25 壷


大学2年生 夏休み初頭 新理



夏休み初頭。


昨日さくじつから香田新理こうだしんりは幼馴染の深瀬晶ふかせあきらと共に、古本屋兼古美術商の店主である仲村なかむらからバイトという名目で呼び出され、都心から2時間強離れた場所に赴いていた。


蒸し暑いと思いきや意外にも時折吹く風は涼しさを感じる。雨が多い土地らしいが新理たちの来訪時は運良く快晴であった。


自然が多く、古い街並みの中にある風通しの良い古民家風のカフェで、店のエプロンをかけて手伝いをする晶を飲み物を飲みつつ眺めていた。彼女が動くたびに、ポニーテールが生き物のように揺れる。



「だから見すぎだよ、新理君。可愛いのはわかるけど、もっとちらっと見なきゃ」



仲村が小馬鹿にしたように笑いながら新理にそう言った。先程も見過ぎだと指摘されたばかりであったため、新理は少し顔をしかめた。



「うるさいですよ、仲村さんだって見てるじゃないですか」


「だって俺はこっそり見てるもん」



仲村はコーヒーを飲みながら細い目をより細めて笑った。黒髪で長髪をひとつに括り、眉目流麗な顔をしている。本業が“祓い屋”の笑顔が胡散臭い男。


店長である彼からのお願いで、晶は今回このカフェを手伝っている。


一方で新理は仲村の荷物持ち。彼女より楽しくなさそうな仕事ではあるが、彼から面白い話が聞けるのではないかと期待していた。新理はその話を頼りに、部誌やレポートの作成をするつもりなのである。


なんとも他力本願で情けないものであるが、「使えるものは使う」が口癖のサークルの年長者、藤本ふじもとの教えを今回はならう事にしたのだ。



「シフォンケーキとロールケーキ、おまち」



2人の席に1人の男がケーキ皿を乗せた。



「頼んでないよ」


「店長のサービス。ありがたく食えや」


「わ、ありがとうございます」



話し方の粗暴ぶりや明るい茶髪から不良に見えなくもない、仲村の知り合いの僧侶、隆泉りゅうせんがエプロンとバンダナ姿でそう言った。


彼は副業として、この店の兄弟店である都内のカフェで働いているらしい。今日の格好といい僧侶には見えにくい。



「ガラ悪〜チンピラじゃん。その感じで深瀬さんや店長にも話してんの?」


「うるせぇな。お前こそその格好はカタギじゃないだろ」



仲村は落ち着いた赤茶色地にハイビスカスの柄がプリントされた襟付きのシャツを羽織り、インナーの襟にサングラスを挿していた。下は黒のゆったりとしたブラックのパンツにいつものサンダルを履いている。


2人の言い分はもっともなのだが、顔立ちがあまりにもはっきりとしている為「モデルに見える」と新理は思った。しかし図に乗った2名を相手にしたくなかった事もあり適当にあしらった。



「真面目な仕事はしていなそうですよね」


「言うじゃねぇかこいつ。食ったら仕事行けよ」



彼はそう言うと、キッチンへと戻っていった。



支払いを終え、店から出ると新理は仲村に礼を言った。



「すみません、奢ってもらって」


「気にしないで。さてここから駅まで歩くかタクシーか……君、足平気?」


「余裕です」



新理はテーピングを施した左足首を軽く回す。彼は先日のサッカーの試合で捻挫をしており、安静と温泉が功を制したのかほぼ完治に至っていた。



「街の外れ付近にバス停があるからせっかくだしそこまで歩こうか」



仲村はにっこりと笑顔でそう言った。



「今日、俺は仲村さんの荷物持ちですよね?どこまで行くんですか?」


「電車で1時間くらいの場所。そこにある荷物を引き取るのが今回の俺の仕事」


「え……それだけ?」


「うん。新理君はその荷物を持って欲しい」



期待を裏切り、バイトの内容が軽いことを知った新理は慌てて仲村にすり寄るように質問を投げかけた。



「あのー……こんな綺麗な街並みとおいしい食べ物に高級な旅館へ宿泊させていただいててなんなんですけど、この辺で心霊だとかオカルト……都市伝説でもなんでもいいのでそういう不思議な話ありませんか?」


「ないね」



仲村はきっぱりと言い放った。やはり藤本を模倣するのは得策ではなかったと新理は後悔した。



「不思議な話はないけど、後でいくらでも撮影して資料の足しにするといいよ。またレポートや部誌でてんてこまいなんでしょ」


「いつもありがとうございます!とても助かってます!」



仲村は全てを見透かすような目で新理を見ると、彼は勢いよく深く頭を下げた。



*



電車で40分揺られ、着いた場所は都市から離れた閑静な田舎町。そこからさらに5分程度タクシーに乗り、商店街が立ち並ぶ通りで降ろされた。新理の地元とはまた違った趣のある場所であった。


商店街の外れに差し掛かり、店もぽつりぽつりと点在する頃にようやく仲村が足を止めた。



「ちょっと待っててね」



仲村はそう言って店の中に入って行った。


彼が入った場所は古い日本家屋のような建物で、一部ガラス張りになった店先にはいくつかの皿や焼き物が並んでいた。これはきっと骨董屋に違いないと新理は考えた。


入り口横の木のベンチに座り、新理は仲村を待った。


10分後、仲村が中から顔を出し、手に持った風呂敷から詰められたものは縦に四角く長い箱であることがわかる。それほど大きくはない。



「待たせたね」


「いえ、全然。椅子もあったので」


「今日はもう店を閉めるんだってさ。ちょっと休ませて」



すると仲村は荷物を新理の横置き、ベンチに腰掛ける。

新理は首を傾げ、ちりめんに織られた美しい浅葱色の風呂敷をまじまじと見た。



「これ、一体なんですか?」


「壺だよ」



箱の大きさは縦横20cm、高さは30cm程度。やや小ぶりの壺のようである。


新理は得意げに笑顔になったが途端に少々心配にもなった。



「ああ、やっぱりここは骨董屋なんですね?じゃあこの壺、結構高いんじゃ……俺が持っても平気ですか?」


「平気平気。あ、重そうだったら俺が持つから」


「……仲村さんの仕事って、“物に憑いたものを落とす事もある”って前に話していましたよね?」


「よく覚えてるね」


「具体的にそれってどういうものなんですか?日用品とか骨董品……それこそ壺とかにも何かが憑いたりするんですか?」



新理は自分で質問をしながら「今日の自分は冴えている」と思っていた。

仲村は顎を撫でながら笑顔で頷く。



「そうだね、壷だと“呪術で使用したもの”とか」


「呪術……呪いの壷ってことですか?」


「ちょっと違うかな……有名なものだと“巫蠱ふこ”とか」


「ふこ?」



新理は首を傾げた。



「“蠱毒こどく”の方がわかりやすいかな?」


「ああ、それは聞いたことあります」


「どこまで知ってる?」


「えっと……たくさんの虫を壷の中に集めて、最後に生きてたものが毒になる……みたいな感じですよね?」


「うん、まぁ大体合ってる」


「え、蠱毒って実在するんですか?」


「うーん。存在の有無に関して俺は敢えて何も言わないでおくよ。調べてみればいろんな情報が出るだろうしね。ただそういった“壷”や“壷のようなもの”がウチに持ち込まれたことがあるってのは確かだね」



新理が知っている巫蠱、もとい蠱毒とはおどろおどろしいイメージであった為、ほんの少し身震いをした。



「蠱毒は壷に限ったものじゃないよ」


「そうなんですか?」


「例えば、物語の悪役は大勢の戦士を集めて殺し合いをさせ、最後に生き残ったものを利用する。傘下に降らせるならまだしも、生き残った人をベースに改造しちゃったりね。大規模だけど、これは蠱毒にとても似てるよ」



言われてみれば、確かに蠱毒と言えるかもしれない。



「人が人を使って……蠱毒を再現するなんて……でも、それはやっぱりフィクションですよね」



仲村は何も言わず、笑みを浮かべたまま話を続ける。



「あとは、デスゲーム。大勢の人を集めて殺し合いをさせる。でも最後に生き残った人は報われない事が多い。最近では途中で参加者が協力して脱出するものが多いかな?」


「確かに……ゲームの主催者は大体良くない結末を迎えてますけど……」


「あれはいわゆる“呪い返し”をされた状態なんだろうね」


「呪い返し……」



新理は何故かぞくりと背筋に嫌な感覚がした。



「占い、呪い、魔法……世間にありふれたこれらは似たようなものでね。間違った使い方をすれば自身に返ってくる。強いもの程強力になってね。おまじない、なんて可愛い言い方だけど、“まじない”とは本来“呪い”と書くんだよ。手軽にできる呪いが君たちの日常にひっそりと潜んでいる」



陽射しを分厚い雲が包み、仲村の陰影が濃くなる。



「薬と同じさ、“容量用法は守って使いましょう”。さすればどんな良薬も毒に変わる」



影の中で、彼の鈍色の眼光だけが鋭く見えた。



「やり方を少し齧った程度の人間が気軽に踏み込んでいい領域じゃあないんだよ」



彼は今まで見たことのないような鋭い目付きで話を終えると、ゆっくりと立ち上がった。


新理はずっと仲村から目が離せなかった。



彼は一体、誰に・・語りかけているのだろう。



新理がぼんやりとそんな事を考えていると、彼はいつも通りの笑顔で微笑んだ。



「不思議な話が聞きたいっていうから少し話してみたけど。何かに使えそう?」


「い、いや……勉強にはなりましたけど……俺にはちょっと難しかったかもしれません……」


「まぁそうだよねぇ。ちなみにその壷はなんの変哲も無いただの壷だよ。花瓶用に頼まれたやつ」


「なんだ……ちょっとびっくりしましたよ」



新理は息を吐きながら壷が包まれた風呂敷を抱えた。



「その壷はただの壷。泥を採取し形作って焼き、人が勝手に価値があると決めた壷だ。これもある種の“呪い”のようなものだけどね」



仲村は一瞬、ほんの一瞬だけ悲しげな顔をしたが、次に顔を上げた時にはいつもの柔らかな笑顔であった。



「君はよく分からない人から壷とか買わないように気をつけるんだよ?」


「か、買いませんよ!」


「新理君の事だから、なんか言いくるめられて買ってそうな気がするんだよなぁ」



仲村が晶のような事を言う為、新理は面白くなさそうな顔をした。



「そうだ、その祓い屋に持ち込まれた“壷”は誰かに売ったんですか?それとも……祓い屋にまだあるんですか……?」



仲村はピタリと足を止め、真っ直ぐに新理の目を見つめる。

新理は思わず心臓が跳ねた。



「さてね、君はどう思う?」



新理は、ビー玉のように輝く美しい琥珀色の瞳を思い出し、少しの沈黙の後口を開いた。



「壷があったとしても平気だと思います」


「どうして?」


「なんとなく……深瀬が……大丈夫そうだから、ですかね」



仲村は目を細めて微笑み、くくくと笑った。



「どうやら仲直りはできたみたいだね。昨日、いい雰囲気だったみたいだし」


「え?いやぁ……深瀬とは本当に何もなくて、従姉妹みたいな感じというか……でも好かれてたら嬉しいなと思いますけど……」



しどろもどろとはっきりしない答えに仲村は眉を下げ、鼻で笑った。



「君、女で身を滅ぼしそうだね」


「そんなに密接に関わってる女性、深瀬以外そうそういないので当面は平気ですよ。それに仲村さんに言われたくないです」


「俺はちゃんとしてるもん」



のらりくらりと会話を逸らす仲村と歩きながら、新理は先程の言葉を思い出す。



『気軽に踏み込んでいい領域じゃあないんだよ』



新理じぶんへの言葉ではない。誰かへの言葉。


新理は抱えた風呂敷をじっと静かに見つめた。




壷 end

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る