廃校舎

17 廃校舎


大学2年生 初霜 新理



夕方4時44分に学校のトイレの前にある大きな姿見の前に1人で立つと、そこに知らない人物が映り、目があったものはあちら側へ連れて行かれてしまうという。


そんな怪談が、自身が昔通っていた小学校にあったことを香田新理こうだしんりは思い出した。



「香田、懐中電灯は持ったか?」



藤本ふじもとが、寒さに肩を縮こまらせた新理の方へ勢いよく振り返り、持ち物の確認をした。新理は大きな懐中電灯のスイッチを親指で何度か押すが、電気はつきそうにない。



「これ、つきませんよ。

電池が切れているんじゃないですか」


「えぇ?嘘だろ?」



藤本が呑気に懐中電灯の電池を探す中、新理はどこからともなく吹く冷たい夜風から身を守るように、車の陰へ隠れた。


11月上旬、冬とまでは行かないが、人気のない山奥は風が吹き荒れ、寒さに弱い新理にとって十分に脅威になりえた。「何もこんな寒い時期に来なくとも」と新理は苦言を呈したが、彼らはこれから就活に本腰を入れるそうで、これが最後になるかもしれないと特に藤本は息を巻いていた。


今回もいつものメンバー、藤本のテニサーの友人達(秋山あきやま後藤ごとう向井むかい)と、藤本企画の心霊スポット巡りで20年以上前に廃校となった小学校に訪れていた。


山中にひっそりと佇むこの学校は付近に住む小学生が通っており、学校へ続く通り道には元は人が住んでいた形跡があった。少子化の影響で廃校になったと言われているが、学校に勤めていたある若い教員が当直室で自殺し、それが原因で廃校となったと噂されている。その噂の信憑性を裏付けるかのように、あったはずの当直室は不自然に跡形あとかたもなく壊されているらしい。以来、この廃校では夜中に男の幽霊が出ると噂がたった。



「よし、これで使えるな。

新品の電池だから、光が明るいぞ」



藤本は懐中電灯を新理に手渡すと、後部座席のドアを開けた



「後藤!休憩は終わりだ!起きろ!」


「さっきから起こしてるんだけど……全然起きないや」



肩を揺する向井が眉を下げた。後藤は行きの運転を担うと、到着後10分程度仮眠を取ると言い後部座席で横になった。隣にいる向井の気苦労も知らず、完全に眠ってしまったようである。



「こいつ、心霊スポットに来ると大体寝てるなぁ」


「秋山、お前も人のこと言えないからな」



藤本の隣で他人事のように呟く秋山に対し、藤本が言い放った。



*



早速、一行は後藤を除く4名で廃校舎に入る事となった。とはいえ1人減ったところでやることは変わりない。懐中電灯は新理、藤本、向井の3人が持ち、秋山は手ぶらである。


足元を照らし、開け放たれたままの昇降口へ足を踏み入れると、倉庫の中のような埃っぽい匂いが漂う。周囲は真っ暗だが、今夜は月が出ている為、反対側の窓からは一面の雑木林がよく見える。所々割れたガラスから蔦が伸び、足元には沢山の朽ちた葉が落ちていた。ヒビの入ったコンクリートからは雑草が生え、いかにもな廃校舎であった。藤本は「お邪魔します」と一言お辞儀をした。



「お、下駄箱に2年ってかいてある」


「奥は1年みたいだ」



入って右側の下駄箱に貼られたシールを向井が照らす。そこには確かに「2年」とあった。新理が左側の下駄箱を照らすと「3年」の表記が見えた。



「4年生から6年生の下駄箱がありませんね」


「ここは小学校と幼稚園が一緒になっていたらしい。

だから4、5、6年生はそっちに下駄箱があるんじゃねぇかな」


「一緒?それって、付属ってことですか?」


「かなり昔の学校だし、兄弟と一緒に登下校してたとかじゃないかな」



新理は成る程と数回頷いた。



「フジモン、この辺に校舎の案内板があるんだろ?」


「ああ、たしか壁にあるはず」


「やけに詳しいですね」


「全部ネット情報だけどな。違ったら俺が書き換えてやる」



藤本が玄関を上がり、辺りを懐中電灯を照らす。すると、左側の突き当たりに大きな姿見が綺麗な状態で壁にかけてあった。新理は先ほど思い出した鏡の怪談が頭をよぎり、顔を強張らせる。



「うおっびっくりした。何か動いたと思ったら俺かよ」


「フジモン、こっちにそれっぽいのがあるよ」



3人は鏡を横目に、向かいのいる方向へ踵を返す。


新理は足元にあった大きめの石に蹴躓けつまづき、よろけて秋山の背中に激突した。



「大丈夫かよ」


「す、すみません」


「別にいいよ。

それにしても窓は割れてるのに鏡は無事なんだな」



秋山は新理に笑いながらそう言った。


向井がライトで指し示した場所には、確かに案内板があった。しかし、月日と共に風化したのか、全体的にインクは色褪せて剥がれ落ち今や断片的にしかわからない。藤本が懐中電灯を向井に手渡すと、案内板を手に取った。



「こういうのは斜めにすると見えたりする……おっ!みえた!」



一同、藤本と案内板を照らしながら覗き込む。



「今いるのが東側昇降口。西側にもう一つ昇降口があって、北側中央が職員玄関みたいだ」


「当直室は?」


「ちょっと待てよ。今見つける……ん、どこだ?

あれ、ないぞ?」



藤本が困惑した声を上げる。



「ちゃんと探した?」


「フジモンの目が悪いんじゃねーの」


「はぁ?そんなわけあるか!」


「香田、フジモンの代わりに見て」


「1歳若いだけだろ!」



秋山に言われ、新理は藤本から受け取った色あせた案内板を斜めに見る。藤本がやったように案内板を斜めにすると、縁取ったような薄い文字が浮き出てくる。新理は隈なく探したが、確かに藤本の言うとおり当直室は見当たらなかった。



「当直室の文字は見当たらないですね」


「ほら!言ったとおりだろ」


「いばるな」


「でも、名前の表記されていない部屋が2つあります」



新理が指をさすと、秋山と向井、踏ん反り返った藤本も案内板を覗き込む。場所は北側中央職員玄関の横と、西側昇降口を通り過ぎた体育館へと続く渡り廊下の手前側。



「他には名前があるので、どっちかの可能性は高いと思いますよ」


「どっちも場所が離れてるな」


「1つずつ、見て回る?」


「いや、2手に分かれて探そう。

壊されていた方が、例の当直室だ」



藤本はにやりと口角を上げた。



*



グーとチョキの組み分けによって新理と向井、藤本と秋山に別れ、新理と向井は西側昇降口方面へ、藤本と秋山は北側中央職員玄関方面へ行く事となった。


2組は昇降口で別れると、新理は向井と早速探索へ向かう。真っ直ぐと長い廊下沿いに各教室が並んでいる。科学室、多目的室、家庭科調理室、図書室と白いペンキ塗りの板に筆文字で表記されていた。



「長い廊下だなぁ」



向井がそう言いながら奥の室名札を照らす。図書室の隣は1年生の教室のようだ。


先ほどの案内板で確認したところ、この学校は上から見ると長方形型になっているらしかった。目的地までは、廊下を真っ直ぐ進み突き当たりを右へ曲がる。そこからさらに真っ直ぐ進むとまもなく西側昇降口へ到着する。さらに進んだ場所に名前の表記されていない部屋は存在する。



「横、一列に教室が並んでいるんですね」


「本当だ。突き当たりまで教室が続いてる」


「昔の学校って感じがしますね」


「あ、反対側から懐中電灯の灯りが見える。でも、渡り廊下は使えそうにないね」



校舎の中間を真っ二つに割るように渡り廊下が配置され、反対側の校舎を繋いでいる。しかし、渡り廊下には通るものを拒む様に机が幾重にも重なっていた。



「藤本先輩達、向こうから出発してよかったですね」


「うん。……それにしても廃校舎って不気味だなぁ」



向井の言う通り、忘れ去られた校舎は不気味だった。そこまで目立った腐食はないものの、やはり所々から雑草や苔が生えている。2人は懐中電灯で道を照らし、取り留めのない会話をしながら当直室を探すために進んでゆく。隙間風と、揺れる窓枠、歩くたびに軋む床の音が廊下に響いていた。



*



藤本と秋山は新理達の歩く場所から反対側にいた。


2人は音楽室、視聴覚室、放送室、職員室を確認していく。



「職員室ってことは、職員玄関ももうすぐだな」


「お、あそこか?」



職員室を通り過ぎたあたりで、藤本が駆け出した。



「おい、フジモン。急に走るなよ。俺、懐中電灯持ってないんだから」


「ごめんごめん。ほら、ここ段差ある。これ靴箱だろ?」



藤本は2段の段差を降り、木の棚を照らした。



「本当だ。でも、さっき来た道に部屋に続く扉なんて……」



秋山の言葉を最後まで聞かず、藤本は外に周った。慌てて秋山が藤本の後を追い、外を見渡す。藤本は右手側に立ちすくんでいた。



「フジモン。そこって……」


「ああ」



藤本は何もない地面を照らす。案内図にあった記載のない部屋は確かに藤本の立つ目の前にある筈なのだが、部屋は見当たらない。しかし、懐中電灯に照らされた地面には、雑草と砂利に紛れて骨組みの様な物が残っているのが見えた。校舎側の壁を見ると、後から板を打ち付けた様な跡があることがわかる。



「あたりだ。当直室はここにあったんだ」


「本当に取り壊されてる……」


「写真でも撮っとくか」


「やめとけよ……」


「あ、その前にあいつらに連絡しておくか」



藤本がスマホに手をかけた瞬間、突如校舎の中から叫び声が響いた。



「うわああああぁ!」



藤本と秋山は顔を見合わせ、急いで校舎へ戻る。



「今の向井の叫び声だよな!」


「何かあったのか!?」



藤本は渡り廊下の方へ走った。向こう側からバタバタと足音が響くが、渡り廊下は机で封鎖されている。



「くそ、ここ通れねぇのかよ!」


「フジモン!戻った方が早い!」



秋山の呼びかけに藤本は頷き、2人は急いで来た道を引き返してゆく。



*



数分前、廊下を歩く新理と向井は、腐食によって倒れた屋根に阻まれていた。


2人は突き当たりを曲がったすぐ先にところで、やけに気温が下がったことに違和感を感じた。そして懐中電灯を向けると、屋根が落ち建物が斜めにひしゃげた姿を確認できた。隙間から昇降口が見えるが、通るのは難しそうだった。



「ここ、通れないね」


「雨漏りか何かで腐食したんでしょうか」


「そっかー……頑張れば通れそうだけど……危険だよね」



向井が懐中電灯で屋根を照らす。突然現れた外の空間から冷たい風が流れ込んでくる。新理は寒さに肩を震わせながらも向井の方へ近寄った。


すると、頭痛と共に耳鳴りが新理を襲い、思わず頭を抱えて足を止める。



「……痛っ」



新理の異変に気がついた向井も振り返り駆け寄った。



「香田?どうした、大丈夫?」



すると前方でパキッと木の枝を踏んだような音がした。


2人で目を合わせ、前方にゆっくりと下から光を当てる。


音の先に、白い裸足のようなものが見え、すぐに光を上へ移動させる。


白い服を着た青白い男性の姿がそこにあった。


服、と言うよりは、ぴったりとした肌着に近い薄さで、とてもこの時期にできる格好ではない。


そして、中でも異様だったのは、首である。


首は天井に伸び、あり得ないほど長く、透けているのか夜の闇のせいか、顔は全く見えない。


2人が全容を確認すると、男は一歩、また一歩と近づいてきた。


驚いて声の出ない新理に対し、向井が大声で叫んだ。



「うわああああぁ!」



向井は叫び声をあげると、懐中電灯を落とし後ろ向きに足を縺れさせ滑って転んだ。そのまま四つん這いになって数歩進むと、壁伝いにどうにか立ち上がって、情けなくよろよろと廊下を折り返し逃げてゆく。


一方で青白い体は新理の方へ少しずつ近寄ってくる。ぞわりと嫌な寒気が腕から頭皮へと伝わり、頭痛を気にせず新理も駆け出した。


遠くから向井の走る足音が聞こえ、後を追うように走る。しかし、転んだ筈の向井になかなか追いつかない。月が隠れてしまったのか辺りは暗く、懐中電灯で照らしてやっと道が見える程だった。曲がり角で肩をぶつけながらも、新理は必死に走る。後ろからゆっくりと、しかし確実に足音が近づいてくる。足取りは重く思うように進まない上に、頭痛と耳鳴りがどんどん酷くなってゆく。


暫く走り、チカッと遠くから懐中電灯の光が見えた。


新理は光に向かって全速力で走る。向井は懐中電灯を落としたので、きっと藤本達と合流したのだと安堵した。



「藤本先輩……!」



しかし、そこにいたのは藤本ではなく姿見に映った自分の姿だった。


そしてーーその背後に、首の長い青白い体が暗闇から浮かび上がる。新理が目を見開くと、懐中電灯が手から滑り落ちた。


突如、後頭部にガンっと衝撃が走る。



「香田!」



大声がその場に響き、新理は頭の衝撃でよろけ、その場に膝をつくと、背後から拳大の石が鏡に向かって勢いよくぶつかった。大きな音と共に、その衝撃で姿見は粉々に割れ、新理の足元に破片が散らばる。


唖然とした表情で新理が振り返ると、藤本が新理の腕をぐいっと引っ張り、立たせる。石を投擲とうてきしたのは藤本だったようだ。



「早く立て!帰るぞ!」


「はい……」


「秋山も車!」


「わ、わかった」



秋山は困惑した表情だったが、鬼気迫る勢いの藤本に気圧されるように車へと足早に走る。


車に乗り込むと、後部座席に震える向井と未だ眠る後藤、背中で息をする秋山の姿があった。



「全員乗ったな?車出すぞ!」



運転席に座った藤本がそう言うと、秋山が「ああ」と頷き、勢いよく車が発進した。



*



車中での会話はなく、あっという間に帰路についた。その頃には夜が明け、たまたま目についたファミレスのモーニングで一行はひと休みをしていた。


何度も謝る向井を宥める中、藤本はやけに心配をしてくるのだった。



「お前ら、大変だったな。スープ飲んで落ち着けよ」



良からぬことを考えているのか、はたまた何かに取り憑かれたのか、気味が悪くなった新理は、受け取ったスープを飲みながら藤本に質問をした。



「藤本先輩、どうしたんですか。

心配するだなんて……なんか変ですよ」


「はぁ?お前は失礼な奴だな!

心配してやっているのに!」



藤本は憤慨して腕を組んだ。隣に座る秋山がコーヒーを飲みながら語る。



「叫び声を聞いて、フジモンと一緒に来た道を戻ったんだ。

そしたら昇降口に向井が飛び出してきたんだよ。段差を忘れて転んでてさ」


「だって……俺、あんなのいるなんて……」



先ほどよりは落ち着いた向井は、汚れた膝をさすりながら肩を竦めた。



「驚きすぎだろ。車に連れて行く途中、お前震えて歩けてなかったし」



秋山の発言に藤本は片眉を上げる。



「いや、あれには誰でも驚くだろ!」



思わぬ藤本の発言に、新理は驚いて前のめりになった。



「何か視えたんですか?」


「当たり前だろ!

白い服を着た下半身丸出しのおっさんが、香田に詰め寄ってたんだぞ!どうにかしなきゃと思って、思わず石を投げたんだ!」



新理と向井、加えて秋山と後藤はそれを聞くなり目を丸くする。



「フジモン、違うよ!白い……青白い男がいたんだよ!」



今回、散々な目にあった向井は特に声を荒げて反発した。



「ええ?俺には下半身丸出しのおっさんにしか……てか顔は見えなかったし、てっきり2人とも変態に襲われたのかと……香田は!?どう見えた?」



確かにあの男の姿は青白く、服も薄手のものだったので、薄目で見れば変態に見えるかもしれないが……。



新理は少し呆れそうになりながらも、少し口角を上げて言った。



「向井先輩と同じです。……男の人でした」



首を吊った霊は、死後も首が長いままだと昔何かで読んだことがあった事を新理はふと思い出した。


そんな中、後藤は小首を傾げ、秋山は神妙な面持ちで話を聞いている。



「そうだ、秋山は?

お前はどう視えたんだよ」



秋山は全員の視線が集まった事を悟ると、噤んでいた口を開いた。



「白い人影ってことはわかったけど……ごめん、よく見てなかった」


「うっそだろ!?

じゃあ俺だけが変態を見たのかもしれないの?

下半身出てたと思ったんだけどなぁ」


「何も面白くないよ、俺、すげー怖かったんだよ!

香田を置いて行っちゃうしさぁ!」


「無事だったんで平気ですよ」



盛り上がる藤本に向井は怒り、真理と秋山は苦笑した。ただ1人、後藤だけは話についていけず天を仰いだ。



朝食を終え、トイレに向かった3人を除き、新理と秋山はテーブルに2人きりになった。


すると、秋山がおもむろに口を開いた。



「香田。お前、本当に見たの?」


「……え?」


「いや、疑ってるわけじゃないんだけど……

現実味がないっていうかさ」



先ほどから秋山が何を言いたいのか、新理にはわからなかった。


新理の困惑した表情に気がついたのか、秋山は頬杖を付きながら下を向いた。



「……俺には……何も。何も見えなかったよ。

フジモンの言う変態も、2人の言う白い男も」



その発言に新理は半ば呆然とし、秋山に詰め寄る。



「……でも、あの時秋山先輩は藤本先輩の後ろに……」


「フジモンが急に暗闇に向かって石を投げて、俺はとうとう気が触れたのかと思ったよ。で、鏡が割れる音がして……初めてそこに香田がいた事に気が付いたんだ」



秋山の声はかすかに震えている。



「だから今、すげー怖い」



秋山は冗談のように笑いながらそう言うと、腕を組んで体を縮めた。


新理は顔を強張らせた。秋山の言葉を聞き、あることに気がついたからである。



『白い服を着た下半身丸出しのおっさんが、香田に詰め寄ってたんだぞ!』


『白い……青白い男がいたんだよ!』


『何も見えなかったよ』



誰も、首が長いと言っていない。


藤本ではなく、もしや、自分こそが別のものを見たのでは?


では、なぜ自分だけ?



新理は秋山にもう一度聞こうと顔を上げる。しかし、彼は疲れきった表情で俯いていた。


新理は彼の様子を見て押し黙り、静かにテーブルの上のコーヒーの湯気を眺めた。



*



何事もなかったかのように、藤本は秋山とじゃれあいながらファミレスを出ると、一行は駅へと車を走らせる。


助手席に乗り込んだ新理は1人考えた。



あの時、鏡の前で新理は懐中電灯を落とした。


かなり大きな音が廊下に響き渡ったーー筈なのだ。


転んだ筈の向井に追いつかない。

月が出ていた筈なのに、不自然なほど暗い風景。

光で照らしてやっと見える道。

重い足取り。


まるでどこか別の場所に、自分だけ迷いこんでしまったかのような。


『鏡が割れる音がして……

初めてそこに香田がいた事に気が付いたんだ 』



ぞっとして、ふと昔聞いた晶と仲村の言葉を交互に思い出す。



『“あっち側”の領分へむやみやたらと介入しちゃいけないんだよ』


『一度“あちら側”に引き込まれてしまうとね、

戻ってくることはとても困難なんだ』


『ありがとね。話聞いてくれて』


『君達も十分に気をつけるんだよ』



あの時、鏡に一瞬映ったのはーー見覚えのある、黒い影。



『その人を覚えている人がここにいるのなら、

あるいは、また会うことがーー』



新理はそれ以上考えることをやめ、ぎゅっと強く目を閉じてシートベルトを握りしめた。



あの日以来、新理たちはあの場所には訪れていない。


腐食によって崩れる危険性が高まった為、暫くして廃校舎は解体されてしまったと噂で聞いたのだ。


彷徨っていたあの青白い男も、なぜ藤本と向井見たものが違かったのかは謎のままである。




廃校舎 end

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