人魚

22 人魚


大学1年生 寒露 新理



この村にある湖には人魚が住むという逸話がある。

人魚は湖の底にある美しい宮廷で暮らしており、ずっと幸せであると。


毎年夏の盆の時期、必ず誰かがいなくなる。でもそれは“人魚”になったからだと言われていた。



蝉の鳴く頃、1人の少女が地主の友人の家で寝転がりながらお菓子を食べていると、突然座敷の奥へ手招きされた。


一度奥へ入った時、友人の母――地主の奥さんに鬼の形相で怒られた事のある少女は、恐る恐る付いて行く。案内された座敷には丁度彼女にぴったり合いそうな真っ白な着物が衣桁にかけられていた。



「……綺麗な着物!」



彼女はハッとして、奥さんの顔色を伺う。するといつもとは全く別人のような様相で彼女は微笑んだ。



「着ていいのよ」



少女は嬉しそうに駆け寄ると、衣桁から優しく外し刺繍の入った着物をに袖を通してくるくると回った。


それを見ていた奥さんは再度微笑んだ。



「とっても素敵ね。こっちにいらっしゃい、ちゃんと着せてあげるから。準備が終わったらあの輿に乗って舟へ乗るのよ」



少女は首を傾げた。



「船?これからどこに行くの?」


「あなたはね、湖で“人魚”になるの」



奥さんはそれ以上は何も言わず、蝉時雨だけが辺りに降り注いでいた。



*



夏休みから2週間を過ぎ、すっかり寒くなった10月初頭。


香田新理こうだしんりはサークルの先輩、藤本ふじもとと共に都心から車で2時間近く離れた場所に来ていた。



「本当にこの先に湖があるんですか?」


「勿論!」


「よくもまぁこんな場所見つけましたね」


「まぁな」



かなり山奥の人里の離れたこの地には元々村があったが、今は廃村になっており人は住んでいない。2人が歩く道は悪く、周囲には崩れた民家が所々にあった。


この村にはとある伝承が囁かれている。



「ほんとにいますかね。人魚」



半人半魚の姿をした伝説上の生き物。この村では夕方17時以降に湖へ近づくものを水の中に引きずり込むという話があった。



「香田は人魚がいると思ってんのか?」


「藤本先輩がそう言ったんじゃないですか」


「人魚なんかいるわけないだろ!いるとしたら女の幽霊さ!昔話ではよくある見たやつが“人魚”と噂を流したんだろうよ。いいか?お前はそいつを写真か動画に収めろ!」


「そんな簡単に……そもそもこんな話どこで知ったんですか?」


「つべこべ言うな、ここは山だぞ。さっさと映像に収めて帰るんだ」



心霊というより都市伝説のようなこの話をどこで聞いたのかと新理がいくら藤本に尋ねるても、のらりくらりと話題をそらされ一向に話が進まない。


新理が車中で話を聞いた時にネットで調べたものの、そんな話は一つも出てはこなかった。今回情報をどこで入手したのか少々謎であった。


そしてなんとも罰当たりなこの男が何故呪われないのかも謎の一つである。



*



到着して1時間半。彼らはいまだに森の中を彷徨っていた。



「先輩……まさか迷っていませんよね?」


「迷ってねぇよ!確かこの辺のはず……うわっ!」



藤本は道を確認しようとスマホを見ていた為、足を滑らせ傾斜を滑り落ちてしまった。


新理は急いで下を覗く。



「藤本先輩!?」


「……って〜〜!足挫いた!うお!スマホが割れた!」



数メートル下で藤本は助かっていたが、彼にとってはスマホが割れた事の方が一大事のようであった。


新理はほっと肩を撫で下ろし、右脇にあった小さな道を下って藤本に肩を貸した。



「ながらスマホってやっぱり危険なんですね……次からやらない方がいいですよ」


「はいはいイテテッ」


「捻挫かな……なんか冷やすものあります?」


「ないよ、そんなもん」



すると、下の方から微かに川の音が聞こえた。



「下に川が……?」


「は?何も聞こえねーけど……」


「俺、ちょっと見てきます。川の水でタオル濡らしてくるんで、座って待っててくださいね。動いちゃ駄目ですよ」


「おい、気を付けろよ?」


「はい」


「……本当に何も聞こえないんだけどな」



藤本はぽつりと呟き、新理は藤本を置いて道を下って行った。



*



道を下った先は深い森の中で、新理は微かに聞こえる川の音を頼りに道を進んでゆく。森の中はまだ夕方前だと言うのに薄暗く不気味な雰囲気が漂っている。先程より気温が下がったような気がして新理は身震いをした。


歩き続けていると、森の奥から反射する光が見えた。光に向かって暫く進むと開けた場所に出た。


そこには暗い闇の中に大きな湖が広がっていた。


新理は呆然と立ちすくんだ。



「湖……」



すると木陰からゆらゆらと白い影が現れた。


体にぴったりと張り付いた白いワンピース、濡れた真っ黒な髪の毛、青白い体。

新理と目が合うと、彼女は怯えるような顔をして真っ先に駆け寄ってくる。


新理は驚いて目を見開くと、彼女は腕を掴むやいなや懇願をする。



「助けて……!お願い助けて!」



濡れた彼女の手は冷たく、青白い顔で震えている。

よく見ると彼女が着ているものはワンピースではなく白い着物で、新理よりも背が小さく幼いことが伺えた。



「嫌……!私“人魚”になんてなりたくない!!」


「お、落ち着いて……!何?どういうこと?君どこから来たの?」


「……湖から……逃げて来たの」


「湖から?」



日が落ちた薄暗い空が映る黒い湖の周囲にはなにも見当たらない。



「真っ暗でなにも見えないけど……」


「……来る」



彼女が黒い湖を見ながらそう呟くと、ぞわりと嫌な感覚が新理の背中に走った。



「……だめ……!早く逃げなきゃ!」



少女は新理の背中を押して、森の奥へ追いやる。



「え?でも、夜だし森は危険……」


「あそこは暗くて冷たいの……あそこには……暗い底には何もなかった……!」



彼女に背を押され、新理は暗い森の中へと足を踏み入れる。



「助けて……私達を助けて……!」



彼女の声が森の中へ木霊する。


すると突如左肩を叩かれた。



「――新理君」



新理がゆっくりと顔を上げると、そこには何故か仲村なかむらがいた。



「大丈夫?」


「あれ……!?」



新理が辺りを見回すと、森の中ではなく先ほど少女と出会った湖畔であった。しかし夕日が沈みかけの頃で湖は明るく照らされている。


よく考えてみると、藤本と分かれてからそこまで時間は経過していないはずなのに夜の様に暗い湖は不自然であった。



「女の子がいませんでしたか……?さっき……湖の近くに……」


浩介こうすけは上にいたけどね、君はずっとここで眠っていたみたいだけど」



仲村はそう言うと立ち上がって湖を眺める。

新理は何故仲村がここにいるのか気になっていた。



「俺はある人に依頼されてね、この土地に来ていたんだ」



新理の心を読んだかのように仲村が答え、振り返る。



「帰ろう。日が沈む前に」



 仲村はにっこりと微笑んだ。



*



途中で2人は藤本を回収し2人の乗ってきた車に乗り込むと、仲村が運転して帰ることとなった。仲村は駅から1時間かけて最寄りのバス停で降車しそこから歩いてきたようだ。


藤本は仲村からこの地の話を聞きここへ赴いたということも判明した。彼は運転をしながらからからと笑った。



「場所の詳細までは話していないのによく調べたね。すごい執念だ」


「まぁ確かに……本人捻挫して寝てますけどね……」



藤本は結局湖はおろか幽霊すら見られなかったことを先程まで嘆いていたが今は後ろのシート席で眠っている。


新理は仲村へ疑問に思っていた事をぶつけた。



「俺……夢を見ていたんです。着物の女の子が『助けて』って……」



仲村は少し黙った後、少しずつ話し始めた。



「……仕事内容だから全部話すことはできないけど、簡潔に言えば今回は『土地に縛られた人魚の解放』をお願いされたんだ。その人はあの村からほど近い場所に住んでいたそうだよ」



『あの村にも湖にも絶対に近づいては駄目』



昔から母親からそう言われていた。


でも、そんなわけない。いるのなら見てみたい。ほんの少しの好奇心で湖に近づいた。


物音が湖畔から聞こえ身を隠す。


――すると、白い人魚を抱えた大人が舟に乗った。


彼は草むらから目を見開いた。


しかし、それは人魚ではなかった。

自分と同じ人間の少女であった。


彼女は怯えるような顔で涙を流し猿轡をしていた。大勢の大人に囲まれ、抱えられたまま舟に載せられても、ずっと、こちらを見て何かを訴えていた。


長い黒髪に美しい真っ白な装束を着た、まるで神様に使える天女のような姿――


彼は震えながら暗い森を走り、家に帰り母親にその話をした。


母親が言うには、



「『それは“人魚”だ』と」


「……」


「真実を知られたくない、大人の言葉だ。その人はそれ以来湖にも村にも近づくことはなく小学生になる前に家族や親族と共にこの地を離れたらしい。……あの村ではよく言われていた。“人魚”になれば湖の底の神の住む宮廷に案内されてずっと幸せになれると。とても悲しい風習なのに、もう誰もその意味も知らない」



新理は口をつぐむ。喉の奥がじんとして、潤んだ目を擦った。


新理が夢の中で出会った少女の姿は、話に出て来た少女の特徴はよく似ていた。



「じゃあ……」


「昔、君達や俺が生まれる前の話だけどね。ここは危険だからもう来てはいけないよ」


「……夢で見たあの子……『暗い底には何もなかった』……って」


「……そっか」


「仲村さん……あの子、ずっとあのままなんですか……?助けられそうにないんですか?」



仲村はちらりと新理を横目に口を開く。



「……それは依頼かな?俺は結構高いよ」


「お金なら……バイトして貯めます!だから……」


「そんな簡単に払える額じゃないよ」


「……でも」



新理は何も言えず俯く。そして気がついた。自分には何も出来ないと。



『私達を助けて……!』



彼女の声を思い出し、何も出来ない自分を悔やんだ。



「よし、今日からバイトね」



意外な仲村の返答に新理は思わず顔を上げた。



「俺の手が足りない時店番やこの前みたいな掃除を手伝って欲しいんだ。――今日はほんの少し下見に来ただけ。1週間後、ちゃんと準備を整えてまた来るよ」


「!……じゃあ!

来週ついて行っても?」


「それは駄目だよ」



駄々をこねる新理と笑う仲村、後部座席で眠る藤本は車で紅葉で彩られる山を下っていく。



*



白い薄衣が湖から緩やかな浅瀬の川へと流れ着く。それを眺めていた小さな子供が指を刺した。



「お母さん、あれ何?」


「……見ちゃ駄目。いい?あれは“人魚”。あなたはあの村にも湖にも絶対に近づいては駄目」


「どうして?すごく綺麗なのに。それに人魚になると幸せになれるって。あの湖には神様が住んでいるんでしょ?」


「……そうよ。でもね、“人魚”になると2度と帰れなくなるの。家族や友達にも会えない。一生、湖で暮らさなければならない。神様の下へ行くっていうのはね、そう言う事なのよ」



母親は子供と手を繋ぎ川辺を後にする。



「……“関わらない”事。それが一番」


「……」



薄衣は川を滑る様に流れてゆく。まるで水の中を揺蕩う人魚の様に、どこまでも。




人魚 end

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