16 蛍


大学2年生 夏休み初頭 新理



2度目の夏休みの始め頃。


香田新理こうだしんりは大学のサークル部室でぼんやりとしていた。先日のサッカーサークルの練習試合で捻挫をした為、安静にしているわけではない。


ふとどこかのサークルから聞こえる笑い声に耳を傾け、青い空を眺めながら彼は大きくあくびをする。


つい数週間前、近県の山奥の“トンネル”で散々な目にあったことがまるで夢のように毎日が平穏に過ぎてゆく。


あの後、幼馴染の深瀬晶ふかせあきらに「今夏はおとなしくしているように」と釘を刺され、彼は言う通りおとなしく過ごそうと決めた。


なにしろ、毎度の騒ぎの発起人、サークルの上級生藤本ふじもとがいないからである。


“トンネル”での出来事が、彼の親と親類の勘気かんき(とは大げさだが注意レベル)をこうむり、藤本はその親類の住む寺で夏中は雑用をする事となった。


先週部室に現れた際、同情の言葉を新理が投げかけると、



「おいおい、俺が行く場所は寺だぞ?何が起きるか楽しみでしょうがねぇよ」



とのことだったので、彼は藤本に心配する事をやめた。


とはいえいつもの新理なら、また厄介事や面倒事に平気で首を突っ込もうとするのだが、あの泣きそうな顔を晶にさせたくはないと思ったのだ。



「暇そうだな」



斜め向かいにいる中岡なかおかがパソコンで作業をしながら新理に声をかけてきた。中岡は今日も猫背で髪が肩につく程長い。



「いや、まぁ暇ではないんだけどさ、今年の部誌何にしようかなーって」


「ああ、そういえばそんな季節だな。去年と同じテーマにしないのか?」



彼らの所属する古都研究会ことけんきゅうかいでは毎年1回、自身の興味のある分野をまとめた部誌を制作している。昔は冊子が多かったようだが、近年では模型やデータ媒体の(主に中岡が作成している)物もある。昨年、新理は大学内の怪談をテーマにした冊子を制作し、藤本には大変喜ばれたのだった。



「大学内の怪談のネタはもうないよ」


「こないだ、真夜中の講堂で白い大勢の人影が見えるって話を聞いたな。だからか知らないけど、この大学幽霊が出るって一部の界隈で有名になってるらしい」


「マジで?」



増え続けては消えてゆく。まるで泡沫うたかたのような怪談を囁く根源はまぎれもなく藤本であり、その中には本人すら知らないものまで紛れ込んでいる始末で、今やどれが本物で嘘なのか本人にもわからないらしい。彼はこの大学を一体どうしたいのだろうか。果ては幽霊で溢れさせたいのかもしれないが、新理にすらその真意は不明であった。


そんなことを考えていた最中、新理のスマホにメッセージが届いた。



バイトしない?少し遠出だから、ご飯と宿泊付き。

面白いものが見れるかも。



メッセージの主は仲村一なかむらはじめからだった。仲村は古本屋兼古美術商の店主、本業は祓い屋の笑顔が胡散臭い男。


新理と晶は時折“バイト”と称して彼の仕事を手伝っている(とはいえ基本的に掃除や店番、荷物持ち程度のものだが)。


久しぶりのバイトの要請と「おもしろいもの」という言葉に彼は心を躍らせすぐに返事を返した。



「中岡!俺今週バイト入った!しかも泊りがけ!」


「へぇーしんどそう……でもないのか?」


「うん!楽しみ!」



新理の満面の笑みを見て、中岡は「幸せそうな奴」と思ったが口には出さなかった。



*



指定された駅前に向かうと、新理のよく見知った男が立っていることがわかる。黒髪を後ろで一つに結んだ男は新理に気がつくと目を細めて笑顔になった。



「急に頼んで悪かったね。予定平気だった?」


「はい。サークルも顔出ししかできてなかったので暇でした。それに丁度サークルで制作する部誌のネタに困っていたので」


「足は平気なの?」


「1週間以上経つので痛みももうないです」


「無理はしないようにね。辛かったらすぐに言ってよ。今日は助っ人も呼んでいるから」



仲村の言葉に新理が目を丸くすると、自販機のある方角から人影が現れた。



「深瀬?」



そこには新理同様、目を丸くした晶が飲み物を持って立っていた。



「新理君……?どうして……」


「いや、バイトで仲村さんに呼ばれて……深瀬こそ……」


「私もバイトで……」



2人は同時に仲村を見る。彼はいつも通りの笑顔のまま首を傾げた。



「何か問題でも?」


「いえ、別に……」



あの“トンネル”のでの出来事以来、新理は晶とどことなく距離をとっていた。新理は目を泳がせる引きつった様な顔で笑うと、晶を横目で見る。こんな状況で会う事になるとは、晶自身も思っていなかったようで、目をそらしたまま押し黙っている。



「そう?じゃあ、これ新幹線のチケット」


「ここからさらに移動するんですか?」


「うん、3時間くらいかな。

2人は隣同士でいい?それとも俺と隣がいい?」



仲村が笑顔でチケットを見せる。すると晶が仲村からチケットを一枚抜き取る。



「2人で座ってください。私、今日少し寝不足で……少し寝ててもいいですか?」


「ああ、構わないよ」



晶はぎこちなく2人に微笑みかけ、新理は気まずい雰囲気のまま仲村からチケットを受け取った。




新幹線に乗り込むと、新理は荷物を棚の上に押し込んだ。


どうでも良いが新理と晶が大きめのバックパックを背負ってきたのに対し、仲村は小さめなリュック一つだった。彼はいつも荷物が少ない。


早速隣に座った仲村が新理に話しかけてくる。



「君ら、喧嘩してるの?」


「別に喧嘩してるわけじゃないですけど……こないだ迷惑かけて、若干気まずいだけです……」


「ふーん」



仲村は座席にもたれかかると天を仰いだ。



「俺、君達が仲良いとほっとするんだよね。

癒されるっていうかさ」



仲村は特に茶化すわけでもなく、どこか懐かしむ様な顔でそう言った。



*



2時間半の旅路を経て、彼らは目的地に到着した。


晶は本当に眠っていたらしく目を擦っていた。



「お疲れ様。よく眠れた?」


「はい、まぁ……それなりに」



相変わらず、背の高く端正な顔立ちの2人は絵になると新理はこっそりカメラを向けた。


すると、仲村の背後に男が近づいてくる。



「おい、はじめ


隆泉りゅうせん。早いねもう着いてたんだ」



男は仲村の知り合いなのか軽く挨拶を交わすと、後ろの新理と晶に気がつくなり片眉を上げた。



「誰だお前ら」



彼はよく通る声でそう言うと、2人を交互にぎろりと見る。


新理は思わず一歩後ろに下がり、戸惑いながらも自己紹介をした。



「えっと……バイトで来た、香田新理です」


「……深瀬晶です」


「学生?」



新理は彼の言いようのない気迫に気圧されながらも返事と共に頷いた。



「んだよ、ガキじゃねぇか。お前何考えてるんだよ」


「社会見学的な?大学生だし丁度いいかなって」


「大学生?じゃあ浩介こうすけの後輩か?」


「1人はね」



彼は仲村を見たり、新理と晶を見たりと忙しい。



「何が丁度なんだか……随分懐かれてるな」


「まぁね〜」



男は仲村の後ろに隠れた2人を見て短くため息をついた。仲村はそれに気がついたかのように微笑む。



「頼むよ隆泉。今回は大丈夫なやつでしょ」


「まぁ、そうだけどよ……」



彼は大きくため息を吐いて、2人に向き直る。



「俺は隆泉。こいつの知り合い」



彼は粗野な話し口調に大きな目、何より明るい茶髪が特徴的な男だった。




4人で駅から暫く移動すると、趣のある小さな旅館へ到着した。暖かなオレンジ色の照明と木の温もりで居心地の良さを感じる。


晶は1人部屋で、他3人は同室である。部屋は思っていたよりもかなり広く、露天風呂がついていた。新理が宿泊してきたホテルや旅館にとはあきらかに違っていた。



「ここ、かなり高級な部屋なんじゃ……」



後ろからついてきた仲村が笑顔で新理に浴衣を手渡す。



「ここは全部こういう部屋しかないんだよ。

いいところでしょ?」



3人でこれだけ広い部屋に晶は1人いるのだと考えると、きっと彼女はかなり動揺しているだろうと新理は考えた。


荷物を整理する隆泉に新理は質問をした。



「あの、藤本先輩と知り合いなんですか?」


「知り合いも何も親戚だよ。遠ぉーい遠ぉーい遠すぎるくらいだ」


「へぇ……あ、なら國崎寺の宋雲そううんさんも知っていますか?」



宋雲とは、こないだの“トンネル”騒動で厄介になった住職の事である。彼は藤本の遠い親戚で、仲村の知人であった。



「それは俺の親父おやじだ」


「え!じゃあ……隆泉さんもお坊さんなんですか?」



驚く新理をよそに、彼は頷くと荷物から袈裟を取り出した。新理は改めて彼を見るが、私服では全く僧侶に見えない。何より、新理よりも明るい髪の毛の色がそうさせている。



「宗派が違うからな。あと副業もしてるし。てか準備しろよお前バイトで来たんだろ」



旅館の雰囲気にすっかり癒されていた新理は当初の目的を忘れていた。それこそ今回のバイトがどの様な内容なのか聞くことを忘れていたのだ。肝心の仲村はどこかに出て行ったのか、部屋や館内には見当たらない。


時刻は17時を回った頃。オレンジ色の日差しが旅館の窓から差し込んでいた。



*



旅館を離れ、30分程度離れた山の中。辺りは薄暗く、虫や蛙の鳴き声が聞こえ、人の気配はしない。


道はさほど悪くなく獣道とまでは行かないが、舗装ほそうされておらず長時間歩く道ではない。先頭を歩く袈裟に着替えた隆泉は、疲れた様子もなく進み、続く晶と仲村も涼しい顔で登ってゆく。そんな中、新理は重い足取りで最後尾を歩いていた。



「香田君、大丈夫?」


「体力がないって言いたいんですか……?」


「違うよ。足怪我してるから平気かなって」


「足は平気です。一体この先に何があるんですか……」



息を切らしながら新理が質問を投げかけると、仲村はにっこりと笑い、



「見てのお楽しみ」



と、微笑んだ。



15分ほど歩き進むと、ようやく開けた場所に到着した。そこには薄暗くとも古い唐紅の木造の塔が建っていることがわかる。


隆泉が塔の近くへとそのまま進む中、新理と晶は仲村に制止され「ここで待つ様に」と言われた。


2人の背中を見送り、新理が塔の写真を撮ろうとスマホを手に取った、その時。目の前を何かが横切った気がした。


顔を上げると、唐紅の塔の周りには光の粒が舞っていた。

暗闇の中でぼんやりと、まるで夜空の星が地上に降ってきたような幻想的な光景だった。



新理の故郷の川辺でも、夏の時期は時折蛍がいた事を思い出した。


小さな頃、祭りの帰り道。晶と、その弟の千洋ちひろと手を繋いで蛍を見に行った。


晶の浴衣は、白地に紺色の大きな花模様をあしらったシンプルなもので、当時から大人びた彼女によく似合っていた。


それを汚して、新理は母親に怒られたのだ。



『ーー新理君。

新理君、もう帰ろう』


『もう少し見ていようよ。ほら、向こうはもっといるよ』


『そっちには道がないよ』


『大丈夫。俺が先に歩いて道を作るよ』


『でも、あれはーー』



すると、誰かの手がするりと新理の手首を掴んだ。


振り返ると、そこには晶がいた。


彼女の大きな目の中には、光の粒が浮かんでいる。新理は彼女の瞳を見つめながら微笑む。



「懐かしいね」


「え?」


「昔、川辺で蛍を見た事。覚えてない?」



彼女は一瞬不安げな顔をしたのち、にっこりと微笑んだ。



「覚えてるよ。新理君が雑草の生茂る場所を無理やり突き進んだせいで、私の浴衣を汚したんだよね」


「うわ、思ったよりもよく覚えてる」


「だって、あの浴衣結構気に入ってたんだよ」


「俺、あの後母さんに怒られたんだよな。

自分の服も汚したし」


「そうそう。千洋だけ一番後ろにいたからか汚れずにすんでてさ」



2人はお互いの顔を舞う光と交互に眺めながら久しぶりに談笑し合う。



「久しぶりに見たな。蛍」



新理は遠い目をしながら、少し先に数メートル先にいる隆泉の周りに舞う光を見つめた。



「でもあの頃よりも、なんだか切なく感じる」



新理の言葉に晶は何も返さず、ほんの少し彼の手を強く握りしめた。



*



「随分楽しそうだったな」



旅館の部屋の入り口で隆泉に話しかけられた晶は目を丸くした。


新理との事を言われているのだろうと彼女は気がつき、頭を下げる。



「お仕事だったんですよね、すみませんお邪魔して……」


「いや、別にいいけどよ」


「ーー“あれ”は、毎年あの場所に現れるんですか?」



隆泉は腕を組み、静かに何かを見つめる様な顔で答えた。



「……そうだ。帰る場所を探している者達が集まる。だから帰り道を教えてやる必要がある。毎年こうしてな」


「……それは、お疲れ様でした。それじゃあ……」



隆泉は部屋の中に入ろうとする晶を再度引き留める。



「なんで気がついた?」



晶は振り返って口を開いた。



「だってあれは、またたかなかったから」



彼女は寂しげな表情そう言うと軽く隆泉に会釈し、部屋の中へ入って行った。




蛍 end

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