夏バイト

6 夏バイト


大学1年生 夏休み中旬 新理


夏休み、お盆前。


うだるような暑さが続く最中、つい数日前まで掛け持ちのサッカーサークルへ顔を出していた香田新理こうだしんりは、疲労困憊でお盆の帰郷までは大人しく自分のアパートで寝て過ごそうと決め込んでいた。


しかしバイト代という言葉に惹かれ、仲村なかむらという男の経営する古本屋の大掃除へと駆り出される事となった。

仲村とは大学の先輩、藤本ふじもと経由で知り合った、謎の多い男。


何より室内で、部屋は涼しいと聞き、食事も飲み物も出るというこれ以上にない条件に、食いつかないわけにはいかなかった。



「話が違うんですけど」



外の椅子に腰をかけ、傍に本を置き団扇うちわあおぐ仲村に炎天下の中、麦わら帽子を被らされた新理は汗を流しながら問い詰めた。



「ごめんって。

急に昨日エアコンが壊れちゃったんだよ。

古いやつだから壊れやすくてさぁ。

おまけに俺は足を挫いてるし」



そういうと、仲村は湿布を貼った左足を見せる。

計ったかのような災難な出来事に新理は疑いの眼差しを向ける。



「ほら、お詫びに名刺あげるよ」



にっとりといつもの笑顔で白い名刺を手渡される。

名刺には明朝体で“はら はじめ”と記されていた。


彼の仕事は古本屋と古美術商だが、古本や骨董品、遺品等まで供養も承っていることからこの名前らしい。



「これ奥の机の上にたくさんあるの見ましたよ。

こんなのよりアイスとかにしてください」


「ひどいなぁ。

今修理呼んでるから。

うちの同居人もエアコンないと困るからねぇ」



奥に目をやると扇風機の前に、大きな白い毛の塊がいるのがわかる。店内は裏口から窓も全て開けているので外よりは風通しが良い。とはいえ、ややましだというだけの話だが。



「さっきから動きませんけど、大丈夫ですか?」


「下は畳だから平気だよ。はなだーー」



呼ぶと白い塊から、はたきのような長い尻尾がパタリと動いた。


縹とはあの大きな毛の長い白い猫の名前。

鮮やかな青い瞳が特徴らしいが、寝ている為その瞳は見る事が出来ていない。



「彼は頭がいいからね。

涼しい場所は自分で見つけるよ。

さて、本と物をどかすの手伝ってくれる?」



新理は数週間前の旅行で仲村には助けられた恩がある為、その分は働こうと覚悟を決めてここに来たのであった。



「わかりましたよ。

後で友達も来るんで、駅まで迎えに行ってきます」


「おお、助かるよ」



店は古い木造の二階建てで、主に一階で古本を販売しながら古美術商を営んでいる。


この場所は彼の叔父から譲り受けた場所らしい。


古書店らしく入り口付近から本が並ぶが、壺や陶器から謎の木の像、不気味なお面などもいくつか鎮座している。

曰く、お土産でもらったものもあるという。


どこまでが商品で私物なのかよくわからないが、「触ってもいいけど何が起こるかは知らない」と怪しげなしたり顔で言われたので、新理は触らないように心がけている。


しかし物が溢れている割には小綺麗で、まめに掃除がしてあることがわかる。



「まず先に裏口にあるやつは全部ゴミに出してもらえる?」



「はいはい」と返事をしつつ、縹の横を通る。彼は一向に動きそうにない。

裏口を出るといくつかのゴミ袋があった。



「無理そうなら何度かに分けて持っていってね」


「平気ですよ」



新理は全てのゴミ袋を抱え、ゴミ集積場所まで歩き出した。



蚊取り線香を焚き、どこからともなく鳴くセミの声に耳を傾けながら仲村は本をめくる。


じりじりと日が照りつけるコンクリートの道、室内の首を振る扇風機。


ドアベルがわりの南部鉄器の風鈴が、揺れて涼しげな音を響かせた。



「すみません。

ここは古本屋さんですか?」



仲村が声の方向へ顔を上げると、この辺では見かけない女性がトートバックを肩に下げて立っていた。すらりとした体型に、日差しで透き通る長い髪。大きな琥珀色の瞳と目の下の印象的な黒子と大人びた表情。



「ああ、すみません、

大掃除で今日は臨時休業中なんですよ」



仲村が指差す先に立てかけられた木の看板には「休業」の

筆文字が書かれている。


指を追うように目線を看板に向けた彼女はああ、と口を開く。



「あの、私、手伝いで来たんです。香田新理に頼まれて。

知ってますか?」


「ーーああ、新理君の……

え?」


「はい。香田、新理。茶色い髪の、大学生。

友達なんです」



すると息を切らしながら話題の渦中、香田新理が店の奥から現れた。



深瀬ふかせ!」


「新理君。

メッセージ既読にならないから、自分で歩いて来ちゃった。

いい帽子だね」


「ごめんごめん。今、見た。帽子は借りたやつ。

あ、仲村さん、今日頼んだ友達。

で、この人店長の仲村さん」


「そうだったんだ。深瀬晶ふかせあきらです」


「仲村です。暑いとこ悪いね」


「いえいえ、あの、荷物置いてもいいですか?」


「ああ、じゃあ奥の部屋使って」


「お邪魔しまーす。

わ、猫?」



彼女の後ろ姿を2人で見送ると、仲村がちらりと視線を新理に移すのがわかった。



「彼女じゃないです」


「何も言ってないよ」


「前、話しましたよね。幼馴染なんですよ」


「ああ、聞いたような気がする。

ま、いい子そうじゃん」



晶といると全員がおなじみの事を言うので、彼は半ば反論を諦めてそのうち誤解が解けるのを待つことにしている。とはいえ、賢くて美人な幼馴染とそう言われてまんざらでもない気持ちも少しあるようだが。



「でも、結構力仕事多いし、汚れるかもよ?

掃除はしてるけど棚の上とか結構雑だし。

近所に若い子が好む店もないし。

新理君、男の友達いないの?」


「いますよ!……でも予定が合わなくてやめたんです。

それに深瀬は本が好きだし、古本屋に興味あるかと思って」



ふーんと頷きながら仲村はいうと、また椅子に腰をかけ本を読み始めた。



「あの、なんか気になります?」


「ん?気になる?

俺、君の友達にちょっかいかけるほど女には困ってないよ」


「いや、そういうんじゃなくて……」


「ね、何したらいいの?」



声の先の晶を見ると、ジーンズにTシャツ、ポニーテールという動きやすそうな格好になっていた。おまけに手には軍手もはめてある。しかも普通の軍手ではなく、ぴっちりとした滑り止めのついたものだった。



「着替えてたの?」


「そりゃあね。

さっきの格好じゃ掃除しづらいもん」


「お、やる気あっていいね。

じゃ、本棚の本全部出して座敷に積み上げておいて。

そしたら棚を拭いて床の掃き掃除。

俺は横で雑貨拭いてるから、なんかあったら聞いて。

それじゃよろしく2人とも」



仲村はにっこりと笑い、新理と晶は声を合わせてはーいと返事をした。



*



大体の掃除が終わると、本棚を端に移動させ、入り口にレースのカーテンをかけると床に竹ゴザを敷きその上に本を並べ始めた。



「ま、今日やりたかったのはこれだよ」


「そっか、虫干しか」


「これ、やらないとダメなんですか?」


「うん。本が虫に食われちゃう」



綺麗に本が並べられているその様は、本棚に収まっている時より開放感に溢れているように見える。


すると裏口から仲村を呼ぶ声がする。

やっと修理業者が来たようだ。


仲村がその場を後にし、新理はしゃがんで本を見つめる晶を見た。



「あの人、変な感じする?」



晶は一度新理を見て、言葉の意図に気がつき目を逸らした。



「いや、別に」


「なんだそっかぁ」



実をいうと、仲村と晶を会わせることで何かしらの化学反応を期待したのだが、特に予想した反応は得られず新理は小さくため息を吐いた。


するとどこからともなく縹が現れ、晶に体を押し付けながらぬるりと一周する。


縹は晶を見ながら、撫でやすいように耳を伏せた。

新理はここでやっと澄んだ青いガラス玉のような縹の瞳を拝めることができた。


晶はほっそりとした白い手で、触れるか触れないかくらいの優しさで縹の体を撫でる。



「でも不思議な感じはする」


「え?」



思わず間の抜けたような声を上げると、裏口から仲村がひょいと顔を出す。



「3人とも、エアコンどうにか直りそうだよ。

こっちに上がっておいで。水羊羹でも出すから」


「はーい」



晶が立ち上がると縹も一緒に座敷へ上がる。

新理も2人の後へ続くように歩き出す。


確かにぽつりと、晶はそう言った。



*



「今日はありがとうね。おかげで助かったよ。

はい、バイト代」



時刻は夕方。

掃除に1日を費やし、茶封筒を手渡される。

袋の中には2万円が入っていた。



「おお!ありがとうございます」


「今度、飯でも奢るよ。おいしいカレー屋があるんだ」


「へぇ、なんていう店ですか……うわっ電話きてた、

なんで?ちょっと電話してきます」



騒々しく少し離れた場所へ新理が移動すると、店の中から着替えを終えた晶が出てきた。



「忙しいね君の友達は。

はい、これバイト代。ありがとうね」


「え?わ、ありがとうございます。やった!」



晶は封筒をバックにしまい、仲村を見る。



「俺、本業は祓い屋なんだ。

名前の通りの、ね」



入り口に寄りかかりながら、にっこりと微笑んではじめと書かれた看板を指す。



「何か困ったことがあったらいつでもおいで。

学生には通常の一割の依頼料だから、お得だよ」



にっこり笑う仲村を前に晶は押し黙り、仲村から視線を外して口を開く。



「なんで、私に……?」


「んーー……なんだろう。

強いて言うなら“勘”かな?

ま、君もなんとなく、わかると思うけど」



バッグの持ち手を強く握り、再度晶が口を開こうとした瞬間、電話を終えた新理が小走りで近寄ってきた。



「お、新理君。連絡取れたの?」


「はい。母さんが父さんと間違えてかけただけでした。

お!深瀬もバイト代貰った?中身みた!?」



彼の屈託のない笑顔に彼女は肩を撫で下ろし弱く微笑んだ。



「……見てないよ」


「え〜〜!?見たら?俺、初バイト代だよ!

じゃあ仲村さん、今度はカレー食べに行きましょうね」


「うん、そうだね。帰省するんだっけ?

帰りに気をつけなよ2人とも」


「はい、じゃあ また!」



仲村は軽く手を振り、2人を見送る。

新理は手を振った後、茶封筒の中身をしきりに確認し、晶は仲村に軽く会釈をして駅へと歩いて行った。



*



夜、アパートの一室で電話をする晶の姿がそこにあった。



「うん、明日の新幹線に乗るよ。新理くんも一緒。

嬉しいでしょ?ああ、こっちに戻るのは18かな。

大学に行かないといけない日もあるからさ……」


電話の主は弟のようで、その後も他愛もない話で盛り上がる。


彼女の部屋のテーブルの上には茶封筒とともに、祓い屋 一と書かれた名刺が置かれていた。



夏バイト end

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