証明写真


29 証明写真


大学3年生 梅雨明け 新理



長かった梅雨が明け、蒸し暑さと共に暑い日差しが肌にあたりようやく夏の訪れを感じ始めた頃。


古都研究会サークル部室へ先輩部員・藤本ふじもとが現れ、香田新理こうだしんりは目を丸くした。


今や新理よりも暗い焦げ茶色に染めた髪を整え、ぴっしりとスーツを着ていたのである。


居心地の悪そうな顔をしていたため、新理はすかさずにやりと口角を上げた。



「藤本先輩、それ仮装ですか?1人ハロウィンにはまだ時期が早いですよ」


「茶化すな。履歴書の写真撮影ついでにスーツ着てきたんだよ」



藤本はうんざりしたような顔でスーツの上着を脱ぐと、すかさずネクタイを外した。



「あーあ、暑いしスーツなんて着てらんねぇよ」


「履歴書の証明写真ってスーツじゃないと駄目なんですか?」


「まぁそれが無難だろうからそうしただけ。

職種によっては面接で私服ってとこもあるけど」


「へぇ。いいですね、私服」


「それはそれで色々考えるだろうけどな。

あーあ!就活ダリィ!人材不足とか言いながら仕事決まらないなんて変だよな。早く終わりてぇ!」



藤本は声を荒げながら上着にネクタイ、リュックをテーブルの上へ乱雑に置き、椅子に腰掛けた。


いつぞや昨年までサークル部長を引き受けていた田渕たぶちが今の藤本と似たような事をぼやいていた事を新理は思い出していた。


そもそも藤本が卒業できるかどうか分からない。彼は“卒論”という言葉をどこかに忘れてしまっているらしい。しかし、今は忘れていたいだけなのかもしれない、と新理は思う事にした。


ふとテーブルを見ると、リュックのポケットからは履歴書に貼る証明写真が覗いている。


新理は写真を手に取りまじまじと見つめる。

水色の壁紙を背にし、真面目そうに微笑む彼はとても藤本には思えず違和感しかなかった。



「海外では履歴書の証明写真がないって聞きますけど、本当なんですか?」


「企業は応募者を差別してはいけない、特定の募集をしている役職の為に性別、年齢、出身等を求めてはいけない、とか色々と決まりがあるからな。日本は撮らないと駄目」



就活に関する指南を軽く受け、新理は再度写真に目を落とした。


ふと、大きな黒い目に、赤い唇、ほっそりとした首元の黒髪の女性――片城かたしろ椿つばきの顔が頭によぎった。



「……金髪の藤本先輩としか会った事のない人は、きっとこの写真の人と同一人物だとは思わないでしょうね」


「なんだよ急に。悪口かよ」


「いや、自分の存在の証明って難しいなと」



ぼんやりと呟く新理の横顔を見ながら藤本は首を捻った。


すると部室の外から軽やかな足音が聞こえ扉が開く。



「あ、先輩方いたんですね。こんにちは」



藤本と新理が暇を持て余していると、サークルの後輩である川島かわしまが現れた。


つるりとした黒髪のボブカットにオレンジ色のインナーカラーがよく似合っている。


藤本が椅子に座ったまま、くるくると回り、川島へ挨拶を交わした。



「よ、川島。元気?」



川島は藤本の井出立ちに、まるで異形の者を見るような目で上から下までじろりと見つめた。



「驚いた。藤本先輩、卒業できるんですか?まぁ私のことは気にせず話の続きをして下さって結構ですよ」



川島は軽く頭を下げ、はっきりとした声色でそう言い2人を素通りすると、棚に何百と並ぶ部誌の前へ立った。


新理が触れなかった“卒業”というワードをいとも簡単に出せてしまう川島は流石である。


彼女が部誌を吟味する姿をしばし眺め、新理は改めて藤本の方へ向き直る。



「そういえばこの間ちょっとした噂を聞いたんですけど、どうやら近くに男の霊が現れる場所があるらしいですよ」


「なんだそのざっくりとした話は。酷すぎる。面白くもないし」



藤本は椅子にもたれかかりながら腕を組んで口を尖らせた。



「続きを聞いてくださいよ。それが現れる場所が結構特殊で」


「どこだよ?」


「都内のでかい駅付近にある証明写真の機械の中です」


「じゃあ心霊写真が撮れるかもしれないってことか!?」



途端に藤本は目を輝かせながら身を乗り出した。

彼は心霊写真を撮ることに大学生活の全てを注いでいると言っても過言ではない。


しかしそんな藤本の問いに対し、新理は首を横に振った。



「それが写ったことはないらしいんです」


「証明写真の機械の中にいるのに?」


「そうなんですよ。何故なのか、知りたくないですか?」


「うーん……それ確かな噂か?写ってないのに噂になるか?まぁ気になるけど……」


「ええ、確かな筋、だと思いますけど……」



藤本は暫くうーんと唸ると「よし」と顔を上げた。



「じゃあ今から確かめに行こうぜ!

今日はもう暇だし」


「今から行くんですか!?」


「当たり前だろ。思い立ったら即行動が俺のモットーだ」



藤本は嬉しそうに新理に笑いかける。

彼の困ったモットーについては一旦無視する事にした。



「でも、幽霊が現れる証明写真機は数ある中のどれか一つで、あの駅周りには数えきれないほどありますよ。

今日は高橋たかはし中岡なかおかもいないし、徹夜で幽霊探しするんですか?」


「じゃあ、あいつも誘うか」



藤本は新理のその言葉に耳を貸さず、棚の前にいる川島を指差した。



「川島は来ないんじゃないですかね……」


「なぁ、川島も来る?

これから俺たちで“証明写真機の幽霊”探しに、でかい駅に行くんだけど。

暇だろ?」



しかし、新理が最後まで言葉を言う前に藤本が声をかけた。

しかもかなり失礼な誘い方である。



「行きません。暇じゃないんです」



川島は眉間にしわをよせて藤本を睨んだ。



*



都内某所駅前。


暫く部室で話し込んでいた為、2人が部室を出る頃には日が沈み掛けていた。


帰りがけ、新理が川島に鍵を託した時も彼女の顔は怖かった。



「ここから2人で探すんですか?」


「勿論。これを見ろ」



藤本がスマートフォンの画面を新理に向ける。

画面を覗き込むと、そこには地図が出されており、地図上にはいくつものピンが立てられていた。



「証明写真機マップだ。お前も来年お世話になるだろう」


「こんな便利なものがあるんですね」


「これを見ながらしらみ潰しに探すぞ。俺は西口。香田は東口に行け」


「東口の方が数が多いじゃないですか!」


「不完全な状態の証明写真機にいる幽霊の話を持ち込んだのはお前だ。文句を言うな」



藤本の言う通りであり、新理は不満げな顔をしつつも了承した。



*



噂の“証明写真機の幽霊”を探し始めて30分ほどが経過した頃。

辺りはやや薄暗いが、人々の喧騒が渦巻いていた。

上京して3年。人混みは未だに少し苦手である。


駅付近の証明写真機は探し尽くした為、新理は駅から少し離れた場所へ向かう事にした。


10分弱ほど歩くと静かな住宅街に行き着いた。

地図を見ると、この付近にぽつんとひとつ。証明写真機が存在している事がわかる。

思わず早歩きになりながら道を左に曲がる。


薄暗い道に、等間隔の街灯と煌々と光る証明写真機がそこに佇んでいた。


汗ばんだ肌に冷たい夜風が当たる。


証明写真機に近寄ると、カーテンの隙間から先客の足が見える。


黒いスラックスと革靴。

椅子に座っているところを見るに、撮影をしているのであろう。


しかし、証明写真機と新理の距離が1メートルもないにもかかわらず、シャッター音はおろか音声案内すら聞こえない。


煌々と光る証明写真機をもう一度見て、彼は恐る恐る息を吸い込みカーテン越しに声をかける。



「あのー……すみません。

次に使いたいんですけど、すぐに出られそうですか?」



十数秒の沈黙。

声をかけたにも関わらず、返事もないどころか中にいる人物は微動だにしない。



まさか、意識がない?



そう考えた途端、ぶわっと嫌な汗が彼の手のひらに滲んだ。

新理は最悪の事態を想定し、意を決してカーテンを握りしめる。

深く息を吸い、勢いよくカーテンを開ける。


そこには男がいた。

正確には――上半身のない、男の腰から下のみがそこにいた。


腰から上は薄くぼんやりと上に向かってグラデーションがかかっているようだった。


男は撮影台の方向を向いたまま静かに座っている。


思わぬ状況に、新理は言葉を失った。

ぞわりと彼の背筋に、先ほどとは違った嫌な感覚が走る。


気分の悪さと目眩めまいのような感覚に襲われ、平衡感覚を失いその場に膝をつく。

こんな時に限って周りに人気がない。


新理はどうにかポケットからスマホを取り出したが、何故か電波がない。

上手く息ができなくなり、目眩のせいか視界が暗くなってゆく。


遠くから懐かしい声が聞こえた。




新理くん




「……ふ……かせ……」




起きて




うずくまって足元を見た瞬間、黒い影が揺らめいていた。



「部長!」



背後から大きな声が聞こえる。


すると突然体が軽くなり、新理は息を大きく吸いすぎて咳き込んでしまった。

急いで目の前の椅子を見ると、いつの間にか男はいなくなっていた。



「大丈夫ですか!?」



新理の様子に気がついたのか、川島がすぐさま駆け寄り心配そうに覗き込む。



「川島……なんでここにいるの……?」


「藤本先輩から連絡があったんですよ!部長が東口にいるって……。

でも部長にいくら連絡しても返事がないから、

もしかして遠くに行ったんじゃないかって……それで……」



川島は潤んだ瞳で言葉を絞り出すように話す。


そんな川島をよそに、新理はその場で呼吸を整えながら「そうか」と呟いた。



「下半身しかないから、写真には映らないのか……」


「……は?」



新理はそう呟くと、その場に座り込んで大きく息を吐いた。



*



「……と、いうわけで。下半身だけの幽霊でしたよ」


「すごい。見つけられたんだね」



数日後、午後のサークル部室にて古都研究会OGである椿つばきと共に先日の“証明写真機の幽霊”の話をしていた。


今日も彼女は白いワンピース姿。

ほっそりとした首に、黒髪のショートカット。

連絡もなしにふらりと部室に来ては去っていく。不思議な人物である。



「上半身がない、なんて不思議。

何か理由があるのかな?」



そう呟く彼女はどこか楽しげであった。


ふと、新理は数日前の出来事を思い出す。


あんな時、どうしても助けてほしい時。

彼には一番に頭に浮かぶ人物がいる。



『新理くん

起きて』



懐かしい。あの夏の光景。

小さな幼馴染の少女の姿。


あの日も深瀬に助けられた。

でも――――何故あの時の光景が浮かぶのだろうか。



「――新理君?」


「はいっ」



首を傾げた椿が、新理の顔の目の前にいた。

彼女はじっと彼の目を見る。



「今、他の女の子の事考えてたでしょう」


「え!?なんで……」


「あれ、本当なんだ」



椿はニコニコと笑い目を細めた。

新理は顔を赤らめて顔を背ける。



「違いますよ。幼馴染の事を思い出していただけです」


「どういう事?」



自分が困っている時に相談にのってもらったり、助けてもらったり。はたまた窮地に陥った際は彼女の昔の姿を思い出す――なんて、あまりにも不恰好で言えるわけがなかった。



「まぁ、今回もなんとか無事に帰って来れたのでよかったですよ」


「本当に?

本当に帰って来れたと思う?」



新理が正面を見ると、にこやかに笑えど冷たい瞳をした椿がそこにいた。



「ここが今までいた世界とよく似た別の世界にいたら、どうやってそれを確かめるの?」



新理が言葉にならない声を吐くと、彼女は言葉を続けた。



「きっとその片鱗はどこかにある。でも探すのはとても困難なの。

自分が思ってもみないところにあったりする」



彼女は頬杖をついたまま、するすると言葉を紡ぐ。

新理は顔が強張って上手く反応が返せない。



「それとも、変わってしまったのは自分かも。

あなたは本当にこの間と同じ、“香田新理”だって、確かな自信を持って言える?」


「……それは……」



「ね、存在の証明ってとっても難しいと思わない?

新理君」



椿はそう言い、再度ゆっくりと目を細めた。


新理は“証明写真機の幽霊”であろう、上半身のみの男を思い出した。

ぞわりと背筋に嫌な感覚が這い、生唾を飲み込んだ。



「冗談だよ。そんなに怖い顔しないで!」



椿は冷たい表情から一転、屈託のない笑顔で笑った。



「もしかしたら、自分が誰なのか、どこに存在しているのか分からなくなった時、彼みたいになっちゃうのかもね」



椿は再度「冗談だよ」と微笑む。

しかし、どこか説得力のある言葉だと、新理は感じざるを得なかった。




証明写真 end

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