来訪者

21 来訪者


大学2年生 夏休み初頭 晶



目が覚めた時、見覚えのない天井に彼女は数秒程困惑した。


少しずつ場所を思い出しスマホの画面に表示された時計を見る。


時刻は朝の5時56分。

慣れない場所で早く目覚めてしまった深瀬晶ふかせあきらは広い座敷のベットの上で再度ゆっくりと目を閉じた。


昨日から幼馴染の香田新理こうだしんりと共に、古本屋兼古美術商の店主である仲村なかむらからバイトという名目で呼び出され、都心から2時間強離れた場所に赴いていたのだ。


基本的にバイトは掃除や店番、荷物持ち程度のものだったが、これ程までの遠出は初めてであった。


仲村は実は本業が祓い屋の笑顔が胡散臭い男。しかし彼が悪人でない事を晶と新理はよくわかっていた。


今回は仲村の知り合いだという僧侶(ぱっと見そうは見えない)の隆泉りゅうせんと名乗る男も共にいる。彼も仲村と同じく一癖ありそうな人物であった。


次に彼女が目をあけた時、時刻は7時50分を回っていた。晶は飛び起き慌てて寝間着を着替える。



「失礼いたします」


「はい、どうぞ」



晶はそう言いながら髪を無造作にクリップで留めると仲居が顔を出した。



「おはようございます。朝食をお運びしてもよろしいでしょうか?」


「はい、大丈夫です。お願いします」



深々とお辞儀する仲居につられ、焦った晶もお辞儀を返す。


趣のあるこの小さな旅館の広い部屋で彼女は1人部屋。かなり動揺していた。


運ばれてくる色とりどりの料理に目を丸くしながら見ていると仲居が微笑んだ。



「仲村さんのお仕事のお手伝いでいらっしゃったんですか?」


「えっ……と……そうです。仲村さんとはお知り合いなんですか?」


「ええ、ご贔屓にして頂いて。毎年この時期になると隆泉さんといらっしゃるんですよ」


『帰り道を教えてやる必要がある。毎年こうしてな』



昨夜の隆泉の言葉を思い出し、晶はぽつりと呟いた。



「毎年……」


「もう10年くらいになりますかねぇ。たまに別の方も来られたりもするんですけれど、女の子をお連れされたのは初めてですね」



仲居はそう言うとどこか嬉しそうに微笑んだ。



部屋で朝食を終え準備を済ませると晶は部屋を後にしロビーへ向かった。他3名は同室の為、彼女は暇を持て余しパンフレットを眺めていた。



「深瀬さん、もう来たの?早いね」



晶が振り返えると、いつもの胡散臭い笑顔の仲村がそこにいた。



「おはよう」


「おはようございます」


「昨日はよく寝れた?」


「はい……広すぎて初めは落ち着かなかったですけど」


「はは、新理君も同じようなことを言ってたよ。今日はバイトよろしくね」



仲村は細い目をより細めて微笑んだ。晶はじっと彼の顔を見て、口を開いた。



「……仲村さん、少しお話いいですか?」



*



「2番卓、注文票置いておきますね」


「はーい」


「5番、アイスコーヒーと宇治抹茶ティーできたよ」


「持っていきます!」



晶は街中にある古民家のカフェでバイトを手伝っていた。というのも今回の遠出の目的がこれある。


隆泉は副業としてカフェで働いており、キッチン担当であった。


丸い眼鏡をかけた店長が開店前に言っていた言葉を思い出す。



「私の弟が開いてるお店で隆泉さんが働いていてね、ありがたいことに夏の間数日間手伝いに来てくれるんだ」


「いえ、給料も貰えるので。ありがたいです」



キッチンから隆泉が顔を出しまた戻っていく。


今日の彼はカフェのエプロンとバンダナを身に着け、明るい茶色の髪を差し引いても僧坊とは思えない。



「夏休みは忙しくてね、来てくれるなんて本当に助かってるんだよ」



と、店長が嬉しそうに話していた。



「アイスコーヒーとアイス宇治抹茶ティーです」


「ありがとう」



飲み物を晶が運ぶと、そのテーブルには新理と仲村が座っていた。


晶と新理の目が合うと、彼が柔らかく微笑んだので晶はムッとした表情で文句を言った。



「なにニコニコしてるの」


「笑っちゃ駄目なの!?」


「駄目じゃないけど今のは何かイラっとした」


「ひどい言われようだなぁ」


「仲村さんもそう思いますよね?」



新理は晶の跳ねるポニーテールを見ていた為、とっさに誤魔化して微笑んだのだが彼女にはばれていないようであった。



「今日は暑いからね、仕事に行く前にちょっと一休み」



仲村がそう言いながらコーヒーを飲むと、涼しい風に揺れて風鈴が鳴った。晶は風鈴の音で古書店にいた巨大な猫、はなだを思い出した。



「そういえば、縹さんはどうしたんですか」


「近所の人に預けたよ。一応熱中症の心配もあるし」



晶はほっと息をついた。



「それよりいいな〜深瀬楽しそうで。俺なんか仲村さんの荷物持ちだよ」


「足が痛いって聞いたから荷物持ちにしてあげたんだよ」


「どっちも大事なバイトでしょ。2人共頑張ってね。それじゃ」



彼女は微笑んでキッチンへ戻っていく。

新理と仲村は彼女の揺れるポニーテールと華奢な背中を見送った。



「ポニーテール見すぎだよ、新理君」


「え!?」



焦る新理を見て仲村はニヤリと笑った。



*



時刻が閉店間際の17時すぎ。忙しさのピークを過ぎ休憩客がはけ、静かな店内で晶はテーブルを拭き消毒していた。


風鈴の涼し気な音が店内に木霊した。


晶が顔をあげると、扉は特に開いておらず、人もいなかった。



「……」



しかし、入口付近のテーブル席に人影が佇んでいた。

小さな影は席に座るようにそこにいる。


彼女は蜃気楼のように揺れるその影を息を飲みながら見つめた。


晶はゆっくりとキッチンへと向かうと、エプロンを外して休憩をしていた隆泉へ近寄った。



「……隆泉さん」


「ん?」


「入り口付近の席に……人影が」



晶の顔色を見て隆泉がキッチンから顔を出し席を確認する。



「ああ、人がはけたからな。店長、コーヒーとジュース一つお願いします」



隆泉は席を立ち席へと向かう。



「はーい」


「あ、私、運びます……」


「いいから、あんたは休んどけ」


「うん、深瀬さん奥で休憩してていいよ。あとでケーキとお茶持っていくからね」



隆泉と店長に促され、晶は奥で休憩に入った。



数十分後、隆泉がケーキと飲み物を手に戻って来た。彼は特に憔悴した様子もなく涼しい顔をしていた。



「おい、帰ったよ。あの子」


「……そうですか」



晶は彼と比べ暗い表情であった。隆泉は晶の斜め向かいの席に座る。



「視えるんだな」


「……はい」


「まぁ、そうだとは思ってたけど。難儀なもんだな」


「少し驚きましたけど、さっきの子は……嫌な感じでは……なかったです」


「ああ、昨日の“蛍”と同じ。毎年ああして現れる奴もいる。時期的な事もあるしな。あの子は帰り道がわかってた。人が沢山いたから少し寄ってみたかったんだとさ」



晶は浮かない顔をしたままだった。



「……私、本当に何もできなくて……嫌になります」



彼女はぽつりと悲しげに呟いた。



「できるやつが対処すりゃいい。それだけだ気にすんな」



隆泉はそう言うと大口でケーキを頬張った。



*



3日目の昼過ぎ、一行は新幹線の改札前にいた。


新理は深くため息をついていた。



「もう帰るのか〜」


「またすぐ来れるよ」


「あんな高級なところ仲村さんと一緒じゃないと泊まれませんよ」


「君はお金を貯めて彼女とでも来ればいいのに」


「彼女がいたらいいですけど……」



2人が話す中、隆泉が晶へ近寄る。



「よう、おつかれ」


「隆泉さん」


「バイトありがとな。これ、カフェの給料預かってた」


「ありがとうございます……でも、大した事できなくて……」



晶は給与を受け取ると、隆泉から顔を背けた。



「晶」


「はい」


「あんまり自分を責めるなよ」



隆泉は真っ直ぐに彼女を見据えてそう言うと、仲村のもとへ振り返り戻っていった。


晶は顔を上げ、ぼんやりと彼の背中を見つめた。


入れ替わるように新理が仲村のもとから戻ってきた。



「深瀬、チケット貰ってきたよ。ちょっと疲れたけど楽しかったね」


「……うん」



笑顔の新理につられ、晶も微笑む。


一行は新幹線に乗り込み、2泊3日のバイト旅行は幕を閉じた。



*



昨日の朝、旅館ロビーにて。



「新理君を、守ってあげてください」


「それは……」


「私じゃ駄目なんです。私は何もできない。助けられないんです」


「……どうして、そう思うの?」



晶は仲村の問いに押し黙った。



「……君と新理君の過去に何かあったのかな?」



仲村の言葉に、晶は諦めたかのような表情から弱く微笑んだ。



「……仲村さん、気がついていますよね。私が隠していること。――いつか彼にも話します……恨まれてしまうかもしれませんけど」



*



彼女は窓の外の流れる景色は見ず、隣の席を見ていた。


それでも、いつか、必ず。


晶は隣のシートで眠る新理の横顔を見つめ目を閉じた。



「隆泉」


「ん?」


あの話・・・、なるべく急ぎで進めよう」


「急ぎっつったって……手がかりが何も……」


「どんな情報でもいい。俺も手当たり次第当たってみる。頼むよ」


「お前な〜……俺も暇じゃねーんだっての」


「わかってるよ」



珍しく真面目な表情の仲村に、隆泉は言葉を止め息を吐いた。



「何かあったのか?」


「あの子……深瀬さん。“箱”の気を感じ取れるみたいでね」


「ああ……成る程な」


「あれ?知ってたっけ?」


「3日も一緒にいれば何となくわかる。まぁ……ほっといていいモンでもないしな……」


「ありがとう隆泉」


「お前の為じゃあねーよ!……何も起こらなきゃいいが」



隆泉の言葉を聞き、仲村は晶との会話を思い出していた。



*



「嫌な予感がするんです。上京してきてからずっと」


「ずっと……?」



仲村がそう言うと、晶はこくりと頷いた。



「同じ嫌な感覚がずっと。強まったり弱まったり……波がありました。最近になってその嫌な感覚は場所によって変わることがわかりました」



仲村は眉をひそめた。



「……“箱”。あの河川敷にあった“箱”と嫌な感覚が一致したんです」



晶は伏し目がちに言った。



「あれは一体何ですか?今度話すって……言ってましたよね?」



晶は膝の上で拳を握り、睫毛を震わせる。

仲村は落ち着いた様子で口を開いた。



「……大切な人を危険に晒したくない気持ちはよくわかるよ。今の所は君が心配するような出来事は起きていないから安心して」


「……本当ですか?」


「もちろん」

 


仲村はにっこりと微笑んだ。

彼女はそれを見て短くため息をつくと俯いて話を続けた。



「……近いうちになにか大きな事が起こる。何かは……まだよくわかりませんけど、そう思えてならないんです」



晶は不安げな表情で仲村にそう言った。



*



「心配だなぁ」


「あ?何?」


「こっちの話」



仲村はシートに寄りかかりながら目を細めて窓の外の遠い空を見た。



来訪者 end

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