第38話 意外な一面

 容疑者はあの三人だが、調べるのは三人だけではない。客観的なデータを得るためにまず、数学に関して、亜土を知る二人に対して質問することになった。場所は心理的に何かが作用することがないよう、聖明が使っている部屋が選ばれた。そこに、聖明と辻、それに未来と田村という四人で聞き取りをすることになった。

「先生。後で確認したいことが別にあるんですけど」

「ああ、解った。後でいいんだな」

「はい」

 部屋でようやく聖明と出会った未来は、中野に対して感じたことをすぐに確認しなくてもいいだろう、聞き取りには関係ないだろうと保留した。そんな会話をしていると、宮下が川口を連れて来た。

「おや、本郷先生と平山さんもですか。すっかり警察のアドバイザーですね」

 川口はその状況を笑いに変えるだけの余裕を見せた。すでに自分が容疑者から外れていることに気づいているのだろう。教授ともなれば、そういう読みが出来て当然だ。

「ええ、まあ。好むと好まざるとに関係なく、この場に居合わせたのは悪かったみたいで」

 だから聖明も、そう軽口で返しておいた。訊くのは二人の印象だけだが、緊張せずに率直な意見を述べてほしいところである。リラックスは必要だ。

「ははっ。たしか憲太君の要請でしたよね。あの事件があるまで会わなかったから、まさか建築学を専攻しているとは思いませんでした。てっきり情報系か数学か、そう想像していたもので」

 川口は四人の前に座ると、意外なものですねと言う。それにふと違和感を覚えた。

「ひょっとして、尚武さんも情報系だったんですか。たしか企業で研究されていたと聞きましたが」

「ええ。そうですよ。尚武さんもいい研究者だったんですけどね。企業で研究するというのも、なかなかしがらみの多いもののようで、そのストレスで対人恐怖症になってしまったんですよ。そうでなければ、まだ現役で研究を続けていたでしょうね。

 よく先生と議論されているのを、若い頃に見たことがあります。あんなに、人って変わってしまうものなんですね。尚武さんの今と昔を知っていると、複雑ですよ。しかもあんな形で亡くなるなんて。本当に」

 そこで川口は言葉に詰まり、深々と溜め息を吐いた。同じ研究者だからこそ、考えてしまうことが色々あるのだ。研究に躓いた理由が人間関係だったということも、悩ませる要因になる。

「なるほど。尚武さんは非常に優秀な方だったんですね」

「ええ。その分、責任感も強かったんですよ。あの事件に関して、先生に相談しようと考えていましたしね」

 そう言えばと、聖明は果たされなかった約束を思い出した。

 客観的に事件に関して意見を求めたい。そういうことだった。

 なるほど、ひょっとしたら尚武は、自分に相談するという形で、外に向けて自分の意見を述べようとしていたのかもしれない。それは対人恐怖を抱える尚武にとって、苦渋の決断だっただろう。なにせ、自分は全く知らない赤の他人なのだ。

「何か、気づくことがあったのかもな」

 あとで尚武の部屋を調べてみるか。聖明はそう心の中にメモしておいた。それよりも今は、あの二人に関する印象だ。

「それで亜土さんについてですが。やはり数学者としても素晴らしかったんですよね」

「それはもちろん。しかし、考え方はかなり先進的というか、学会では受け入れられないことも多かったです。やはり根っからのコンピュータ工学者というべきか。解析学においては群を抜いていますが、純粋数学のカテゴリーに当て嵌らないんですよね。論文も、独特の表現をされる方で、読み難いというのもありました」

 そういう川口だが、嫌っている様子は微塵もない。そう言っていても、意見を求めるだけの何かがあるわけだ。

「それはもちろん。視点の違いと言いますか、アプローチの違いによる発見ですね。同じ見方をしていても、得られる発見は少ない。そういう時、先生に相談に乗ってもらっていたんです。特に和田君とは活発に意見交換をしていただきました。彼女の数学の才能は素晴らしいですからね。互いにいい刺激だったようです」

 そこまでが川口の聞き取りだった。どちらに対しても悪い印象はなく、また、どちらにも研究者としての敬意を払っていた。

「なるほどねえ。聞いてみないと解らないというか、研究者としてどうなのかというのは、初めて聞く内容でした」

 川口が出て行ったところで、辻がしみじみと言う。

 たしかにそんな聞き取りは、警察であれば無縁として切り捨てられる部類のことだろう。しかし、今回の事件を解く鍵はここにある。それは間違いなさそうだ。

「それより、尚武さんの部屋を後で見せてもらえますか」

「もちろん」

 先ほどのメモを約束に変えたところで、宮下が和田を連れて来た。

 和田は非常に疲れた顔をしていた。異常事態に、精神的に参っているようである。

「本郷先生。犯人、この中にいるんですか」

 和田は座るなり、落ち着かないのかそう訊いてきた。かなり直球の質問だが、自分が容疑者に入っていないことに気づけないほど、状況に飲まれている証拠だ。

「ああ。残念だが、この事件は外部犯の可能性が極めて低い。それは亜土さんに関しても言えることだ」

「栗原先生も、どうしてあんなことに。私、栗原先生にホッジ予想の問題に関係している、複素解析多様体に関して、非常に突っ込んだ質問をしていました。それに関して先生は、すでに明確にどうアプローチすれば解に辿り着くか、理解されているようでした。それを、どうにか自分の理解に落とし込み、論文として発表できないか。それを考えていた時です」

 事件を思い出し、和田の顔が青ざめた。その日この屋敷にいたのだ。あの異様な死体を、和田も目撃しているのである。

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