橋
14 橋
大学2年生 梅雨明け 晶
「あっついなぁ。今年暑くなるの早くない?ねぇ、
手で風を扇ぎながら黒髪の女子、
毎年7月半ばまで続く蒸し暑い梅雨が、今年は6月末に明けて気分は晴れやかにーーとは行かず。連日のうだるような猛暑に人々はまさに死屍累々とはかくや、という様相である。勿論この大学の在学生徒諸君、晶たちも含まれる。
「いつもこの時期は30度行くか行かないかくらいのはずなのに」
会話に相づちを打ちながら晶はファイルを団扇代わりにして琴子へ風を送った。
「だよねぇ、まだ7月に入ったばっかりなのに暑すぎて今日は真夏の服で来たよ」
「こっさんのその服、似合ってるよ。いい色」
彼女の目の覚めるような深く青いハーフスリーブのシャツは、白い教室内でよく映える。
琴子は照れくさそうに眉を下げて微笑んだ。
「ありがと。それにしても、この調子で暑さが続いたら真夏が超心配」
「倒れるかも」
「晶はもっと肉をつけなよ!」
「わぁ!くすぐったい!」
琴子が晶の二の腕をつまみ、2人は笑いあう。
「ほんと!今日気温32度だよ。インドより暑い!」
彼女たちの会話に、前の席へ座った青年がスマホを見せながら割って入った。2人は動きを静止して彼を見る。
「
「なんでいるの?」
琴子のバッサリとした言い方に山崎青年は大げさに悲しげな顔をして胸を抑えた。
「冷たい言い方……俺傷ついたよ」
彼は晶、琴子と同級で同い年。小さなつり目と大きな耳、黒髪のゆるいパーマが特徴。誰とでも仲が良く、愛称は「ザッキー、ザキ、ザキさん」……等様々。社交的で明るい青年である。彼女たちの友人、
しかし、琴子の物言いには明確な理由があった。
「ザキはこの講義取ってないでしょ」
「うん!ちょうどこの時間暇になったから見学ついでにレポート作業!静かな所は苦手だからここに来たってわけ。室内なら涼しいし何より友達もいる。ここの講義は楽単でいいね。出席も取らないし追い出されもしない」
得意げに話す彼に、琴子はどうでもよさそうに軽く毒づいた。
「邪魔だわ〜〜追い出されればいいのに」
「ひどいなぁ!ねぇ晶ちゃん、そう思わない?」
「こっさんに同意見かな」
3人がふざけあっていると、大きな影が山崎の座る席に現れ「奥に詰めろ」と言わんばかりにバックパックを机へ雑に置いた。
「ザキ、お前、なんでいるの?」
体格の良いその青年、
会話が振り出しに戻り、晶と琴子はこらえるようにくすくすと笑った。
「3人ともひどい!今日は話したいことがあったのに」
山崎は隣の席に移動しながらわざとらしくぷいっと顔を背けたので、琴子がやや呆れ気味に「なぁに?話って」と優しく問いただす。
山崎は2人を横目でちらりと見ると、振り向いて話を続けた。
「7日って暇?」
「まぁね……晶は?」
「空いてるよ」
山崎は前を向いた伊達の肩を叩き、晶と琴子の方へ振り向かせる。
「じゃあさ、俺達と花火しない?河川敷公園で!」
「……なんで花火?」
笑顔の山崎をよそに、2人は困惑した表情を浮かべた。彼女達の反応を見て伊達が仕方なく呟く。
「こいつの誕生日。7月7日」
「えっそうなの?」
「伊達!言うの早いよ!そう!だから酒を飲みつつ、みんなで花火でお祝いしてよ!」
「お店に行かなくて良いの?」
「いーのいーの!金もったいないよ!花火はこっちで持ってくるからさ!河川敷なら割と涼しいだろうし!ね?どうよ!」
彼の期待した表情に、晶と琴子は目を合わせ一緒に笑った。
「無理して来るなよ。こいつが花火したいだけだから」
「ちょっと伊達君?僕の誘いかけを邪魔しないでもらえるかな?」
「いいよ。お祝いするする」
2人は笑顔で頷き、山崎は小さくガッツポーズを決めた。
「あ、ねぇ、あと他に誰が来るの?」
「今のところバンドメンバーとー……」
隣で話す琴子と山崎を眺め、晶は伊達に視線を移す。ちょうど伊達と目が合い、晶はにっこりと微笑んだ。
「花火、楽しみだね」
「……うん」
伊達は大きくこくりと頷いた。
*
7月7日の18時半。
外はまだ明るく、ようやく日が落ちてきた頃。コンビニ前に10余名が集合し、各々が持ち寄った花火や飲み物等の荷物を抱え河川敷へと出発した。
歩く度に蒸し暑い風が地面から立ち上るかのように体を包み込む。
「今日は彼氏と会うかもだったど、2人に誘われたからこっちに来ちゃった」
晶と琴子の友人、舞がピンク色のハンディファンを彼女たちと自分に交互に当てながら笑顔でそう言った。琴子は呆れながら礼を言う。
「はいはい、それはどうも」
「それにーせっかくの青春イベントだし?」
「青春イベント?」
「複数人の男女、河川敷で花火♡」
首をかしげる晶に、舞はハンディファンを握りしめうっとりと呟く。
彼女の言葉に、前を歩いていた山崎が驚いたように振り返る。
「俺の誕生日だからじゃないの?」
「ザッキーの誕生日なんてどうでもいいよ」
全員が笑い、晶もにこやかに周囲の話に耳を傾けている。
しかし彼女は先程から全くと言って良いほど話が頭に入って来ていない。
今日までずっと言いようのない胸騒ぎがしているからである。
期待や喜びのそれとは違う。何かが起きる前触れのような、そこにある“何か”へ無意識に干渉しているような。とても嫌な“予感”。それは、今向かっている河川敷へ進む度にどんどん大きくなる。
重い足取りで後方を歩いていると、舞が駆け寄りするりと手を繋ぐ。
「わ、晶ちゃん、指先が冷たい」
「あ……さっきまで、コンビニのアイスを見てたからかも。買わなかったけどね」
「そっかぁ。この暑さじゃあ溶けちゃうもんね」
舞は晶の指を触りながら顔にファンを当て、ため息をつく。晶は自身の手の冷えを誤魔化すように首元に手を置いた。
気のせいだとは思えない程に、晶の心臓の鼓動は早まっていった。
河川敷公園までは駅から10分程度。遊歩道の脇の土手にはひな壇のような幅の広いコンクリートの階段があり、そこを降りると間もなく河川敷公園へ到着する。
そこそこ広い河川敷公園内には、“公園”らしい遊具は何もなく、どちらかというとグラウンドに近い造りである。目の前には大きな川が広がり、川と公園の間には緩やかな坂と砂利が敷かれている。右手には古びた鉄製の白い橋が掛かり、隣街と繋いでいる。橋を支える大きな柱の下は小さな
アスファルトの道とは比べものにならない程に、穏やかな川辺から流れてくる風は涼しく快適で、暑さに弱っていた彼らの活力を取り戻した。一向は荷物を階段や、縁に置いて飲み物の準備をする。
しかし、晶の嫌な“予感”一向に収まる気配はない。それどころか、河川敷公園で一番強く感じていた。
「飲み物、全員に渡った?」
「じゃあ乾杯!」
「ザッキー!おめでとう!」
「ありがとう!」
山崎が大きく礼を言い、酎ハイを一口飲み込む。拍手喝采が湧き、誰かがクラッカーを鳴らした。
明るい空気と反して晶の顔色は良くならない。
……もしーー万が
私に何かできるのだろうか。
「ーー晶ちゃん、大丈夫?」
舞が晶の顔を覗き込み、琴子が心配そうに新しい飲み物を手渡す。冷たいペットボトルを首元に当て、晶は弱く微笑んだ。
「……ごめん、ちょっと暑さでぼーっとしてたかも」
「気分悪かったら遠慮しないで休みなよ」
「うん、ありがと」
晶は集団から少し離れ、アーチ状のポールに寄りかかる。その場に神経を張り巡らすかのように、じっと立ったまま瞼を閉じた。
……下?違う。ここじゃない。
川の中……?いや、違う。
探さなきゃ。ここにある不自然なものを。
道、橋、土手の斜面、石の階段、河川敷、川ーーー
じきに日が沈む。闇が深まる前に見つけ出さないとーー
何かが起きてからでは、遅すぎる。
「良い感じに暗くなって来たからそろそろメインの花火しよっか!」
「結構たくさんあるな」
「バイト先で去年の余りもらったんだ」
「少し離れた場所で、今日花火が上がるらしいよ」
「もしかしたらここから見えるかもね」
日が落ち、全員が花火や話に夢中な最中、喧騒から離れ1人別の場所を見つめる人物がいた。
伊達は、橋の下をじっと見つめている。
ゆっくりと集団から離れ、何かに引き寄せられるように歩き出す。
足首が浸かる程度の浅瀬ではあるものの、彼は躊躇せず坂を下り川へと足を踏み入れた。
ばしゃん、と大きな水の音は笑い声にかき消される。
同行した友人達は気づかない。花火と楽しげな雰囲気に包まれ、その場から離れて行く彼に。
彼は橋の下の中州に足を踏み入れる。
その時、晶が彼の腕を掴んで止めた。
「ーーえ?」
振り返った伊達はぼんやりと虚ろな目をしている。息が上がり、首に汗を流したままの晶は、呼吸を整えながら弱く微笑んだ。
「線香花火。向こうでやるって。一緒に行こう」
「ーーああ……そっか」
晶はそのまま伊達の腕を引き、共に川から河川敷の砂利道へと上がる。晶の濡れた足元を見て、伊達は我に返ったようにはっと顔をあげた。
「深瀬……!濡れて……」
伊達は違和感を感じたのか、言葉を切り自身の足元を見る。自分が濡れていることに今気がついたかように彼は目を見開いた。
「……俺が……川に入ったから……?」
困惑する伊達に晶は向き直り、両手で優しく彼の手を握る。
「違うよ。伊達君じゃない。私がぼんやりしていたからなの」
伏せた瞼の先にある長い睫毛が震える。彼女の琥珀色の瞳はいつもより潤んでいるように見えた。
「ごめんね」
晶がそっと手を離すと、伊達の手にはハンカチが置かれていた。晶は「それ使って」と微笑み、伊達の先を歩いた。2人は静かに川の側を離れ、皆の元へ帰って行った。
全員が線香花火を見つめる中、伊達は晶の横顔を目で追う。晶だけは橋の下を眺めていた。
真っ暗な橋の下の柱の陰に置かれた、古びた木の箱。
箱からは禍々しく冷たい雰囲気と黒く長い手が伸びていた。
*
線香花火を終え、各々が帰り支度を始める。ゴミ袋を縛る晶に伊達が近寄る。
「深瀬さん」
晶が振り向くと、土手上の遊歩道に見知った男が立っている。背の高い長い黒髪、切れ長の目に派手なシャツ。
「来たよ」
彼は細い目をより一層細めて微笑んだ。
先ほど晶は途中で仲村にこっそり連絡を取り、ここへ来るように伝えたのだった。しかし、思ったよりも彼の到着が早く晶は驚いていた。
唖然とした晶の様相に、琴子が心配そうな顔で晶に耳打ちする。
「晶、知り合い?」
「あ、うん!……バイト先の……店長……」
にわかに周囲がざわつき始め、晶と仲村に視線が集まる。
晶はキョロキョロと視線を移し落ち着かない様子で仲村を見上げた。
「ごめんごめん。たまたま別件で近くにいてね、ほらこれ」
そういうと、仲村は持っていた袋を掲げた。中には人数分、それ以上のたくさんのアイスが入っていた。
「えぇー!?」
「アイスだ!」
「晶ちゃん……もしかして……俺の為に……!?」
「え……っと」
感動する山崎を前にして、晶は再度仲村をちらりと見る。彼はニコッと笑顔で頷いた。
「うん……みんなで食べて……」
「やったー!!おいみんな!晶ちゃんがアイスくれるって!」
晶は苦笑いをしながら袋を山崎に手渡し、仲村を見ながら肩を撫で下ろした。
*
ほぼ全員がアイスに釘付けの最中、階段上で晶は仲村と話している。彼の持って来たアイスを食べながら、下のギャラリーはチラチラと2人を見ていた。
「バイト先の店長かぁ」
「ね、彼氏かもよ」
「余計な詮索しないの、ほら、アイス溶けるよ」
ギャラリーの1人がアイスをこぼし、琴子が手際よくティッシュを手渡す。
「いい人そうだけど、笑顔がなんだか胡散臭いなぁ」
「ザッキーと比べ物にならないよ。お仕事のついでに寄ってくれてしかもアイスも持ってきてくれるんだから良い人じゃん」
他の女子が何度も頷き、「ひどい!」と叫ぶ山崎を無視して舞は晶に手を振った。
舞を見て、晶も手を振り返す。仲村に向き直り晶は話を続けた。
「アイスすみません。でも、来るのが早くて驚きました」
「ごめんごめん。アイスは奢り。でも本当にたまたま出先が近かったんだ」
そう言って微笑む彼の横に、風呂敷に包まれた木箱があった。
仲村はちらりと下のギャラリーを見る。
「……背の高い金髪の彼?」
「はい」
「うん、大丈夫。何も問題はないよ」
仲村の言葉に、浮かない顔の晶はほんの少し安堵した。彼女の顔を見ながら仲村は、再度伊達に目を落とす。
「触れていなくてよかった。そうなっていたらもっと厄介なことになっていただろうね」
目が合った伊達は、じろりと仲村と晶を見る。その視線に仲村は相変わらずの胡散臭い笑顔で返した。視線には気付かない晶が風呂敷に包まれた箱を見て、恐る恐る訪ねた。
「……それは、一体何ですか」
仲村が口を開けるのと同時に、遠くから花火の音が聞こえ始めた。全員が音に導かれるように夜空を見上げる。
晶の顔を見て、仲村がにっこりと笑う。
「……また今度話すよ」
河川敷で花火を楽しむ彼らを見て、仲村は「青春だねぇ」と目を細めて呟いた。晶がお礼とまでは行かずとも、と感謝の印に飲み物を仲村に手渡す。
「これ、よかったら」
「いただくよ。ありがたいね、おかげでいい日になった」
「大げさですよ」
「俺、今日誕生日だったから」
仲村はそう言いながら缶の蓋を開けた。
「えっ……そうだったんですか……?なんかすいません……そんな日に呼び出して」
「いや、俺こそお邪魔してる身だしね。これ飲んだらすぐ帰るよ」
晶は自身の飲み物の缶を仲村の缶に近づけ、軽く当てた。
「それじゃあ、おめでとうございます」
微笑む晶に仲村は一瞬止まったが、彼も微笑みながら缶を当て、礼を言った。
「ありがとう」
晶は今更ながら自分の行動に恥ずかしくなってしまい少し顔を赤くする。
「それ、誕生日の彼にも言った?君、箱のせいで気が気じゃなかったろ」
「……忘れてた!後で言いに行きます」
珍しく声を上げた晶に、仲村が声を出して短く笑う。
河川敷で遠くに上がる花火を見上げながら、全員が夏の訪れを肌で感じ取っていた。
橋 end
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