跨線橋

24 跨線橋


大学2年生 春 新理



路線がひしめく都内では、あちこちに跨線橋こせんきょうなるものが存在する。跨線橋とは線路上をまたぐ道路の橋で、歩道橋ほどうきょうの道路が線路へ置き換わったものだと想像してもらえれば早いであろう。


跨線橋は駅舎に繋がっている事も多い。真上から眺める電車はいつもとはまるで別のものに見えてとても不思議な感覚になる。


そんな都内に数ある物の一つに、“振り向いてはいけない跨線橋”があるというのだ。



*



「で、ここが例の噂の跨線橋だ」



都内某所。時刻は夕方。住宅街が多い駅の近くの跨線橋で藤本ふじもとがそう説明し香田新理こうだしんりは辺りを見回し頷いた。


彼の隣には藤本のテニサーの友人、秋山あきやま後藤ごとうがいる。



「“振り向いたら”ってどういうこと?」


「ここで振り返ると幽霊と目があってにあの世へ連れていかれるんだってさ」


「そんなの即死トラップじゃないですか」


「春になると人はやや鬱になる。新生活への不安、新しい人間関係、激しい気候の変動……まぁそれらで気に病んだ人がここから飛び降りてしまうことが過去に何度かあったらしい。ここは住宅街が多い場所だから人通りも多いし」



藤本はそう言いながら高さ3メートルはある柵を見上げた。元々は2メートル程度の柵の上へさらに厳重な鉄の網が固定されている。



「噂はその後から。要するにそう思い立つ前にさっさと通りすぎろってことだろう」


「じゃあ幽霊を見た人はいないんですね」


「そう!だから今日は幽霊を撮影する為にここへ来たんだ!」


「罰当たり」


「死者への冒涜」


「いつか本当に呪われるぞ」



藤本が目を輝かせひどく最低な事を言うので3人は口々に彼を罵った。



「うるせえな!」


「今まで散々色々な場所について行っててこんな事言うのも微妙ですけど……今回はちょっと悪質ですよ」


「わざわざ写っていない現象を無理やり写そうとするな」


「そうだよ。俺にはちょっとわかる。死んじゃった人の辛い気持ち」



いつも騒がしい後藤が珍しくしため息を吐きしおれるようにうなだれた。



「後藤先輩は何があったんですか?」


「先週、彼女に振られたんだってさ」



隣の秋山が新理へそう言うと、「俺の春は終わった」と更に後藤は嘆いた。


正直「それと比べてはいけないのでは」と新理は思ったが、気落ちしている後藤に対してそれを発言するのは酷だと思い同情をした。



「元気出してください。藤本先輩なんてもっと振られてますよ。しかも1ヶ月に一度のペースで。でもいつも元気ですよ」


「お前もこないだ俺が善意で紹介した子と何の進展もなく終わってるだろうが」



図星を突かれた新理もうなだれる。



「とにかく撮影するぞ!それらしいのが写れば嬉しい!」



藤本は意気揚々にそう言った。秋山は諦めて賛同し、後藤に至っては先程と反応に変わりなかった。


藤本のオカルトや心霊への執着は一体何によるものなのか。新理にはよくわからなかった。



「そういえば向井先輩は今日いないんですか?」


「向井は花粉症が酷すぎて今日は帰ったよ」



一同ややモチベーションが低い中、撮影が決行された。



*



白い鉄製の緩やかな傾斜の階段をしばらく上るとまっすぐで平坦な道に到着する。そのコンクリートの道を15メートル程度歩くと反対側に続く階段へ到着する。例の跨線橋はそんな簡素な造りであった。噂の為か余り人通りはない上に、階段入口付近の柵には蔦が絡まっていた。


藤本の案はこう。1人ずつ跨線橋を渡り、コンクリート道の中間を過ぎた辺りで振り返り動画を撮る(写真でも可)。


1人目は発案者の藤本、2人目は後藤、3人目は秋山、最後に新理という順番になった。



「写真より動画のほうがいいかな。じゃあ行ってくる。渡りきって少し離れたらメッセージ送れよ。そしたら次のやつがスタート!」



藤本はスマホのカメラを起動し階段を上っていった。


暫くしてメッセージが届き後藤が出発、順に秋山が出発し、1人待つ新理へようやく順番がまわってきた。


新理は階段を上り、程なくして平坦な道へ到着した。道は男4人が横一列に並べる程広いが、両脇の転落防止柵がかなり高い為か圧迫感がある。それ故か新理が辿り着いたときに真っ先に思ったのは「逃げられない」という事だった。


道の中間へ差し掛かるあたりで、新理の背後からコツコツという足音が聞こえてくる。


初めは近くの住人が来たのかと思ったが、彼が足を止めても先へ歩く様子はない。気のせいかと思い歩き出すと、荒い息づかいが木霊した。


深呼吸をしながら新理は足を早めると、コツコツと速まった足音も着いてくる。


走り出そうとしたその瞬間、両肩にずしりと重みを感じた。がくんと膝を落としそうになり、後ろを見る。


そこには新理の両肩を笑顔の藤本がいた。



「よぉ、びっくりした?」


「何するんですか!」



新理の声に驚いたのか、すぐ下にいた秋山と後藤が階段を上って顔を覗かせる。



「何?どうした?」


「はは、ちょっとふざけただけだよ」



藤本はからからと笑ったが、新理は憤慨した。



「心霊現象かと思いましたよ!」


「ごめんごめん、悪かったって」



2人の言い合いと新理の必死すぎる顔に秋山と後藤は堪えきれず笑った。


藤本はわざわざ新理を脅かすためだけに跨線橋を渡ってすぐに走り、ぐるりと半周して元いた跨線橋へ戻ってきたというわけだ。


結局何も起こらなかった上に新理は撮影し忘れていた為、日が落ちるまでもうしばらく跨線橋の階段下で待つこととなった。



「なんか喉乾いたわ。来る途中コンビニ見かけたか?」


「走るからですよ。駅前にあっただけで他では見かけていないですね」


「フジモンは半周してきたんだろ?見なかった?」


「必死に走ってて覚えてない」



藤本は堂々と顔を横にふる。ほか3名呆れた顔で藤本を見た。



「なんだよもう。しょうがないな、俺ちょっと向こう側にコンビニあるか見てくる」


「橋の上で振り向くなよー」


「はいはい」



藤本の冗談に秋山は笑いながら階段を駆け上って行く。それを見送っていると新理へ電話がかかってきた。


画面には“深瀬晶ふかせあきら”の文字。深瀬晶は新理の幼馴染で隣県の大学に通う。彼女は様々な“予感”を察知できる不思議な能力の持ち主であった。


そんな彼女からの連絡を珍しいと思いつつ彼は電話に出た。



「もしもし?深瀬?」


『新理君?今どこにいるの?』


「どこって……大学から少し離れた所だけど……どうかしたの?」



怒られそうな気がして心霊現象を撮影に来ているということは伏せた。



『どうかしたって、今日はバイトの日でしょ?メッセージも送ったのに既読にならないから心配して電話したの』



新理は思わずあっと口をおさえた。バイトの件をすっかり忘れていたのである。


すると新理の心境を読み取ったように晶は鋭く言い放つ。



『忘れてたね?』


「いや……その……ごめんなさい。メッセージにも気が付きませんでした」


『まぁ、仲村なかむらさんも今日は大した仕事はないし全然怒っていないから気にするなってさ』


「はい……すみません。次は必ず行くので」



新理はかなりバイトを楽しみにしていたので、眉を下げ肩を落とした。



「あと……こないだのこと・・・・・・・って……」


『バレてるよ。メッセージでもいいけど、次に来たときちゃんと謝りなね……仲村さんはさっきからずっと笑ってる』



ため息を吐きながら電話する晶の横に、笑う仲村がいる事が安易に想像できて新理は少し口角を緩めた。



『……本当に今どこにいるの?外?』


「ん?ああ、そう。外の線路近く。もしかして嫌な予感した?」



彼が冗談交じりにそう言い、彼女から帰ってきた答えは意外なものであった。



『うん。すごく』



新理は空気の抜けたような声で「まさか」と呟いた。しかし彼女は嘘をつくような女性ではない事を新理はよく知っていた。



『さっきから……嫌な予感がするの。心当たりがあるなら焦らずにその場を離れて』



じわりと喉の奥をしめられる嫌な感覚。



「わかった……ごめん。深瀬」



新理は電話を切り、自身がまず何をすべきか考えた。


しかし、晶が”予感“を感じ取ったということは“何かがここにいる”ということである。


彼の心中は焦燥感と好奇心で溢れていた。



疲れたのか隣で眠る後藤と、長い電話をする新理の背中を見ながら、藤本は階段の4段目に置かれた新理のリュックを手に取る。


藤本は勝手に彼のリュックの中身を見ると、入っていたラベルのないペットボトルを勝手に拝借し口に流し込む。


しかし、藤本は思わぬ塩味に勢いよく咳き込んだ。



「げほっしょっぺぇ!なんだこれ!塩水!?」


「あー!何勝手に人のカバンを漁っているんですか!」


「香田……お前……何これ!?すごくしょっぱいぞ!」


「しかも飲んだんですか?どうしようもないですね本当に……」



呆れる新理と、情けない声で藤本は飲料について心配した。



「なぁこれ何?」


「……試供品のスポーツドリンクです。口つけたんならあげます」



新理は飲料について話すのが面倒でため息を吐きながら嘘を付き、ペットボトルを藤本の上着のポケットへ強引にねじ込んだ。



「いらねぇ、やめろ。あー余計に喉が渇いた」


「自業自得じゃないですか。でもちょっと遅いんで俺、秋山先輩のこと見に行ってきます」



新理は秋山の後を追う為に跨線橋の階段を上った。先程の晶との電話を思い出しながら。



きっと晶の言うことを聞いたほうがいい。でも――



丁度上についたところで電車が通過する音が辺りに響く。うなり声のようなけたたましい音が消えると、コツコツという靴底の音が背後から聞こえてきた。


きっと藤本がまたいたずらでついて来ているのだろうと彼は推測した。


逆に今度はこちらが脅かしてやろうと、新理はぎりぎりまで背後へ近づいた瞬間、勢いよく振り向いた。


そこには新理の見立て通り人が立っていた。藤本ではなく後藤だったが彼は少し驚いたのか目を丸くしている。



「そう何度も同じ手は使えませんよ」



新理は得意げにそう言ったものの後藤から返事はない。


後藤はゆっくりと横を向き柵を握る。なぜかとても強い力で握りしめていた。


新理は冗談半分に薄ら笑いを浮かべながら彼の行動を見ていたが、直後にぞくりと嫌な感覚が体に走った。



「……後藤先輩?」



後藤は虚ろな目をしたまま柵を掴み、次の瞬間足をかけた。



「後藤先輩!?ちょっと……!!」



新理は思わず後藤の胴体を抑える。寒気を感じながらも手を離すわけにはいかなかった。



「待って……ふ、藤本先輩!秋山先輩!!誰かぁ!来てください!!」



必死に新理が叫ぶと、下から藤本が階段を駆け上って来た。



「何だ!?後藤!?お前さっきまで隣にいたのに……!」



目の前の状況に気が付いた藤本はすぐさま2人に駆け寄ると後藤の体を掴んだ。



「藤本先輩!助けてください!後藤先輩が急に……!」


「見りゃわかる!とにかく下ろすんだ!後藤!おい、何してんだ!」



2人がかりで後藤を柵から離そうとするものの、彼はまるで磁石のように柵にへばり付き、びくともしない。



「力強ぇ……!このゴリラが!」



藤本は後藤の頭を軽く小突いたが、彼は全く意に返さない。


すると鋭いタイフォンの音が遠くから響き、跨線橋はガタガタと揺れ出した。


電車が少しずつ近づいてくる。


新理の必死の抵抗も虚しく後藤は柵のから体を乗り出し、藤本も彼におぶさるように引き止めているがこのままでは2人共落ちてしまう。



「藤本先輩っ……!」



新理がそう叫ぶと、後藤は左足にしがみつく新理を後ろに蹴り上げた。


みぞおちに後藤の蹴りを食らった新理はその勢いで背中から地面に倒れこむ。

新理はどうにか起き上がろうとするが、痛みと吐き気を覚えうまく起き上がれない。



「香田!……後藤!この馬鹿が!目ぇ覚ませ!!」



藤本がポケットに入れていた飲み物を手に取り、後藤の帽子を捨て全部彼の頭にかけた。


その時、後藤から黒い影が下へ伸び、新理の真横へ移動すると平面から立体に人の姿を象った。


新理が目を見開くと、影は次第に薄くなり消えていった。


呆気にとられていると、柵の上にいた後藤が突然むせ込んだ。



「うぇっゲホッしょっぱい!冷た!何だこれ!」


「……後藤?お前……正気に戻ったのか?」


「はぁ?フジモン何……なんだここ!柵の上!?高い!」


「おい暴れんな!ゆっくり降りろ!」



2人はゆっくりと柵から降りると、後藤はしゃがみこみ、藤本はその場に倒れこんだ。


それを見て新理はほっと息をつくと、胴体を起こした。


すると下からコツコツと階段を登ってくる音が聞こえる。



「秋山……?」



藤本がそう言うと、階段を上りきった秋山がビニール袋を手に下げ顔を出す。



「いやー悪い悪い。遅くなって。一番近くにあったドラックストアにいってたんだけどレジがありえないほど混んでてさ……あれ、お前らなんかめっちゃ汚れてない?何してんの?」


「俺たちにも何が何だか……」



新理が苦笑いを浮かべると2人は脱力したようにため息をつき、秋山は不思議そうな顔をした。



*



上着についた土をはらいながら、一行は駅へと向かう。


あの後すぐに藤本と問い詰めたが後藤には階段へ上った辺りの記憶が一切ないらしい。後藤から「実は今日熱っぽさがあり時折ぼんやりとしていた為そのせいかもしれない」と笑いながら告白されたが藤本と新理にはそうは思えなかった。


しかし春とはいえまだ寒い気温の中、頭から水をかけられた後藤は案の定、次の日熱が上がり休んだ。



『気に病んだ人がここから――』



後藤は確かに彼女から振られるという出来事があった。藤本の言う噂が真実ならば余程気を落としていたのかもしれない。しかし、それだけで彼は何かに取り憑かれてしまったのだろうか。それとも――


後藤から出て来た黒い影を思い出す。あれは“あちら側”の人影。


それとも、それ程までに危険な何かが跨線橋に潜んでいるということなのだろうか。


どちらにせよ彼らは2度とここには訪れない。今回はさすがの藤本も少し反省しているようであった。



ちなみにあのラベルのないペットボトルは、こないだバイト先で不在の仲村の机から勝手に拝借したもの。バイト帰りに晶にそれを見せると――



『なんで持ってきたの……?絶対にバレる。ちゃんと謝って返しなよ』



そう言われリュックに入れてきたのだが、新理の手元に残ったのは空のペットボトルのみ。きっと藤本や後藤の反応から察するに“塩水”なのであろうと新理は考えた。



「散々だったな」



隣りにいた秋山がにっこりと笑い、新理に話しかけてきた。



「まぁ、怪我なくて良かったですよね」



新理は肩を組んで前を歩く藤本と後藤を見た。本当に反省をしているのか微妙なほど爆笑をしながら後藤と話している。



「藤本先輩はなんであんなにオカルトや心霊が好きなんですかね?もはや病気ですよ」


「あー俺も詳しくは知らねぇけど、昔好きだった人に感化されたって言ってたな」



秋山からの藤本の情報に新理は目を丸くする。



「え、初耳だ。彼女だったんですかね?」


「いや、話の感じだとフジモンの片想いっぽい。でもその人と連絡が取れなくなって、一時期ちょっと塞ぎ込んでたんだよ」


「ええ?藤本先輩が!?」


「うん。びっくりだろ?」



好きな人、片想い、塞ぎ込む。全て藤本とは縁の遠い言葉たちが次々と飛び出し新理は驚きを隠せない。



「結局その後も連絡は取れなくて、オカルトや心霊のある場所にいけばもしかしたら会えたり、撮影した物を投稿すれば反応して貰えるかもって。そう言ってスポット巡りも始めたんだ。今もそうかはわからないけど」



今まで疑問だった事が晴れ、新理は数回頷いた。



「一体どんな人だったんだろう」


「名前は忘れたけど同じサークルでさ。一回だけ構内でフジモンといるのを見かけたんだ。フジモンってああいう人が好みなんだって意外だったから顔は覚えてる」



秋山が腕を組み、新理は食い入るように彼の言葉を待つ。



「4年生の先輩で短い黒髪の吊り目がちな美人。流行りの顔っていうより和風な顔立ちだったな」



電車が通り過ぎる音が遠くから木霊する。


制服を着慣れない背の低い中学生達や、乱暴な風でどこからか舞った桜の花びらとすれ違う。


春はまだ、訪れたばかり。




跨線橋 end

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