでもなんでもない時の真面目な表情。

時折、晶も同じ顔をする。


すると仲村は目を細めて笑顔に戻った。



「この辺コンビニもないし。これあげる。

飲み物はお茶か水で我慢しな」



仲村からカップ麺とポテトチップスの袋を手渡された。



「あ、ありがとうございます。

それじゃあ、お邪魔しました」


「おやすみ」



新理は軽く会釈すると仲村の部屋を後にした。



*



3日目の朝、新理が起きると時刻は昼過ぎだった。


体調が悪そうな藤本を温泉に誘い、2人でほぼ貸切の温泉に浸かった。

部屋に戻ると藤本は体が温まったのと、すっきりしたのか今までで一番顔色良く眠っていた。


やる事をなくした新理がサークル活動用の資料をまとめていると、昨夜ちゃっかりアドレスを交換した仲村からメッセージが届いた。



夜なら空いてるよ。飯でも行く?



即返事を返し、藤本にメモを残して玄関で仲村と待ち合わせた。


夕食は少し歩いた駅の近くの蕎麦屋。

仲村は天ぷら付きのざるそば、新理は小カツ丼付きのざるそばにした。待っている間、ふと新理は昨日の昼間の崖を思い出した。

小さな地蔵を見つけたあの場所だ。



「そういえば昔話の元になった場所って

もしかしてあそこの海岸の崖なんですかね。

昨日の昼間あの崖に行ったら小さい地蔵があったし」


「へぇ、あそこに行ったの?」


「はい。暇だったんで」


「君、結構浩介に似てるね」



仲村の言葉と共に蕎麦が到着する。

思わぬ一言に新理は心外だと言わんばかりに顔を歪ませた。



「え、それ、どういう意味ですか…」


「まぁまぁ、冗談だよ」



そう言うと、仲村は到着したそばを啜った。


新理は支払いを仲村に任せ先に蕎麦屋の外へ出ると、ふとこの3日間のことを思い返す。


大学生、初めての夏休みに何か行動を起こす為に、出会ったばかりの先輩とよく知りもしないこの地に何故か旅行で訪れた。我ながら自身の行動が少し可笑しくて新理は一人で笑う。


仲村はもっとおかしい。

不思議な人だと思ったが、聞けば聞くほど謎が深まるばかりだ。


どこか知っているような気がするのに、接してみると捉えどころのない人物。


どこかで感じたことのある雰囲気を新理は必死に思い出す。




「ーーーー」




考え事をしていると、左の道の方からかすかに声が聞こえた。

聞きおぼえのある声の方向に歩き出す。




「こっちにきて」




今度ははっきりと聞こえ、昨日の昼間にも聞いた声だと思い出した。声の主が気になり、周りを見渡す。人影はないが、安心するような優しい声の主を探す。




「ほら、もっとこっちに」




何故か手足が重く、新理はゆっくりと声のする方向に近寄る。




「返事しちゃ、駄目だよ」




新理の口が手で覆われ、後ろへ数歩引き戻された。


新理は声が出そうになったが、香水の匂いで仲村だと気がつくと安堵し、よろけた体を立て直す。


すると、先ほどまでなかった大きな波の音が辺りに響き渡る。崖を鞭打つような、まるで嵐の夜の海のように唸る。



「この子を誘うのは簡単だろう。

俺と違って」



新理は体が動かず目を見開いたまま闇を見つめる。よく目をこらすと、小さな地蔵と木があることにやっと気がついた。すぐそこにはあの崖があった。


大きな波の音と、心臓の鼓動が頭に響く。



「でも駄目だ」



仲村がそう言うと、嵐のようにさざめいていた波の音がピタリと止んだ。



「君、先に旅館に帰れ。

振り向かずまっすぐ部屋に戻ったら手を洗って、

冷蔵庫にある水を飲んで、そしたら話してもいい。

でも道中は誰とも話すなよ。返事もしなくていい」



こくりと頷くと仲村は手を離し、新理に踵を返させると軽く背中を押した。その反動で一歩踏み出すと、彼は旅館へとゆっくり歩き始める。


歩き慣れた道のはずなのに、道のりは遠く感じる。

しかし先ほどより不思議と足取りは軽くなった。


後ろから何かが付いてきているような感覚を覚えながら、振り向かないように足を動かす。


10分もかからない道のりが一生の様に長く感じながらも、ようやく部屋に着いたことに新理はほっとする。

手を洗い水を飲むと、自分がかなり汗をかいていることに気がついた。

窓辺に置いたバッグから着替えを出そうと近寄ると無意識にカーテンに手が伸びる。


その瞬間、新理の背後で布擦れの音がする。

肩を震わせ、ゆっくりと振り向くと藤本が寝返りをうった音だった。


息を吐き、着替えを持ってその場を後にする。

新理はカーテンの奥を見る勇気はなかった。



*



翌日、最終日にようやく回復した藤本がもう一泊しようと駄々をこね始めたので新理は彼を無視して早急に身支度を整えた。


昨夜の話は藤本にしていない。

興味を持たれては困るし、あんな思いは二度とごめんだった。


仲村にも何度かメッセージを送ったが結局連絡はこなかった。藤本には初日以降連絡が来ていないらしい。

朝、部屋を訪ねたものの既にもぬけの殻で、フロントに確認するとチェックアウト後とのことで彼と会うことはできなかった。


ぶつくさと文句を垂れながらも荷物をまとめる藤本を眺めながら、新理は仲村という人物について聞くことをやめた。


心の中にある一つの疑問。

あれは本当に“仲村一”という人物だったのか?という事。


聞いてしまったら、もしも別人だったら……

そう考えると昨夜にかけての出来事が幻のように消えてしまいそうで怖くなったのだ。


2人はチェックアウトを終え、土産物店へと歩き出す。



「せめて土産物屋の宇治金時は食わせてくれよ。

腹を壊してただけの思い出なんて嫌だからな」


「腹壊したのにかき氷で大丈夫ですか?」



土産物店を除くと、一昨日より人の出入りが多い。

壁際の縁台を横目で見ると、カップルがかき氷をつついている。混雑している割には、店の風通しが良くなったような気がした。


かき氷を頬張る藤本を見ながら、新理は考える。


暗闇から聞こえた微かな声。

あれは多分、波の声だったと。



*



荷物を引きずるように古い駅に到着すると、新理に荷物を任せ、大盛りのかき氷を食い尽くした藤本が勢いよくトイレに走って行く。


やや呆れながら、白い木造の駅舎の中でスマホを手に取る。綺麗な海を眺められると有名な駅なので、新理は晶に写真を送ろうと外へカメラを向ける。


すると見慣れた男性が駅舎へ向かってくる姿がフレームに入る。

低い位置で括った黒髪に切れ長の目、派手なシャツと黒いサンダル。



「あれ、奇遇だね」



仲村が、目を細めて微笑んだ。



「な……」


「あれ仲村さんじゃん。帰ってなかったの?」



いつの間にかトイレから出てきた藤本がけろりとした顔であっさりと仲村と挨拶を交わす。



「俺は仕事で来てるからね、色々行く所があったんだよ。

でも充電器を忘れるし、とうとう充電が切れてスマホは使えなくなるし、おまけにバッテリーは壊れるし、この辺コンビニはないしさ」


「言えば貸せたのに」


「それすらも忘れてたよ」



新理は衝撃のあまり、その場で呆然としていた。

そんな新理に気がつき、仲村が声をかける。



「何? 心配してたの?」


「そりゃあ……」



すると仲村は軽く肩を叩いた。



「もう大丈夫だよ、新理君」



その言葉に、新理は誰かを重ねた。


香水の香り、長く、透き通るような髪に、スラリとした背の高い、優しく微笑む彼女。


ずっとどこかで既視感があったのは晶の存在だと、やっと、腑に落ちた。


愚痴を言う藤本を軽くあしらう仲村を眺めながら、新理は駅舎の白いベンチの背もたれに寄りかかり深く息を吐く。



真昼の日差しが地面を照らし、辺りには賑やかな人の声と穏やかな波の音が聞こえた。



波 end


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