秘密基地

30 秘密基地


大学2年生 2月 新理



廃ビルから、子供の声がする。


そんな話を耳にしたのは、とある講義での手伝い途中にたまたま教授から話されたからである。


資料の入った段ボールを運びながら、香田こうだ新理しんりは不思議そうな顔で教授の顔を見た。



「何で急にそんな話を?」


「だって藤本ふじもと君と仲がいいんでしょ?」



藤本とは、新理の所属する古都こと研究会けんきゅうかいサークルの先輩部員であり、大学内でも一際目立つ存在でもある。彼は“いわくつき”の場所を巡るのが趣味で、いわゆる“心霊現象”が大好物。新理が心霊現象を目撃したという話を聞きつけて、幽霊部員であったサークルにここ最近は顔を頻繁に出している。


どうやら彼は、大学の講師陣内でも有名のようだ。



「君もこういう話好きなのかな、と思ってさ」


「ええ、もう、とても興味がありますよ」



新理はその言葉に笑顔で頷くと、歩きながら教授は話を続けた。



「その近隣では有名な話だったんだよ。

廃ビルになる前、ビルの建設途中に女の子が入り込む事故が起きたんだ。事故の後は何事もなかったかのようにビルは綺麗になってテナントも入ったんだけど、すぐに畳んでしまう。それが何度か繰り返されて……その後からだよ。『ビルの中で子供の声がする』って噂が囁かれ始めたのは」


「その……事故っていうのは……」



新理が教授の顔を覗き込みながらそう聞くと「落下事故」と彼は言った。



「いつ頃の話ですか?」


「うーん……いつ頃……もう50年前にはなるかな……

私が子供の頃からの話だから、今でも噂があるかどうか、私にもわからないんだけどね」



50年。半世紀。

その年数に思わず新理は目を丸くさせた。



「調べたら、噂の出どころとか色々出てきますかね?」


「どうかな〜……かなり昔の話だからね。新聞とかじゃないと難しいかもね。

周りの風景も変わったし、外から見ると何てことはない廃ビルだし……あ、ビル自体はまだ残ってるはずだから、建物の大体の場所なら教えてあげるよ」


「いいんですか!?」


「大分うろ覚えだけどね。

目印になる建物くらいはメモしておこう」



新理は思わず歓喜の声を上げた。

すると丁度教授の研究室に到着し、手に持っていたダンボールを机の上に置いた。


教授は本の上に置かれていたプリントの裏に簡単な地図と近い住所のメモを記し、新理に手渡した。かに思えたが、新理が手に取る前にメモをさっと取り上げ、顎に手を当てた。



「でもここ、かなり危ないから……古い場所だし。怪我とかされると困るんだよねぇ。私のせいにされちゃうかもだし。特に藤本君に言われるのはちょっとなぁ……」



教授はわざとらしくばつが悪そうに呟くと、ちらりと新理の顔を見た。



「怪我には細心の注意をはらいますし、先生が教えてくれたと大学内で言いふらしません。特に藤本先輩には絶対に教えません。俺の興味本位で調べるだけです」



つらつらと新理が口上を述べると、教授はとても良い笑顔でメモを手渡した。



「ありがとうございます」



教授は振り返らずに机の上で探し物をしながら軽く手を振り、新理は廊下へ出た。


メモの文字はやや走り書きのようではあるが達筆で、地図もそれなりにわかりやすい。住所は都内だった。


ふと、新理は先ほどの自信の口上を思い出す。



『怪我には細心の注意をはらいますし、先生が教えてくれたと大学内で言いふらしません。特に藤本先輩には絶対に教えません。俺の興味本位で調べるだけです』



腕を組み、「しまった」と呟く。

つまり“何かあっても自己責任”ということになってしまったのである。


新理は一時いっとき間を置いて、短いため息を吐くと、例の彼女へ連絡をした。



*



数日後、快晴の午後。


晴れて日差しもあるとはいえ、まだまだ気温や風は冷たく、足元をじんと冷やす。

寒さが最も苦手な新理は、駅の支柱の影でどうにかやり過ごしていた。


彼はとある女性を待っている。

両手を首に当て冷えた手を温めていると、人影が現れた。



「ごめん、ちょっと遅くなったね」



新理が顔を上げると、目の前にすらりとした彼女が現れた。


今日の彼女は黒いブーツとスキニージーンズ、丈の短い白のダウンを着ている。

整った顔立ちに、大きな琥珀色の目。印象的な右目の下のほくろ。指通りの良さそうな薄茶色の髪の毛をなびかせた彼女はどこにいても目を引く。



「寒かったでしょ?」



新理がぼんやりと彼女を眺めていると、急に彼女が心配そうに屈み、さらりと髪が肩から流れた。

心臓が弾み、新理は勢いよく立ち上がる。



「いやっ、10分くらいしか待ってないよ」


「そう?」



幼馴染の深瀬ふかせあきらはゆっくりと立ち上がり首を傾げた。


彼女はただの幼馴染ではない。霊的な“予感”を察知できる不思議な能力があるのだ。

新理が危険そうな場所へ赴く際は、何かと彼女に注意されるのがお決まりなのだが、今回は少し違った。



「それじゃ、行こっか」


「うん」



彼女がついてくるという驚きと嬉しさに(不謹慎ながら)新理は胸を弾ませ、こくりと頷き、2人は目的地へ向かって歩き始めた。


目的地は例の廃ビル。駅から10分か15分ほど歩けば着くようだ。

晶は隣県の大学に通っており、ここへ来るのに40分以上かかったと彼女は話した。



「それで、ビルや噂について何かわかった?」



彼女の陶器のような肌と横顔に見惚れていると、大きな目が新理の方へ向き、彼は驚いてやや狼狽えた。



「ああ、えっと、うん。

まぁ少しだけだけど」



新理は自身が調べたメモと写真をスマホに表示し読み始めた。


都内S区M町。2月23日19時頃、建設途中のビルにて小学4年生の女の子の遺体が発見された。遺体は施錠確認に来た作業員によって発見され、身元は持ち物のランドセルから確認された。女の子は町内の小学校に通っており、ビル内部の壁が抜けていた3階から強風に煽られた為、足を滑らせて転落したものと思われる。現場からは作業員と子供の足跡が複数あり、その中から女の子のものと思われる足跡も見つかっている。近頃、子供がビルに出入りしているとの報告が相次ぎ、作業員が施錠の確認をしていたところでの事故であった。



「――って50年前の新聞記事には載ってた。M町っていうのは昔の呼び方で、今は別の名前になってる。それが今向かってる住所だよ。ちなみにオカルト系のサイトには情報がひとつもなかった。認知度はかなり低いんじゃないかな。教授の言う通り、近隣だけで噂されてるのかも」


「かなり昔なのに、よく調べたね。すごい」


「でしょ?」



誉められた新理は得意げに腕を組む。


いつもならそこまで詳しくは調べずに訪れる事が多いのだが(基本情報は藤本が持ってくることが多い為)、今回は晶が同行するとのことで念入りに調べていた。

ちなみにほとんど男世帯で赴くので毎回ややテンション低めだが、今日はかなり浮かれている。



「教授との約束、破ってるけどね」


「“大学内”では話してないから!

深瀬は大学外!だからいいの!これはセーフでしょ?」



新理の必死な弁明に思わず晶は吹き出して笑い、彼もつられて笑顔になった。



*



10分ほど道を歩き続けると、特に何の変哲もない車通りの多い大きな道に、住宅や企業のビルが点々と並ぶ場所にたどり着いた。道沿いに置かれた花壇、コンビニや綺麗なカフェ、花屋などもあり、見た目はごく普通の通りである。



「この辺みたいだけど」



新理がそう言いながら辺りを見回すと、晶が彼の上着の袖を軽く引っ張る。

晶の目線の先を見ると、数十メートル先に古ぼけて蔦の絡んだ建物が見えた。



「お、あれかな!?

意外と建物に溶け込んでて気が付かなかった。

さすが深瀬」


「それはどーも。

案外壊されないまま残ってるもんなんだね」



建物の前で晶が立ち止まり、じっと中を見る。

そんな彼女を新理が追い越し中へ入ろうとすると、晶は再度彼上着の袖を引いた。



「どうしたの?」


「危ないよ、ほらあれ」



晶が指差した先には、掠れた文字で“立ち入り禁止、足元危険、崩落注意”と表記されている古い看板があった。


新理は、突然足元に穴が開き落下する想像をしてしまい、顔を青ざめさせる。



「……気をつけていこう!」


「怖いならやめといたら?」


「いや、行こう!」



危険より好奇心が勝り新理は前に進む。


建物内は静まり返り、時折風が通り過ぎる音が木霊する。広い建物内は何もないが風を通さない為か少し温かく感じ、上を見上げると外に絡まっていた蔦が、ガラスの抜けた窓から内側に浸食してきているのがわかる。


床に落ちているものといえば、時折ガラスが散乱しているものの他は砂と砂利程度だった。

辺りに腐食部分は無く、50年前から存在しているコンクリート造りのビルは思ったよりも頑丈そうである。


3階へ上る為の階段を見つけ、新理が恐る恐る一段上がる。

晶の方へ振り返りVサインを送ると、彼女は下がり眉で笑い、2人はゆっくりと登ってゆく。



「足元気をつけてね」



気遣うつもりが、先に彼女に言われてしまった。



「そういえば今回はなんで一緒に来てくれたの?

悪い予感はなかったんでしょ?」



事前に連絡した際しつこく晶に予感を尋ねると、今回はそのようなものはないとの判断だった。

新理がそう聞くと、彼女は「まぁね」と言い、短く息を吐いた。



「新理君、高いところ少し苦手でしょ?

だからついてきたの」



苦手なことを覚えられていて、嬉しいような恥ずかしいような何ともいえない気持ちで、新理は肩をすくめた。



「――それに呼ばれた気がしたから」


「え?」


「それより、その教授は昔この辺に住んでたの?」



晶は教授のメモに目を落としながらわかりやすく話を逸らしたが、新理は深く考えず彼女の質問に答えた。



「ああ……確かに自分が子供の頃って言ってたしなぁ。

昔は両親が転勤族で、住んでた場所は基本マンションだったらしいよ。今は全然別の場所に奥さんと一軒家に住んでるはず」


「随分と詳しいね」


「前にゼミの飲み会終わりに先生が話してたの思い出した」


「それ以来この辺には来てないのかな?」


「昔の事でほとんど覚えてないって感じだったから来てなさそうだけど……どうして?」



晶はメモをじっと見たまま会話を続ける。



「……地図に描いてある、目印がかなり正確なの」


「昔からあったものじゃなくて?」


「新理君知ってた?

途中にあった花屋さん、先月にオープンしたばっかりなんだって。通り過ぎた時、店頭にそう書いてあった」



丁度3階へ到着した所で、晶のその言葉に新理は思わず足を止め、彼女の方へ振り返った。


教授のメモには、“花屋”の文字がはっきりとあった事を、新理も覚えている。



「……それじゃあ、先生は少なくとも先月にはこの辺に来てる事は確実ってこと?」


「このメモを見る限りでは、そう思える。

前のお店も、花屋さんじゃなければの話だけど」


「でも、じゃあなんで……うろ覚えだなんて……」



『子供の頃からの話だから、今でも噂があるかどうか、私にもわからないんだけどね』



「……なんでそんな話を……俺に……?」



狼狽える新理を見て、晶が口をゆっくりと開いた瞬間、大きな風の音が建物内に響いた。

2人は驚いて上を見上げた後、辺りを見回した。


それは子供の笑い声にも似た音で、まるで彼らをからかっているようだった。


笑い声に似た冷たい風が通り過ぎ、新理は晶を見る。

すると彼女は彼に目もくれず、横を通りすぎた。



「ねぇ、あれなんだと思う?」



新理は晶を目で追うが、彼女は3階の廊下の突き当たりを見据え、新理を置いて真っ直ぐに向かって歩いて行く。向かった先の壁には、うっすらとシミが浮かんでいる。


そしてよく見ると、それは小さな手形であることがわかった。

右手が2つ、仲良く並んでいる。



「手形だ……。

なんでこんなところにあるんだろう」



新理が壁をまじまじと見ると、晶が突然新理の腕を握った。



「何?深瀬――」



彼女の方を見る前に、視界に何かが映った。


突き当たりの部屋の奥に、黒い影が立っていた。

新理は驚いて目を見開き、体が強張る。


しかし、いつものあの嫌な感覚がない。

足元から背筋へ這うような嫌な感覚と、気分の悪さ。


この感覚は――――安堵感と物悲しさ。

“彼ら”を目の前にして、こんな事は初めてだった。


よく見ると影は小さい。新理や晶、それよりももっと小さい人型だった。



『建設途中のビルにて小学4年生の女の子の――』



新理の脳裏に、新聞記事の内容が浮かぶ。

顔を上げると、影は抜けた壁を背にし揺れている。


小さな影は暫く揺れると、するりと糸のようにほどけて消えてしまった。

暫くの沈黙の後、新理が口を開く。



「……今の……見た?

深瀬、黒い影が……」


「『もう忘れてもいい』って」



呟くようなその声に新理は驚いて晶の方を見ると、彼女は他人事のような、されど悲しそうな、とても複雑な顔をしていた。



「……忘れてもいいって、一体何を?」


「大切な場所での思い出は楽しいものの方がいいって、そう思わない?」



すると、自身の頬になにかが伝うのを感じ、新理は頬を拭う。

それは涙だった。



「え!?涙!?なんで!?」



狼狽える新理に対して、晶はゆっくりと腕を離すと、バックからハンカチを出し困ったように微笑んだ。



「そう伝えてあげて、新理君」



晶にそう言われ、やっと新理は『忘れてもいい』という言葉をあの小さな影が言った事だと理解した。


新理へハンカチを手渡すと、晶は影が揺れていた場所を見つめた。


風の音が建物に響き、微かに気温が下がった気がした。



*



週明け、新理は例の教授に頼まれて本棚の整理を手伝っていた。



「悪いね香田君。

気がつくと本を机に積んでしまう癖があってね。奥さんにも治すように言われているんだけど、なかなか治らないんだなこれが」


「いえ、お安い御用ですよ。

俺暇なんで」



他愛もない会話をしながら一冊ずつ本を元に戻してゆく。



「先生」


「はい?」


「俺、例のあのビルにこないだ行きましたよ。

びっくり!子供の笑い声がしたんです。……でもそれは、ただの大きな風の音だったんですよ。建物内に反響してそう聞こえたみたいで。もしかしたら近隣の人はそれを噂していたのかもしれないです」



新理がそう話すと教授は一瞬動きを止めたが、またいつものように探し物を始めた。



「ふぅん、そうなの。それで終わり?」



興味がなさそうないつも通りの後ろ姿。



「ええ、まぁそうなんですけど。

それで、あの『もう忘れてもいい』そうです」



彼は、ぴたりと動きを止めた。



「……そう」



教授はそれ以上何も言わず、新理も無言で本を戻し続けた。


最後の本を納め、新理は軽く会釈をして部屋を後にする。



「それじゃあ、俺はこれで」



新理が部屋を出ようとすると、教授が口を開いた。



「秘密基地だった」


「え?」


「あそこは、秘密基地だった。

小さな女の子と男の子、2人だけのだ。

手形もつけた。この先何があっても、この場所の思い出を絶対に忘れないでいようと」



新理は教授の後ろ姿を眺めたまま立ちつくす。



「たくさんの時間を、秘密基地で過ごした。お菓子を食べたり、ゲームをしたり、喧嘩もした。すぐに仲直りしたけれど」



教授は手に持っていた本をゆっくりと置いた。



「約束をしていたんだ。その子の誕生日に、秘密基地でお祝いしようとね。

でも、彼はすっかり忘れいた。思い出して外へ出た時、もう空は薄暗くなり始めていて急いで向かった。だけど、そこには一台の救急車と数台のパトカーと人だかりでいっぱいで」



教授の肩は少し震えている。



「何度もあの場所に赴いては、謝った。謝りきれなかった。

彼が、約束を破らなければ、彼女は……」



消えいるような声に思わず新理が口を開いた。



「大切な場所の思い出は、楽しい方がいいと思います」



新理ははっとした。今自分が言った言葉は晶が言っていた言葉、そのままだったからである。



「――その、辛かったことより、楽しい事を覚えていた方がその子達も、きっと……」



教授は横目で新理を見ると、長く細い息を吐いた。



「……悪かったね。

確認をさせるような真似をして」


「いえ、そんな……」


「ありがとう」



彼はそれ以上は何も言わず、新理も静かに部屋を出た。


今日は2月23日。それは、あの女の子の誕生日。


あの時、新理が涙を流した時。感じたのは温かな安堵感だった。

あの子は、伝える事ができて安心できたのだろうか。



『そう伝えてあげて』



その“声”は晶にだけ聞こえたらしい。


突き当たりの壁にあった小さな2つの手形と、晶の横顔を思い出し、新理はほんの少しだけ寂しくなった。



秘密基地 end

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

季祈異聞奇譚 粉川航畄 @wawawawamozuku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ